無駄遣い − 大村記事2
この度、私大村は、ちょっと実家に教団を出た経緯などの説明もあって里帰りしてきました。そのときに教団が私の親に私を引き取れといってきたときの詳しい様子を聞いて、コントというか、むっちゃくちゃ笑える話を聞いたので以下に紹介します。しかし、本人としては内心忸怩たる思いもしてムカツクところもあり、笑えないけど、笑い飛ばすしかないっていう話です。
パールヴァティの師が私へ還俗命令をだして、それに対して私が不服従と言って徹底決戦を宣言したときのことです。私に内緒にして裏で、私の親のところにシャンバラとパールヴァティの師が4人も押しかけたということは以前書いたので覚えている方も多いと思います。まあ私がブログへの現状の暴露に至った大きな要因となった件です。
で、その4人はですね、まず親に実家に行く前日に「お話がある」と電話で言って、のこのこ奈良まで出かけました。私の地元は奈良で、「近鉄学園前」という駅からバスにのっていきます。しかし、この出家していた13年くらいの間にかなり発展していまして、昔なかった「学研学園前駅」という駅もできて、彼らはその新しい駅の方から行ったようです。(私も行ったことがなかった。今回里帰りで初めて行った。そこで親が「あの方たちはここで待っていはったんよ」とただの世間話でそのときの様子を語ってくれました。別に私に文句を言うってわけでなく、彼らに悪意もなく、本当にごく自然にね。)
で、師たちは車でなく電車で奈良まで、行ったようでした。今はガソリンも高値だが当時は車で行った方が安いはずです。なのに、まあ電車で行ったようです。その経費はどこから出たのかな?4人も。1日で行き帰りして、話までしたとなると当然新幹線だろうしね。経費ないっていってサマナには無理な節約をさせて必要な経費も認めずにですね。そんな無駄使いしているわけ。でもこっからもっとすごいよ。
で、そこから親の家にまた電話して「どこか外でお会いしましょうか、それともご自宅で・・・」と言ったそうで、両親は「じっくり話をするなら自宅で」と言って自宅での話し合いを望んだそうです。しかしですね。師たちは何と私を捨てに行くのに私の自宅まで地図などで調べて、自分らでいきゃいいのに、高齢者の母親に迎えにこさせたそうです。私の母親は人がいいことにのこのこと駅まで出迎えに行ったそう。もう高齢者で年寄りなのに。無理さすな!!自分らで調べていかんかい!!とまずここで1回目ムカっと。
それで母が駅に迎えにいくと4人はまだ来てなくて、母親は4人への茶菓子を高価でおししいものをと選んで買い物をしてからまた駅へ、すると4人の男女がいたので、母は、まさか「オウムの方」とは言えないから、気を使って「東京から来てくださった方々ですか?」と聞いたら「そうです」と言ったそうで、そこで母は「一回早めに来たのですがいらっしゃらなかったので、時間をつぶしてまた来ました。お待たせしてすみません」と言うと、4人は「いえそこの料理店街で食事してました」と言ったそう。
その経費はどこから?お供物もっていけよ。サマナには経費ないから、外食するなと言って、経費どころか、お供物もっていけとか弁当作っていけって言ってるのによ!とそこで2回目のムカッ!!
で、そこから母がバス亭まで案内しながら自宅へ、で師たちは「実は娘さんを引き取っていただけないでしょうか・・・」と話し出したそう。あー、一応お土産持参したらしい。その経費はどこから?
