仇を恩で返す
「金払え、使うな、入るな」の最後で述べた、嫌がらせを「恩で返す」について質問を受けた。この辺は、私個人の宗教的実践としても重要でなので、触れておく。恐らく一部読者にとっても、同様に重要性を持つであろうから。
コメント欄にもあったが、これはイエス・キリストの「汝の敵を愛せよ」と同じである。また別の言葉で述べるならば、
「誰かが、あなたの右の頬を打ったなら、左の頬を向けなさい。(マタイ5章39、ルカ6章29)」
となる。しかしながら、これは一般的観念からすると、極めて理解しがたいものだ。
この「右の頬、左の頬」について、面白い解釈が存在する。聖書学者の田川建三氏は、自著『イエスという男』の中で、キリスト教的な愛とか寛容とは全く別物としている。彼によると、頬を殴られても殴り返せない差別された賤民が、悔しまぎれに吐いたトゲのある皮肉、屈辱のうめきらしいのだ(当時のエルサレムはローマ帝国の植民地であり、イエス・キリストを信奉したユダヤ人らは屈辱的状態にあった)。
陰陽1で取り上げた「一神教 vs 多神教」の哲学者・岸田秀氏も、同著でこの説を「はるかに説得力がある」としている。
イエス・キリストが強烈な皮肉屋だったとは、学者の珍説としては面白い。しかし、彼の宗教性を理解する上においては、無意味としか言いようがない。これは学者だから仕方ないのかも、と考えていた。ところが、ネットを検索していて驚いた。学者ではなく自身でキリスト教を信奉している人でも、以下のように述べていたのだ。
「敵を愛するなんていうことが、本当にできるのか?これは迫害されていない人、恵まれた第三者か、強い立場、富・権威・権力のある人の、偽善ではないのか?」
「貧しく、虐げられ、差別され、軽蔑されているひとびとに、本当にイエスは、こう仰ったのか。」
「イエスは、この実行不可能と思われることを、誰に、どういう意味で仰ったのか?」
「不可解な教えだ」
このように、一生懸命信仰している人でも難しい教えなのだ。オウム・アレフの教えにも、同様のものは存在する。言葉は違うが、「罵倒・攻撃されても相手をグルと見なすべし・尊敬すべし」という内容だ。当然ながら、教団の人間にもほとんど実践不能なのが実情だ。しかし私は、誰にでも実践可能なものだと考えている。
前置きが長くなった。この「敵を愛せよ」「右の頬、左の頬」のポイントは何か?まず最初に、相手を受け入れる・受容するということである。次に、自分自身の感情をコントロールするということだ。
一般的には、攻撃されたら反射的にこちらも攻撃したくなる。しかしそこで一瞬立ち止まって、自分の感情をコントロールするのだ。これは何を目指しているのか?自分自身が変わることによって、相手自体も変わることがある。自分を変えることで敵を変えることを目指しているのだ。
これは小さいレベルでは、恐らく皆さんも経験している筈だ。例えば、誰かがあなたを非難攻撃してきた。瞬間的に腹が立った。が、同時に相手の主張にももっともなところがある、と反省する気持ちも出てきた。そこで怒りをおさめて、自分の非を認めて謝る。そうすると、相手も矛をおさめて、「いやこちらも言い過ぎました」と謝ってくる場合もある。
相手の主張ももっともだと思いつつも、瞬間的に腹が立った流れで反撃するなら、殺伐としたやりとりが続くだろう。しかし一瞬立ち止まって、怒りをコントロールすることで、相手の対応も変わる。こういう経験は、大人の対応をしたことがある人なら、よくあるのではないか。
「右の頬、左の頬」も全く同じ原理だ。相手の攻撃性を受け入れてしまう。その上で、一切自分の中に攻撃的な感情を生起させない。どころか、相手を慈しむ気持ちを抱く。これによって、敵自体も敵対心を失うことがある。敵・味方の区別をなくしてしまう実践なのだ。ところがこれは極めて難しい実践なので、時と場合をわきまえる必要がある。(つづく)
コメント
怒り
まあ、怒りなんてほとんど自尊心(プライド)の産物ですからね。
制御するには、自分の心の中でも観察してみることです。
大して役にも立たないかと思いがちですが、
タマス状態を打破するには効果的なところがあります。
わたしもこれを利用していますね。
わざと、怒りっぽい人のところへ行ってカルマを落として貰うとか。
