2人の女子中学生が米軍の装甲車にはねられて死亡した「ヒョスンさん・ミソンさん犠牲事故」から10年を迎え、トーマス・ハーバード元駐韓米国大使がインタビューに応じた。インタビューでハーバード元大使は「ブッシュ大統領は謝罪の手紙を送ったが、大統領に対し、直接謝罪するよう強く求めなかったことは後悔している」と述べた。また、韓国に対しては「外交通商部(省に相当)の関係者あるいは政治家の誰かが、韓国国民に韓米同盟の重要性と、事故当時の正確な状況について詳しく説明することを期待した。しかし誰も説明してくれなかった」とも述べた。ハーバード元大使はさらに「大統領選挙を目前に控えた当時の政治状況については理解する」としながらも「韓国政府と政治家の中には、“自分が国民に説明する”と名乗りを上げる人物は1人もおらず、全員が後ろに隠れてかたくなに無関係を装った。非常に残念だった」と当時を振り返った。
2002年11月20日、米国の軍事法廷が事故を起こした2人の米兵に対して無罪判決を言い渡すと、これに抗議するキャンドル集会が韓国全土に広まった。反米勢力はこの集会の中で「不注意に伴う事故」を「故意の殺人」と主張し、追悼集会を反米闘争の場につくり替えてしまった。また、反米勢力は大統領選挙まで1カ月を切っていた当時、幼い女子中学生の犠牲を利用し「反米だからどうした」と発言した民主党(当時)の盧武鉉(ノ・ムヒョン)候補を応援する選挙運動も同時に行った。10周忌を迎える今年、犠牲となった中学生の父は「もう政治的なショーは終わりにしてほしい。家族だけで過ごしたい」と訴えているが、当時のあの勢力は家族の声に耳を傾けず、10年前と同様に再び反米闘争を展開している。
国全体が反米キャンドル集会一色となった10年前、北朝鮮は核開発凍結を約束したジュネーブ合意を破り、2回目の核実験に向けて動き出していた。当時ハーバード大使と個人的に会った政府関係者や政治家らは、部屋の中では誰もが韓米同盟の重要性を語り、街頭の反米運動を批判したことだろう。しかし彼らも一度街頭に出ると、全員が言うことを変えるか、あるいは口を閉ざしてしまった。
「反米だからどうした」と言った盧武鉉候補の陣営ならまだしも「保守原則主義」を訴えたハンナラ党の李会昌(イ・フェチャン)候補までもが追悼集会に姿を現し、テレビ討論では、米国を非難しながら街頭で騒ぎ立てる勢力の顔色をうかがっていた。外交・安全保障の官僚たちが「反米大統領の当選が予想される中で反米の波に逆らうと、新政権で自らの地位を失うかもしれない」と考えたのも無理のないことだった。しかし、そのような状況とは関係ないはずの知識人たちでさえも、韓米関係が重大なヤマを迎えていることを十分に理解しながら、街頭の反米スローガンに同調するか、あるいはあえて顔を背けた。つまり当時の大韓民国には、国の将来を憂え時流に対抗する勇気を持った義人は1人もいなかったのだ。では今現在の大韓民国は果たして当時と比べてどれだけ変わっただろうか。