で、その理由として私がいかにひどいことをしているかという話を延々したらしいが、自宅で父と母と兄がいて、それを聞いたのですが、ある程度要所、要所で質問はしましたが、それ以外は家族そろって一言も文句を言わず黙って反論などせず、冷静に聞いたそうで、父は「それは娘が悪いですな」と実直に謝罪もしたそうです。
それで家族は「こちらは娘を引き取るのは構いませんがそちらの都合でまた、教団へ行ったりとかそういうことになるのはもうこちらも嫌なので、引き取る条件として、これから一切内の娘をそちらの教団と縁を切らせて、信徒とか、その後の勧誘など、そういうものもなしにしてください。」と言ったら、4人の師は「それはもちろん。もうそうします」とこれ幸いちゅうか、望むところと言わんばかりに身を乗り出して承諾したそう。快諾と言っていい。そこまで私を追い出したいちゅうことね。
どこが私への引き上げなんだよ。そこには私をどうにかして放り出したいっていう気持ちしかないじゃない!親に渡して厄介払いしたいっていう気持ちだけね。完全他のサマナに言ってること違ってるだろう!どっこも私への導きとか引き上げなんて心ないじゃない。
で、そこでまぬけなことに4人の師はですね。何と「で、私たちでは娘さんを説得できないので、是非親御さんたちで娘さんを説得してください」って言ったそう。
これどう思う?情けないったらありゃしない。あんたら師が4人雁首並べて、ちゅうか、合同会議のメンバーが師40人くらいいて、私一人の説得を最初からあきらめて、凡夫の私の親に頼っている状態。それ聞いて私は脱力した。あんたら悪い意味でプライドない!!信じられない。もう笑ったよ。あんたら信徒にサマナにも法則をえらそうに説く資格ないよ、それ!もうその時点で・・。あまりのことにあきれかえった。
そこで私の両親はすかさず、そこだけはきっぱりと「元々、あなた方の教えでは親との縁を切り、親の言うことなど聞かずに出家しろって教えじゃないんですか?親の言うことそこで聞くような娘だったら親の反対押し切って出家しませんよね。で、私たちのお金を娘に言って、だまして100万円布施といってとりあげて、娘が帰りたいと言ったときも強引に奪い取っておいて、今になって説得してくれって言うのはおかしいですよね。それはあなた方の仕事、役目でしょう。こちらは引き取るのはいいけども、うちの娘の心と体を壊して病気にしておいて、使い物にならなくなったら、厄介払いのように、引き取れって言って、せめて説得くらいはそちらでしてください。それは筋が違いますよね。そちらはそういう教えの宗教なんですか?お宅らの教団は?とにかく説得はそちらがしてください。せめて親に引き取らせるのなら、それくらいはして娘を説得して返してください・・・」等々を言ったそう。
そこで4人の師は一言も弁解できず、黙ってうつむいてしどろもどろ。とりあえず凡夫の内の親に1本見事にとられて玉砕!すごすごと立ち上がり、のこのこと引き上げて帰ったそう!あんたら何しに東京から師が4人もそろって、奈良くんだりまで、行ってるねん。これって完全無駄遣いだよね。
で、帰り時間がないと言って、またうちの年寄りの母親に別のバス停に送らせて、そこがちょっと歩くところだったようで、そのときに、内の母曰く、気の弱そうな男の人、たぶんP師だと思うがが、背のちっちゃい女の人に(たぶんI師)「靴ずれしたの?足痛いの?なれない靴履いたから・・・」って言ったそうで、そこから親に確認すると、4人の師は何とスーツなど着て正装したきたそうである。
内の両親はわざわざ気を使いはったんでしょうと好意的にとらえているが、私からしたら、そんなんいつもの服でええやろう!スーツとか着ないでも!そこまで金かけて見栄と体裁整えて完全玉砕してるんじゃあ!意味ないよな。これって完全無駄使いである。そのスーツや靴代はどっから出てるんだよ。サマナには仕事着も経費ださないくせに!!そんなところで無駄金使いやがって・・・!!
結核の私が1日ピーマン1個(一週間でたった90円ね)申請して経理に「大村さんなんて退院してこなかったらよかった。(つまり死ねってことね)お金ばかり使って、役にも立たずにみんなが迷惑してるのに!!」って。とても宗教者とは思えない、鬼のようなこと言って申請を拒んだクセに経理はそのスーツや靴代の金は認めたのかよ!!
ほんまあきれて情けないやら何やら、どの面下げて行って帰ってきたんかと思うとコントとしか思えず、笑えるやら腹だたしいやら。もうほんま脱力である。
で、師はその内の親が出した高級なお菓子食ったんかいって聞いたら「ちゃんと召し上がっていきはったよ・・・」私はそこで「何!食った?そんなお菓子なんて出さんと、うんこでも出しとったらええねん。」と言った。
でも、親は「そんなアホなことできますかいな。遠くからわざわざ来てくれてはるのに」って、だから厄介払いに私を・・・押し付けに来てるんだろうよ。説得さえ放棄してよ。
「土産もんなんて捨てたやろうな」と私が言うと。「そんな失礼なことできますかいな。ありがたく頂いたわよ。」と。とほほ・・・むちゃくちゃされてるのに器でっかいな私の親。
教団出る前にP師と後日話す機会があって「なんで上長のI師とK師とでいったらええのに4人も行ったの」って聞いたらP師が「I師とK師が『男性がいるところに女性だけでいけないから』っていったから・・・」??? あのねーうちの両親は野武士か盗賊か!!いるのはパーキンソン病の年老いた父親と兄貴だけだろう。おかんもいるし、一般の家庭に行くのに、男性がいるからって、だったら導きとか信徒の家の訪問も男性は女性の師についていってもらって、女性の師は男性の師についていってもらうのか?いちいち?自信がなかったんだろうよ。本音。しかし、それでもあえなく玉砕!
とりあえず、あまりのことで私はしばらく絶句!口聞けなかったよ。それから猛然と笑いが噴出してきて腹抱えて笑った。腹も立つけど、こんなネタは滅多に聞けない。もうすっごいコント。いやーとにかく金ない。賠償金さえ払えないって言うのに、こんな金はあるのよね。教団から厄介ばらいする人を追い出すのには金に糸目はつけないちゅうか!!
