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利谷名誉教授によれば、明治時代の旧民法の制定過程では、民法から扶養規定自体を外せとの声もあった。「家族の扶養は道徳によるべきもので法律で定めるべきではない、との考えが根にあった」
その後にできた明治民法では、家族内で扶養を受ける権利の順序をこう定めていた。(1)直系尊属(父母や祖父母)(2)直系卑属(子や孫)(3)配偶者……。「妻や子より親を養え、という規定だ。国民感情や生活実態に合わないとの批判も出たが、儒教道徳には沿っていた」。かつて「父母」は、扶養されるべき立場の筆頭に置かれていたのだ。
戦後、新憲法のもとで民法改正作業が進んだ。「新しい憲法の原則を踏まえつつイエ制度も守る立場」も「イエ制度を完全に廃止して家族関係を近代化する立場」も主張された。様々な勢力の意見を取り入れる形で1947年、新しい民法はその形を整えた。
「当時はまだ、現行の生活保護法も出来ていなかった。高齢者には『誰にも援助してもらえなくなってしまう』との不安が強かったと思う」。家族による扶養を求めた心情の一端を、利谷名誉教授はそう推察する。
2012年現在の家族の状況をどう見ればいいか。社会福祉学が専門の岩田正美日本女子大教授は、「小家族化」への注目を促す。「兄弟が減り、子のいない夫婦も増えた。子どもが家族を扶養できる時代ではなくなってきている」
家業を子が継承することが珍しくなかった時代には、家産を継承する者が老親を扶養することが自然だと見られるような「実態」があった。だが、雇用されて働く人の割合が増え、その実態も変わりつつある、と岩田教授は言う。
自民党は「社会保障に関する基本的考え方」の中で、「家族による『自助』」を大事にする方向を打ち出した。「貧困に社会で対応すべきか、個人で対応させるべきか、その哲学がいま問われている」と、尾藤弁護士は訴えている。(塩倉裕)