日本にある朝鮮学校では、初級学校(小学校)一年のときから朝鮮語を教えている。生徒は四世か三世で、教師は三世か二世であって、ともに日本語を母語として育っている。朝鮮語は母国語ではあっても、母語ではない。日本の学校の生徒が中学になってから英語を学ぶのを考えると大変だと思われるが、卒業するころには日常会話はこなせるようになっているのだから、大したものである。 ある時、授業で犬の鳴き声は朝鮮語では「モンモン」というのだと教えている。普通の言葉なら違うのは納得できる生徒たちも、これには納得できない。「ワンワン」ではないか、と言うのである。中一ならすぐ引き下がるだろうが、小一ではなかなか引き下がらない。追及に音をあげた教師は苦し紛れに答える。「日本人が日本語を話し、朝鮮人が朝鮮語を話すように、犬も日本では日本語で鳴き、朝鮮では朝鮮語で鳴くのですね。」これでは、犬の世界にも日本語や朝鮮語があることになってしまう。頑固な一世の教師なら、「朝鮮でも日本でも犬はモンモンと鳴くに決まっとる。ワンワンなんて言うのは日本人がアホで耳がどないかなっとんのじゃ!」と一喝しただろうが、そんな人はもうとっくに引退している。
昔、「恋の片道切符」という曲がヒットしたことがある。英語の原詩では蒸気機関車の音がchoo chooと表現されていた。「チューチュー」ではねずみのようだが、英語のchの音は唇を丸め、息を強く摩擦させて出すので、確かにSLの音に聞こえる。豚の鳴き声を朝鮮語で「クルクル」というというとびっくりされるだろうが、KはHの音をともなう強い発音(激音)だし、「ル」は英語などのLに似てはいるが、舌先をそり返させて口蓋(口の天井)にピタッとつけてとめる音なので、むしろ「クックッ」というほうが元の感じに近い。英語のoink oinkよりは納得できるのではないだろうか? それにしても都会人は豚の声を聞く機会があまりないのだから、「ブーブー」だというのは、思いこみにすぎないのかも知れない。一度豚小屋に行って自分で確かめてみなければならない。英語のoink oinkなどは、日本語の「ブヒーッ」に近い感じを表しているのではないか。
英語では、ねずみの鳴き声はsqueakと鋭い感じに聞き取っている。これには欧米人のねずみ嫌いの心理が反映しているように思う。チャップリンの映画に、女性がねずみを見ると卒倒する場面がよく出てきたが、ヨーロッパにおけるかつてのペストの大流行の恐怖が残っているのだろうか? このように、もとが同じ音であるはずの動物の鳴き声でも人間の言語となると、かなり違っていることがある。とはいえ、朝鮮語で「ヤオン」といったら、何の声だろう? もちろん、猫である。英語のmew mew(ミューミュー)も、子猫のような感じがするが、猫であることはすぐわかる。だから、このような擬声語(擬音語)は、言語の同系の証明には用いられない。 ともかく犬は世界中で同じ声で鳴く。しかし、「ワンワン」という鳴き方を狼はしない。遠吠えをするだけである。犬は狼とまったく同じ種であり、両者の間で無限に子孫を残すことができる。ただ、人間とのつきあいが長い犬では、その姿は千差万別である。21世紀はバイオの世紀だというが、チワワのような人とセントバーナードのような人がいるなどということにならないことを祈る。ところで、犬が「ワンワン」と鳴くのは、すっかり人間の世界の存在となった犬がそれなりに人間の会話を真似ているのだという説を唱える動物学者もいるという。そういえば、最近、カラオケにあわせて歌を歌う犬の話が新聞に載った。 |