第7 第3回目喰うき放火計画に対する反論
第3回目喰うき放火計画について彼らの主張を大きく分けると全部で4つに別れます。
1つめ、第3回目の放火計画の話し合いの日時と場所
2つめ、放火のためのストーブ購入について
3つめ、私のアリバイづくり(放火時の私の所在)
4つめ、私のアリバイづくり(私と彼らの連絡)
1つめ、第3回目の放火計画話し合いの日時と場所について
私の反論は2つあります。
私の反論1つめは内田の証言によると、平成22年12月1日午後0時30分ころからHANAREにおいて、4人で1時間ほどかけて放火の具体的な実行方法、役割分担などについて謀議をおこなったというように述べていました(内田第2回公判調書598項ないし600項)。片岡(片岡第4回公判調書15頁)、宮本(宮本第3回公判調書10、13頁)もこれに沿う証言をしました。
しかし内田は捜査段階において、この話合いは「いくき」である旨を述べています。
(内田第2回公判調書266,267項)
片岡は12月1日の朝と供述しており(片岡第5回公判調書101項)、第4回公判の際、検察官の主尋問においても一度は「当日の朝」と証言しています。(片岡第4回公判調書9頁)
宮本は警察での取調べの時には話し合った時間帯は午後1時30分から午後2時30分ころと述べていました。(宮本第3回公判調書45頁)
私の反論の2つめは仮に12月1日午後0時30分~午後1時30分。もしくは午後1時30分~2時30分の間に共謀があったとします。
甲33号証 共謀時間内電話履歴一覧
片岡→N料理長 12時50分 ~ 34秒
片岡→幹部O氏 13時28分 ~ 1分47秒
宮本→幹部O氏 14時 ~ 1分11秒
片岡→高知市 14時8分 ~ 8分
片岡→宮本 14時24分 ~ 13秒
それならば謀議中であるはずの12月1日午後0時50分に片岡からN料理長に電話をかけています。(甲33号証)
また午後1時30分から2時30分の間にも片岡、宮本から電話をかけた履歴が複数存在します。(甲33号証)
しかし片岡はHANAREでの謀議中に誰かに電話をしたということは覚えていないと述べています。(片岡第5回公判調書17頁)
宮本はHANAREでの謀議が終わるまでの間に4人の中で話し合いの場からぬけたメンバーはいませんでしたと述べています。(宮本第3回公判調書13頁)
更に内田、片岡、宮本3名とも謀議中に電話でのやりとりがあったこというようなことは調書でも公判でも一切述べていません。
2つめ、放火にはストーブを購入し使うこと
第11回公判では内田、宮本、片岡は灯油ストーブを使って放火をすることに決まったことは12月1日の昼ころのHANAREでの打ち合わせで決まったと述べました。しかし片岡は平成23年7月28日警察官調書では「当日までの話し合いで、ストーブを使って放火することなどを打ち合わせした」と述べています。
またストーブを置く表向きの口実として宮本は第11回公判で「電気代の節約のために購入したということにしようとしていました。」
内田は第2回公判で12月1日昼のHANAREでの話合いで「ストーブを置く理由について出入り口のところがお客様が寒いという宮本がよくクレームがある。ということを言って、ちょうどそこに置いたら、自然にそれを買ったようになると思いますみたいな感じで言ったと思います。」と述べ第11回公判でもそれに沿うようなことを述べています。
宮本と内田のストーブを置く表むきの口実が合っていないのは明かですが、片岡も喰うきに新たにストーブを設置するという話が、12月1日の昼ころのHANAREでの打ち合わせ前に「あったと思います。」と述べそして片岡はどのような話があったかと言うと「客から足元が寒いという話しがあってそれを改善する必要があるという話が検討事項として出ていたと思います。」「ストーブを購入するという話も出ていたと思います。」と述べており、内田もいる場でそのような話がでたとも述べています。
要するに12月1日昼のHANAREで話し合ったとされる内田の表向きの口実を否定していることになります。
そこで内田は片岡証言を聞いた後、内田は「放火などでストーブを設置するという話は12月1日HANAREの打ち合わせ以前のミーティングででていたかもしれない」というように証言を変遷させました。
