震災以後、国内のメディア(新聞・TV)は政府と一体となって嘘をついてきたが、海外メディアとフリーのジャーナリストは真実の報道を行ってきた、というのが本書の主旨である。全体を通して著者は、国内・海外メディアが何を報じ、報じなかったかを対比しているが、比較的具体性があるのは以下のものである。
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(1). 3月12日の原発1号機の事故について、海外メディアはメルトダウンの可能性を報じたが、日本のメディアは政府発表をうけて「メルトダウンしていない」と報じた。(p.22-4,33-4)
(2). 3月12日の原発事故直後、海外メディアはガイガーカウンターを持って現地入りし、国内メディアが報じないことを報じた。(p.25-6)
(3). 海外メディアは先に渡されていたSPEEDIの情報をもとに放射性物質の拡散予測を発表していた。(p.148)
(4). 海外メディアは原子力損害賠償法の問題(賠償の免責)を指摘していたが、日本のメディアは東京電力の発表だけを報じていた。(p.63-4)
(5). 3月14日の原発3号機爆発を、海外メディアは重大事として報じたが、国内メディアは計画停電の方を報じた。(p.37-8,40-3)
(6). 3月、海外メディアは放射能が関東まで飛散している可能性を指摘したが、日本のメディアは放射能は飛んでおらず食品は安全だと報じていた。(p.49, 51-3,167-8)
(7). 4月4日に発表された放射能汚染水の海への放出について、海外メディアは全て「ハイレベルの放射能汚染水」と書いたのに、日本のメディアは「低濃度」と書いた。(p.83-4)
(8). 原発事故の後、世界の国々が自国民を東日本から避難させた事実を、日本のメディアは報じなかった。(p.56-8, 161)
(9). 中国が日本からの輸入を禁止した事を日本のメディアは報じず、11月に一部解除された時に初めて報じた。(p.135)
(10).9月19日に大江健三郎氏の呼びかけで行われたデモを、日本のメディアは都合が悪いので報じなかった。(p.210)
(11).9月21日に原発から毎時2億ベクレルの放射能が検出されたさい、国内メディアは事故が収束に向かっていると報じたが海外メディアは反対の論調で報じた。(p.123-6)
(12).9月20-24日、野田総理がオバマ大統領と会談したさい、原発事故収束を求められた事を米メディアは報じたが、日本のメディアは殆ど報じなかった。また総理による原発再開発言は尋常じゃないというのが世界の論調。(p.126-7)
(13).海外の様々なメディアで日本は「民主主義国家ではない」「原子力利権に政治も経済もメディアも侵されてしまっている。こんな国は救いようがない」と言われている。(p.127)
(14).日本からの輸出品は食品・半導体・自動車など放射能汚染物扱いで輸出できない。日本のメディアは報じないが世界中がそういう目で見ている。(p.150-1)
(15).原発事故後、早々と人々を戻しているので世界中から「どうなっているんだ」と思われている(ことを国内メディアは報じない)。(p.157)
(16).12月6日に粉ミルクから放射性物質が検出されたさい、国内メディアは「さらっとした扱い」だったが「世界各国の新聞はこのニュースを極めて大きく扱って」いた。(p.163-4)
(17).日本人は政府の情報隠蔽をそのまま信じ込んでいるので、世界中のジャーナリストは日本のメディアは中国よりひどいと笑っている。(p.196)
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このなかで、(5),(6),(8),(9),(10)の五項目は、国内紙の縮刷版を参照するだけで、まったくの嘘であることが容易にかつはっきりと確認できる(※3,4,9月の全国紙縮刷版。(10)以外は朝日の
震災特別縮刷版だけでも、(5),(6),(8)は読売の同
特別縮刷版だけで確認できる)。本書を漫然と読むとうっかり受け容れそうになるのだが、じっさいに図書館などで記事を確認すると、既にそれらを目にしていた事に唖然としたりする。
著者はこれまで随所で、アメリカの新聞、なかでもニューヨーク・タイムズ(以下NYT)を海外メディアの代表格として挙げている。そこで残りの項目がどれだけ事実に即しているか、NYTとワシントン・ポスト(以下WP)のオンライン記事も参照しながら確認してみた。
まず(1)について、著者はWPを挙げてメルトダウンの可能性を指摘したらデマ扱いされたと言うが、そのWPもNYTも福島原発1号機の事故発生と「メルトダウンの可能性」を、元々日本政府による発表として伝えている(WP:Smoke pours from Japan nuclear plant. By Associated Press, 2011/03/12 NYT: Snap analysis: Japan may have hours to prevent nuclear meltdown. By Scott DiSavino (Reuters), 2011/03/11)。
