2012年6月17日(日)
名歌鑑賞・1872
ひなげしの 咲く日となりて その上の そよ風ほどに
なつかしきひと
掛貝芳男 (新万葉集・巻二)
(ひなげしの さくひとなりて そのかみの そよかぜ
ほどに なつかしきひと)
意味・・緑萌え、風薫る五月がやってきて、また赤い
ひなげしの花が野に咲く頃になった。その上
を柔らかく吹くそよ風、そのそよ風のように
ふと懐かしく思い出されて来るのは、ああ、
過ぎ去ったあの頃のあの人の面影・・・。
注・・ひなげし=ケシ科の一年草。花弁は非常に薄い。
開花時期は4/5〜6/15頃。別名は虞美人草・
ポピー。
その上(かみ)=当時、昔。「その上(うえ)」を
掛ける。
作者・・掛貝芳男=かけがいよしお。詳細未詳。大正・
昭和の人。
2012年6月16日(土)
名歌鑑賞・1871
花もてる 夏樹の上を ああ「時」が じいんじいんと
過ぎてゆくなり
香川進 (氷原)
(はなもてる なつぎのうえを ああ「とき」が じいん
じいんと すぎてゆくなり)
意味・・やや遠い丘の上に花をいっぱいつけた巨木が見え、
その上を今まで長い間停止していた時間が流れ始
めたのが見える。
戦前、防衛主任将校として内地にいた作者が八月
十五日に敗戦を知って口に出た歌と言われていま
す。
苦しい時の時間は長く、また停止しているように
感じます。反面、楽しく喜びのある時間はアット
言う間に過ぎ去って行きます。
戦争で空襲されている時の長い苦しい思い、それ
が終えた時の安らぎの思い。この事を「時間の流
れの遅速」で詠んでいます。
注・・時がじいんじいんと過ぎ=静寂の中で停止してい
た時間が急に速度を持って流れ始めた(作者の
言葉)。
水に潜って苦しくとも息を止めてこらえている
と、一秒間でも長く感じ、あたかも時間が停止
しているように感じる。水から浮き上がると息
は楽になり時間の流れが速く感じる、このよう
な時間の状態。
作者・・香川進=かがわすすむ。1910〜1998。神戸大学卒業。
前田夕暮に師事。「地中海」創刊。「氷原」。
2012年6月15日(金)
名歌鑑賞・1870
夏草の しげみの花と かつ見えて 野中の森に
散るあふちかな
正徹 (草根集)
(なつくさの しげみのはなと かつみえて のなかの
もりに ちるおうちかな)
意味・・夏草の茂みが花ざかり。瞬間はそう見えたのに
落花なのだ。ああ、野中の森のおうちの花が早
くも散っている。
. おうちは粒のような花が花冠ごとに落ちるので、
夏草の花かと見間違えた感興を詠んでいます。
注・・かつ=ちよっと、すぐに、一時的に。
. 野中の森=京都府久美浜町野中にある森。
あふち=楝。栴檀のこと。栴檀は落葉高木樹。
紫色の小さな花を咲かす。開花は5/20から
6/10頃。「栴檀は双葉より芳しい」の栴檀
は別の木で「白檀」のこと。
作者・・正徹=しょうてつ。1381〜1459。室町前期の
歌僧。
2012年6月14日(木)
名歌鑑賞・1869
医師の眼の 穏しきを趁ふ 窓の空 消え光つつ
花の散り交ふ
明石海人(白描、新万葉集・巻一)
(いしのめの おだしきをおう まどのそら きえ
ひかりつつ はなのちりかう)
詞書・・病名を癩と聞きつつ暫しは己が上とも覚えず。
意味・・診察した医師は「癩」と診断して、顔をそっ
と窓の空に向けている。そこには花びらが、
日に当たり、またかげりながら散っている。
昭和10年頃の当時は、癩病は不治の病であっ
た。その病名を聞かされてショックを受けた
状態を詠んでいます。
咲き終えて落下する花びらのように、自分の
運命もこれまでかと落胆した歌です。
しかし、この後に気を取り戻します。父や母、
妻や幼子の事を思うと、必ず病気を治さねば
ならない、治したいと。
蕾が花と開いて、燃えて燃え尽きて落下する。
私も必ずこの病気に打ち勝って花を開かせて
燃え尽きて散りたいと。
注・・穏(おだ)しき=おだやか。
趁(お)ふ=追う、追いかける。
癩=ハンセン氏病。昭和24年頃から特効薬が
普及して完治するようになった。特効薬の
無い昔は、人々に忌み嫌われ差別され、又
療養所に隔離されて出所出来なかった。
作者・・明石海人=あかしかいと。1901〜1939。沼津
商業卒。会社勤め後、らい病を患い、長島愛
生園で生涯を過ごす。鼻が変形し失明する。
歌集「白描」。
2012年6月13日(水)
名歌鑑賞・1868
鉄橋へ かかる車室の とどろきに 憚らず叫ぶ
妻子がその名は
明石海人 (白描、新万葉集・巻一)
(てっきょうへ かかるしゃしつの とどろきに はばからず
