鋭い質問を繰り返しながらも、日隅さんは常に一般市民や社会的弱者に寄り添い、そしてまた質問を浴びせる「相手」に対しても優しさを忘れなかった。
5月、その日隅さんが末期がんに冒され、余命6ヵ月だということを自由報道協会のメンバーで、会見に参加し始めたばかりの芸人おしどりマコさん(鳥取大学医学部中退)から聞かされたときは、私は言いようのない重荷を背負ったような軽いショックを受けた。
というのも、筆者はすでに東電会見を離脱し、海産物を中心とする食品の放射能汚染の取材に移っていたのだが、日隅さんの脱落によって、またあのストレスフルで肉体的にもしんどい会見に戻らなくてはならなくなるのかと覚悟したからだ。
ところが、その直後、信じがたい話が耳に入ってきたのだ。
「日隅さん、病院を抜け出して東電会見に来ていますよ」
木野さんやおしどりマコさんからそう聞いて、私はすぐに日隅さんに電話した。
「ここで止めるわけにはいかないんです。ここで止めたら死ぬほど後悔する。いや死んで化けて出るから後悔はしませんが。気にかけてもらってすみません。でも会見には出ます。上杉さんは気にせず、ご自分のやるべきことを続けてください」
実際、治療や療養の合間に日隅さんは日比谷の東電本店にやってきて、時に苦しそうに肩で息をしながら、文字通り命がけの質問を繰り出す。こうして、壮絶な「闘い」が始まったのだ。
12月、日隅さんの体調はすぐれず、東電会見にもあまり出てこないで、たまに出てきても苦しそうで、動けなくなることもあると教えられた。
直後、岩上安身さんのIWJの1周年パーティで日隅さんと話した私は、一つの「お願い」をすることを決意した。