これは完全誰からの指示か???わかるよね。かわいそうになー4人の師も。同情するわ。ということで実態を書かせていただきました。ほんま大丈夫かな?教団は?と思った次第である。
コメント
荷物の比率は変わってないけど
VT正悟師、経理に会費をお布施しなさい
4人で約12万円 サマナの今月の給料は1日で飛んでいきました。 サマナをj下校させるカルマは家族に押しつけたし、これで私の来世も安心。楽しい旅行でした。自分たちは経費としていくらでも使えます。
面白い
私の知ってた教団はもう欠片も無いみたいですね。
そんなに財政が厳しく、
サマナはいつも釘を刺されてるわけですか、、
ピーマン代の申請のくだり、とても面白かった。
お菓子もシッカリ食べて、腹に入れて帰ったんですね。
自分は大村さんのことは全く知りませんが印象を一つ。
タントラでの成就者はいても、タントラのグルは側にいない。
だから大村さんのような人はグルが側にいた時のように振舞ってはいけない。
土台の修行を自覚的にひたすらやるしかない。
それがなされないとするなら、師の方々では(VT様でも?)調御できずということ。
そればかりか本人の悪業になってしまう、というような判断だったのでしょうかね。
わかりませんがそんな印象です。
ああ、功徳積みたいすね。
こんだけ無駄な金つかってるに?
こんだけ常識のない行動を一般人に対してしているのに?
どう甘くみてもこの4人がまともな社会的常識を理解した人にはみえませんけど
宇宙を貫く幸せの法則
ですから、朝から晩までうれしい、楽しい、幸せ、愛している、大好き、ありがとう、ついてる、と言い続けると、この言葉しか言いたくなくなる人生に囲まれてしまいます。
わたしの周りの多くの人がそうなっています。
次から次へとやってくる現象に対して、どんなことがやって来ても、愚痴を言わない。
泣き言を言わない。落ち込まない。それから相手を攻撃しない。非難しない。中傷しない。
それを笑顔で受け止めて、「あー、これがわたしの人生なんだね」って思って、笑顔で生きていくことが今生でのテーマなんです。
人間が「悟る」ためには、実は何十年もの修行は必要ありません。一番短くて「三秒で」「悟る」こともできるのです。
一秒目。過去の全てを受け入れる。今まで自分の身に起きたことは、すべて自分に必要だった、と思うこと。
二秒目。現在の全てを受け入れる。
三秒目。未来の全てを受け入れる。
小林正観著 「宇宙を貫く幸せの法則」より
あの
美味しい商売やねえ。
ひかりの輪よりお知らせ
(2008年08月21日)
8月に行われたお盆セミナーでは、縁起の法や因果の法則など仏教の根本的教えを土台とした特別教本を使用して、上祐代表による解説、さらに教学、論議で教えの理解を深めるといった新しい試みがなされました。会員のみなさんは法則を学ぶ楽しさを体感されたようです。
「ひかりの輪」が目指す21世紀の仏教が体系化されだしています。今後、さらに深く、現代の人々に納得のいく内容にしていくつもりです。
9月の説法会では、進展したさらに詳しくわかりやすい法則が展開されることと思います。みなさん是非、ご参加ください。
9月の説法会予定
6日(土)長野小諸
13日(土)船橋(中継あり)
15日(月)仙台
20日(土)名古屋
21日(日)大阪(中継あり)
27日(土)横浜
28日(日)本部(連絡先:東京支部)(中継あり)
開催時間等、詳しくは各支部へお問い合わせください
きっと天からのお達しと、責任回避と分散の思惑のベクトルの総和が、こういう結果に。
結果を誰がどう責任を持って受け止めるかが曖昧だと、なにか可笑しなことになっても、「そうは言っても、自分のせいじゃないし」で目をそらしてうやむやに。
何かやること決定するなら、当事者で筋を通せるだけの理屈を固めておけばよかったんですよね。これだけ重大な事なら。十分に多角的に検討して「やむなしの決断」となれば心も決まるし返答に窮することもないし行動にも一貫性が出る。
でもまぁ、これだけコストと時間と人を使うくらいなら、大村さんの今後のためと、もっとポジティブなサポートは出来なかったものだろうか?
己鏡を見てみぃ〜!
