僕は基本的に人の意見や要求を聞かないことにしている。その理由は以下による。
- 理不尽な意見や要求を聞き入れることは多大なストレスとなる
- 納得出来ない意見に従って行動して失敗した場合、自分の判断で行動して失敗した場合よりも後悔が大きい
- 人の要求や意見を受け入れ過ぎると、周囲に「自分の意思のない軟弱者」と思われる。
1は言うまでもないことかもしれないが、これが最も大きな理由だ。
「理不尽な意見や要求」を聞き入れることがストレスになるから、基本的に「人の意見や要求」を聞かない、では少し論理が飛躍していると思われるだろう。
説明を試みる。
まず、他人の意見・要求を論理性の観点から3種類に分類する。
- (ⅰ) 合理的な意見・要求
- (ⅱ) 合理的かどうか判断できない意見・要求
- (ⅲ) 不合理な意見・要求
さらに他人の意見を自分の感情という観点から2つに分類する。
- (a) 好感を持てる意見・要求
- (b) 不快感のある意見・要求
では、どのような意見を聞き入れるのか、またどのような意見を聞き入れないのか、見ていこう
(1)∧(a) 「合理的」かつ「好感が持てる」この意見・要求をはねつける理由はない。
もちろんよろこんで受け入れる。
(2)∧(a) 「合理的かどうか判断できない」かつ「好感が持てる」この意見・要求も受け入れていいんじゃないかな。
好感が持てるものに関しては受け入れてもストレスがかからないからだ。
ただ受け入れた結果、問題が発生する可能性は十分に考慮しておく必要がる。
(3)∧(a) 「不合理」かつ「好感が持てる」
まず、ここに分類される意見がどういうものなのか・・・?
恋人のわがままとか、それくらいじゃないか。
あとは自分の子供や孫のわがままとか。
聞き入れて自分がハッピーなら聞き入れて良い。
ただし、聞き入れ続けると相手が増長する危険もある。
甘やかすのはほどほどに。
(1)∧(b) 「合理的」かつ「不快感がある」この意見の判断が一番難しい。
頭ではわかっていても感情的に納得できない場合だ。
しかし、僕はこの意見も聞き入れないことにしている。
理由は2に挙げているように「納得出来ない意見に従って行動して失敗した場合、自分の判断で行動して失敗した場合よりも後悔が大きい」からである。
2の考え方は僕独特のものかもしれない。
僕は自分のやりたいようにやって失敗した場合はあまり後悔しない。
失敗してもやりきった感があるし、行動する前に自分で仮説を立てているのでそれのどこが間違っていたのか検証するのが楽しみでさえある。
一方、嫌々ながら人の意見に従って行動する、とまず嫌々ながらやるので作業効率が落ちる。
注意力も散漫になりミスが増える。
結果として失敗する可能性が高くなる。
そして、失敗すると「あいつに言われた通りにやったのに失敗した」となって腹が立つ。
もちろん成功すれば問題ないのだが、失敗した場合は自分の考えで行動して失敗した場合よりもはるかにストレスが溜まる。
以上のような理由で僕はこの意見も聞かないことにしている。
ただし、自分に代替案がない場合はこの意見でも聞き入れる。
行動の指針がないよりはあった方がいいからだ。
また、このような意見があった場合、聞き入れないにしても常に頭のどこかにおいておくことが重要である。
理にかなっている(と自分が判断した)意見ならば有益な可能性が高いからだ。
有益な可能性が高いならば最初から従えばいいじゃないか、という意見ももっともだが、僕は現在自分にストレスがかからないことを最優先にしている。
つまり、自分にとって有益な意見を見過ごすことになろうとも、感情的に聞き入れたくない意見は聞かない。
ストレスよりも怖いものはない、と研究室で教えられたからね。
(2)∧(b) 「合理的かどうか判断できない」かつ「不快感がある」ここまで読まれた方なら予想されていると思うが、この意見も聞かない。
上に書いたように僕がストレスを避ける事を最優先にしているからである。
