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「李容洙」(イ・ヨンス)の嘘だらけの証言

こんのさんの理路整然、疑いようもない記事から大部分転載引用させて頂きました。福岡市議会で、何と自民党以外全政党が賛成し「旧日本軍の従軍慰安婦問題に誠実に対応するよう国に求める意見書案」が可決された。この事実に唖然とし、福岡市議会の理不尽さに憤りさえ覚える。残念ながら根本原因は国として「河野談話の完全否定」がなされないという点だ。国は一刻も早く否定をするべきだ。そうしなければ、またどこかで内側から火が点くことになる。

<以下引用>

福岡市議会は25日、旧日本軍の従軍慰安婦問題に誠実に対応するよう国に求める意見書案を可決した。慰安婦問題をめぐって地方議会から国への意見書提出は08年以降、兵庫県宝塚市(08年3月)、東京都清瀬市(同年6月)、札幌市(同年11月)がある。

 平和・人権問題に取り組む市民団体などの要請を受け、社民・市政など2会派が作成した文書案がベース。これに民主・市民、共産を加えた4会派が立案会派となり、採決で公明も賛成した。

 被害者出席のもと、国会で公聴会を開くことや、政府は慰安婦問題の責任を認め、公的に謝罪することなどを求めている。
(3月26日 毎日新聞より一部抜粋)



「李容洙」(イ・ヨンス)の嘘だらけの証言

1.1993「写真記録 やぶられた沈黙」では、1944年夏、友達が家に誘いに来てついて行くと、軍服みたいな服を着た男がおり、ワンピースと赤い靴をもらって感激してついて行く。

2.1993・10「証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち」では、一九四四年、私が満十六歳の秋のことです。川のほとりで見かけた日本人の男の人が立っていました。国民服に戦闘帽をかぶっていました。赤いワンピースと革靴の入った包みをもらって、幼心にどんなにうれしかったかわかりません。もう他のことは考えもしないで即座についていくことにしました。

3.英文中国日報(1998・.8・23)では、1944年のある夜、韓国の故郷から日本軍により誘拐され、日本軍の性奴隷として足かけ3年間従事慰安所に送られた時はわずか数え年16歳であった。

4.元「慰安婦」へ補償を〜日本共産党との会合 (2002・6・26)では、14歳で銃剣をつき付けられて連れてこられたこと、拒むと殴られ、電気による拷問を受けて死にかけたことなどを話し

5.「消せない記憶」〜京都での市民集会李容珠 (2004・12・4)では、1944年、16歳の時に「軍服みたいな服を着た男」に連行され、台湾へ。日本軍「慰安婦」としての生活を3年間強制された。

6.京都新聞(2004・12・5)では、16歳でわけが分からないまま連行され、1944年ごろ、旧日本軍に拉致され、台湾で約3年間従軍慰安婦として

7.証言集会〜同志社大学(2005・4・21)では、女性が片手で私の肩を抱いて、もうひとつの手で口を塞いで私を連れて行きました。その時、私は韓国の年齢で16歳でした。

8.朝日新聞(2005・8・11)では、韓国の大邱から15歳ごろ連行された。

9.埼玉上田知事発言に元慰安婦が抗議(JanJan 2006・10・13)では、15歳で韓国・大邱の家から軍人に拉致され、台湾まで連れ去られ、敗戦で解放されるまでの3年間の経過を証言した。

10.中央日報「米議会で初の‘慰安婦聴聞会’韓国・オランダ人女性3人が証言」(2007・2・16)では、1944年の16歳の時に台湾に慰安婦として連行され

11.イヨンスさいたま公聴会(2007・2・23)では、15歳の時、家で寝ているとき小窓をたたく音に目を覚まし

12.JANJAN「米公聴会でも証言した李容洙さんが、埼玉で再び「証言・告発」(2007・2・26)では、15歳のとき、小銃で脅され、大連から、台湾に連行され新竹海軍慰安所で特攻隊員の慰安婦とされた。

上記は「李容洙」の証言の一部ですが、共通しているのは1944年だけであり、慰安婦になった状況も違い、年齢は14歳から16歳と違っており、3年間の慰安婦をしたのであれば大東亜戦争終結後も慰安婦を続けた事となるのです。

日本軍「従軍慰安婦」が存在した事実はなく、存在したのは日本軍相手の「売春婦」です。

大東亜戦争当時、世界各国では戦争下における「軍人に対する売春」行為は違法ではなく、この売春を商業行為とした婦女が「慰安婦」であり、慰安婦の連行や、売春を、日本政府(日本軍)が行い、強制(性的奴隷)させたかが問題点です。

慰安婦が「強制ではなかったと」の証言をご紹介致します。

大東亜戦争当時の、陸軍大将の俸給は年に約6600円、二等兵の給料は年間約180円でした。

元慰安婦の1人であった、文玉珠(朝鮮人)の証言では、「慰安婦時代の2年半の間に貯めた郵便貯金は2万6145円」であり、「貯金から5000円を朝鮮の実家に送っていた」との事であり、「千円もあれば故郷の大邱に小さな家が一軒買えた」との事です。

わずか2年半で、陸軍大将の4年分もの年収を貯金でき、実家への送金や、家を買う事まで許されていたのですから、強制ではありません。

米軍作成の「日本人慰安所経営者及び慰安婦に対する尋問レポート」によれば、北ビルマのミートキーナ慰安所の慰安婦たちは、「売り上げの半分を報酬としてもらい、稼ぎは月に1000〜2000円、年季は半年から一年で、一部は帰還した者もいる」との事です。

月給が1000〜2000円と高給であり、年季は半年〜1年と雇用期間が定められ、帰還した者までいるのですから、強制ではありません。

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ご紹介を頂きまして感謝を申し上げます。

○です。

2009/3/29(日) 午前 0:50 近野滋之

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こんのさん、テレビではやりませんからね。少しでも目にしてほしいですね。

2009/3/29(日) 午前 9:47 マシュマロマン

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