INTERVIEW

CHERRY氏!其の二

11/03/07

CHERRYさんインタビュー、其の二!

80年代真っ只中、大阪!

PUNKファッション談議を織り交ぜつつ、

今回も、当時の衝撃&爆笑エピソード満載でお送りします!

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C:
当時のアメ村の三角公園は何もなかったな〜。

N:
昔は、ブランコありましたよね(笑)。

C:
冬場なんかは、三角公園で酒飲みながら一斗缶で焚き火やったりしてましたよ。

ポリボックスから『火事だけは、せんとってくれよ〜』みたいに言われながら。

あの頃のアメ村は10軒ぐらいしか店がなかったからね。

N:
そうでしたよね。

C:
最初は、ロック座かなんかができたんですよ。

今は雑貨屋になってんのかな。

ロック座ができたから集まるようになった感じでしたね。

N:
そうだったんですね〜。

それにしてもTOTTSUANとの出会いは、すごいですね!

以前もお話させてもらったんですけど、SxOxBの名前は西田君につけて頂いたと。

C:
当時、他に仲が良かったのは、ハヤサキとPONかな。

よく3人で飲んだくれてたからね。

食い放題、飲み放題に行って(笑)。

バンドで仲が良かったのは、MEMAIもそうだし、京都のBONESとか。

BONESの吉田君は、この間も飲みにいったとこやし。

JOTAROもよく遊んでたね。

N:
僕らも、そういうのを遠目でよく見てました(笑)。

C:
JOTAROは後輩にキツいからね。

すぐ後輩シバくから(笑)。

N:
怖いです...(笑)。

仲が良かった方達とは、飲んだりすることが多かったですか?

C:
そうやね〜、何にもしなかったからね。

そういえば一時期、ひっかけ橋を制覇してましたね(笑)。

N:
ひっかけ橋をですか(笑)?

C:
ヤンキー狩りをして(笑)。

近くのドーナツ屋に行ったり、ロッテリアに行ったりしてたね。

女の子達もなかなかタチが悪くてね、

変な人らに『ラウンジで働けへんか?』って誘われて、女の子達は給料貰って俺らの所に 持って来てくれてたからね(笑)。

ちょっと働いてきて〜! みたいなノリで、5人ぐらい働きに行かせたり(笑)。

そんな遊びでしたね(笑)。

N:
すごいですね...(笑)。

C:

男はモヒカンとかPUNKとかしてたら、当時は完全に仕事が無かったからね。

N:
今でこそまだましですけど、当時はそうですよね。

C:
女の子は、少々そんな格好してても声をかけてくる人間が居ましたけどね。

N:
なるほどですね(笑)。

では、弟のブッチャー君がOUTOをやってたことについて、 お聞きしたいのですが?

C:
まあ、俺が勧めた感じでしたけどね。

地元の加賀屋なんかは、ヤンキーが多かったから、そういうのに属してヤンキーするんやったらって洗脳していった部分はありますね(笑)。

これ聴け! って感じで、いろいろ聴かせてあげたりしてましたね。

弟がやってるっていうのは、心強いのもあるけど...

どう言ったらええかな...

やりにくいところもあったと思いますよ。

ブッチャーのほうが嫌やったんちゃうかな。

やっぱり酔った時に言ってたからね。

性格分かってるやん、人の喧嘩も自分の喧嘩にしてしまうから。

ブッチャーにちょっと文句言ってるだけで、やってしまうからね(笑)。

N:
仲が良いなと思います。

C:
一緒にやってる時もあったけど、自分から組んでっていうのはなかったね。

N:
周りから寄せられるっていう感じですか?

