割鞘山に棲む人

八百年続く旧家に嫁いだ江戸っ子淑女の日記
割鞘(わりさや)という数奇な苗字にまつわる怪談話

たいかどう

2012-04-28 | 日記
岡山の児島に迨暇堂(たいかどう)という古い建物があります
これは塩田王と呼ばれた野崎子爵の離れのお屋敷です

この迨暇堂に100畳の大広間があります
この広間に敷かれている畳は割鞘のご先祖様が迨暇堂ができた時に
お祝いとしてプレゼントなされた畳です

岡山の民族究家ので角田直一という方がらっしゃいました
角田さんは主人の母方の親戚で、義母とは特に昵懇にしてくださいました



ある時、角田さんからお電話があり
迨暇堂を修復する時に畳をはがすから見においでって
はがしたすべての畳の裏には「備後の国、割鞘」というサイン(?)が
してあるからです

「あなたのご先祖さんが送られた畳だよ」
角田さんは嬉しそうにそう言って写真を撮っておられたそうです

割鞘は広島県がルーツです
岡山には5代前のおじい様が来てからですのでまだ100年程です

5代前のおじいまが細間・・・という女性と恋に落ちました
ところが
細間家と割鞘では「身分が違う」という理由で
周囲からさんざん反対され、結婚が許されなかったのです
そこで、おじい様は細間さんを連れて駆け落ちをなされました

それが主人の5代前のおばあさまです
(ごめんなさい、おばあさまのお名前をド忘れいたしました)

そして来たところが岡山の児島と言うところです

なぜ岡山に来たのか
それは野崎家と備後の割鞘家はとても昵懇にしていたからです

広島の浅野藩において割鞘は塩に関する重職を与えられていて
その関係で備後、備前、ぞして赤穂浪士の赤穂
このラインで繋がっていたそうですよ

ちなみに割鞘の菩提寺には忠臣蔵で有名な大石内蔵助さんの
お母さまもお入りになっています
備後の割鞘、備前の野崎さま、そして赤穂の大石家
不思議なご縁を感じますね

駆け落ちしてきたおじい様は児島の野崎家を頼ります
そして、迨暇堂のお隣に家を建て居を構えます

今は観光客に向けて解放していますが
昔は迨暇堂への出入りはできませんでした
が、割鞘の家族は出入りをしていたそうです

ただ、子供たちが(おそらく義母)が
下駄を履いてお庭を走り回るものですから
野崎家の苔番(庭の苔を管理する係の人)にいつも叱られていたとのこと

そうそう、割鞘の紋は上り藤と書きました
駆け落ちしてきたおじい様はさすがに割鞘の紋どころを付けることを
躊躇われたのだと思います
あるいは、主人のように堅苦しい家が嫌いだったのかも

おじい様は紋をお変えになりました
『五三桐』
太閤さんのご紋で有名ですが、
実はこのご紋は野崎家のご紋なんです

5代前のおじい様のお墓には藤ではなく『五三桐』が付けられています
家を捨てて新しい歴史を作ろうとなさったのかもしれませんね

割鞘家には代々そのような変わり者がいらっしゃいます
主人のひいおじい様は周囲の反対を押し切って農家の娘と結婚されました
割鞘千代さん
そして、主人
私のような学歴も何の取り得もない者と結婚してくれました

私の時もご先祖と同じ状態でした
歴史は繰り返しています


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割鞘山

2012-04-26 | 日記


割鞘の嫡流男子の紋どころは、『上り藤』
女性は『下がり藤』

女性には副紋というものがあります
副紋とは、
嫡流男子の妻のみが定紋に対してすこしくだけた場面で使うカジュアルな紋のこと
『揚羽の蝶』
という紋が私が受け継いだ紋です

ちなみに私はこの世の生き物で
一番嫌いなものは揚羽蝶。。。この運命

本来、男性は「わりさや」と発音し
女性は「わりざや」と発音いたします

それと、江戸末期に割鞘から苗字を受けとった方々
こちらの方のは紋は男性も女性もみなさん
『下がり藤』で
読み方も「わりざや」と濁って発音します

家祖から脈絡と続くこと800年
割鞘になって、はや400年

この「割鞘」という名字、
大変珍しい名字でしょう

そもそも苗字と言うものは
自然なものから一字を取っているものです

例えば、山田さんは「山」、松下さんは「松」
このように
自然や景色の中にあるものを使うのが
常なのだそうです

ところが割鞘の「鞘」は人工物ですよね
なぜ、そのような苗字になったのか。。。。。
そのお話をしたいと思います

高校のころの歴史の授業を思いだしてください

1634年(寛永14年)
当時のご当主はスケショウエモンタダチカというお方
カタカナで書きましたが外国人ではございません

私たちのご先祖様は代々小さなお城の城主でした

ただ、城主と言いましても、島津さまや毛利さまのような
大大名ではなく、わずかに土を盛ったような小さな丘に建つ、
小さな山城程度の主です

今でいいますと、さしずめトヨタやパナソニックの
「営業所長」と言ったところでしょう

・・と27代目のご当主が笑います

タダチカおじいさまは、この年
島原で起きたキリスト教徒の反乱、いわゆる
「島原の乱」
を平定する為に兵を引いて島原に向かわれました

自分の兵を伴って島原に行かれたおじい様ですが
その戦いのご様子については
古文書には多くは書かれてはおりません

翌15年(1635年)乱を平定させ自分のお城に
戻ってまいります
お城に戻ったタダチカおじいさまはお考えになりました
島原でキリスト教徒を成敗した事は
本当に正しかったのかどうか?

