応援者がいなくなっても、それを続けたいか?

2012/06/15
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昨日は「日本の宇宙開発」に熱い問題意識を抱く19歳の学生、石亀さんとお話ししてきました。1.5時間、ひたすら宇宙について語りまくる彼の情熱はハンパないです。僕も毎日たくさんの人に会いますが、ここまでノンストップで自分のプロジェクトについて語れる人は滅多にいません。


応援がなくなった時、それでもやり続けたいか

Ihayatoblog 2012 06 15 10 08 18

photo credit: Monica’s Dad via photo pin cc

詳細は伏せさせて頂きますが、そんな石亀さんを子どものときから応援してくれていた人が、ある時応援をやめてしまったそうです。

応援を失い、その時石亀さんは、逆説的に自分の情熱に気付いたと語ります。どうしても諦めきれなく、「宇宙への情熱がDNAに刷り込まれてしまっている」ことに気付いてしまったそうです。すごい笑


このプロセスってとても興味深いと思います。僕たちは自分のやりたいこと(仕事でも趣味でも)をやっている時に、実はそれを続ける理由は、「応援されているから」だったりもします。

例えば僕はこうして文章を書いていますが、それは応援してくれる方々へ報いたいからでもあります。それ自体はごく健全な欲求だと思いますが、「じゃあ応援されなくなったら文章を書くの辞めるの?」という問いが浮かんできます。

経験していないので分かりませんが、僕の答えは、恐らく「ノー」です。僕にとって書くことは情熱的な行為でもあり、消えない火のようなものだと、自分では信じています。


ゴッホの絵がほとんど売れなかった、というのは有名な話です。それでもゴッホは、自分の情熱に従って描き続け、素晴らしい作品を残しました。もしゴッホが「応援」で動かされている人間だったら、彼の作品は歴史に残っていないと思います。

応援は情熱という炎にくべる「薪」のようなものなのでしょう。無ければ無いで燃えつづけるのが情熱で、応援されれば一層燃えることもある、という具合です。

もう少し言えば、アスリートはチアリーダーやファンに報いるために、スポーツをしているわけではないと思います。もっと根幹の情熱に従って、体を動かしているのでしょう。


みなさんは今情熱を打ち込んでいることに対して、「応援者を失ったとしても」それを続けたいと思えますか?

究極的には、誰のために、なぜ、その活動を行っているのでしょうか?

自分がブレていないかを確かめる、価値がある問いと思います。僕自身も常に問いただしていきたいと思います。


冒頭で取り上げた石亀さんのプロジェクトについてはまた別の記事にて。「これからの日本の宇宙開発」について語り合うシェアハウス+メディアを企画なさっています。宇宙に関心がある方は石亀さんにご注目を。