ZERO MAGAZINEインタビュー!
今回のお相手は?
前回のCHERRYさんに引き続き、ZOUOのメンバーが登場!
狂暴なる闇の空間を真っ二つに砕き割る6本の金属音!
その破片の轟音は、さらに暴走し、怒濤のスピードで駆け抜ける!!
ギターのDEBASO氏です!!!
今回も貴重な80年代HC伝説のインタビュー!
ZERO MAGAZINE(以下Z):
場所は北加賀屋。
本日は、ZOUOのギターのデバソ氏に会いにきました!
それでは、よろしくお願いします!
DEBASO氏(以下N):
よろしくお願いします!
Z:
まず、ここにスケートボードの写真があるんですけども、これは
何歳の頃のものですか?
D:
これはですね、
多分...
中学3年ぐらいかな?
いや、2年!
ウン、中学2年やね。
西田君が2つ上だったから、2年の時の写真やね。
Z:
ということは、西田君は高校1年生ですか?
D:
そうやね、高校入ってる。
Z:
なぜスケートボードだったのですか?
D:
きっかけ?
Z:
はい。
D:
もともと、加賀屋公園っていう所があって、そこに子供用のすべり台っていうか、すり鉢状の遊具があったんですよ。
そこでみんなで滑ったのが、最初のきっけかけですね。
Z:
誰が一番初めにやり始めたのですか?
D:
もともと、小学校の時に『BOYS BOYS』っていう映画があって。
Z:
はいはい。
D:
アレでみんなスケボー買いだしてたんですよ。
その後、一旦ブームが去ったんですけど、また西田君たちが始めて、自分もって感じでしたね。
Z:
西田君とは、かなり長い付き合いになるんですね。
D:
そうですね。
西田君たちがそのすり鉢の遊具で滑ってた頃、自分らはまだ中学のガキだったんですよ。
公園で滑ってる西田君を見て、面白そう!かっこいい! って思って友達とやり始めたんよね。
西田君がいろいろ教えてくれた感じかな。
Z:
それが最初の出会いなんですね。
D:
そうそう。
Z:
地元も一緒ですか?
D:
うん、家も近かったしね。
2つ上の先輩やったから、中学も同じ学校ですよ。
Z:
なるほど、1年の時に3年というわけですね。
それで仲良くなっていった感じですか?
D:
いいえ、その頃は顔ぐらいしか知らなかったね。
中2年になったぐらいから知り合い仲良くなった感じ。
西田君以外にも、年上の人がいっぱい居て、その中でいろいろ教えてもらってた感じですね。
そこから付き合いが始まった感じで。
Z:
スケートボードには、かなりハマりました?
D:
その当時、中学生といえば近くの駄菓子屋に集まって溜まったり、って感じやったんですよ。
今の中学生がローソンとかで溜まるのと同じで。
でも、集まって何かをやるっていうのが、あんまり無かったかな。
自分も何もやってなかったんやけど、たまたま公園を通りかかったら、スケボーが目に映ったんですよ。
で、これやってみたいな〜って感じで、そのまま入っていったっていう。
Z:
スケートボードは、面白かったですか?
D:
う〜ん、何て言うか、お金をあんまり使わんでよかったからね。
楽しくみんなで集まってできるし。
今みたいに携帯電話とか無かったから、学校が終わったら、みんなで公園で集合して、好きなように滑って、夜になったら帰るっていう毎日でしたね。
Z:
なるほど〜。
それからバンドへいきなり進むのですか?
D:
う〜ん...
いきなりバンドへ進むっていうより、まずスケボーやってる時にノリに合うような音楽をかけるじゃないですか。
Z:
はいはい。
D:
公園にカセットデッキを持ってきて、音楽をかけてたんですよ。
その当時といえば、DEVO、POLICE、999、SPECIALS、Sex Pistols、THE-CLASH...
そんな感じで自分たちの好きな音楽をレコードからカセットテープに録って、加賀屋公園で鳴らしながらみんなでスケボーをするっていう。
それでTHE-CLASHとかの流れで、PUNK方面へ移行していった感じですね。
その音源は、すべて西田君が持って来てましたね。
僕らの同年代では、そういうの聴いてる友達が居なかったですからね。
友達の間で聴いてるっていえば、矢沢永吉、横浜銀蝿、亜無亜危異って感じやったね(笑)。
洋楽を聴いてる友達は、まったく居なかったですね。
だから、すごく新鮮やった。
Z:
ちなみに、一番最初に影響を受けた音楽は何でした?
D:
え〜っとね、やっぱりDEVO。
DEVOは常に聴いてたかな。
5〜6人一緒にスケボーやってる同級生が居たんやけど、僕らは"DEVO軍団"って呼ばれて別扱いされてましたね。
こいつら変わったヤツらや、 みたいな感じで(笑)。
Z:
そうなんですね(笑)。
D:
モミアゲをパツンッ! って切ってしまうテクノカットが流行ってて、みんなで真似してやってた(笑)。
Z:
なるほど、"DEVO軍団"(笑)。
亜無亜危異とか、日本のバンドも聴いてたのですか?
