<野田総理会見・8日>
「国民生活を守るために、大飯発電所3、4号機を再稼働すべきというのが私の判断であります」
先週、原発再稼働に向け、不退転の決意を語った野田総理。
この会見を受け、事態は大きく動き出しました。
2日後、福井県では原子力安全専門委員会が開かれ、大飯原発の安全性を最終確認。
政府の姿勢を批判していた西川知事も再稼働に向け、動き始めたのです。
「総理の強い思いを、しっかりと語っていただいたと重く受け止めている」(福井県 西川知事のコメント)
大飯原発について、「福島を襲ったような地震・津波が起きても事故を防ぐ対策は整っている」と言い切った政府。
果たして、どこまで「安全」と言えるのでしょうか…。
<記者リポート>
「この波消しブロックの向こうに、大飯原発の防潮堤があります。現在クレーン車や工事車両が行き交い、かさ上げ工事が急ピッチで進められています」
想定を超える津波対策として、3メートルのかさ上げ工事が進む大飯原発の「防潮堤」。
完成は来年度中の予定で、再稼働の時期までにはとても間に合いません。
政府は今年4月、再稼働について3つの安全基準を示しました。
このうち非常用電源の確保など、基準1と2についてはストレステストなどでもクリアされています。
(基準【1】)
緊急時用の電源確保と冷却設備の強化。
(基準【2】)
福島を襲ったような、地震や津波が来ても燃料損傷に至らない為の対策。
一方防潮堤のかさ上げや、免震棟の設置などが含まれる、(基準【3】)については、政府は中長期的な対策として、「実施計画を出せばよい」と判断。
専門家も一定の安全性は保たれていると話します。
<京大原子炉実験所 中島健教授>
「福島で起きたような事故に対しては、十分な対策が取れていると思う。防潮堤はなくてもストレステストでは、今の津波に対しては相当余裕があると確認しているはずなので、再開のロジックとしては手順を踏んでいる」
では、住民に対する安全対策は万全なのか。
現地で残る大きな課題、それはー
避難路の確保です。
大飯原発を含む14基の原発が立ち並ぶ若狭湾。
どの原発も半島の先にありますが、連絡している道はそれぞれ1本。
土砂崩れなどが起きると、たちまち陸の孤島になってしまう恐れがあります。
<あおい町民・男性>
「避難道がないと逃げ道があらへん。トンネルとか作って避難道をこしらえてから再稼働を言ってくれるんやったらええけどな」
<あおい町民・女性>
「不安ですわ。もし山崩れがあった時は、土砂が道に来たら1本筋やからどうすることもできへん」
<ヘリ記者リポート>
「上空から見ると大飯原発に向かう道も、大飯原発から逃げる際に使う道も1本だけしかないことが分かります」
大飯原発からの主な避難路は、県道241号線とそれに続く橋の1経路のみ。
避難路の選択肢が無いと事故の時、どんな事態を引き起こすのでしょうか。
この写真は、福島原発の事故直後に撮影された福島県・浪江町の様子です。
原発から避難する主要な道路が1本しかなく当時、大渋滞が起きたのです。
<福井県土木部道路建設課 辻義則課長>
「万が一事故が起きて、人員を送ったり機材を入れるにしても、陸上輸送が確保されていなければならない。複数2本のルートになるように計画して、これから整備を進めていこうと」
去年5月、美浜原発周辺の避難路で土砂崩れが起き、2か月に渡って遮断されました。
大飯原発でも県道241号線が大雨による土砂災害で度々通行止めとなっていて、県はおよそ65億円かけてバイパス道路を建設することを決めました。
しかし、実現には早くても、8年はかかるということです。
(Q.道が完成するのが8年後とか10年後ですが、再稼働判断に影響は?)
<あおい町 時岡忍町長>
「それを待ってということになると、まだまだ先のことになるので、現在2本目が出来るということで納得してます」
再稼働した後も、安全対策は万全といえるのか。
福島県から福井県へ避難してきた原発作業員が「VOICE」の取材に答え、複雑な胸の内を語りました。
<原発作業員>
「あの地震は、かなり今までの想定を超えてたもんなんで、心配は心配。心配していても先には進まないし…」
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福井県・美浜町。
市街地から海岸へと伸びる1本の県道の先、海が見え始めると、すぐに美浜原発が現れます。
さらに、その4キロ先には・・・
高速増殖炉「もんじゅ」です。
原発14基が集中する若狭湾沿岸。
「原発銀座」と呼ばれる所以です。
「もんじゅ」で働いていた原発作業員、高島さん(仮名)。
<原発作業員 高島さん(仮名)>
「温度計やら圧力計やらの計器のメンテナンス。ちゃんと動くかどうかの点検なんかを主に行ってました」
高島さんは去年3月、福島県双葉町から福井県敦賀市に避難してきました。
これまで、主に原発の定期検査を請け負っていて、北は北海道の「泊原発」、南は九州の「玄海原発」までおよそ30年間、全国を渡り歩いてきました。
<高島さん>
「30何年かな、同じことをやってきましたけど、あそこまでいかないために色んなシステムがあるんだけども、やっぱり自然には叶わないというか、今までやって来たのは何だったのっていう…」
事故が起きた、あの日。
高島さんは、福島第1原発で電気機器のメンテナンスを請け負っていて、敷地内にいました。
そこに突然、大きな揺れが襲います。
<高島さん>
「急に地震でかなり地割れというか大きな音が響いてきて、天井が落ちたりすごい状況でした。女性の方なんかは泣いて…」
故郷の福島県双葉町は、その後警戒区域に指定され、高島さんは妻の実家がある福井県敦賀市へ避難します。
原発作業員の証でもある「放射線管理手帳」。
避難後も専門知識を生かし、高島さんは「もんじゅ」で働き始めます。
しかし今年3月以降、定期検査の仕事がなくなり、他の原発も次々に停止する中、先が見えない状態が続いています。
高島さんのような原発作業員は全国で8万人以上いますが、後に続く若者の数は減少傾向にあるといいます。
大飯原発の再稼働の動きも、こうした経済への影響を配慮したともみられています。
<おおい町商工会 木村喜丈会長>
「15人や20人とかの小さい会社の従業員が『一旦休んで下さい』といって失業保険をもらって暮らしていく。原子力が再稼働することによって建設作業員も入ってくるし、町が賑やかになってくる。そういうことで小規模事業者にも仕事が回ってくる」
原発作業員として、生活を維持するために一刻も早い再稼働を待ち望む高島さん。
その一方で、「安全に絶対はない」という不安。
事故の経験者だからこそ、複雑な思いを抱えます。
<高島さん>
「心配は心配だが、心配しても先へは進まない。いっぺんに全部止めて廃炉にするわけにはいかないでしょうからね。1基でも早く動き出して・・・ 今まで50年やってきた原発をなくすっていうのもね…」
およそ50年に渡って、日本のエネルギー政策を支えてきた、原子力発電所。
今後、「我々はどう向き合っていくべきなのか」、たとえ原発が再稼働したとしても、その問いかけは続くことになります。
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