昔、元「師」の和井恵さんの体験談にそれの逆が書かれていました。
彼がアニメ班のメンバーに怒鳴りまくっていたとか。(藁)
わたしもある方と掲示板上で何度か揉めたことがありましたね。
時には、わたしのPCの画面上からもその気の感じが伝わってきました。
気に敏感な方は相手の情報を読み取ることもできるでしょうけど、
わたしはそこまでの能力はありません。(藁)
怒りはオウム流にいえば、ムーラダーラじゃないですか。
性欲とか食欲に比べれば、ずっと制御しやすいはずです。
でも、
ネット上は聞き分けのない方はスル〜でもすれば良いんですが、
スト〜カ〜や通り魔みたいのはちょっと難しいですね。
自分で護身術とか功徳を積むとか修行をするしかないと思います。
敵はいない
皮肉なことに自分の中の善悪観念が敵を生み出してしまうことも往々にしてある。その正義の追求が結果として破滅的な事態を生み出す。
労働者の争議権は認められているが、それを際限なく追求した結果、土台となる職場環境が崩壊してしまったのが国鉄である。
1970年代、「スト権スト」を掲げて労働組合が無期限ストに突入した。
本来官製労働者はストを禁じられているが、政府は「やるならおやりなさい」と静観していた。その頃すでに物流はトラックが幅をきかせていて、経済流通に決定的ダメージを与えることはできなかった。
結果、組合は勝ち目がないと観念し、さんざん国民の不評を買ってストは終結した。
それまで、先鋭化した労働運動で、幹部、管理職はさんざん妥協を強いられ、規律は荒廃していた。それがこのストを境に組合の結束力はばらばらになり始めた。
労使、乗客、国家の経済流通からなるエコシステムが、敵対的意識を伴った正義の追及によって破滅してしまったという例である。
もちろん、管理職の保身、国鉄利権の政治的利用などいろいろあるが、ここでは割愛。
誰かが、あなたの右の頬を打ったなら、左の頬を向けなさい
「神父がSMクラブに行って、女王様に右の頬を打たれて大喜びしながら
『女王様、左の頬も叩いてください!それが聖書の教えなのです!』
と女王様にお願いしている。」
オウムでは「誰かに苦しい目に合わされたら、『カルマを落としてくださってありがとうございます』と感謝しなさい」という教えが説かれていました。
A正大師から虐待を受けた弟妹たちは『女王様、もっとカルマを落としてください!』と思ったのでしょうか?それとも「もうやめてぇ!」と思ったのでしょうか?
教えの正しい解釈と実践は難しいですね。
上祐
相手の対応がどうであれ、こちらが相手に対してV.S.な認識を持つと荒れますね。
ヨッシー大明神へ
そういうときに「迷惑かけて申し訳なかったね」のひとことでも言えれば、相手もそれで事を収めて、いろんな状況もスムーズに進むだろうものを、プライドがあって謝りたくないがために、こういった法則を方便として悪用してしまうケースが多かったように思います。こういう部分から大きなほころびができていったんじゃないでしょうか。
あと、こういう理屈って一般社会では絶対に通用しない理屈で、ある程度の教養のある知識人ならば頭を下げることを知っているものですが、こういう部分を振り返ると、本当に教団の人たちの精神性って高かったのだろうか?一般社会で真面目に生きてる人の方が、本当は精神的に鍛錬されてるんじゃないだろうか、という疑問がときどきもたげます。
たしかに難しいかも。
>『カルマを落としてくださってありがとうございます』
>と感謝しなさい」という教えが説かれていました。
そうそう。
でも、わたしは相手に対してそんなことは思いませんね。
無念無想が良いと思っています。
>A正大師から虐待を受けた弟妹たちは
>『女王様、もっとカルマを落としてください!』
>と思ったのでしょうか?それとも「もうやめてぇ!」と思ったのでしょうか?
>教えの正しい解釈と実践は難しいですね。
忍辱波羅密は布施や持戒をある程度行っていないと無理だと思いますね。
そうでないと非常に苦しい思いをし、対象に対して憎しみを覚えるでしょうな。
件の四女や猊下方がもし三女に対して、「お姉ちゃんは酷い!」
と思ったとすると、四女・猊下方は全然修行ができていないことになります。
あ、猊下は最終解脱者ですからする必要はないか?