これは出会い系や偽サークルなどで
色気で男を導く女性サマナ向けに言われていたもの。
トウの立ったおばちゃんには当てはまりません。
大丈夫ですよ
どんな好き者でもあなた方を襲う男性などいません。
自己認識の欠落は時によって対人関係の
トラブルを巻き起こします。
女性サマナ、信徒に蔓延してる勘違い〜
賞味期限もとっくに切れてますし
安心してください。
あなた方が煩悩の対象になることは
ないですから。
集団ストーカーの手口暴露
カルト犯罪ネットワーク被害報告に多いアンカリングの「条件」は、「咳払い」、「携帯電話」、「同じ色の服」、「スモークグラスの車両」、「連番や意味のある数字のナンバープレート」、「冷笑」、「タイミングよく現れる人や車両」、「音(ノイズキャンペーンをご参照ください)」、「眩しい光やしつこい光の演出(ブライティングをご参照ください)」、「緊急車両」、「警察車両」、「マスク」等です。海外では、「ノートパソコン」や「ペン」という報告も多くあります。こういった当たり前に存在する現象が、前記しました方法によって、あなたを脅かす存在になりうるのです。条件付けのきっかけとして「脅迫」とも取れる脅しが加わることもあります。「脅迫」とも取れる脅しの後に条件付けが行われた場合、その「条件」に対して「命の危険」を感じさせることも可能なのです。
http://antigangstalking.join-us.jp/AGSAS_Glossary.htm
↑↑↑
4つ上↑↑↑↑
出家したときのままで時間が止まっちゃってるんでしょうね。
大村さんのお気持ちはまぁーわかりますが
もう辞めたのですから、いまさらどうのこうの言うのは
ちょっと大人気ない気もしますよ。
だれにでも、醜いどろどろした面はあるものです。
あなただって、あるでしょう?
また、あなたのような思いをした人をこのブログを
管理している方が、利用している感あります。
管理している方の何らかの意図を感じます。
(批判しているわけではありません。)
愚痴のたれ流しになったこのブログは
もうあんまり面白くないですな。
個人的な欠点などを書くのでしたらあなたが主張されるように問題ですが
団体の隠匿されている問題や実情を公開するなら全く問題ありません
特に幹部といわれる人の実際のアホな行動は今後の組織の行く末を知る大事な情報です
そう思いませんか?
おもしろくないならあなたが読まなければ見なければ良いだけです
このブログ以外に教団の現状を知る手段があるなら教えて下さい
教団の教えでは現象をありのままに見ることが大切とありますよね
ふたつ上↑↑
えっ?
師でしょ?
聖者でしょ?
グルのご意思を忠実に実践してる人たちでしょ?
人智を超えた存在でしょ?
>管理している方の何らかの意図を感じます。 (批判しているわけではありません。) 愚痴のたれ流しになったこのブログは もうあんまり面白くないですな。
まるっきり批判ですがなw
やっぱり傷ついたんじゃないかな・・・
ここまでかける労力やエネルギーを本当は大村さんともっと正面きって話し合うとか、大村さんと向き合う方向にエネルギーを使うほうがよかったのかとも思います。私の個人的な感想ですが。
師方のお気持ちや現場の状況、事情を直接はわかりませんので偉そうには言えませんが、大村さんと正面きって話し合った師の方はいなかったのではないかと推測します。
戸籍名だとプライバシー云々でしょうけど
宗教名なら公開でもいいんと違いますやろか?
まあ大体は予想できますが はっきりした
ほうがいいのでは?
こんな連中が人の心を扱う仕事をしているなんて笑止千万。
ホーリーネーム誰だか分かるよ。
彼女らの写真を100人の一般人に見せれば99人以上も同じように言います
I師やK師は最近、鏡を見たことがないのでしょうか?
それとも教団内の基準で考えると襲われる可能性が容姿なのでしょうかね
襲ってくれる人がいたらお金をあげて感謝すべきです
仮に、10万に一人、いや100万人に一人ぐらいの物好きな人に襲われそうになったら、
テロ集団のオウム真理教の流れをくむ組織の幹部といえば絶対に襲われることはありません
何しろアメリカ政府認定のテロ組織ですからね
やくざより怖い集団です
自分たちが救済者といくら言っても
世間ではテロ組織集団としてしか認識されていないことを理解しているのですか
とにかく、自分たちを容姿を含めて、過大評価しすぎです
早く自分たちがおかれている現状を正確に認識して下さいね
いつまでも幻影や夢物語を追い求めずに
集団ストーカーの手口暴露
コリジョンキャンペーン
コリジョンとは「衝突」という意味です。標的となる人物(ターゲット)の行動を邪魔する行為の総称です。ターゲットが移動する際に、人、自転車、バイク、車で行く手を遮ったり、ターゲットとすれすれの位置を通り過ぎて前に出て止まってみたり、お店のレジ、駅の改札、販売機等に並ぶ際にターゲットの前に割り込む、といった行為が挙げられます。数人(数台)で道幅いっぱいに広がりながらゆっくり移動して、ターゲットがよけなければならない状況を作り出すこともあります。歩行時、運転時、他の交通機関の利用時を問わず行われます。加担者の冷笑が加えられることもあります。実際に「ぶつかる」事は少ないのですが、接触しても不自然ではない場面、例えば満員電車などでは、明らかに不自然にターゲットの荷物を蹴飛ばしたり、寄りかかったり、バッグの角を押し付けたり、ターゲットの乗った車両に人が殺到するなどします。しかし彼らは「なにもおかしいことをしていない」という演技を貫き通すため、ターゲットにぶつかった時には「すみません。」と謝ることもあります。また、故意にやっていることをわからせるような白々しい謝り方をすることもあります。こういった行為は、実際の映像として記録できます。
