【アーカイブス】豊田線開業の頃
テーマ:駅長早いもので、豊田線が開業してから32年を超える月日が経っている。まだまだ、個人的には「新線」のイメージであるが、名古屋と豊田の動脈としてすっかり定着した今では、そのような気持ちを持って乗っている利用者はないだろう。沿線には、日進や三好ヶ丘に住宅が並び、利用者も増えているが、当初、目論んだ数字のどれくらいに達しているのだろうか?「この路線は、20年もすれば東急田園都市線のようになる」と聞かされていたが、まだまだ沿線には緑が多く、車窓を楽しませてくれるのは喜んで良いのかどうか。
さて、豊田線の開業は、昭和54年7月29日であるが、それに先立ち、試運転は6月10日から始まっている。この日は、まずデキ400形が重連で錆落としとして運行され、続いて6010の2連が2往復、そして805+2313が何往復か走った。6000系と800形は、地下鉄用のATSが付いていないため、赤池の手前で折り返したが、このため一部区間は逆線で運転された。
この時は、なぜかデキ400形の列車の撮影はしていない。情報が入らなかったのだろうか。最初に撮影したのは、赤池の手前で折り返す6000系である。
続いて、800形が運転された。
愛知池を望むベストポイントである。こうして豊田線を走った縁で、この編成が鞍が池に保存されているのは、ご存じの通り。今なら、黒山の鉄ちゃんが訪れるに違いないが、この時はほとんど撮影者の姿はなく、まったり撮影した記憶がある。
この日の写真はこれくらいにして、一気に7月29日の開業日に飛ぶ。
これは開業日の翌日の撮影かと思うが、愛知池をバックに走る祝賀電車。今は木が伸びてしまい、こうした写真は撮れないはずだ。
これは黒笹のホームからの撮影。現在、このバックには三好ヶ丘の住宅地が広がっている。
これは黒笹と三好ヶ丘の間と思うが、違っていたらご指摘頂きたい。いずれにしろ、当時は山の中を走るローカル線の風情であった。
米野木で行き違う市交3000系と100系。駅舎の改築も含めて、このあたりは大きく変貌している。いずれの車両も、更新の噂が囁かれるこの頃である。
翌55年8月には、100系がローレル賞を受賞したことから記念列車が運転された。それを日進で撮影している。はるかに押草団地が写っているだけで、まわりには何もない。
線路脇から撮影すると、こんな感じである。いずれにしろ、このあたりは隔世の感がある。
ところで不思議なのは、開業日の頃に全駅で降りたはずなのだが、駅舎の写真が無いのである。ネガが紛失しているというわけではないので、なぜか自分のカメラで撮影していないようだ。今にして思えば、そうした写真の方が貴重なのだが、車両ばかり狙って駅舎や人の入った写真をあまり撮影していないのは、当時のことゆえやむを得ないとしても、やはり残念である。(駅長)
1 ■豊田線
豊田線の開業日当日は梅坪でセレモニーを撮った後、沿線で走りを撮影していました。この時は山と空き地ばっかりで将来は本当に大丈夫かなという印象でした。その後は、皆様ご承知のとおり、沿線開発も進み、車両も6両化されて本数も増え、名鉄の中でも優良線区のひとつになりました。この頃の面影が残っているとすれば三好ケ丘~浄水くらいではないでしょうか。(電車運転士)