でも、三女もステージは彼らより下ですからおかしなものですね。
そう考えると、姉の権力を利用した虐待以外の何ものでもありません。
ソンシもマハームドラーと称して弟子を苛めたわけですが、
その弟子は布施は出来ていたとしても、持戒が大したことがなければ、
効果はあまり期待できず、その弟子の恨みを買うだけに終わるでしょうな。
まあ、サリン事件等被害者のみなさまやそういう弟子に対してソンシが行った意味合いは、
「因縁付け」でしかないと思います。
「未来世、自分の弟子になるように」とか。
わたしはそういう衆生済度のやり方には非常に疑問を感じますね。
というか、わたしだけでなく、世間のほとんどの方は異議を唱えるでしょうけど。
それならば、野良仕事で害虫を退治するときに、
「これらの害虫が未来世わたしの弟子になるように!」
と言って害虫を殺した方がマシというものです。
ご冥福をお祈りします
奥様のご冥福をお祈りします。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080805/crm0808051018004-n1.htm
「仇を恩で返す」
河野さんは松本サリン事件でご自身や家族が多大な被害を受けながらも、教団に敵意を持たず教団関係者の立場・心情を理解しようと努力なさってくださいました。
河野さんはまさに「仇を恩で返す」という実践をしていると思います。
河野さんの冷静さ・寛容さには驚かされるばかりでした。
「人間」というより「菩薩」という感じです。
改めて奥様のご冥福と河野さま一家の幸せをお祈りします。
2ちゃん・完璧160スレより
御冥福をお祈りします。
でもこの奥さんは麻原尊師と縁があったからこそ、これから良い転生を迎えると思います。
だから来世という意味で考えれば、結果的に良かったと思う。
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↑この投稿はモロA派(か、それを装って煽っている?)じゃないですか!
わたしもそんなことは不味いと思いますね。
勝手にソンシに因縁付けられた奥様が可哀想ですな。
今さら縁もなにもないだろう〜とは思いますが、
もし自分も教団にいて、
その「良い転生」うんぬんだと聞かされれば、
普通に納得したでしょうね、、
やはり教団から離れるのが一番です。
今の信者の人達は、どう思ってるのか。
もう忘れてるんでしょうか?
しかし、
「謝る必要は無い」と考えてる信者が多いなんて、
困ったものですね、、
河野さん
ヨッシーさんへ、これだけでは何があなたを苦しめて、あなたにとって上祐さんがどういう点で間違っている(どうにかということは、現在何か問題があるってことですよね)と感じるのか、何を改めてほしいのかわからないと思いますよ。ある程度具体的にかかないと、もしご本人が見たとしてもわからないですよね。
●でもこの奥さんは麻原尊師と縁があったからこそ、これから良い転生を迎えると思います。 だから来世という意味で考えれば、結果的に良かったと思う。
私は何が正しくて何が間違ってとか、高い考えとかできないので、これについては完全否定はいたしません。しかし自分がこれを肯定しているってこともないです。
ただ確実に言えることはこういう実践が万が一本物だと仮定しても、この教え自体密教というか、非常に微妙な難しい実践などにあてはまるもので、公に口にだしていいことではありません。あくまでもあなたが心の中でそこまで本当に実践できるとしても、自己の内側で行うことです。
口にだしてしまってはアウトなんですよ。もうそれでこの実践は成り立たないのです。そういう判断ができないのに軽軽しく言ってはいけないと思います。
まずは世間というものをよく知っておく必要があると感じます。
河野さんの手記のようなものを以前に読みました。犯人と疑われて、もう逮捕間近になって、このまま冤罪で自分が死刑になっても、決して世間や国や誰もを恨むことはしないでおこうなって、河野さんは家族、娘さんと息子さん(まだ高校生だった)に話したそうです。
そして息子さんに「家族を頼むぞ」と言って家族の方々は悲壮な決意をされたそうです。これこそ、仇を恩で返すの実践を実際に目指してされた方ですよね。
本当に頭が下がります。奥様が死なれたことは知りませんでした。なぜニュースや新聞に載らなかったのか?不思議です。
教えてくださってありがとうございました。私も深くご冥福をお祈りすると共に、教団の変わりに謝罪したいと思います。
具体的な謝罪など皆様どうされていますか?何か実際にされている方がいらっしゃったら教えてください。
私は明日からちょっと事情があって三週間ほど、メールもブログも見られないところに行きますので、戻ってきたらもし、何かこのことでコメントが載っていたら参考にさせていただきたいと思いますし、お礼も申し上げたいと思います。どうかよろしくお願いいたします。
傲慢でした
私はもう教団と関係のない人間。なんだかすっごく自分が傲慢なことを言っているように感じて訂正させていただきました。
怖いですね。心の隙ってすぐ慢が生起する。
大村さんへ