ひとつひとつの行為は日常生活で起こりうる「邪魔」ですが、ありえないのはその「頻度」です。外出時にはほぼ必ず行われるので、この嫌がらせだけが単独で行われたとしても、「最近マナーの悪い人が突然増えたな。」と思うでしょう。
http://antigangstalking.join-us.jp/AGSAS_Glossary.htm
完全無欠を求めてどうすんのよ
むしろ、批判は都合よく仮想の無謬の存在に全責任を押しつけて他人事のように無関係を装うことになってしまいがちです。そうなると元の黙阿弥。振り出しに戻るです。
少なくとも現役の者にとっては、山ほど失敗しながらでもなすべきことをなそうとしていれば、いちいち個人批判する動機も起きないはず。
まだやってるんですね
オウムには10年いて、何年か前に辞めましたが、このようなことはずっとありましたよ。
今思うと、ホント、馬鹿でしたわ。一生懸命、自分の理想(心の中の真理)を上司におしつけて、理想と現実の大きなギャップに、批判の心を増大させて過ごした10年でしたね。でも、師にしてもセイゴシにしても別に理想の成就者じゃなくて、精神的にやんでる人たちですから、客観的にみるとおかしなことばかりで、あたりまえですもん。
そういうことがわからずに、一生懸命彼らに絡んで、怒りの心をかかえながら、私は心の修行をしている修行者だと思い込んだり、、、そういう心の修習を10年も20年も続けたら、どうなることでしょう。
いまは、社会の中で、日々の仕事に取り組み、社会を回すために、お客さまのことを考えて、いいものを提供しようと頑張っています。よほど、今の方が健全です。今はすっかりオウムの観念も抜けて、現実社会での居場所もつくって、社会の一員として暮らせていますが、脱会してからの最初の2年はたいへんでしたな。自分自身の観念や記憶を壊して、いきなおすってのが。
大村さんのことは、CMPのころから見ていましたが、私からすると、どこにいっても自分のやりたい放題やって何を怒ってるんだろう?という感じです。出家するんなら、酒飲むなよ、、、もっと、型に自分をはめ込んで自分自身を叩きなおせよ、と、よく思っていました。オウムの連中も馬鹿だから、そういう大村さんを、彼女はグルの意思が実は良くわかってる女性だとか、無理に称賛したり。わたしも、大村さんのことを称賛したことがありました。今思うと、無理に、用語を並べた感じでね。シャン・パールにいた師も、何年も頑張って大村さんのことをフォローしていたと思いますよ。はっきりいって、大村さんはたいへんな人だったですもん。でも、私自身、シャン・パールの師は、もっともくず人間の部類たちだと思います。とくにアヌ師は昔から小ざかしい人でイヤでしたな。そんなやつらにあいかわらず意識を向けて吠えてないで、大村さん自身、謙虚に社会人として生き直したほうがいいと思いますよ。いい年こいて、何を吠えてるんだか。上の記事など序の口。大村さんが寝泊りしていたその屋根の下で、アヌ師が女性サマナとセックスしていたのはご存知ですか? 八潮の道場の師部屋にアダルトビデオが置いてあったこともありました。これは、パヴィ師のことですが、野田さんもご存知でしょう。おかしなことでしょう? 性欲バリバリの師も、サマナの前では性欲が昇華されてるというようなことを言っていました。
私も、師や野田さんほかセイゴシに言いたいことはゴマンとあったけど、脱会して3年以上経つとすっかりオウムからも抜け出せた感じです。今の私にとってのオウムは、やはり、私自身精神的に病気だったんだなと。オウムが悪いのは確かだと思っていますが、その一員としてごちゃごちゃと動いたのは、私自身、病気だったからだなと思っています。何から何までおかしかったですからね。
オウムの中で正しいといわれていることは、別にオウムでなくても、言われていました。
正しいものをタテに、精神的に病む人たちを飲み込んでいく社会のブラックホールのような存在だったと思います。
オウムにしても光の輪にしても、ブラックホール的なところが良くないと思います。人を、社会の中でちゃんと生きられるようにしてくれるなら、いい宗教だと思うんですがね。
結局わたしは10年間一生懸命修習したオウムをイッサイガッサイ捨てることで、社会復帰ができました。
いま、精神的に病む人が増えていますが、将来はそういう人たちが社会の中でしっかり生きていけるための支援をしていこうと思っています。いまは、オウムに対しては害心はもうありません。オウム以外にも、いろんなブラックホールに落ちていく人たちがいる社会ですからね。なんとかしたいです。
いや、今のオウムは一つの点では、ましでした。それは麻原逮捕以降のオウムでは仲間を絶対に殺さないことです。他の団体などではこれほどまでに深い病気の人たちはけっこう、お互いに殺しあいますからね。また、薬物を使用したり、乱交パーティのようなものもありませんでした。管理層でもあれだけ性欲が旺盛なのに。
(もちろん、麻原がいたころは別です)
この4人の当事者たちからも事情や言い分を聞いてからでないと判断できないと思う。
言いたいことは、Oさんのこの記事だけで客観的に「無駄だ」と判断しづらい
ということです。
このブログいつもそうなんだよね。被害にあった人の言い分しか載せない。
人の悪口や愚痴をこのブログを通して垂れ流す基盤をこうして
用意してしまった管理者の方もあまり良い因を積んでいない気がする。
(いろいろお考えがあると思いますし、廃止したほうが良いと
言っているわけではありません。)
他人のドロドロした部分やかわいい悪事を暴露する場が必要という考えも
あると思うが、それももう少し突っ込んで考えていくと、どうかなと思う。
ちなみに私はA派工作員ではありません。
ただの一般市民です。
ソースを出して下さいまし
セックスしてたという根拠はいかに。
単なる又聞きの又聞きとかですか?
