人と会うのは「時間の無駄」になりうるか?

2012/06/16
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tykさんが僕のブログ記事に派生して、こんな記事を書いてくださいました。ぜひ合わせてお読みください。

tykのノマド日記: ボクと会ってくれませんか?ソーシャル「アポ力」の勘違い。 – アポで信用を失わないための4分類マトリクス


人と会うのは「時間の無駄」か?

信頼を失わないために「勘違い君」にならないようにしよう、という主張には全面同意できるのですが、どこかもやもやとした違和感が残ることに気付きました。

自問自答した結果、人と会うという行為が「時間の無駄」になりうる、という考え方に、僕はあまり共感できないようです。


「僕とあっていただけませんか?」

君とあってどうするの?
と言いたい。

なにするの?

目的不明である。というか、実の所こういうひとは、私にあう用事があるわけではないのである。

単に、有名なひとと会って話したら、なにか自分が変わるきっかけになったり、閃いたりするかもしれないという期待が一方的にあるだけである。

ということをtykさんは書かれていますが、もしそうであれば、変わるきっかけやひらめくきっかけを、「せっかくの貴重な時間」なので提供すればよいと思います(tykさん自身はそうなさってるのかもしれませんが)。

もしそこで人が変わるきっかけを提供できれば、それは素晴らしいことですし、失敗したところで、何か双方が大きなものを失うわけではありません(せいぜいアポなんて30分〜1時間でしょうし)。

「未熟」だと思える人が訪れたら、ある種の運命だと思って、最大限その人の力になることを考えるのが、「貴重な時間」の使い方だと僕は思います。


また、どれだけ目的不明でも、自分と違う時間を生きてきた個人ですから、知り得ない情報を必ず持っています。

自分の関心事にあわせて、こちらから2〜3質問すれば、自分にとって有益な時間になるでしょう(例えば僕は市場調査がてら「読んでいるブログとかありますか?」「どんなNPOを知ってますか?」「寄付って日常的にしますか?」なんて問いをしばしば投げます)。あとは逆に、こちらから伝えたいことを伝えてみたり。


とはいえtykさんのような価値観はごく一般的なものだと思いますし、ビジネスパーソンとはかくあるべきなのでしょう。僕はあまりお金儲けを考えない人間なので、「甘い」と言われたらそれまでです。


僕にとっては、「誰からも得るものがある」ということ、「与える機会があれば惜しみなく与える」ということは、重要な価値観です。金銭的・時間的な余裕を失っても、この価値観は貫きたいところです。


有言実行?ということで、学生さんのOB訪問は常に歓迎しているので、お気軽にご連絡ください(nubonba@gmail.com)。1時間程度、就トモカフェあたりでお会いしましょう。


関連本としてはこちらがおすすめ(書評)。「本来自分に責任がないことにまで、責任を負おうとする態度こそ”大人”である」という指摘には、かなり影響を受けています。