また、著者は国内メディアがメルトダウンの可能性を否定したと述べているが、12日付の読売新聞号外は『福島第一 炉心溶融か 爆発』という見出しで、保安院による発表として「炉心溶融による爆発の可能性もある」と報じており、朝日新聞も13日[1面]に『周辺で90人被曝か 第一1号機炉心溶融、建家損傷』、同日号外で「炉内の温度が過度に上がって核燃料が溶け出す「炉心溶融(メルトダウン)」が起きたおそれが出た。」と報じている。これら内外四紙の記事を見比べるかぎり、メルトダウンの可能性は同様に報じられており、内容に食い違いはみられない。
さらに、著者は
前著で「アメリカ(米軍)は独自に情報を収集しており、米メディアをはじめ、ほとんどの海外メディアも「メルトダウン」と報じていた」(『
新聞・テレビはなぜ平気で「ウソ」をつくのか』p.67)と述べているが、原発1号機の事故を伝えたNYTとWPの記事には、専門家による推測(インタヴュー)を別として、原子炉の状態を報じるにあたって日本政府と東京電力の発表(およびそれを報じた日本のメディア)以外の情報源を挙げているものは一本も見あたらない。
加えて、著者は前著その他の箇所で、「部分溶融」と「全溶融」が国内メディアだけで使われた特殊な用語であるかのように述べているが、NYTもWPもこれらを同様の仕方で用いており(partial - / total, full meltdown)、NYTは両者の違いについて詳しく解説してもいる(A Look at the Mechanics of a Partial Meltdown.By Henry Fountain,2011/03/13)。
こうした事実と見比べてみると、著者が(1)について述べている事にはまるで筋の通ったところがない。
(2)については、NYTとWPの3月の記事に、記者が福島で独自に線量を計測したことを報じたものは見あたらない。(3)についても、SPEEDIのデータによるものと思しき予測は3月のNYT・WPの記事には見あたらない(※国内メディアにSPEEDIによる放射線被曝量の予測マップが初掲載されたのは3月24日)。NYTがSPEEDIに明示的に言及するのは、原子力安全委員会が使用を命じたという4月の記事である(Japanese Officials on Defensive as Nuclear Alert Level Rises. By Keith Bradsher, Hiroko Tabuchi and Andrew Pollak, 2011/04/12)。WPはこの件も報じていない。(4)も、こうしたトピックを扱った記事はNYTにもWPにも見られない。
(7)について、著者は「海外のメディアはすべて「ハイレベルの放射能汚染水」と書いた」(p.84)と述べているが、NYTもWPも、「低レベル(low-level)の汚染水を放出した」と報じている(NYT:Japan Releases Low-Level Radioactive Water Into Ocean. By Hiroko Tabuchi and Ken Belson, 2011/04/04.,WP:Japan dumps radioactive water into ocean. By David Nakamura, 2011/04/05)。
(11)-(17)については、著者はとりわけ「世界の論調」なるものを強調している。しかし、(11)はNYTもWPもこの件じたいを報じていない。(12)にかんしても、NYTとWPは9月に野田首相とオバマ大統領の会談予定を伝えたのみで、その後の会談内容については報じていない。また原発再開の意思については、国内で反対にあっている事を伝えているのみで、とくに批判を述べた記事は見あたらない(Cooling Problem Shuts Nuclear Reactor in Japan. By Hiroko Tabuchi. 2011/10/04)。
(13)は、著者のサイトにある独シュピーゲル紙記事を念頭においたものと思われるが、こうした論調の記事はNYTにもWPにも見られない。ここ一年で、原子力産業・政策をめぐってアメリカのメディアでよく取りあげられるのは、これまで温暖化対策を強力な理由にブッシュ、オバマ政権のもとで推進されてきた原発の拡張政策が、福島の事故を受けて今後どうなるのかというトピックである。そうした文脈の中で産業ロビイストの動向もたびたび記事にされ、とくにNYTは、原子力産業による民主・共和両党への莫大な献金、米政治家による原子力産業ロビイストへの天下り、原子力規制委員会(NRC)と産業の癒着などをこれまで取りあげている(WP:U.S. nuclear advocates try to limit political impact of Japan reactor crisis.By Dan Eggen, 2011/03/18., NYT:Lobbyists’ Long Effort to Revive Nuclear Industry Faces New Test . By Eric Lichtblau,2011/03/24., Former Hill Stars Add Muscle to Nuclear Industry's Post-Japan Lobbying. By Anne C. Mulkern, 2011/04/07.,etc.)。
