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爪上(そうじょう)の土(ど)(4)
2012年6月17日(日)
[悟る]ことのむつかしさを、
[爪上(そうじょう)の土(ど)]の譬(たと)えは、
述べています。

かつて、あるお説教師さんが、
うまく演出をしながら語っていたのを、
思いだします。

それは、まず、お釈迦さまが、
手の平に、いっぱいに土を載(の)せて、
大地との多少を聞きます。

これが、人として生まれる確率です。

気の遠くなるような、
小数点の0がならぶでしょう。

次に、手の平いっぱいの土の内から、
指先でつまんで、
手の甲に載せます。

これが、仏教に遇い、
信心を起こす確率です。

そして、さらに、
手の甲の土を少量つまんで、
爪(つめ)の上に載せます。

これが、[悟り]の確率です。

そのことを、伝えたのちに、
本論に入ります。

わたし共は、
この世では、[悟り]を開くことは出来ないが、
浄土に生まれ、そこで[悟り]を開き、仏になる、
という展開でした。

手の平から、手の甲、
爪への移行は創作ですが、
上手(うま)いですね。
作成者 kohdo23 : 2012年6月17日(日) 05:10 [ コメント : 0]
爪上(そうじょう)の土(ど)(3)
2012年6月16日(土)
爪上(そうじょう)の土(ど)は、
[悟り]に至るものは、
[ごく少ない可能性]を示したものです。

恵心僧都(えしんそうず)源信(げんしん)さまも、
その主著『往生要集(おうじょう ようしゅう)』に、
この[爪上の土]を、取りあげておられます。

またまた、これを調べる人の為に、
便宜を図っておきます。

『往生要集』の巻上の中ほど、
六道の解説が終わった次のあたりに、
出てきます。

しかし、その内容を言えば、恵心僧都は、
いささか、飛躍しているように思います。

人間に生まれることが、
爪の上の土ほどの確率だ、
とされているのです。

[悟り]を得ることのむつかしさを述べた、
『涅槃経(ねはんぎょう)』に対して、
[人間に生まれること]に、それを当てているのです。

もっとも、その前文に、
『涅槃経』の内容を、説明してはいるのですが・・・

人として生まれることから、信心を起こすことまでは、
『涅槃経』に添っています。

しかし、結論の[悟り]までは、言及していません。

恵心僧都ともあろう人が、
とも思うのですが、
[人として生まれること]に、
重きを置かれたのですね。

[かけがえのない自分]を思う時、
それもまた、
その通りだと肯(うなづ)きました。
作成者 kohdo23 : 2012年6月16日(土) 05:27 [ コメント : 0]
爪上(そうじょう)の土(ど)(2)
2012年6月15日(金)
爪の上に乗った土と、
大地の土と、
当然、大地の土の方が多いに決まっています。

何でも多い方がイイのが普通ですが、
お釈迦さまは、
爪の上の土ほどの、
少なさが尊いと言いたかったのです。

これは、涅槃経(ねはんぎょう)というお経に、
出てくるものです。

その真偽を確かめる方の為に、
第33 迦葉品(かしょうぼん)の12の1
であることを、加えておきます。

いささか、読みづらいところですが、
簡単にいいます。

人が死んだあと、
再び人として生まれ、信心を起こし、
[悟り]を得ることは、
大地の土に比べ、
爪の上の土ほどの可能性しかない、

ということです。

そうでしょうね。

[悟り]を得る可能性は、
それほどに少なく、
むつかしい事なのです。

だから、阿弥陀さまのお力を頼め、
と、お釈迦さまは、お説きになるのですね。
作成者 kohdo23 : 2012年6月15日(金) 06:08 [ コメント : 0]
爪上(そうじょう)の土(ど)
2012年6月14日(木)
ツメに爪なし
ウリに爪あり。

爪と瓜はよく似た字ですが、
上のように、爪が有るか無いかで、
見分けます。

今日のタイトルは、
爪(つめ)の上の土、
ということです。

これは、お釈迦さまの、
ご説法の題名で、
後世の人が付けたのでしょう。

これは、題名そのままですから、
付けやすかったでしょう。

お釈迦さまは、
爪の上に土を載(の)せて、
尋(たず)ねます。

「爪の上の土と、
十方といいますから、
あらゆる大地の土と、
どちらが多いか」

易(やさ)しい質問ですね。

こんな質問を、
仏教の第二祖と呼ばれる、
[迦葉(かしょう)]に尋ねるのです。

わたしなら、[ひっかけ問題]かと、
用心するのですが、
迦葉さまは、素直に答えます。

「爪の上の土は、
大地のそれと比べ物にはならない」と。

当然、正解ですね。
作成者 kohdo23 : 2012年6月14日(木) 07:16 [ コメント : 0]
苔(こけ)を磨(みが)く(3)
2012年6月13日(水)
苔(こけ)は、よく見ますと、
細かい[ほこり]にまみれています。

粗(あら)いゴミは、
もちろん目につき邪魔(じゃま)ですが、
この細かい[ほこり]も問題です。

それは、その細かい[ほこり]を、
取り去ると、よく判ります。

あるいは、掃除の途中で、
その前後を見ますと、
その差がハッキリします。

帚除の前は、
緑の色が、くすんでいます。

ところが、やわらかな手箒(てぼうき)で、
掃(は)いて行きますと、
輝きをもつようになります。

わたしは、これを、
[苔(こけ)を磨(みが)く]
と呼んでいます。

実際、これを発見した時は、
[眼からウロコ]でした。

以来、ずっと続けていますが、
それも夏場までの、時間だけです。

夏には、日照りと乾燥で、
苔とも、おさらばです。

それを、判りつつも、
せずには居(お)れないのは、
磨いた苔に、大変な魅力を感じるからです。

わたしにとって、
時期限定の楽しみです。
作成者 kohdo23 : 2012年6月13日(水) 04:49 [ コメント : 0]
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