さけぶ さいしがそのなは)
意味・・列車が鉄橋に差し掛かると、車室にゴトゴトと轟く音
がしだした。そのはずみに、思わず妻子の名前を叫ん
だ、その妻子の名は。
ある日突然、「癩」と診断を受け、仲睦まじく暮らして
いた家族と別れ、治療のために療養所に向かう汽車の
旅の出来事です。
この歌が詠まれた昭和10年頃は癩病の特効薬・プロミ
ングがまだ発見されてなかったので、不治の病であり、
療養所に入ると、治って出て来る事が出来なかった。
作者・・明石海人=あかしかいと。1901〜1939。沼津商業卒。
会社勤めの後、癩病を患い、生涯を療養所で過ごす。
歌集「白描」。
2012年6月12日(火)
名歌鑑賞・1867
信濃なる 須我の荒野に ほととぎす 鳴く声聞けば
時過ぎにけり
信濃の国の防人の歌
(万葉集・3352)
(しなのなる すがのあらのに ほととぎす なくこえ
きけば ときすぎにけり)
意味・・ここは信濃の須我の荒野、この人気のない野で
時鳥の鳴く声を聞くようになった。あの人が帰
ると言った時期はもう過ぎてしまうのだなあ。
時鳥が鳴く初夏は農繁期なので人手の欲しい時
期である。防人として出て行った夫の帰りを待
ちこがれた歌です。
注・・信濃=長野県。
須我=小県(ちいさがた)郡菅平あたり。
ほととぎす=時鳥。初夏にやって来る渡り鳥で
農耕民への「時告げ鳥」となっていた。
時=防人として賦役などで旅に出た夫が帰ると
言った時期。
2012年6月11日(月)
名歌鑑賞・1866
からたちの 垣根つづきの 野の小みち 淋しきわれを
みる野の小みち
狭山信乃 (新万葉集・巻四)
(からたちの かきねつづきの ののこみち さびしき
われを みるののこみち)
意味・・からたちの小さな白い花が咲き誇っている垣根。
その垣根が続いている野の小道。それはそこに
佇(たたず)む淋しい私を見る野の小道でもある。
淋しきわれは恋人のいない自分。
注・・からたち=蜜柑科の木。小さい白い花が4/10〜
4/30頃まで咲く。枝に刺があり垣根にされる。
作者・・狭山信乃=さやましの。1885〜1976。昭和期の
歌人。歌人、前田夕暮と結婚。
2012年6月10日(日)
名歌鑑賞・1865
命はも 淋しかりけり 現しくは 見がてぬ妻と
夢にあらそふ
明石海人 (白描)
(いのちはも さびしかりけり うつしくは みがてぬ
つまと ゆめにあらそう)
意味・・私は何とも言い得えないほど侘(わび)しいもの
だ。現実には逢えない妻と夢で逢えたというの
に、その夢はいさかいの夢だったのだ。
昭和10年頃の当時はハンセン病は不治の病と言
われ、その療養所の中で詠んだ歌です。
仲睦まじく暮らしていた妻、もう逢う事の出来
ない妻、その妻の夢が、あらそいの夢だったと
は、淋しいものだ。
注・・はも=上接する語を特に強くとりたてて示す語。
作者・・明石海人=あかしかいと。1901〜1939。本名は
野田勝太郎。会社勤めの後、ハンセン病の為、
長島愛生園で一生を終える。
2012年6月9日(土)
名歌鑑賞・1864
早苗とる 門田のたごの かずみれば 夏はひとめの
しげき山里
藤原公重 (風情集)
(さなえとる かどたのたごの かずみれば なつは
ひとめの しげきやまざと)
意味・・夏の山里は人の動きが絶える事がない。門田で
早苗を取る田子たちの数を見ているだけで、山
里全体の様子が手にとるように伝わって来る。
これでほんとうに夏が来たなあ。
注・・門田=門前の道ぎわの田。
たご=田子。田で働く人々。
ひとめ=人目(人の動き・出入り)と一目(目で
とらえる全体)を掛ける。
作者・・藤原公重=ふじわらのきんしげ。1118〜1178。
正四位下・紀伊守。
2012年6月8日(金)
名歌鑑賞・1863
まこもぐさ 淀のわたりに 刈りにきて 野飼ひの駒を
なつけてしかな
相模 (さがみ集)
(まこもぐさ よどのわたりに かりにきて のがいの
こまを なつけてしかな)
意味・・マコモを淀川のあたりまで刈りに行って、野
に放し飼いにしている馬を手なずけたいもの
だなあ。
芽が出た真菰草を食べに、淀川の水辺に来る
放牧された馬を手なずけて見たい、と詠んだ
歌です。
注・・まこもぐさ=真菰草。水辺に群生するイネ科
の多年草。編んで筵(むしろ)などに利用。
淀=淀川。京都市伏見区を流れる川。大井川
が場所により桂川、淀と呼ばれる。
なつけて=手なずける。
作者・・相模=さがみ。994〜1061。相模の名は夫が
相模守であったことに由来する。