それとも自分でコトを目撃したとか。
実名出して自分で確認してないことを
ここに書くのはまずいんじゃないでしょうか。
あの施設でセックスは無理でしょう。
信憑性は別として相手が誰かは気になるところです。
をするんですなあ(笑)
それが有名なやつね
>という根拠はいかに。 単なる又聞きの又聞きとかです
>か?
私は、上出の元サさんではないが、これがいわゆる有名な、アヌ師の懺悔文ってやつじゃないですか?J氏が押収されたパソコンOR紙データで、一番性欲に関して最悪だった(らしい)その懺悔文は紙ベースにして、サおよび元サ、会員の一部に回覧されていたのですが、そこに記載されていたんですよ。
>をするんですなあ(笑)
その割には、キャンディちゃんは噛み付いてきませんね。
その排他的な考え方って、立場こそ違えど、
A派と何も変わりがないように見えてしまうのですが。
それから、ここからは本題に関わることですが、
今までは苛めていた立場の人が、ある時を境にして、
一転して苛められる立場へとなり、
逆に、苛められていた人が、ある時を境にして、苛める立場の人となる。
これは、現世でもよく言われている、苛めの構図ですが、
これって、今回のこの話にも、ピッタリ当てはまるように
ただの通りすがりの私には感じてしまいます。
私は決して、A派の師と呼ばれている人たちが
聖者などとは露ほども思ってはいませんが、
その人達の惨めな悪行を、こういう公の場でさらすこと自体が、
すでにOさんやVTさん達が苛める側の立場の人に
成り下がっているように感じてならないのですが。
私も、このブログを廃止した方がいいとまでは思いませんが、
もう少し、方向性を真剣に考えて欲しいと切望しています。
あるいは、こういうことを公に知らしめる意味を
もっとハッキリさせるとかして欲しいですね。
まあ、人にこんな要求をするよりも、イヤなら私自身が、
もう二度と、ここに来なければいいだけなんですけども。
ちなみに私は、もう何年も前に教団から去った元サです。
教団叩き?
>聖者などとは露ほども思ってはいませんが、
わたしは脱会後、何年かは彼らを聖者だと思っていました。
でも、いろいろ、ありましたね、スキャンダルが。
ヤソーダラー正大師、アーちゃん(=ウマー・パールヴァティー・アーチャリー正大師)、
チッタカ正悟師、アキラ、荒木広報部長、・・・・・。
>その人達の惨めな悪行を、こういう公の場でさらすこと自体が、
>すでにOさんやVTさん達が苛める側の立場の人に
>成り下がっているように感じてならないのですが。
というか、A派はネットでオウム系の掲示板やブログコメント欄に、
書き込みとか禁止令?を出しているので、
いくらここや2ちゃんで教団批判をしようとも、効果がないんです。
わたしは、
沙門果経にでてくるアジャータサットゥ王が六師外道に対して取った態度を見習い、
教団に対し出来るだけ「批判もせず」「賞賛もせず」を心がけております。
でも、大村さんの受けた仕打ちをここで晒すことはA派を苛めているのではなく、
A派の悪行を知らしめる意味で意義があるかと思いますね。
A派も「イヤ違う!」と反論があるならば、ここに書けばいいと思いますね。
でも、書いたとしても、考え方が違うので、全然かみ合わないでしょうけど。
「凡夫のエネルギーで汚れたから、スキャンダルが起きた」
「大村さんは松本家に敬意を払っていない」
「VT正悟師や上祐氏は大魔境だ!」
と書くぐらいが関の山か。
管理人のみ閲覧できます
大変ですね(笑)
荒らしちゃったかな
修行の超天才で、颯爽と修行を「卒業」した人より、失敗の山を築いても、両足が折れても這ってでも前へ進もうとしてる人が私にとっての先生です。
自分自身、失敗を山ほどしないと成長しない性分なので、失敗は成功への抜け道くらいに割り切らないとやってけません。失敗のほうが、まぐれの成功より栄養になってる。
自分自身のレベルがこんなんだから、他の人の人格否定は自分のことをこき下ろしてるようでむなしくなります。
深い傷、痛み
笑い飛ばせていないどころか、こんだけわたしは傷ついたのよ〜という、彼女の怒り、涙、心の叫びに感じました。
大村さん、大丈夫ですか?と思った。
フリーライターになったムッタデーヴァも結核で入院したもんね。
すべての施設と人員を消毒したほうがいいよ。
(比喩的表現ではない)
無題
この4人の当事者たちからも事情や言い分を聞いてからでないと判断できないと思う。
この4人たちも含めてA派は完全このブログは無視だから何も言わないと思う。見てもいないだろうし、私は逆の意見として大村さん事実はそうでないよというなら、そういう意見はむしろ聞きたいし、平等にみんなにも状況が伝わるので、私は大いにそういうコメントは歓迎したいです。
