割鞘山に棲む人

八百年続く旧家に嫁いだ江戸っ子淑女の日記
割鞘(わりさや)という数奇な苗字にまつわる怪談話

長女の結婚

2012-05-25 | 日記
長女が結婚いたしました
お相手は、とても礼儀正しい男性で娘よりは若干年上の方

主人が申しますのには
私達の時だって周囲は反対もし心配もしただろうって
いろいろと問題のあった娘を、
それでも良しとしてもらっていただけるのでしたらそれで良いでしょう

ただ、芸能界の方ですので、本人は良いとしても
私達の生活が周辺の声でかきまわされることがあっては困ります

うちには普通の学校に通っている子供があと2人います
その子たちに影響が及ばないようにしてもらうことが一番です

娘への条件は
「絶対にテレビに出たりメディアに出たりはしないこと」
「内助の功に徹すること」

娘のご主人は
「今まで通りの活動をすればいいよ」とおっしゃってくれています
私たちはサーフィンを続けてもらいたいなどとは思っておりませんが
結婚をしたからと言って、
いままでお世話になった皆様をないがしろにすることは絶対に許されません

今まで助けてくださった方々に対して
恩と礼と義をきちんと持っていてくれたらよいと思います

初めてお会いしたのは2年前の伊良湖です
その時、私たち家族は岡山に遊びに来ておりまして
その帰りに伊良湖に、娘の用事で寄った時に初めてお会いした方です

私は年代が近いのでお相手の男性をよく存じ上げておりましたが
当の娘は、お名前もお顔も、まったく知らず
「へ〜、芸能人なんだ・・・」
こんな感じでした

主人もテレビはほとんど観ませんので、まったくお名前もお顔も知らず
今思えば大変な失礼だったと思います

あれよあれよの出来事で感情がついて行っておりませんが
二人が永遠に幸せであってほしいと思います


コメント (0) | 

同い年

2012-05-21 | 日記
自分が生まれた年の物って、なぜか特別な感慨深さを感じるものです

長女は車を買う時「同い年の車がほしい」と申しまして
シュテルンにお勤めの主人のお友達にお願いして
1992年製の赤いメルセデスベンツを探してまいりました

主人は私にも私と同い年の車を探しておりましたが
70年代の車はクオリティーがあまり良くないとのことであきらめました

主人は主人と同じ年に生まれたジャガーを英国まで探しに行き
現地のお知り合いのご厚意でクラシックカーのオークションに入れていただいたそうです

そこで往年のハリウッドのスター、クラークゲーブルが所有していた黒いジャガーが出てました
ロードスターと呼ばれるオープンカーで、シートは赤
当時のレートで500万円もしなかったバーゲンプライスだったそうです

義母(主人の母)がクラークげーブルの大ファンで、主人がロンドンから
義母に国際電話をかけて、そのことを伝えたら

「私が払うから、買ってきて」と懇願されたそうですよ

けっきょく、色が気に入らず止めたそうですが
そのときはアルヴィスという車を買って帰ってまいりました

筑波サーキットの近くに土地を買って家(ガレージ)を立てて車を保管しておりました
当時、その村(!)は車庫証明が必要なかったのです

房総時代は塩分で車が錆びると言って持ってこられす
乗らないとお車が可哀想だと言って、持っていた車をずいぶん処分しました
車命で生きている主人にしてみれば、ずいぶんと寂しかったと思います

その意味でも岡山に帰ってきて、私は良かったと思っております



以前主人にプレゼントされた、小さめなマグカップ
私の生まれた年にできたカップです

ロイヤルコペンハーゲン社のもの
私は詳しくはわかりませんが、ロイヤルコペンハーゲンのマグって
珍しいのではないでしょうか?

