2012-06-16 10:28:36

第8 第4回目喰うき放火計画に対する反論  第9 火災後の行動に対する反論

テーマ:ブログ

第8 第4回目喰うき放火計画に対する反論

内田の証言によると、第4回目の謀議が行われたとされる「12月1日の午後9時くらい、喰うき店内で溝渕がライターで店の壁の木をあぶって、どうやって燃え移らすかというのを実際にやってみた」(内田第2回公判調書311項、318項)とあります。



片岡も、「12月1日午後9時過ぎに、くうき店内において溝渕が自分の目の前にあるテーブル等をライターあぶったりしていた」旨を証言しています(片岡第4回公判調書19頁)。



宮本の証言によると、「12月1日午後9時ころ、くうき店内において溝渕が『さっきあぶってみたけど燃えるわ』という発言をした」とのことでした(宮本第3回公判調書20頁)。

 

私の反論は3つ。

 1つめは捜査段階で宮本は私ではなく「社長」すなわち内田が「ライターであぶった」、「『ここは木ばっかしやし燃えるろ』と発言した」旨を供述していました(宮本第3回公判調書20頁)。



放火実行直前に謀議参加者が放火現場で燃焼実験を行うというきわめて特異な事象について証言、供述が前後相矛盾するということ自体、そのような証言、供述の信用性はありません。更にこの証言の変遷も自身の供述が変遷していき他の証言と一致していく事項の1つです。



私の反論2つめは私がライターで喰うき店内をあぶったとされる場所とタイミングについて、内田は喰うきに到着後、店の一番奥まで入って行ってライターで店の壁の木のところをあぶって焦げらして、内田、片岡、宮本の3人に燃えると言ってその後に4人でどうやって燃え移らせるかというのを実際にやってみてというように述べています。(内田第2回公判調書40頁)



しかし片岡はストーブを点火したあと内田と溝渕が座っている入口入ってすぐ左手の席に片岡と宮本も入って少し話をしている時に溝渕が目の前のテーブル席をライターであぶった(片岡第4回公判調書18~19頁)。また片岡は「店の一番奥ではなくて店に入ってすぐの左にあるボックス席に片岡が入った時に片岡、内田、宮本3人の目の前で溝渕がライターでテーブルをあぶった。」と述べており内田とはタイミングも場所もまったく違います。(片岡第5回公判調書22~23頁)



更に内田の言うストーブに燃え移らせるというのを実際にやったというような事を片岡は調書でも法廷でも一切述べていません。



内田、片岡の証言からすると宮本はどちらかの場所をライターで私があぶったのを直接見ているはずですが「溝渕さんからさっきあぶってきたけど、これ絶対燃えるわというふうに言われました」(宮本第3回公判調書19頁)と述べています。
 

更に宮本は内田の言うストーブに燃え移らせるというのを実際にやったというような事について「ストーブに火をつけそのストーブの上で紙を燃やすようなことをしたということは記憶にない」(宮本第3回公判調書46頁)というように述べています。



私の反論3つめは彼らの述べたような実験が行われたとされる当時、店内で4名の動静を現認したN料理長の供述調書(甲32)にはそのような実験についての記載はまったくありません。N料理長は宮本が灯油をこぼしたことを取り上げて同人を叱責し、かつ溝渕らが宮本に注意しようとしない状況を現認していたというのですから(甲32号証13頁)、当然4名の動静を注意深く観察していたはずです。



また、この燃焼実験が行われたとされる時刻ころ店内にいたI店員の供述調書(弁4)にもそのような実験についての記載がまったく見受けられません。



 当時喰うき店内にいたのは私、内田、宮本、片岡、N料理長、店員Iのみです。



 そのうちのN料理長と店員Iは内田、宮本、片岡が言うようなことは一切述べていません。それは彼らが言っているようなことがなかったからに他なりません。






第9 火災後の行動に対する反論

火災後の行動について大きく分けて2つ検察側証人は公判で述べました。



1つめは口裏合わせのために行ったガストでのこと


2つめは火災後日の宮本の行動について



1つめのガストでのこととして内田、片岡はガストに着いた後、「盗聴器がついちゅうかもしれんき調べてこい」と溝渕が言って調べに行かせましたというように述べました。(内田第2回公判調書43頁)(片岡第3回公判調書23頁)



 更に内田はガスト店内で年齢がちょっと高めで男の人を見たら警察かもしれんきということで話したい内容を携帯に打って画面を見せ合って全員でやりだしたというようなことも述べています。(内田第2回公判調書44頁)