上記の文章はあくまでも私が聞いて私が思ったことなので完全私側で書いてるのは当たり前です。
でも、無視でしょう。それはまあ修行に集中しているというならそれはそれでわかりますけど、完全無視するしかないと思いますよ。逆に反対の意見をこのブログで彼らが書いたとしてもあきらかに違うということ以外は私はそれに揚げ足をとる気はないです。
でも無視というスタンスをとっているのなら彼らにとってこの私の原稿は相手にする必要なしっていう考えですよね。それはそれで彼らの意見表明ではないのかな?屁とも思っていないし、ごまめの歯軋り程度のことなんでしょう。
まあごまめの歯軋りでもいいのですよ私は。
●言いたいことは、Oさんのこの記事だけで客観的に「無駄だ」と判断しづらい ということです。 このブログいつもそうなんだよね。被害にあった人の言い分しか載せない。
彼らがVT正悟師に意見を掲載してと言って、正悟師に原稿を送ったら掲載すると思いますよ。でも、送らないでしょう。
VT正悟師を信用できないというなら、「VTブログへの反論」という自分たちのブログのコーナーを作って反論してもいいと思います。でも、それは無意味だと思っているんだと思いますよ。だから完全無視というスタンスをとっている。だからやはり教団批判側の意見ばかり掲載されるという状況に必然的になっていると思います。
でも中間的な意見も多いのではないかと思いますがね。二拍子さんなんてかなり冷静に法則にできるかぎりのっとって書いてらっしゃいますよね。他にもそういう人はいっぱいいると思いますが。ただインパクトとして教団批判の意見は大きいのでそちらが多いという印象として見えるのではないかな?
●荒らしちゃったかな?ごめんなさい。
二拍子さんは荒らしたりしていないと思いますよ。かなりニュートラルに意見を書いていると思っています。
●少しでも、客観的な意見を言うと、教団擁護ということになるのですか?
みんながそう思っているわけではありません。そう思う人が書いているのでしょうが。私は客観的意見は必要だと思うし、それで=教団庇護とは思いません。
ただ、客観的と本人が思っていても文章からは教団庇護と思える。感じ取れる部分があるからそう受けとられるのではないかと思います。
しかし私は教団庇護の意見があってもいいと思っています。そこでお互いの考えを話し合えばいいことだと思います。むしろそうなった方が私も自分の間違っているところなど正せますよね。だから必要だと思いますよ。
いろんな意見があっていいと思います。いろんな立場の人がいろんな角度から意見をいって、全体が見えてくるのでしょうから。
●笑い飛ばせていないどころか、こんだけわたしは傷ついたのよ〜という、彼女の怒り、涙、心の叫びに感じました。
大村さん、大丈夫ですか?と思った。
ご心配ありがとうございます。まとめてコメントしますと。
いろんな人の大人気ないとか止めたのに意見を言うのは見苦しいという意見はもっともなところはあります。事実大人気ないです。開き直っているようですが私は大人気ないでも今の自分がそうならそれは今は仕方ないと思っています。
大人ぶってクールを装ってもしょせん無理があるので、大人気ないで結構です。まあ大人になっていかなければならないとは思っていますが、いきなりそんな風になれないしね。
止めたのに意見をいうのは見苦しいももっとも、人間って見苦しいものだと思っています。そこを成長されているかたは立派だと思いますがね。そういう立派な方は多いです。
でもね私も止めてからまだ(もうとも言えるが)4ヶ月。約13年以上いたのですからそんなに早くは割り切れません。できる人はいるのでしょうが私にはできません。
大村さん大丈夫かと言われれば。そこは今後の自分がどうなっていくかは見えてないです。表層ではあまりないのですがね。潜在意識ではやっぱりものすのごく執着とかドロドロしたものがあって、驚くほどです。自分でも目をそむけたいくらい。夢で出てくるのですね。
それは大きな悲しみですね。それもずいぶんなくなってきました。時間はかかるでしょうが、少しずつそれも治まっていくのかな?と思っています。
●すでにOさんやVTさん達が苛める側の立場の人に 成り下がっているように感じてならないのですが。
うーん。いじめてるつもりはないですが、あまりにも実態があきらかにされていないので事実を公表している。それを読んでどう思うかまでは私は強制していないつもりですが、でもこれは一考する必要はありますね。仕返しやいじめになっていないか?でもいじめって強い立場の人が弱いものを攻撃することですよね。
