2012-06-16 11:01:39

第14 彼らの実態  第15 証拠品の押収、還付について

テーマ:ブログ

第14 彼らの実態

こうした理不尽な捜査は調書だけでなく逮捕前の内偵調査からすでに行われていたのでわないでしょうか。


その証拠に捜査側の資料によると片岡の通帳等は調べている形跡はありません。(甲5号証)


片岡が事件を自供したされる後も通帳等を調べている形跡はありません。


ところが私と片岡の民事訴訟の裁判で2ヶ月程前(平成24年4月初旬)に片岡の通帳には平成21年から逮捕されるまでの間に資産が構築され多い時で450万円の資産があったと彼の弁護士の資料にはかかれていました。


またその証拠に通帳などもコピーされていました。


彼らが言うことが本当で薄給であったならばなおさら不自然な資産構築と言えます。


これらの事実を捜査側は私が法廷で明かすまで内偵調査中の資料からしても逮捕後の資料からしても知らなかったのではないでしょうか。


更に逮捕後捜査側の資料によると私の4通もの個人通帳及びキャッシュカードなどが彼の自宅から押収されました。


これら私の通帳に関して片岡自身公判で「仕事で使うことはない」と認めた私の個人通帳やキャッシュカードを彼は持っていました。


また逮捕数週間前には彼は会社の通帳、キャッシュカード、現金などを持って3週間ほど失踪しました。


その間会社では業務が滞ることから彼を内田、宮本らと必死になって探しました。


そして彼が日頃から支払や支払後管理する会社の領収書の間になぜか一枚だけ元女性アルバイトスタッフ、現在の彼の妻のアパートの光熱費の領収書が発見され彼の居所をつきとめました。


ちなみに私はその元女性アルバイトスタッフと彼が交際していた事をこの時まで知りませんでした。


しかし、逮捕後しばらくして彼らの電話履歴を見ると元経営幹部(金庫番)の失踪中に元社長の内田はその元女性アルバイトスタッフと連絡を密にとっていました。

電話履歴から見ると片岡が失踪するまでは内田がその元女性アルバイトスタッフに連絡をしたことは殆どありませんでした。公判中に分かった事ですが、内田は片岡とその元女性アルバイトスタッフとの交際を片岡に打ち明けられていました。それなのに片岡が会社の通帳などを持ち失踪している中、必死に探す私や社員にそのことを隠していました。その彼と連絡を密にとっていることがわかりました。


また私の預け入れた選挙供託金についても逮捕直前に誰も見ていない金庫に返したと述べていましたが、仕事を辞める残務処理に入った彼が会社の多額の現金などが入った金庫を開けれる立場にないことは明確です。


私の通帳を返さなかった理由に会社に行く機会がなかったというように言っていましたが供託金を本当に返しているなら供託金を金庫に入れた際に金庫に戻したはずです。


供託金を返さなかったのか、私の通帳を返したくなかったのかどちらかもしくは両方でしょう。


そして彼は私のことを宗教団体の教祖みたいな存在だったというように述べましたが、仮に私が教祖のような立場にあったならば片岡は従順な信者と言えるような行動をしていないことは明らかです。


そして公判でも再三でましたが片岡と内田は仕事以外でも非常に結びつきが強いとのことでした。


その内田は私に従っていたのは私が恐いからというような理由を述べました。

確かに私が他の幹部に手をあげたことがあるのは事実です。


しかし、そんな私でさえ内田には一度も手をあげたことはありません。


叩かれたことない人が私を恐いという


手をあげられた事のない人間が私を恐いと言うのには疑問を抱かずにはいられません。


内田自身の法廷では私への恐怖からか不安障害にまでなったというようなことも述べたと聞いています。


そして誰にも相談できなかったと・・・


しかし私の手元に彼から相談してきた事実や私が病院を紹介していた事実が記載されているメールがきちんと残っています。


自身の罪の軽減の為になりふりかまわず主張したのは私の公判以外でも行われたことでしょう。


更に内田は8月11日の調書で以下のように述べています。


学生時代から溝渕が嫌いでしたが、心のどこかには溝渕みたいにスポットライトを浴びたいと溝渕をうらやむ気持ちがありました。

溝渕を一会の代表に推したのは私であり、その理由は溝渕がトップに立つことで、もっとも溝渕に近い存在だった私も会の中心人物として活動できると考えたからです。私は目立ちたがり屋で何においても中心人物として周りの人間を仕切りたい、内田一派をつくりたいという思いがありました。」などと書かれていました。