(3)∧(b) 「不合理」かつ「不快感がある」言うまでもないが、こんな意見は聞き入れない。
相手の主張が理にかなっているかどうかを判断するのはなかなか難しい。
僕なんかには判断がつかないことも多い。
しかし、相手が何をどう考えてるのか知ろうとする姿勢は大切だ。
最初は、何を馬鹿なことを言っているんだ、と思っても、話を聞いているうちに納得してしまうことは往々にしてある。
それに僕は合理的意見を好む傾向があるので、論理が通っていれば好感を持つ場合が多い。
だから「合理的」かつ「不快感がある」意見に分類されるような意見は滅多にない。
相手の意見が合理的であれば、大抵話してるうちに納得して話し終わる頃には好感を持っている場合がほとんどだ。
人から意見をもらったときはよくよく質問をして議論を尽くさねばならないと常々思う。
面倒臭くなってやらないことも多いが・・・。
大仰に分類などを交えて説明してきたが、結局のところ自分が嫌だと思った意見・要求は聞き入れない、ということである。
ただのわがままっ子だ。
しかし、自分の身を守るためには仕方がない。
人の意見を聞かないことがどうして身を守ることにつながるのかというと、それは理由3に書いたように『人の要求や意見を受け入れ過ぎると、周囲に「自分の意思のない軟弱者」と思われる』からだ。
サークル、バイト先、研究室。
いずれでも僕はいじめに合い、辞めた。
(もしかすると高校時代のアレもいじめだったのか?)
これだけ再現性よくいじめに合うということは僕自身が根本的な問題を抱えていると考えるのが妥当だ。
で、いろいろ分析した結果、僕が自分の意見をちゃんと主張せず人の言いなりになっていたことが原因ではないかと考えている。
いじめる側からすれば反論もせずただ黙って攻撃を受けてくれる奴は都合がいいんだと思う。
現にサークルでは飲み会でいじめの主犯の先輩に殴りかかったらそれ以降いじめはなくなった。
(そんなこんなでいろいろ事件を起こしたせいでサークルには居づらくなったのだが)
殴りかからなくても済むよう、事前に「軟弱者」というイメージを持たれないようにした方が良いのは言うまでもない。
そこで「基本的に人の意見を聞かない」という戦略が出てくる。
「人の意見を聞かない」から連想されるのは「頑固者」だと思う。
僕は自分の意見を積極的に主張したりしない。
あまり人に自分のことを知ってもらいたいという欲求がないためだと思われる。
(じゃあ、なんでブログにこんなことを書いているのか?という意見は聞こえないふりをする)
そもそも喋るのが得意でもないし、好きでもない。
そういう僕のような人間が自分を主張する機会としては、誰かが自分に意見・要求をしてきた際が最適だと考えた。
今まではそのような際にもめんどくさくて(あるいは人間関係がこじれるのを恐れて)、とりあえず相手の意見に頷いていたりしたのだが、これがよくなかった。
自分を守るためだと思えば、なんとか頑張って自分の意見を主張することもできる。
相手に嫌われてもいい。
嫌われたならそいつとは価値観が合わなかっただけのことである。
そんなこんなで現在「基本的に人の意見を聞かない」ことを基本戦略にしている。
これから出会う人には嫌われようとするぐらいの勢いで臨みたいと思う。
P.S.
この記事を書いていて気づいたのだが、「意見を聞き入れたくなる人」と「意見を聞き入れたくなくなる人」がいるように思う。
どういう人の意見に好感が持てるのか、というテーマで記事が書ける。
が面倒なので書かないかもしれない。
この記事だって4時間かかったし・・・。
第一、長すぎるんだよね。
分割することを検討したほうが良いだろう。
しかし、分割した場合ページャーがないと見づらいし・・・。
やっぱりワードプレスに引越しか・・・。
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