C:
そんな感じやね。

LAUGHIN'NOSEが東京に行ってしまった後、COBRA、OUTO、ZOUOとかでライブをやったりしてましたけどね。

N:
京都の『宣戦布告』のイベントとか観に行ってました。

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C:
京都に行ってた時は、一番ムチャクチャやったからね。

あの当時は、ギャラがバンドで3000円やったんちゃうかな。

完全に赤字やからね。

でも呼ばれれば、呼ばれるだけ行ってたから、月に5〜6回やってたんですよ。

電車賃もね、知ってるやろ? 俺らが歩伏前進しながら改札通ってたのを(笑)。

1人だけ入場券買って、それに続いて20〜30人這って通ってましたからね。

他に、3人ぐらい引っ付いて改札通過したりとか(笑)。

N:

電車来たら、窓開けて入って席を取ったりとかですよね(笑)。

憶えてます、そういうの(笑)。

C:
東京行く時、新幹線もそういうやり方してたからね。

入場券で東京まで行ってましたよ(笑)。

N:
東京のライブは、どういったバンドとやられたのですか?

C:
LAUGHIN'NOSEが間に入って呼んでもらって、GISMとやったりとかが多かったかな。

N:
東京のお客さんは、どういう反応でしたか?

C:
やっぱり、ちょっと違う感じでしたね。

分かるでしょ(笑)?

N:
そうなんですね。

毎回、新幹線はそういう感じで乗られてたのですか?

C:
いや、さすがに毎回じゃないよ(笑)。

2回ぐらいかな、いわゆるキセルっていうヤツで。

駅員の通用口からカチャッ!って開けて勝手に出たりとか。

N:
(笑)!

C:
捕まるとか考えてなかったからね(笑)。

あの時代は頭がおかしかったから、

万引きする時も両手にレコード抱えて出ようとして、店員に『あの......』って言われたら、

何やぁ〜!? ってレコードをボコーンッ!って投げてましたから(笑)。

N:
はははは(爆笑)!!!

C:
メンチ切りながら盗むとか、そういうノリで。

頭がおかしかったんやと思いますわ(笑)。

N:
すごいですね...(笑)。

C:
2回ぐらい逮捕されて入ったけど、あの時代は捕まってないほうが不思議やからね。

N:
確かに、そうですね(笑)。

次にですが、解散の理由を聞かせ頂いても良いですか?

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C:
方向性が分からなくなったっていうか、だんだんメタル化していって、先が見えなくなって面白くなくなってきたんですよね。

その頃になると、メジャー化するバンドも出てきたりしてて、そういうノリやから違うことをしたくなってきたんですよ。

みんなも仕事しなきゃ、みたいな雰囲気もあったしね。

N:
そういうタイミングだったんですね。

C:
もう、詰まってたからね。

そのままバンドを置いてても良かったんですけど、自分の勝手で できないって言ったから解散にしました。

N:
それは、完全に解散っていう形だったのですか?

C:
そうやね。

N:
その後、アメリカに行こうと思った理由は何ですか?

C:
その頃、ちょっとずつ入ってきてたんですけど、アメリカのハードコアって変だったでしょ?

N:
そうですね。

C:
多様性がものすごくあったから、どんなのか行って見てみたいなって思ってたんですよ。

何ヶ所か声をかけて、結局は嫁さんになった女の所へ行ったんですけど。

N:
最初は、どこに行かれたのですか?

C:
ピッツバーグの彼女の所へ直接行きましたね。

手紙でやりとりしてって感じで。

N:
当時は、そういう手段しかなかったですもんね。

C:
で、ニューヨークは金がかかるし、ロスはちょっとなぁ...って感じやし。

ボストンとかも格好良かったのか知れないけど、情報が無くて分からなかったですからね。

それで、たまたま向こうに居るバンドがルームシェアで住んでるから来ないか? って感じで単身でアメリカへ行ったんですよ。

N:
それは何歳ぐらいの時でしたか?