私の宝物的愛用品で、毎日これでコーヒーをいただいています

主人や私と同じ年の器、長女、長男、次女の年のイヤープレート、
子供たちが生まれた日の新聞(折り込広告付き)

家族の生活ってそうして濃くなっていくのだろうと思います


コメント (0) | 

アーティスト

2012-05-15 | 日記

末の娘はとても絵や創作が好き
毎日、なにかしら創作活動をしいます

いくらでも好きなだけ何でも描けるように
コピー用紙を箱で買い与えており
紙コップや紙のお皿は卸市場から届けていただき
工作用として大量にストックしてございます

セロテープと段ボールを駆使して何やら私たち凡人には
理解しがたい“すごい物”を作って見せてくれます


バラを凍らせて実験してみました

末娘は私立の小学校を受験しました
「お受験」などではなく、割鞘の娘たち全員が出た
女子大の一環校がありまして(長女は除きます)
末娘をその学校に行かせることは当然の事と思っていましたので
それを機に房総から岡山に帰ってまいりました

私の娘が受ける程度の学校ですから
それほど勉強の程度は高くありません
おまけに小学校の受験勉強の方法など知りませんからぶっつけ本番です

程度はそれほど高くはないですが
昔から地方の裕福なご家庭の女の子が通った学校ですので
末娘も落ち着いて学校生活が送れるかなと思いました

主人の妹も行きましたが
その時の面接の先生は
「美津子おばさまはお元気?」
「昌子おばさまは?」と
このような会話で終始して、
気が付いたら合格していたそうです

ところが、この学校、いつのまにやら進学校になっていました
人工的な子供たちが沢山見受けられ
合格の通知はいただきましたが
学校の方針と私たち夫婦の方針の違いを感じ辞退しました
結果、長男と同じ「そのあたり」の小学校に通わせております

いろいろな考え方があると思います
お勉強させることが好きなご家庭と、それ以外のことに
テーマを見つけられるご家庭とがあります

子供にとってお勉強という学問はもちろん大切ですが
それよりも娘を娘として育てていきたいと思っています
感受性豊かで慈しみ深い教養をもった女性に
育ってもらいたいと思っております


コメント (0) | 

長女の恋愛観

2012-05-12 | 日記


長女の動きが落ち着きません
久しぶりの彼なんですものね

同支社の大学生と付き合っていたかと思えば
ついこの前までは全日本のスポーツ選手
そして今度は芸能人

長女はちょっとお付き合いしては別れることの繰り返し
まるで浮名を流す女優さんよう

主人は
「誰でもいいから彼を作れ」
と、あまり長女の周辺には関心がないように装っていますが
いかがなんでしょう

長女も今年で20歳
いろいろありましたがどうにか今年成人を迎えることができます

着物は割鞘家にあります総絞りの振袖
彼女の叔母が着た着物が20歳の長女を飾ってくれます

そろそろサーフィンをやめて
お稽古事をするなり恋愛をしてもらいたい
そう思っております



コメント (0) | 

連休

2012-05-03 | 日記

割鞘家には
「人が沢山いるところには行かない」
という万古不易の掟があります

ですので、常に混雑する浦安のディズニーランドには
未だ行ったことがありません

「子供が可哀想」
と思われる方もいらっしゃるでしょう
が、そのあたりはぬかりなく
カリフォルニアと香港のディズニーランドには行きました

特に香港は近・短・簡ですし、その他の食事やお買い物などの
お楽しみもありますので3度ほど遊びに行きました

私も主人もユニバーサルスタジオが好きで
まだ日本にユニバーサルスタジオがなかった頃から
長女を連れてカリフォルニアのへ行っていました

ちなみに関東に住んでいたせいもあって
日本のUSJには行ったことがありません

連休は家の近くで遊びます
図書館に行ったり、海に貝掘り行ったり、ピクニックに行ったり
末の娘と近くの公園にスケッチに出かけることもあります

主人は長男と川へ何かを捕まえに行き

長女はあいかわらず海から海へと飛び回るような
落ち着きのない暮らしをしています





コメント (0) |