ガンジス川に面して積み上げられた石段の上に、「クミコハウス」はあった。日本人の久美子さんと、その夫であるインド人のシャンティさんが経営するこのゲストハウスに滞在する全ての宿泊客は外国人で、そのほとんどが日本人旅行者だった。世界には『日本人宿』と呼ばれる、日本人ばかりが宿泊するゲストハウスが幾つかあるが、クミコハウスもそういった宿のうちのひとつだった。
ガンガーのほとりに位置するバラナシはインド全土から巡礼者が集まるヒンドゥー教の聖地であるとともに、インドで最も多くのツーリストを集める観光地でもある。だからこの街には訪れる観光客に少しでも金を落とさせようとする、多種多様な客引きが実に大勢いる。外国人がガートと呼ばれる沐浴場を歩いていれば、必ずと言っていいほど客引き達から声をかけられる。土産物屋へ連れて行こうとする客引き、ガンガーを遊覧するボートを斡旋しようとする客引き、そしてゲストハウスの客引き・・・。
ところがクミコハウスに滞在している日本人達の場合は、決してそうした客引き達に連れて来られた訳ではなかった。彼等は自ら希望してこのゲストハウスにやって来たのだった。しかしながら僕には旅行者が何故この宿に集まるのか、よくわからなかった。「人気のある宿」には大抵の場合、人が集まるだけの納得できる理由があるものだけど、クミコハウスに限ってはそれが何であるのか、すぐにはわからなかった。
バックパッカーが多く集まる宿には、ひとつの共通した条件がある。それは料金が安いということだ。クミコハウスの1泊30ルピー(約80円)という金額は物価の低いインドのなかでも破格の安さだけれど、しかしこれはクミコハウスに旅行者が集まる理由にはならない。何故ならクミコハウスは「安かろう、悪かろう。」の見本であるような、費用対効果の悪い宿なのだ。あとほんの10、20ルピー追加すれば他にマトモな宿はいくらでもあったのだから。
バラナシで声をかけてきた客引きに対して僕が「もうクミコハクスに泊まっている。」と言うと、彼等は一様に
「何故オマエはそんな汚いところに泊まるんだ?」
と怪訝な表情で言い返すのだった。地元バラナシの人間にそこまで言われるのだから相当なものだ。まあ、言われて当然の部屋には違いないが。
部屋はとにかく汚かった。宿泊客のなかには、「インドでココより汚い宿は知らない。」とまで言う者もいた。内壁のペンキはいたるところで剥げ落ち、代わりに解読不能の日本語の落書きがあった。錆付いたベッドにはシーツなんて贅沢なものは無く、所々破けたペラペラのマットレスが敷かれてあるだけだった。
窓には野猿が(もしくは泥棒が)侵入してこないように鉄格子がはめられていたのだが、部屋が部屋だけに外からの侵入を防ぐというよりは、中にいる人間が脱出を図るのを防ぐ為の鉄格子のように思えてしまう。ここは刑務所だと言われたら、そのまま信じてしまうかもしれない。いやそれ以上に、もし刑務所に口があったなら「こんな部屋と一緒にするな。」と怒られたかもしれない。
ドミトリーは昼でも薄暗かった。ここで壁に貼られてある行方不明になった旅行者の顔写真を掲載した何枚もの日本大使館発行のポスターや、「小便をするときでもトイレのドアを閉めろ。」などと命令口調で書かれた情けない張り紙を見ながら過ごしていると、簡単に鬱病になれそうだった。マトモに考えれば、旅行者が好んで集まる宿とは思えない。
にもかかわらず、クミコハウスでも日本の海外旅行シーズンになると、大学生や休暇を取った会社員で相当に混雑するという。しかし僕がバラナシを訪れた11月は、その時期ではなかった。だから現在この宿に滞在している日本人旅行者は、日本で普通に生活していてはなかなかお目にかかれない、一風変わった人間ばかりだった。
彼等の多くは複数の国を旅するバックパッカーであるか、あるいは何らかの目的でバラナシに留まっている長期滞在者だった。また、その両方の条件を満たす者も少なからずいた。ある者はアフガニスタンからパキスタンを経由してインドに戻ってきたバックパッカーであり、またある者はシタール(ギターに似たインドの民族楽器)を学んでいるという長期滞在者だった。
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