2012-06-15 18:16:23

第7 第3回目喰うき放火計画に対する反論 その2

テーマ:ブログ

 4つめ、私のアリバイづくり(私と彼らの連絡)
片岡、宮本の証言によると、平成22年12月1日昼、HANAREにおいて片岡、内田、宮本3名と溝渕との間で放火の謀議を行った際、溝渕に「足がつかないようにするため」(宮本第3回公判調書46頁)つまり溝渕と放火との結びつきを断ち切るため、この謀議以降、「片岡、宮本と連絡をとるのは内田」「溝渕とは連絡がつかない状態にする」(片岡第4回公判調書17頁、第5回公判調書139項ないし143項)、「溝渕さんには連絡は僕らからはしない」(宮本第3回公判調書47頁)旨が示し合わされたとのことです。


更に片岡は8月16日警察官調書において、内田が「これからお前達は会長と連絡をとるな。この放火に会長が関係ないことにする。だから、お前達と会長が連絡をとりあったらまずいき。内田は溝渕の前で私と宮本にそう指示したので、溝渕もそうしてもらえればありがたいと思ったでしょう。」とも供述しています。


しかし片岡、宮本の意見に対して内田はこの点につき第2回公判において、「放火を宮本がして、その後に誰かが溝渕に連絡を取って、溝渕が来ることになっていた」旨証言しています(内田第2回公判調書626項)。


私の反論は4つ。                             



1つめは片岡の主張からすれば私との連絡がつかないはずですが、実際は私から12月1日21時54分から火災までの間に計3回片岡に電話をかけています。片岡からも12月1日21時59分に私への電話履歴があります。(甲33号証)しかも片岡、宮本と連絡をとるはずの内田と私の電話履歴は12月1日昼の謀議以降の時間帯では一切ありません。                                     


また内田の証言も彼らと明らかに違うだけでなく火災後、内田、片岡、宮本から私への着信履歴はありません。(甲33号証末尾資料)


更に片岡も取調べの際には喰うきが全焼までの様子を溝渕や内田に連絡したり見届ける役目をすることに決まりました。(片岡第5回公判調書21頁)と述べていますが火災の時間帯もしくはそれ以降彼から私への電話履歴はありません。(甲33号証)

 彼らの証言は動かぬ証拠によって虚偽であることは明白です。


私の反論2つめに内田は、第11回公判において「溝渕は現場に来る予定がなかった」、「溝渕が現場に来たことは予定外であった」旨を証言しました。これは上述の、「放火を宮本がして、その後に誰かが溝渕に連絡を取って、溝渕が来ることになっていた」旨の証言と真っ向から相反します。


このように法廷でも以前の自身の供述と正反対の事をなぜ述べるのでしょう。


それは記憶に基づかない創作の話し以外に他なりません。


私の反論3つめに12月1日昼HANAREでの話合い以降で私とは連絡がつかないことにするという彼らの主張からしてこの日の夜21時頃に喰うきに集まったこと自体が話として不自然すぎます。もちろん12月1日夜に喰うきに行ったことを私は隠さずに保険会社に述べていますが(弁11号証)、彼らはこのことを隠しています。(弁36、37、38号証)

 

私の反論4つめに放火予定時刻は12月2日午前0時から0時半。(宮本第3回公判調書11頁)しかし実際に火災が起こった時刻は午前2時頃(甲14号証)で約2時間近く放火予定時刻から遅れても私から彼らへ何の連絡もありません。(甲33号証)


私が放火の指示をしたというならば、また内田の主張する「放火を宮本がして、そ後に誰かが溝渕に連絡を取って、溝渕が来ることになっていた」ということならば約2時間ほど放火完了の連絡が遅れているで、私から彼らへの問合せの連絡があるのではないでしょうか。


彼らがいうにはHANAREでの謀議後溝渕とは連絡がつかないようにすると決まっていたにも関わらず甲33号証を見るとその謀議以降、私は片岡に3度も電話をかけているわけですか彼らのストーリーからすれば私から彼らに放火完了の問合せの電話があるはずと考えるのが普通だと思います。


しかし実際は一切そのような電話履歴はありません。それはそのような計画自体を私自身まったく知らなかったわけですから当然だと言えます。





 次回は (題目第8 第4回目喰うき放火計画に対する反論) を6月18日までに記載する予定です。



 
最後に


 これら一連の件でご迷惑をおかけした方に心よりお詫び申し上げます。


 また、ブログコメントくださった方々ありがとうございました。



 私がブログ記載しているこれらの内容は取調べ段階で一切述べられていません。


 取調べは原則逮捕後20日間程度なので・・・ 


 というよりも火災、ひったくり共に事実被害にあったものと信じていましたから逮捕後2~3ヶ月後(要するに私の取調べの終わった後)に彼らの取調べでの調書、彼らの裁判の内容が「私の全て指示で恐怖で逆らえなかった」というところまで作り上げられていることを知り、そこから自身の防御のための材料集めを始めました。

 

 その中で片岡が500万円近い株や預金、300万円以上する車、100万円もするバイク、70万円する時計をしている事実。


 しかもそれらを知っていたのは内田のみと言う片岡。


 更に会社の通帳だけでなく、なぜか私の個人通帳、キャッシュカード4通も片岡宅から家宅捜査の際押収された事実。


 その他にもたくさんの新事実が逮捕後しばらくして知ることになりました。これらについては (題目第 13 彼らの実態)で詳しく記載します。 

 

 こうした事実も彼らの事件に直接関係することの証言を否定する内容のことも、裁判の準備をすすめていく中で捜査側に押収されていて返された物などから明らかに



溝渕大志



なったものです。
 取調べでどういった供述をしたかについての質問がありましたが・・・

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