奥さんが亡くなったのは今朝の午前3時4分です。ですからネットで先に流れて、昼頃にテレビニュースで流れました。
>具体的な謝罪など皆様どうされていますか?何か実際にされている方がいらっしゃった ら教えてください。
こちらのブログ記事をご覧下さい。
http://blog.goo.ne.jp/hakuryuu_001/e/b92f0e2a5ef16c17fc33f099dd06bef5
ニュースのURLにアクセスしようとしましたがすでに記事は削除されていました。
この元サマナは元パーラーパリヤ師です。
さきほど河野さんが談話を出したので紹介します。
<河野澄子さん死去>「14年間家族のために生きてくれた」
松本サリン事件被害者の河野義行さん(58)の妻澄子さん(60)が5日、亡くなった。事件発生から14年。澄子さんは事件の後遺症で意識が戻らないままだったが、容疑者扱いを受ける苦難を乗り越えてきた河野さんは「家族のために生きてくれた」との談話を公表した。オウム真理教事件の被害者らからも冥福を祈る声が相次いだ。
「限りあるエネルギーをより有意義なことに使いたい」−−。河野さんは澄子さんへの思いを常に持ち続け、看病を続けていた。
河野さんが今年6月発売の5冊目の著書「命あるがぎり−松本サリン事件を超えて」(第三文明社)を上梓(じょうし)したのも意識が戻らないまま還暦を迎えた妻への感謝の気持ちからだった。同書には「家族を支えているのはあなた(妻)だよ。子供や世の中の人もあなたの存在に励まさされているんだよ」と記した。
6月26日、河野さんは澄子さんを病院に見舞った。その時点で、澄子さんは胃腸の動きが弱まり、「余命3カ月」と医師から宣告されたという。今月4日には医師から「あと1週間ぐらいの命かもしれない」と告げられていた。5日午前2時45分ごろに病院から「状態が危ない」と一報があり急行したが、医師の「間に合いませんでした」との言葉で、妻の死を知ったという。 松本サリン事件で次男豊さん(当時23歳)を亡くした小林房枝さん(66)は「大変残念です。奥さんと直接お会いする機会はありませんでしたが、事件以来、14年間も意識のないまま闘ってこられた象徴的存在だったので、本当にさみしい気持ちがします。奥さんが頑張ることが、私たちの心の励みになったと思います。オウム犯罪の恐ろしさを今一度、感じます」と悔しさをにじませながら話した。
オウム真理教元代表で新団体「ひかりの輪」の上祐史浩代表(45)は5日、「深い衝撃と悲しみを感じている。私たちの罪の重さを改めて強く自覚し、再び同じ過ちが繰り返されないための総括や賠償などを通じて、いっそうの償いに努める」とのコメントを出した。【藤原章博、伊藤一郎、棚部秀行】
8月5日12時44分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080805-00000038-mai-soci
河野さんの奥さんについては
大村さんへ
「覚悟はしていましが、やはり妻が亡くなったことはつらいですね。
以前から、『わたしにとって松本サリン事件が終わるのは妻が治ったときか、亡くなったときになる』と言ってきました。ですから今日はわたしに松本サリン事件が終わった日になります。
これからわたしもどうなるか分かりませんが、妻が今まで頑張ってきたんだからわたしも頑張ろうと思っています。」
久々に河野さんをテレビで見ましたが、やはり非常に素晴らしい方だと思いました。
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そうそう
これがなぜ言えるのか?それは己が分かっておられないからでしょうね。
口が裂けても言える言葉であるのかどうかまったく現実の現象を受け止めていない馬鹿な人の発言と解しましょう。だって、亡くなられた彼女の夫は因果関係で我々かつてのオウム真理教の関係者が彼女の死を招いた元兇であると、少なくとも公の場で語っていません。これはとりもなおさず松本智津夫とその関係団体関係者を非難する選択肢を放棄されている偉大な夫である証明でしょう。そんな夫にただただ頭が下がる思いです。単に旧団体を信奉した者であっても反省は当然しなければならないことであるのは間違いないこことでしょう。しかし彼女の命は戻ってくることはあり得ません。ならば我々は何をなさなければならないか?それはすべての生き残っている私達ひとりひとりが真剣に考えて矯正すべきことだと、少なくとも事件関与全くしていない私は思います。
取り急ぎ
私もあれからニュースで見ました。これに対して私も書きたいことはありますが、ちょっともう時間がないので改めてまた機会があったら書かせていただきます。
簡単な感謝の言葉ですませてしまってすみません。取り急ぎお礼申し上げます。本当にありがとうございました。
罪の意識
>困ったものですね、、
当事者ではないから分からないということもあります。
ましてや、在家信者や元在家信者が「謝罪する」というのも変ですし。
それにしても、当の河野さんの奥様は在家も含めオウム信者全員に謝罪して貰いたいと思っているんでしょうか?
