2012年6月15日(金)
香る
朝、窓を開けると、近くで咲いている栗の花のにおいがする。この時期の湿った空気に、あの独特の香りはかなりインパクトがある。「匂い」というものは記憶にかなり刻まれる。その匂いを感じただけで、その当時のことを思い出す。
梅雨の時期、もう20年近く前だけど、よくサーフィンをやりに行っていた。こんなこというと一端のサーファーのようだけど、全然そうじゃない。サーフィンをやっていたのはたぶん3年くらい。3年くらいどうこうなるシロモノではない。しかも、ローカルじゃなければ、やる場所だって決められてしまう。サーフィンはものすごく「掟」が厳しい。爽やかなスポーツではない、ある意味「格闘技」。
サーフィンの素晴らしさはまたの機会として、夏になればやはり激混みになってしまうし、いつも行っていた海は気温が低い海なので、6月くらいが一番いい。それでこの時期はひとりで朝早く車を出して、海に向かった。海の近くには栗林がたくさんあって、窓を開けると、曇ったこの時期の、重たい空気の中、この香りが漂う。
そんなことを朝の数秒で思い出す。
その頃の自由さが、本当に現実だったのかしら、というくらい今は数分刻みで物事をこなしている。たまに何もかも投げ出して、ひとりで海にでも行きたくなる衝動に駆られる。いつでもそうすることは出来る。忙しい忙しいといっても、仕事と家事以外は自分のことをやっていて忙しいのだ。嫌ならやめてしまえばいい。でもやめられない。
やめれば楽になる。でも、やめないのは自分の中で「今はやめるときではない」と感じているからだと思う。いつまでこうやって続くのかは分からない。来年はもうこんな生活やめてのんびりしているかもしれない。死ぬまでこういう慌しい生活をするかもしれない。
あと10年経って、栗の花の匂いを感じたとき、サーファーだったころの思い出を思い出すのだろうか。それとも今の慌しい生活を思い出すのだろうか。それはそれで楽しみだったりもする。