C:
19歳やったかな、アメリカで20歳を迎えたので。

だからお酒を大っぴらに飲めなかったですからね、それがはっきり言って楽しくなかったですけど(笑)。

N:
当時を振り返るというか、思い出すと、やっぱり若かったですよね。

若くてすごく行動力があったと思います。

C:
やっぱり、ハードコアという名の通り、妥協を知らなかったですからね。

突き詰めて行くって感じで。

N:
考えてみると、今はオッチャンらがハードコアやってるほうが多いですもんね。

C:
自分も思うんですけど、今はハードコアとかPUNKにしても伝統芸能って言ったら悪いけど、自分らの若い頃のロカビリーみたいな扱いになってるんじゃないかなって。

ちょっと悲しいけどね...。

N:
その考え方、すごく分かります。

C:
自分らが、80年代に50年代の音楽を聴いてた感覚で、2010年の子達が80年代の音楽を聴いてるんじゃないかなって思います。

N:
本当に、そうだと思います。

C:
安くなったっていうのもあると思うけど、今の若い子達の鋲ジャンなんか格好良いもんね(笑)。

N:
当時は買えなかったですもんね。

C:
自分は、鋲とか...

はっきり言って買ったことないから(笑)。

N:
(笑)!

C:
くれや〜! って言って、もらってたヤツですからね(笑)。

N:
僕達の間では、鋲の打ち方をいろんな先輩方のを見て真似してたんですよね。

西田君打ちとかDISCHARGE打ちとか、いろいろあったんですよ(笑)。

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C:
DICHARGE打ちは、本当に叩いて打つ鋲でやったら、重くて嫌になるね(笑)。

ロンドンのコーンやったら、中がスカスカで軽いけど、本当の鋲を打ったら着るのが嫌になりますよ。

N:
重た過ぎますよね(笑)。

C:
背中に全面打ったら、後ろが重みで吊られるし(笑)。

N:
そうですよね(笑)。

あと、DR.MARTENSのAIR WAIRの14ホールを逸早く取り入れてたと思うんですけど(笑)。

C:
はいはい、アレね(笑)。

梅田に、あしたの箱っていうNEW WAVE系のお店があって、そこでTHE CLASHが載ってる本を見せて訊いたら、HAWKINSだったんですよね。

それで、悔しいな...って思って探してたら神戸の高架下で売ってるのを見つけて買ったんですよ。

俺が買って、JOTAROに言うと彼もすぐに買って、ユウも『安いの見つけてきた〜!』って言って履いてきたのが11 ホールの短いHAWKINSで、それ...違うで...って(笑)。

『安かったで〜!』って言ってたから、そりゃ安いわ...って話だったんですけど(笑)。

N:
そうなんですね(笑)。

C:
ソールがちょっと出てるのが格好良かったですからね。

あしたの箱は、ロンドンへ買い付けに行ってたから、PUNKのTシャツを買ってきてもらってましたよ。

N:
僕もそこでよくSEDITIONARIESとかを買ってました。

同じ所だったんですね! 嬉しいです。

C:
WORLDS ENDの服とかもあったな〜。

女の子物をメインで買ってきてたんですけど、PUNK系のヤツを頼んで買い付けてもらってました。

N:
僕も本当によく行きました。

阪急ファイブのとこですよね。

上にベンチがあって、懐かしいです。

C:
今の若い子はどうか知らないけど、あの当時の若い頃は、仕事もしないでフラフラして雑貨屋の姉チャンと遊ぶかぐらいしかなかったですからね(笑)。

休憩、何時から〜!?って言ったりして(笑)。

N:
そんな感じでしたよね(笑)。

話は戻りますが。アメリカへ行って一番初めに観たバンドは何だったのですか?

C:
とりあえず、ルームシェアしてた所に入れてもらったんですけど、そこにメンバーは1人しか居なかったのかな、確か。

学生街にある一軒家だったんですけど、地下室を練習スタジオにしてましたね。

そこで練習しつつ、観たHALF LIFEってバンドが一番初めだと思いますね。

まあ、入ったバンドが良かったのか、どうなのかは別として、そこのベースがやり手で、HOLLYと2人でアメリカのユウや! って笑ってたんですけど(笑)。

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日本での刺激を跳ね飛ばすほどに、突き進んだZOUOが突然の解散...。

さらなるコアを求めて単身アメリカへ乗り込みます!

その先で待ち受けるモノとは、一体!?

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次回更新日は3月14日月曜日です!

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