おそらくはそうは思っていないと思いますね。
それよりも、ソンシへの帰依を無くして欲しいとは思っているかもしれません。
ひとりでも彼について行く人が居なくなるようにね。
わたしも未来世においてソンシに出会うこともなく、
弟子になることも無いようにしたいと思います。
と、わたしは「謝罪」の代わりに書いておきます。
慈愛で返す
オウム真理教教祖の言葉です。
>ヨッシーさんへ、これだけでは何があなたを苦しめて、あなたにとって上祐さんがどういう
>点で間違っている(どうにかということは、現在何か問題があるってことですよね)と感じる
>のか、何を改めてほしいのかわからないと思いますよ。ある程度具体的にかかないと、も
>しご本人が見たとしてもわからないですよね。
野田&杉浦弟はわかってますけどね?
高橋いずみ師補の「煮るなり焼くなり好きにしてください」という約束を上祐は代表として果たさないといけません。
解散要求したら宗教家を続けると宣言したので焼身供養を要求したら逆切れし開き直りました。
上祐への要求
・バーラド師補、高橋いずみ師補、石原知美の首(=除籍)を持ってくる
・ひかりの輪、アーレフの解散か焼身供養
宗教家の上祐
宗教としてダメだから言ってるのもありますよ。
上祐はオウムの大乗のヨーガの成就者である正大師を自ら否定しましたが、すると今のひかりの輪代表の上祐はどんな宗教的霊的能力をお持ちなのでしょうか?
それとも何の宗教的霊的能力もないただのオッサンがひかりの輪代表をやっているのでしょうか?
お答え下さい。
ヨッシーさまへ
>上祐への要求
・バーラド師補、高橋いずみ師補、石原知美の首(=除籍)を持ってくる
・ひかりの輪、アーレフの解散か焼身供養
上祐代表はすでにアレフの代表ではなく、ひかりの輪の代表でございます。
ですからアレフの出家者である バーラド師補、高橋いずみ師補、石原知美3名をアレフから除籍する権限はございません。
ひかりの輪、アレフは解散せずとも徐々に衰退して自然解体されるのでご心配なきようお願いいたします。
上祐代表も人間ですからいつか必ず死にます。死んだら身体は焼身供養されて骨だけになりますのでそれまでお待ちください。
ヨッシーさまのご要望はこのように時間が立てばかなうものでございます。
大変ご迷惑をおかけしますが、時間が解決するまでお待ちくださいませ。
ヨッシーさまへ
それとも何の宗教的霊的能力もないただのオッサンがひかりの輪代表をやっているので しょうか?
お答え下さい。
上祐代表にとってオウム時代に松本氏から与えられた大乗のヨーガの成就者という地位・名称は単なる肩書きでございます。
上祐代表は自らを「仏陀の智慧と慈悲を表す光を感じることができる存在」「コーザルのエンパワーメントができる存在」と宣言しております。
上祐代表の圧倒的な宗教的霊的能力の詳細はこちらをご覧下さればよくご理解していただけると思います。
≪弥勒金剛法具エンパワーメント体験談≫
http://sendai.hikarinowa.net/03/0015.html
ヨッシーさんもぜひひかりの輪に入会なさりご修行なさってください。
そして上祐代表から弥勒金剛法具エンパワーメントを受けて、上祐代表の圧倒的な宗教的霊的能力を体験してくださいませ。
怒りの感情は、なんも良い結果を産まないと思います。
ネットでも同じだと思います。
怒りを押し殺して詫び、自分から相手の言い分に歩み寄る。
すると、そこで相手もおさまり、
雰囲気が変わるケースが多いと思います、、
今回の記事のような対処が身に付けば、
たぶん年間の殺人事件の多くが、
事前に起こらずに済むんだろうなと。 (まあ通り魔とかは別ですが、、
それだけの効果あると思います。ぜひ実践したいです。