そして自らの島原での行為を悔いて、
幕府のやりかたに疑問を持ち、
幕府に意見書をお出しになったそうです

当時は下剋上はご禁制とされていたそうで
このままでは家族も兵も城下の人たちに影響を及ぼすと思い
意見書を出した後に、城内で自決いたします

その話が城下に大きく広まり、やがて幕府の耳に入ります
世論の反響が大きいことに驚いた幕府は

「鞘を割るような勢いで自らの命を絶つことは武士の鑑である」

と賞し、徳川家光(3代将軍)が「割鞘」という名つけ
今後それを名乗るよう、特使に伝えさせました

ところが、次のご当主も大変頑固で面倒な人でございまして
(現在の当主も大変頑固で面倒な人でございます)

毛利さまを大殿様と奉っております割鞘の家
(当時は苗字が違います)にとって
徳川などと言うお方はたとえ将軍様であっても
「関東の田舎侍」と蔑視しておられたそうで・・・・
おそらく関ヶ原の欄のわだかまりがあったのでしょうね

「そんな怪しげな苗字は結構」
とお断りになられたのだそうです

そこであわてたのが“中間管理職”の水野のお殿さまです
怖い社長とどうしようもない係長に挟まれた
部長のようなものでしょう

「あのねー、
 そんなダダこねないで、ボクの立場も分かってよ」

とそんな会話があったのかどうか

とにかく、なだめて、すかして、おだてて、だまして
渋々「割鞘」と言うお名前をつけさせたそうです


申しわけありません
これからというところで・・・・
子供たちが学校から帰ってまいりますので
この続きは次回に・・・・


長々と読んでいただきありがとうございました





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プロサーファー(2)

2012-04-15 | 日記

ジュリは漢字では朱璃と書きますが
公にはカタカナで「ジュリ」と表しています

割鞘朱璃などという古代中国の
4文字熟語のようなカチコチな名前ですので
さぞかし世間の方には読み辛いでしょうと・・・

それに主人が申しますに、サーファーと言う人種は
おおかた、漢字の読解力が一般レベルよりも
低い方が多くいらっしゃるらしくて
サーファーの皆さまにも読んでいただけるようにカタカナにしたそうです

ちなみに主人も40年近くサーフィンをしており
脳内に海水が溜ったままになっている半分廃人です

主人は娘の試合や練習について行きます
理由は
娘が未成年で免許証も持っていないということ

それと
海外のサーフィンの選手には
陸からチェックするコーチが付いているのが常識だそうで
その役目を家の中で一番暇な主人がになっております

そのおかげなのでしょうか
娘が本格的にサーフィンを始めました翌年には
プロ資格を取り、その次の年にはチャンピオンになりました

主人が作戦を立て娘はそれに従ってサーフィンをしただけで
獲れてしまったチャンピオンに二人とも呆気にとられておりました

監督兼コーチ兼マネージャー兼通訳兼雑用係
として娘と行動を共にしている主人は
「ステージパパ」と揶揄されることを大変嫌っておりまして
目立たないようには努力するのですが
主人の体格とキャラクターではそれは不可能なようです


今年も娘と主人の戦いは続きます




長々と読んでいただきましてありがとうございました



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プロサーファー

2012-04-14 | 日記


我が家の家族は、主人、私、長女、長男、次女、の5人です

長女は割鞘ジュリと申しましてサーフィンをしております

サーフィンの業界ではなかなかの有名人だそうです
プロサーファーなどという、たいそうな肩書を持っていますが
プロなどと言いましてもそれを生業にするプロはなく
実態は、単なる「お金のかかるニート」なのです



海外遠征なども時々ありまして
詳しく計算したことはありませんが、主人の分も含めますと
おおむね、年間に約800万円くらいは必要です

それを4年間出し続けましたので、
これまでに3000万円以上の割鞘家の蓄財を
シロアリのように蝕んでくれました

「道楽には金がかかるもの」と
タカをくくって鷹揚に笑っておりました主人も
さすがに危機感を感じたようで

「子供はお前だけじゃない」

などと弟と妹に責任を転嫁して、急に
「勝手にやりなさい」
という方向に方向転換をしました

下品な言葉ですが
金の切れ目が縁の切れ目とでも言いますか
「自分でスポンサーを見つけなさい」
となった訳です


続きます


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よろしくお願いいたします

2012-04-11 | 日記

岡山にお引越しして来て1年が経ちました

昨年2月、家族でハワイにまいりました

約2ヶ月間をハワイでのんびりと過ごしておりました最中に
東北地方を地震が襲いました

未だに復興が出来ていないところがございますが
早く皆様が元の生活に戻れますようお祈りいたします

娘の勧めでブログを始めました


さて、何を書きますやら


割鞘などという変った苗字をもつ家のことをや

家族のこと、好きなお料理などの
四方山話を少しずつ書いて行きたいと思いますので


よろしくお願いいたします
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