教団は私にとって脅威で1元サマナの私は弱い立場で(弱者を強調して同情してくれってのでなくね。)自分の名前も公表してリスクも受ける覚悟で書いているので、いじめというのはどうかな?まあちょっと今回の意見は揶揄している部分と誰かと特定できる部分があって、それが攻撃になっていじめとうつるところもありますよね。そこはじっくり検討する必要ありと思います。
雷雨さんの意見はかなり私のことも心配して書いてくれているのを感じますので反論としても大切だと思いました。
ただ管理者の利用ってところに管理者への偏見があるように思います。(あくまでも私が感じることね)私の文章は彼が書けと強制したわけでなく、あくまでも自分の意見を書いて載せてほしいと私が希望しましたから。
集団ストーカーの手口暴露
標的となる人物(ターゲット)が通行するタイミングでさまざまな演技を行い、ターゲットの注意を引き、ターゲットのことをからかっているのだという意識を与える行為です。例えば、あなたの目の前で「怒鳴り合い」が始まる、いきなり大声を出す、自転車同士がぶつかる、酔っ払いが大勢現れる、暴力団風の集団が現れる等です。被害者の方であれば心当たりがあると思います。国内外を問わず、「カルト犯罪ネットワーク」被害者のほとんどが目撃すると言われる頻繁な「緊急車両」の登場、警察官や警備員の登場も、ある意味「ストリートシアター」と言えるでしょう。撮影するタイミングは難しいですが、実際の映像として記録できます。
ただ身近に現れて邪魔をするだけの行為は 付回し や モビング と呼ばれます。
http://antigangstalking.join-us.jp/AGSAS_Glossary.htm
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> * | 200808-31 01:39:47 |
VT正悟師
了解しました。
では、彼女の写真は載せないことにします。
題名は、(わたしにだけ優しくしてほしいのに)本文と関係ありません
読み物的におもしろく読んでます。
この記事周辺に正悟師が、敵にどのような心持で対応したらよいかそれとなくほのめかしの記事をのせていらっしゃって考えさせられます。
万事は塞翁が馬がごとしと申します。
昨日の敵は明日のよき理解者であるかもしれません。
なんだか、わくわくします。
悪人正機
悪人正機ということもあるけど、「あーこりゃハズしてるなぁ」と思えても、相手が「よかれ」と思ってやっていることは尊重すべきかと思っています。
VT正悟師が今まで存分に「これではいかんよ」と発言しても無視されるならもう、しょうがないと思います。
無視して突っ走って結果として望まぬ結果が返ってきて打ちのめされても、そこから本当に修行が始まることにもつながります。
「善人ですら救われる。ましていわんや悪人をや」っていうのは有名ですね。
悪人正機というのは、絶対他力の観点から語られることも多いですが、自力、他力関係なく一定の真実があるように思います。個々人の白さ、黒さの比較とは関係なく、黒い部分をなんとかしようとする動機が修行の原動力になっている気がします。そういう動機が自己の内面にもたらされることそのものが結果的に絶対他力とも言えるわけですし。
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すぐ裁判沙汰にして取れるだけ金取ってやろうとするんだろうけど。
それよりも、自分の持ち分以外の重荷は少しでも抱えたくないという雰囲気が強くて、教団内のタスク分担に支障が出ているのが現実です。一人分の重荷を十人で分担という場合でももめる。
自分の中の「グル」のような存在(実はエゴだったりするかも)にのみ目を向けて、サンガ全体(これも三つの宝の一つじゃないのかな)の中で自分自身はどう処したらいいかという視点、動機はほとんどなかったりします。
なんとなく組織のように人が集まってはいるが、各々別個の「ぐる」「そんし」という名前の何かに心を向けているような状態だから、実は心は各々ばらばらで壁がある。組織として整合がとれない原因はここにあると見ています。
もうひとつ。
権威をもって判断を下す存在が現場から離れていると、その存在へアクセスを許されている人間によって私物化されるという弊害が出てきます。上へ情報を上げる際は当事者サイドの都合で脚色されて上奏されますし、そこからお上の判断が降りれば、「許可をもらったんだ!私のこれから行なおうとすることは許されているんだ!」とばかりに勢いづいて、間違いが混じっても歯止めがかからなくなります。周りも止められません。
そこでの安全装置は個々の中のダルマと現場の主体性と責任感、組織の透明性だと思われます。