「上杉さん、信じましょう。本気で記者クラブのシステムを変えて民主主義を実現させるならば、そして絶対に途中で投げ出さないのならば、私が連帯保証人になります」
その2ヵ月後、3.11が発生、筆者は東京電力本店の会見に通いだすことになる。そこで、再び日隅さんと遭遇することになったのだ。
「そろそろ、始まりそうですよ」
震災直後、自由報道協会代表として、政府や官邸との交渉や申し入れに忙殺されていた筆者の携帯電話を鳴らして、東電会見の開始を知らせてくれたのは日隅さんだった。
最初、日隅さんに紹介された木野龍逸さんを加えた私たち3人は、不思議な連帯感に包まれていた。
会見中、フリーランスには座る席が用意されていない。一方で大手メディアの記者たちには「別室」まで用意されている。だから、私たちはファックスの前の窮屈な席を3人で替わる替わる使うことになったのだ。
3月中、日隅さんは弁護士業と両立させながら、筆者はラジオやテレビなどのメディア出演の合間にそれぞれ会見に通っていた。
また、木野さんは、文字通り24時間体制での東電会見「監視役」となり、その後、日隅さんとともに政府・東電の欺瞞を暴く、なくてはならない存在となっていく。
思い出すのは4月4日のことだ。その頃になると記者の数も多くなり、ギリギリにやってくる日隅さんの居場所はいつもドア近くのホワイトボード脇のスペース、そこに立ちながらの質問となっていた。
「あなたたちを責めているんではないんですよ。ぼくだって権限のないあなたたちを責めたくはない。だけど、これはですね、主権者である国民の代わりに聞かなくてはならないことなんです」