D:
THE MODS、THE ROOSTERS、あの辺は聴いてた。
とにかく中学の同級生で洋楽を聴いてる子は、ほとんど居なかったですね。
ちょうどその頃に、西田君が持ってきてた洋楽のテープは、何だコレ!? って感じで衝撃でしたね。
ヤンキーしか居てなかった時代でしたからね、ムチャクチャお洒落に聴こえましたよ。
Z:
当時、ヤンキーはいっぱい居ましたけど、PUNKは異質ですもんね(笑)。
D:
異質やね。個性もあって。(笑)。
同級生の周りにはヤンキーがいっぱい居て、自分もその中に居たんやけど、スケートボードをきっかけに、仲間と一緒になってヤンキーから抜けたんですよ。
だからヤンキーの連れからすれば、『何であいつ、あんな格好してんねん?』って感じやったやろうね。
会っても違和感がありましたよ。
ヤンキーの友達は、俺をヤンキーに戻そう戻そうってしてたけど、自分にとってはスケボーやってる世界が新鮮やったから戻らなかったですね。
Z:
ヤンキーの人は、同じことやりますもんね。
D:
そうそう、ヤンキーとかは、駄菓子屋に溜まってた感じやったね。
スケボーやってたら、いろんなパークへ行って滑って遊ぶから、 全然違う感じでしたね。
Z:
バンドをやるきっかけは、何だったのですか?
D:
最初は西田君が、『バンドせえへんか?』っていう軽い気持ちで始めた感じかな。
よく一緒にNASHIのライブを観に行ってたんやけど、その影響もあるんとちゃうかな。
Z:
ライブがあるとか、どこで情報を得るのですか?
D:
スケートボードやってる中でも、僕が一番西田君に仲良くしてもらってたんですよ。
こんなライブあるけど、行けへんか? って誘われて、最初はワケも分からず付いて行ってましたね。
それで、ライブがすごく新鮮で、だんだんハマっていったっていう。
Z:
ライブは頻繁に行ってたのですか?
D:
ちょこちょこ連れて行ってもらってたね。
Z:
もともと、ギターは弾いてたのですか?
D:
いやいや、
まったく...。
当時、楽器を何もやってなくて、ただライブを観に行ってただけやったね。
そうこうしてて、バンドやろってなった時、じゃあオキノがベース、みたいな感じで順番にパートが決まっていったんよね。
俺はSid Viciousに憧れてベースをやりたかってんけど、残ってるのがギターしかなくて、じゃあギターでええかなって。
Z:
その時のドラムの人は?
D:
スミダ君。
最初は、同じ同級生のスミダ君がドラムやったんですよ。
でも、彼はリズム感がちょっとなくて、これはダメやな...って。
Z:
叩けなかったのですか?
D:
そうそう。
リズム感がなかったというか(笑)。
最初は西田君の家をスタジオ代わりにし、遊びでやってたんやけど、あまりにドラムが叩けな過ぎて...。
BUNBUNに叩かせて、いい感じやって(笑)。
BUNBUNがほぼ乗っ取ってもた、みたいな(笑)。
Z:
なるほど〜(笑)。
では、西田君以外は全員同級生なんですね。
D:
そうやね、あとのメンバーは全員が同じ地元の中学の同級生やったね。
Z:
BUN BUN君もオキノ君もスケートボードやってたのですか?
D:
BUN BUNは俺と同じでスケボーをやっていたけど、
オキノはBMXといってモトクロスを真似た競技用自転車で公園で飛んだりしていたね。
Z:
やってたんですね(笑)。
じゃあ、みんなスケートボードやってて、そのままバンドをやるという流れですね。
先日、NAOTO君にCHERRYさんのインタビューをやってもらったんですけど、一番最初はTHE CLASHのコピーをやってたって言ってましたね。
D:
もともと最初から楽器は何もできなかったから、当時よく聴いてたTHE-CLASHのコピーから始めるかってことになったんですよね。
まあ、やるっていうより遊んでた感じやね。
それで、ライブをせなあかん! ってなった時に初めてオリジナルの曲を作ったっていう。
Z:
曲は、基本的に誰が作っていたのですか?
D:
ほとんどオキノが作ってたんちゃうかな。
Z:
そうなんですね!
意外です。
D:
うん。
ベースは、もともと弾けてたと思うんよね。
親戚の兄ちゃんかなんかが、バンドでベースをやってたんですよ。
それで教えてもらったりして、楽器はさわってたと思うから。
だから、スタート地点は僕らと違ったね。
Z:
そうなんですね〜。
ミッチュン(以下M):
楽器をさわったことがない人の集まりやのに、メチャクチャ上手く聴こえるのが不思議やね。
D:
オキノは確か昔からベースを持ってたと思うんですよ。
バンドは、オキノがこういう感じでやろうって決めて、それに他の楽器やボーカルを付けていくって感じでした。
Z:
その頃は、家で練習してたのですか?
スタジオには行ってました?
D:
スタジオに行ってたね。
Z:
高校生ぐらいですか?
D:
高校1年かな。
Z:
すごいですね!
D:
和歌山の手前の尾崎ってう所にあるスタジオまで電車に乗って行ってた。
そこは安かったからね。
2時間で2000円ぐらやったんちゃうかな。
南海電車で40〜50分かかるんやけど、往復の電車賃はキセルで行くから(笑)。
Z:
当時は、そうですよね(笑)。
D:
行きは、着いたらホームから飛び降りて、そのままスタジオに向かうっていう(笑)。
帰りは、切符を持ってるフリして改札通って(田舎の駅で改札機がない時代)降りるときはひとつ 先の駅で降りるんよね。
最初に切符買っておいたら、一駅分の料金でOKやから(笑)。
だから、100円ちょっとで往復できるっていう。
スタジオ代も2時間で2000円やったから、4人で割ると500円やし。
その浮いた金で帰りに喫茶店寄って、焼き肉定食を喰ってた(笑)。
スケートボードを抱えた、テクノカットの"DEVO軍団"!
後に伝説を作り上げるキャストたちは、公園で運命的な出会いを果たす...。
青春を駆け抜ける暴走列車は、仲間を乗せてゆっくりと始発駅を出発しました!
次回更新日は4月4日月曜日です!