アホとバカは、どう違うか?

「吉本笑店街」で筆者撮影 関東で高校三年生だったときのことである。受験を間近に控えて、よく調査書のことが話題になっていた。そんなに影響はないとも聞くが、受験生の立場は弱いのでどうしても中を見てみたい。方法は先輩が教えてくれた。受ける気もない大学を受けることにして開けて見るのである。私の担任は年配の人格者だったので、背中がかゆくなるような賛辞しか書いていなかったが、他のクラスでとんでもないことを書かれた者がいた。「自己顕示欲がきわめて強く、しかるに成績がとみに低下しているので、ますます奇矯な行動に走る傾向がある」というものであった。しかし、抗議しようにも、開けて見たとは言えないので、ひとしきり仲間の間で話題になっただけであった。みんな怒っていた。「あんまり本当のこと書くなよ」という具合にである。

 それはさておき、「自己顕示欲が強い」とは、いかにも硬い表現である。こういうとき、関西では「ええかっこしい」という。「かっこいい」をひっくり返しただけのようにも思えるが、内容はだいぶ違う。「かっこいい」のは本当に「かっこいい」のであって、容易にまねができるものではないが、それを無理にまねしようとしているのが「ええかっこしい」なのである。

 関西弁には、このように動詞の連用形をそのまま名詞化して、ある傾向の人間を表現する例が多い。「めだちたがりや」という言葉は最近テレビなどでも耳にするようになったが、私が関東で高校生だったころには聞いた覚えがない。これに対して、関西では「めだちたがり」という表現がかなり前からあるようだ。「めだちたがりや」という表現も関西出身のタレントあたりが広めたのかも知れない。

 人が真剣になって何かしようとしているとき、その脚を引っ張る人間を「じゃましい」という。グループで何かしようとしているとき、それを傍観していることができず、何らかの形でそれにからむ人間を「いっちょかみ」という。かむ対象は、よからぬことである場合が多い。こうしてみると、連用形を名詞化した人格表現にはあまり好ましいものは見かけない。しかし、こういった言葉は、そういう人間を必ずしも馬鹿にしているだけのものではない。

 関東人が「ばか」と言うとき、俺は金輪際ばかではないという冷たい響きがある。これに対して関西人が「あほ」と言うとき、「俺もあほやけど、お前、もうええかげんにせえよ」という感じで、限度を超えた者に対する一定の共感が感じられる。上から言う言葉ではなく、横合いからいう言葉なのである。

 「いちびる」という言葉がある。一応「ふざける」と訳せるが、ほとんど「好ましいことではない」という響きしかない「ふざける」に対して、「いちびる」には、「おもろいやっちゃ」という好意的な響きもある。「おちょくる」という言葉にも、「からかう」や「ひやかす」では訳しきれないニュアンスがある。「からかう」ではしつこさが足りない感じだし、「ひやかす」ではひやかす方がむしろ劣位に立っている感じがする。かく言う私は関東人だし、硬い人間なので、「おちょくってるな」とか「おちょくられてるな」と感じることはあっても、人をおちょくることはできない。

 人をけなす言葉ばかり挙げてきたが、一方で「かしこい」という言葉もある。関東人にはやや文章語のように感じられるが、関西ではまったくの口語である。「頭がよい」ほどは相手をを上に置いてはいないし、「利口」ほどは下に見ていない。関東では「かしこい」というと、犬か何かのことを言っているように思われる。「肥えている」という言葉もよく聞くが、関東人なら豚でもない限り、「太っている」というだろう。よりパンチが強い反面、親しみもこもっている。

 こうしてみると、テレビ時代にも関西弁は健在である。最近「新(ネオ)方言」という言葉をよく聞く。ボタンを押しさえすれば開く傘を関東では「ワンタッチ傘」というが、関西では「ジャンプ傘」という。道具というより生き物という感じがする。若者ことばも関東とは異なっている。「ばりはが」と言われて関東の人は意味が分かるだろうか? 「ばり」は程度のはなはだしいことを示す副詞である。英語のveryが語源だという説もあるが全然あてにはならない。おそらく、「筋金入り」というような意味の「ばりばり」あたりが語源であろう。「はが」は「はがゆい」が短縮された「はがい」の語幹である。

 これ以下は蛇足になるが、最初に「自己顕示欲が強い」と書いた人物のことである。姓はあえて秘すが、名は「孝」という。授業中に教師から下の名前を聞かれたとき、「たかし」です、と答えた。教師が「どんな字だ」と聞くと、「親孝行の孝です」と答えたとたん満場爆笑になり、「親不孝の孝だろ?」とツッコミを入れ者もいたことを覚えている。

筆者撮影
2003年の新春、工事中の天王寺駅に
巨大な恐竜が出現。

 彼は、受験では少なくとも二浪はした。私が名前(一郎)の通り一浪で入った大学を二浪で受けたときまでは知っている。受験のとき、下宿を提供したからである。おばさんに受験中出入り自由にしてほしいと紹介して快諾してもらった。しかし、三日間の試験の二日目でギブアップした。私が下宿に帰ると、ちょうど受験票を破いているところだった。「何をする」ととがめると、「もうだめだ」という。「そんなこと受けてみなければ分からない」というと、「もう破いた」と言う。「そんなもの、すぐ再発行してもらえる」と押し問答をしていると、喧嘩でもしていると思ったのだろうか、おばさんが心配して部屋をのぞきに来た。押し問答の末、私がついに「切れ」て、「受ける気ないなら出ていけ」とわめくと、本当に出ていってしまった。

 彼とはそれ以来、もう40年近くも会っていない。会ったことはないが、テレビで見かけたことはある。何気なしに或る視聴者参加のクイズ番組を見ていたとき、覚えのある名前が聞こえたのでハッとした。顔をみると、おっさんにはなっていたが、間違いなく彼である。万年受験生みたいなやつだと思った。もしも、このページを見たのなら、連絡してほしい。

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