「在日」は世界への窓、
時代をうつす鏡

 大阪市生野区は区民の4分の1が「在日」。写真は、朝鮮料理の食材を売る店の多い御幸(みゆき)通商店街。近くにある大阪市立御幸森小学校は、児童の7割以上が「在日」。筆者撮影。

 「在日」といえば、普通は在日韓国・朝鮮人のことをさす。国名の選択を避ける意味もあってよく使われるようになった。私自身のとなりの国への関心も「在日」から始まっている。しかし、「在日」の問題に対しては、日本人の多くが三つの思い込みにとらわれているように思われる。

 一つ目は「暗い」問題なのではないかという思い込みである。たしかに軽い問題ではない。しかし、「暗い」のは「在日」そのものではなく、「在日」に対する日本人のイメージなのである。それは、「後ろめたさ」ともどこかで結びついている。あるいは、「何も知らない」という意味での暗さであり、そのためにいらぬ不安にとりつかれている人も多いようである。

 二つ目は「特殊な」問題なのではないかという思い込みである。しかし、これは、世界のどこにでもある民族問題からつとめて目をそむけようとする姿勢につながっている。日本が単一民族国家だという幻想にしがみつけばしがみつくほど、日本の「特殊な」状況にからめとられてしまう。それは、自ら世界への窓を閉ざすことにほかならない。

 三つ目は「他人事」ではないかという思い込みである。しかし、日本の「特殊な」状況にからめとられることは、日本人自身のスケールを小さくするという意味で、これは決して他人事ではない。戦前の教育を受けた年配者の中には、朝鮮民族に対する根深い差別意識を持つ人がいるが、なぜそれほどまでに根深いのかといえば、差別意識が日本人としてのアイデンティティの支柱となっているからである。

 以上に述べた三つの思い込みを兼ね備えた人は、韓国・朝鮮というものをできるだけ避けて通ろうとするだろう。私は母が朝鮮人と再婚したために、いやおうなく接することになったのだが、それが自分のマイナスになったとは思わない。日本人だけの環境では学べなかった多くのことを学べたと思うからであり、今でも進んで「在日」の人たちと交流しようとしているのもそのためである。今日の茫漠とした社会状況の中で、日本人の多くは腰を据えて社会を見渡す場を見失っているのだが、「在日」の人たちは、自分が日本の社会から疎外されてきたがゆえにこそ、この社会全体を見渡せる位置に腰を据えつづけてきた。それだけに、日本人には思い及ばない鋭い分析をすることがあり、勉強になる。それが「在日」の人の面白さである。暗いわけでも世間が狭いわけでもない。

狭い路地に韓国・朝鮮料理店が軒を連ねる
大阪の鶴橋駅前。
筆者撮影。

 戦後早くも半世紀が過ぎた。私は終戦の翌年の生まれであるので、この半世紀は自分の人生と重なって振り返ることができる。さまざまな面で「昔は良かった、今はだめだ」ということが言われる時代となったが、私は、「昔よりはよくなった」という思いの方が強い。このことは、「在日」の状況という視座で見たならば、文句なく正しいことのように思われる。差別が解消したとは言えないにしても、「在日」が多様な生き方ができる時代にはなってきている。そのことは、日本人も多様な生き方ができるということでもある。かつてある首相経験者が「アメリカは黒人だのヒスパニックだのがいるからだめなんだ」ということをいって物議をかもしたが、むしろ、「差別があるからだめなんだ」というべきであっただろう。今日「在日」の人たちが多様な分野で活躍している。能力のある人に能力を発揮させないのは、本人のみならず、社会にとっても大きな損失である。

 いつの時代にも「今時の若い者は」という言葉はある。人類最古の叙事詩である『ギルガメシュ』にも、そういう文句があるらしい。人間は忘れやすい。私は教師であるので、自戒をもこめて思うのだが、昔の自分が今の若者ぐらいの年齢だったころにはどうだったかなどということは、忘れているのではないだろうか? そして若いころの自分を買いかぶっているのではないだろうか? そうでなければ、いつの時代にも「今時の若い者は」という言葉があるなどということはないはずである。そして、他者を見るとき、「自分にあって彼らにないもの」ばかりに目がいって、「彼らにあって自分にないもの」に気がつかなければ、進歩などというものはなくなってしまう。世代についても、民族についても、それは同じことである。時代全体に関しても、「昔はよかった」面も多いのだが、同時に「今のよさ」も見逃さないしなやかさは保っていきたいと思う。




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