そうすると内田が第2回公判で述べた、12月1日HANAREの打ち合わせで「ストーブを置く理由について出入り口のところがお客様が寒いという宮本がよくクレームがある。ということを言って、ちょうどそこに置いたら、自然にそれを買ったようになると思いますみたいな感じで言ったと思います。」という自身の証言を第11回公判の証言で否定した事になります。
しかも内田は放火後の特調の事情聴取の際にはストーブを置く口実として暖房費の削減というようなことを述べています。(弁36号証)
ここまででも3人の証言が合っていないだけでなく自身の主張すらも変遷を遂げていることが明らかです。
また、ストーブをなぜ3つ置くかということについても内田、宮本、片岡はその理由をはっきりと答えられませんでした。内田がストーブを置く理由について「出入り口のところがお客様が寒いという宮本がよくクレームがある。ということを言って、ちょうどそこに置いたら、自然にそれを買ったようになると思いますみたいな感じで言ったと思います。」というならば出入り口のところに1つ置くことが最も合理的であるはずです。
では、なぜ3つのストーブを置く必要があったのか。それは放火目的でなく幹部のO氏も知るように12月1日以前より店内の広い喰うきは電気代が高く経費削減のためにストーブを導入しようとしていたからです。
3つめ、私のアリバイづくり(放火時の私の所在)
内田、片岡、宮本の証言によると、平成22年12月1日、これら3名と溝渕とで放火の謀議を行った際、溝渕のアリバイを作るため、「溝渕は放火当時県外へ行っていた(る)ことにする」旨が示し合わされたとのことである(内田第2回公判調書305項、片岡第5回公判調書130項、131項、宮本第3回公判調書11頁)。
私の反論は3つ。
1つめは「県外へ行っていたことにする」とは、「県外へ行った振りをする」ということです。そして「県外へ行った振りをする」ということは、「実際には県外へは行かない」ということです。
他方で内田は、火災直後、溝渕が現場に姿を現したときのことについて、「県外へ行っているはずやのに」旨を証言しました。(内田公判調書342項)「県外へ行っているはず」とは、「実際に県外へいく」ということである。
片岡も上記証言とは別の箇所で、「本当に県外に行くというような話になっていた」旨を明確に証言しました。(片岡第4回公判調書19頁)
すると、前記3名のうち2名は「実際に県外へ行くのかどうか」という点について、そろって完全に前後相矛盾する証言をしていることになります。
関係者の謀議の中でも、この部分はいわゆる「中心人物」とされる溝渕のアリバイに関する部分であり、本質的要素です。このような本質的要素について3名のうち2名が完全に前後相矛盾する証言をしている以上、溝渕との間で謀議があったとする3名の証言はこの時点ですでに破綻していると言えます。
私の反論2つめは広島出張は12月1日より事前に予定されていたことです。
内田、片岡の証言によると、平成22年12月1日昼ころHANAREで放火を謀議した際、溝渕から放火実行時刻ころの自身のアリバイについて、「俺はどうしちょったらいいか」旨を問われて、内田が「会長は県外に出張に行っていたことにしたらいい」旨を提案したとのことです。(内田第2回公判調書、片岡第4回公判調書)
そもそも私は遅くとも平成22年11月末の時点で、平成22年12月1日夜から平成22年12月2日未明にかけて高知を出発し、広島方面の店舗を視察する出張を予定していました。
この点について幹部社員だったO氏は、「平成22年11月下旬ころ、溝渕から広島出張を聴かされた。自分が広島出身なので、どこか広島にいい店はないかということを溝渕に尋ねられ、『あかぼし』という店を教えた」と述べました。(岡部第6回公判調書21頁、34頁)。
また私は火災直後の平成22年12月2日朝から実際に広島方面へ向かっています(弁10号証)。またグループ店舗全焼という会社の緊急時の後にも関わらず県外へ出張するということは、予定されていたからであり、火災後のガストの話し合いにて自分も残って後処理をするべきではないかと内田・片岡・宮本に問うたが自分らに任せて下さいとの意見があり予定通り出張した。そもそも犯行後、犯行現場から遠ざかったからといってそのことが「犯行当時のアリバイ」となりえないことは子どもにでもわかる理屈です。
私の反論の3つめは12月1日昼の4人での話し合いで放火方法や各人の動きを指示したとされる私は(内田第2回公判調書33頁~39頁)自身のアリバイ作りに関してのみ「俺はどうしちょったらいいか」旨を共犯に打診することはあまりにも不自然すぎると言えます。
Amebaおすすめキーワード