日頃から私が暴力で彼らを抑えつけ、彼ら3人は従わざるえなかったという事件のストーリーが不自然であることは明白です。


公判前整理手続きの段階で争点にはならないとされたこのような私達4人の人間関係などが事件の争点となるならば、彼らの嘘を暴くために大量の証拠をこちらは提出したいと思っています。



第15 証拠品の押収、還付について

 平成23年7月11日に警察はグループの全店舗だけでなく事務所や私も含め身内の自宅も全て家宅捜査に入りたくさんの会社関係の物を押収しています。


 そして私自身持参していたお金なども全て数えられました。


 それに7月11日に会社の金庫の番号や金庫の鍵の場所なども会社事務所に家宅捜査に入った刑事に取調べ官の刑事を通して教えました。


 それに捜査側は内偵調査の段階で私や身内の通帳も全て銀行に照会をかけてお金の流れを調べています。


 それにもかかわらず検察官が裁判官に対して逮捕時の資産状況などは捜査対象項目に入ってなかったため調べていないという理由を述べましたがなぜそんな嘘を簡単に検察官はつけるんでしょうか?それとも内偵調査に入って大がかりに身内の通帳までまでも調べお金の流れを追っておきながら家宅捜査の際には現金は数えないということは捜査活動の基本なのでしょうか?


 捜査側にとって都合が悪いからださないのは明らかです。


 検察官は私達のグループに事件当時の資産を推認させる客観的なデータがないとも裁判官に対して言っていましたが検察側証人の片岡も実態を示していると認めた経費推移表や日計表があります。


 経費推移表や日計表はデータとして残っていますので1日もかからずにだせるはずです。


 捜査側にとって都合が悪いからださないのは明らかです。


 また私は、内田、片岡が使用していた会社名義の携帯電話を返してもらい平成22年11月~12月のメール履歴などを解析して私の喰うき放火の無実の材料を探そうとしました。その為、早い時期から弁護士の先生を通じて警察への還付請求を依頼していました。しかし、警察は私が勾留されている間に保釈された本人達にその携帯を還付しました。その理由として警察は「携帯名義は彼らだったから」と主張します。しかし、携帯は法人契約されておりアンビシャスダイニングの契約でされていたものです。当然支払いも会社の口座から引き落とされていました。この事実を踏まえ、何度も還付請求をかけたこちらの意見を無視して警察は「名義は彼らだった」として勝手に還付してしまったのは何故でしょうか。


 では、この警察の言い分が正しいのであればでは何故その後宮本が使用していた携帯をこちらに返して来たのでしょうか。


 そして案の定捜査側からは平成22年11月~12月の彼らのメール履歴などは解析できておらず私は自身の喰うき放火の無実を証明できるかもしれない重要なツールを1つ失いました。


  また平成24年1月13日以降何度もメール履歴と同時に私も含めた元経営陣の平成22年11月12月の電話履歴開示を求めましたが結局をそれも開示されていないままです。検察側証人の元経営幹部3名の言っていることが真実なら検察官はなぜ開示することができないのでしょう。


 甲36号証末尾の平成22年11月26日~30日までの片岡の電話履歴は内偵調査中の平成23年2月の時点で履歴をとったと調書に記載があります。

 もちろん私、内田、宮本らも11月分の電話履歴はとられているはずです。  

 捜査側がそもそも作成している資料ですから開示するのに手間もかからないはずではないでしょうか。


 そして更には平成22年11月、12月の私のスケジュール表。

 基本的に私の指示で経営幹部は自身のスケジュール表を保存、保管していました。

 だから還付された資料の中に内田の平成22年11月25日までのスケジュール表が混ざっていたり、いくき事務所から押収されて岡部の平成22年11月分も含めた大量のスケジュール表が私の手元にあります。

 また検察官の法廷での発言から宮本のスケジュール表は検察官の手元にあるのでしょう。

 スケジュール表を保存、保管しておくよう指示した私のスケジュール表ももちろんいくき事務所の私のデスク上にクリアファイルに入れて保存、保管していました。

 そして間違いなく押収されているはずです。

 それでもなお検察官のスケジュール表はないと言う答えには国家権力の恐ろしさを感じずにはいられません。

 
 



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