慶応ウィンドアンサンブルの定演は無事盛会のうちに終了。
雨天にも拘らず1000人超のお客様のご来場を頂きました。
写真は難曲「モンタニャール」の演奏風景。
リコーダーのメンバーの立奏が見えます。
普段は辛口の家内の感想ですが、
「モンタニャールは快演!」と絶賛してくれました(素直に嬉しい)。
アンコールは「さくらのうた」&「ブロックM」。
アンコールで演奏した福田洋介氏作曲の「さくらのうた」について
我々日本人にとって、この曲調の8/6のリズムをじっくり味わいながら演奏するのは如何に難しいかを身をもって知りましたが、慶応のメンバーは終止落ち着いてよい響きを出していました。
また、事前準備をしっかりしておいた津田もいい棒が振れたと思います。
終演後、60歳を超えられた聴衆の方が舞台下手に駆け寄って来られて、
「Tbのソロのところで涙が出ました。」と感動の言葉を伝えて下さいました。
開演前に、遠くは奈良からいらしたお客様、以前「第九」でご一緒された方にご挨拶を頂きました。大いに励みになりました。
関係の皆様のご支援に心から感謝申し上げます。
また、ブログで支えて下さった皆様、ありがとうございます。
津田は、明日から早速新たな音楽活動に取り組んで参ります。
それでは皆さん、お元気でよい休日をお過ごし下さい。
【資料】演奏会当日のプログラムエッセイ
「そこに山があるから登るのだ」
KWE常任指揮者 津田 雄二郎
「リンカンシャーの花束」は、これでもか!と複雑な変拍子が各所に登場する難易度の高い作品である。演奏者や指揮者にはかなりの負担が強いられる。しかし、聴く側にとっては構えて臨むようなものではない。日本の山に例えてみると「八ヶ岳」とでも言おうか。ホッと和みを感じさせてくれる穏やかな山のような曲である。「リンカンシャーの花束」は、そんな誰もが親しめる英国生まれの格調高いオリジナルの名作と云える。
全体は、作風の異なる幾つかの小品からなっている。軽快なマザーグースの歌、遅いテンポの心をこめた祈りの歌、変拍子による幻想風哀歌、戦いのファンファーレ(指揮者とバンドの一騎打)、トランペットの自由な咆哮…。ソリストにとっては、それぞれ思い思いの表現が可能なやり甲斐のある作品となっている。
過去の録音においては、米国のイーストマン・ウィンドアンサンブルを育てたF.フェネル氏の演奏に定評がある。因みに今回の演奏に当たってはフェネル氏の編纂した譜面を用いる。
「モンタニャールの詩」の「モンタニャール」とは西欧の山岳地帯を指す。この作品の表情には、湖水、教会、さらには時の流れをも思わせるものがあり、まるで雄大な音絵巻を見るかのようである。山に例えればさしずめ「アルプス」とでも言おうか。曲は、闇の中からの静かな5拍子で始まる。テーマは「バッハは神:BACH-D」の5音から成っている。全体は、序奏部・展開部・リコーダーによる中世音楽史・哀悼歌・終結部、の5場からなり、全体の要素は「5」で統一されている。
作曲家のロースト氏は、脈々と流れゆくヨーロッパの自然、歴史、音楽の父バッハへの敬愛の念をこの作品に盛り込んだ。バッハから始まり「BACH-D」バッハに終わる「D-HCAB」というメッセージが、はっきりとテーマに読み取れる。「D」についてはいろいろな解釈があるだろうが、私はラテン語のDeus「神=父」をイメージした。
この曲をプログラムに採りあげたきっかけは、事前にロースト氏が指揮する大阪市音楽団の演奏を聴いたことによる。これがまた非常に印象に残る名演であった。特に、ホルンやユーフォニウムの心を震わすような哀歌、そしてコントラバストロンボーンのペダルノートの炸裂には戦慄さえ覚えた。
【ここでちょっと一言】その実力ある大阪市音楽団が現在、市の財政事情によって存亡の危機に立たされているという。本来はこういった文化団体が、安心してやっていける日本であってほしいのだが…。文化の啓蒙により、潤いのあるコミュニティー作りを推進するのは、まずは私たちの役目であろう。だから今日は、市音楽団存続の希望も込めて、高山に登るかのごとく敢えて困難な作品に挑戦するのである。
以上、長々と述べて参りましたが、皆様におかれましては、楽なお気持ちで、清涼たる山々の風景でも思い浮かべながら、ごゆっくりと演奏をご堪能頂けましたら幸いです。