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我れよしで、他に対する思いやりを忘れてしまった魂達

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    少し前だったでしょうか、昔に比べたら世の中が悪くなっているかどうかを聞く調査において、正確な数字は覚えていませんが、70〜80%の人が世の中が悪くなったという答えを書かれたそうです。

    若い方は、昔と比べてと言われても、比較する昔とは何時頃のことか分かり難い調査ではあると思います。

    私は戦後間もなく生まれの者で、今や老人の部類ですが、世の中が悪くなったかと聞かれたら、間違いなく悪くなりましたと言います。物質的には豊かになったのですが、人々の心は完全に荒廃状態に近いのです。それは外形は人の姿をしていても、魂的には毛物化を起こしています。否、毛物化どころか最近は昆虫と思えるような魂を持った人が増えて来ているようです。
    私は田舎の地方都市に住んでいますが、今から20年ほど前ですと、田舎の農家に行くとどの家も鍵など掛かっていませんでした。泥棒が来るなどもなかったからです。だが、今は鍵が掛かっていない家など探しても簡単には見つかりません。危険な世になっているのです。
    以前は通学の子供達から行って来ます。帰って来ましたの声が聞こえましたが、今や大人と喋るなと言われている時代。トホホです。人が信用出来なくなって来ているのです。警察官も教師も不祥事の連続。

    私が子供の時に臨んだ声は、世の立替時が何時かは言われませんでしたが、立替の時は小悪も大悪に泣かされる時と言われました。
    小悪とは、私達が日々犯している様な小さな犯罪です。いくら悪をするなと言われても、この世に生きていると聖人君子で暮らすなど不可能に近いことです。自動車を運転していても、法規通り走っていると迷惑そうに追い抜かれます。が、見通しの良い広い直線道路などでは法規違反でも10キロオーパくらいで走っていると車の流れに乗れます。その方が交通事故に至る確率は低いでしょう。
    自分は法規を守りますと走っていて、それを無理矢理に追い抜いた人が事故ることもママあります。自分は法を守っていると杓子定規にしていることが、必ずしも他の人に対して良いとは言えない時もあるわけです。どうすれば一番いいのか?。常にそれを模索するのが大切なことなのです。
    何が正しくて何が間違っているのか?。時と状況において解らない面があります。宗教の教えとして中道を行けと説かれますが、何が正しくて何が間違っているのかが解らないことが多いからと言えるでしょう。だが、真ん中を行けば大きな間違いには至らないわけです。こうしたことが「道の真ん中を歩け」と言われることです。

    人は全面的に「善」なる者に非ず。全面的に「悪」なる者に非ずなのです。善をしようとして、結果的に悪に成ることもあれば、悪をしようとして善となることもあるのです。善悪は時によって変わります。戦前は米英の鬼畜と言いながら、戦後は何事も米英に見習う。鬼畜が正義となったわけです。

    何が悪くなって来たのか?。それは他の人を思う【思いやり】の心が欠如して来たことなのです。
    思いやりとは何でしょうか?。思いやりは【愛】ではありません。気のつくこと。思慮と言うことです。この人にはこうした方がこの人の為にはなるのではないか。そうした他人に対する思慮なのです。【想像】とも言うのです。未だ先のことを見通して、こうしたらいいのじゃないか。為になるのとじゃないかと他の人のことを思う心のことなのです。
    思いやりは一見すると愛に似ています。しかし、思いやりと愛は似ているけれども別のことだと解るはずです。人を差別しないとは、他の人に対する思いやりです。逆に自分が他の人から差別されたら辛いからです。自分も痛みを知って、他の人を思いやることなのです。分かちの心とは、他の人を思う心から一つのものも平等に分けようとなるのです。
    この思いやりの反対が「我れよし」なのです。自分だけよければそれでよい。今の世はその我れよしだらけになっているわけです。

    今、多くの人が感じている世の中が悪くなったは、人々の心から他の人を思う【思いやりの心】が消えて、皆が我れよしになって来ているからです。
    世の中が悪くなった。それは他人を批判するのではなくて、自分はどうなのだろうと考えることなのです。自分も我れよしななって来ているのではないのだろうかです。昔の様に心豊かに生きられない。そうした実感がこの世が悪くなったと気付かせるのです。

    霊的に言うと、多くの人々が正しく生きている時代はプラスのエネルギーが流れて穏やかな時が過ごせます。しかし、人々が我れよしとなって自己勝手で走っている時代はマイナスのエネルギーが充満します。このマイナスエネルギーが天変地異を引き起こすのです。自業自得が言われますが、個々だけではなくて全体にも自業自得の作用が起きて来るのです。自分だけは正しくても、全体的にエネルギーがマイナス化していると、その影響を受けてしまうのです。

    今や世界中が糞詰まりの世になって来ています。それは世界を動かすリーダー達に【思いやりの心】が無くなっているからでもあるのです。大悪とは、国を動かしている人達の心得違いです。国を動かしているリーダー達の心得違いが大きいと、庶民の小悪など取るに足らないものと言えるのです。
    何も決まらない政治。自分達の保身ばかりの政治家達。世界の経済が破綻に向かっているのが見えていても、破綻に備えた政策さえ考えられていないわけです。難しいことは先送りで決着。これでは物事が何一つ解決しないわけです。
    この日本は東日本大震災を受けました。だが、一年数ヶ月経っても、再建の青写真すらはっきりしないわけです。モウ、この国のシステムではどうしょうもないわけです。

    天国住人とは、他の人達に対する思いやりを持った集団のことなのです。

    他の人の喜びを自分の喜びとして、他の人の悲しみを自分の悲しみとする。皆が友であり仲間達。それは「愛」の言葉で括る世界ではないのです。ですから、本当の天国住人の間では、神は愛ですから何をしてもいいのですというスピの教えなど存在していないのです。

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