こうした背景事情から見ても、アメリカのメディアは元々(13)のような論調をとりうる前提に立っていない。現に、原子力産業・政策に対する批判や不信を述べたものにも、日本を特定の標的とするほど単純で偏ったものは見られない(Nuclear energy after Fukushima. By Jim Hoagland, 2011/10/07., After Fukushima: Enough Is Enough. By Helen Caldicott, 2011/12/02.,etc.)。
ちなみに、シュピーゲル・オンラインの国際版で原子力関連の記事をみても、(13)が「世界、とくにヨーロッパ、ドイツの主たる論調」(p.127)になっているとは思われない(例えば以下のような記事 :German 'Energy Revolution' Depends on Nuclear Imports. By Laura Gitschier and Alexander Neubacher, 2011/9/15.,Is Berlin Still in the Nuclear Power Business? 2011/12/19.,Nuclear Lobby Pushes Ahead with New Reactors.By SPIEGEL Staff, 2012/03/08)。
(14)は、食品にかんしては、各国による輸入制限・その後の規制緩和は国内メディアで報じられている(朝日を例にとると、3月25日[5面]香港による5県の農産物の輸入禁止、31日[夕刊2面]アメリカ、カナダ等15ヶ国、4月6日[5面]インド、7日[夕刊2面]ロシア、10日[5面]中国による、禁輸や輸入規制。6月16日[6面]カナダによる規制全面解除、7月5日[5面]EUによる1県の規制と2県の解除、10月5日[8面]カタールによる規制見直し、11月25日[37面]中国による禁輸一部解除、3月24日[7面]EUによる規制一部解除)。車と半導体については、直近の貿易収支や関連企業の決算をみれば輸出が行われている事はすぐわかる。また、著者の主張を裏づけるような記事はNYTにもWPにもない。
(15)も、著者が述べているような記事はNYTにもWPにも見られない。(16)はNYTが取りあげているが、国内紙とほぼ同じ内容で対比において「極めて大きく扱っている」(p.164)ということはない(Japanese Tests Find Radiation in Infant Food. By Hiroko Tabuchi.2011/12/06)。WPはこの件を報じていない。
(17)は、日本人が「情報隠蔽をそっくりそのまま信じてしまっていた」(p.196)といった趣旨の記事はなく、むしろ、政府の情報公開に対する姿勢が国内で批判に晒されている事を伝えている(Dearth of Candor From Japan’s Leadership. By Hiroko Tabuchi, Ken Belson and Norimitsu Onishi, 2011/03/16., Japan Held Nuclear Data, Leaving Evacuees in Peril. By Norimitsu Onishi and Martin Fackler, 2011/08/08)。日本のメディアが中国より酷いと述べている記事もない。
結論として、(1),(5),(6),(7),(8),(9),(10),(14)はあきらかな嘘の記述であり、(2),(3),(4)は真偽が不明、(13)は著しい誇張をしている疑いがある。(11),(12),(15),(16),(17)も、「世界の論調」なるものは著者による創作である疑いが強い。真偽がはっきりしないのは、どの海外メディアが報じていたのかを、著者が殆ど(大抵はまったく)示さないためである。いずれにせよ、著者の主張を積極的に裏づけるような記述は見あたらない。
本書の記述をじっさいに国内・海外の記事とつきあわせていくと、自ずと気づく点が幾つかある。
第一に、これだけ多くの事実に反した記述が、たんなる間違いで書かれる事は常識的にはありえない。
第二に、著者はよくアメリカのメディアをもちだして「海外からの見方」「海外の論調」を口にするが、実際はニューヨーク・タイムズもワシントン・ポストもろくに読んでいない。
第三に、著者はよく「多様性」に言及するが、あきらかに著者自身はそのようなものを信じていない。著者は、ジャーナリズムに対するチェック機能として「ニュースソースを明らかにするのが礼儀」(p.204)だと言いながら、自らは基本的にそれに従わない。しかも本書では海外メディアの報道がソースなので、隠したり曖昧にする必要がない。著者はむしろ、読者がそうした判断の手がかりを得ぬまま、ただ話を鵜呑みにすることを期待しているのである。「砂の中に頭を突っ込むダチョウ」(p.162)とは、著者にとっての理想的な読者のイメージである。
本書の内容と関連して、著者は4月にドイツで講演旅行を行っており、インタヴューがドイツのメディアで記事になっている(Die Luege hat System. Deutche Welle,2012/04/19)。そのなかで著者は、福島第一原発3号機の爆発は日本政府とメディアによって隠蔽されていると述べている。そこで著者が政府・メディアによって「封印された写真」として挙げているのは、昨年3月18日に新聞各紙(朝日・読売・日経)の朝刊1面に掲載された写真とまったく同一のものである。