 

私の反論は2つ。

 1つめに内田、片岡が言うように私が「盗聴器がついちゅうかもしれんき調べてこい」ともし言ったならばその言葉自体が盗聴器に入って疑いをかけられるのは明らかです。



また上記の2つの彼らの主張からすれば盗聴器がついちゅうかもしれんき調べてこいという指示を携帯画面でしたと言うなら話はまだ整合します。



しかし片岡は「盗聴器をつけられていないかどうかを調べろという内容は携帯電話のメール画面にそういう文字を打ち込んで溝渕があなた方にみせたということはなかったと思う」(片岡第5回公判調書26頁)と述べています。


 この主張以外の部分で私が盗聴器を警戒してジェスチャーなどで彼らに指示したことを法廷で述べていますが、取調べ調書(以下の枠内)では述べていなかったジェスチャーなどを法廷で突然3名そろって主張したのです。



どうすればそのようなことが起こるか。誰かが間に入って情報共有をしないと起こらないようなことが起こっています。



内田8月14日警察官調書27~28頁

溝渕が、私、片岡、宮本3人に、ホンダインサイトに乗るように言いました。そして溝渕は、車を高知市朝倉方面に走らせました。車内で溝渕は、私達に「警察につけられゆうかもしれん。何があるか分からんき重要なことはまだ喋るな。警察が宮本に何かつけちゅうかもしれん」と言ってきました。そうして溝渕が車を走らせた先には土佐道路沿いにあるガストというファミリーレストランでした。

溝渕は、警察や消防の事情聴取に備え、口裏合わせをするため私達をガストに連れて来たのでした。店についてからも溝渕は、私達に「小声でしゃべれ、重要なことは誰か聞きゆうかもしれんき喋るな」と言っていました。



甲35 9頁

溝渕大志は車の中で「警察につけられちゅうかもしれん。何があるか分からんき重要なことはしゃべるな。警察が宮本に何か盗聴するものをつけちゅうかもしれん」などと言っていたことで、はっきりわかりました。



片岡8月14日警察官調書19~20頁

溝渕は私達3人に、インサイトに乗るよう指示し、その後溝渕の運転で4人で高知市鴨部の土佐道路沿いにあるガストというファミリーレストランに行きました。溝渕は車に乗る前から「放火の話しはするな」と言っており、車中でも自分達がやった放火の話しはせず、喰うきのスタッフにどのような説明をするかについて話をしました。

ガストに着いてからも「警察が盗聴器をしかけているかもしれない」と言って、私と宮本の2人をトイレに行かせ、お互いの身体検査をさせたりもしました。




私の反論2つめに内田はガスト店内で年齢がちょっと高めで男の人を見たら警察かもしれんきということで話

したい内容を携帯に打って画面を見せ合って全員でやりだしたというようなことも述べていますが明らかに疑い

をもたれる行為であり、更に内田は現に内田の証言によれば、同時刻、ガスト店内には20人くらいの客がおり

(内田第2回公判調書633項)、知人にまで出くわしているというのである(同631項)。  

 

そのような中で彼らが言うような行動はとれるわけがありません。





2つめは火災後日の宮本の行動について

私が指示した内容として宮本は「火事が起きた事を病んでうつ状態になったことにする。その期間は許可がでるまでは片岡、溝渕、内田以外の前には基本的に姿を見せない。ほかのスタッフとかには姿を見せない」というように述べました。(宮本第3回公判調書24頁) 



私の反論は2つ。



1つめは宮本の証言の一方で内田は「宮本は責任を感じて病んだふりをしろ。人前にでれん状態にするき、ずっといくきの事務所で事務処理をして」というように述べています。(内田第2回公判調書44頁)



宮本の「スタッフとかには姿は見せない」という主張と内田の「宮本はいくきの事務所で事務処理をして」というのは主張が真っ向から相反しています。



なぜならいくき事務所へは、アルバイトが着替えにも入ってきたり、厨房スタッフが倉庫も兼ねているので食材をとりにきたり、業者さんの出入りもあるため人の出入りは多いからです。(岡部第6回公判調書15頁)



私の反論2つめは本件で病んだことにして他のスタッフとの接触を控えることになったはずの宮本、また人前にでれん状態にする宮本が火災当日の平成22年12月2日、早速保険会社に保険金請求手続を照会するなどということは(宮本第3回公判調書28頁)、まったくつじつまが合いません。






























































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