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2012-01-25

鬼頭と虚淵の狂信者たち

以前に虚淵ツイッター

今でも所謂「アンチ」という生き様の虚しさ悲しさについては、キミらそんな人生で本当に満足なのかと嘆かわしくなるばかりである。巨人軍アンチを親に持つ息子が、読売新聞に足を向けて寝られなくなるような──そんな運命の悪戯だって、あるんだぜ?

antimadoka @ ウィキ - トップページ

と、発言していたらしいが、そもそもアンチの存在を許せない人間がもの創りに携わるべきではない。
発言の通り、こいつはただ自分を持ち上げマンセーしてくれる人間が欲しいだけで、創作に賭ける情熱など一つまみも持ち合わせていない。
だから、キャラクターの吐くセリフは、奴の自己陶酔した思想であり、そうでないキャラクターは不自然な形で不幸に陥れる。故に、キャラクターが人形でしかなく、退屈なのだ。

しかも虚淵はほとんど小説を読んだことがないらしいが、『Fate/zero』の文体を見る限りでは、なるほど確かにその通りだろう。素人にありがちな陳腐で大げさな言い回し、本人どや顔こっちは大爆笑。
そもそも本谷有希子然り、小説を読んでいない人間が小説を書くなと思う。小説は読まないと上手くならないジャンルだ。読んでないで書いてる奴の文章は一発で見抜ける。

話を戻すと、人は他人が何を考えているかは分からなくても、どうされたら嫌か、どうすれば喜んでくれるか、そうした相手の気持ちを推し量ることのできる----思いやり---を本来兼ね備えている生き物だ。
しかし、世の中にはそうした「思いやり」の精神が最初から欠落している人間がいる。虚淵玄鬼頭莫宏、そしてその信者たちがいい例だ。
虚淵や鬼頭の批判記事を書けば、必ずと言っていいほど信者が特攻してくる。こんな弱小ブログ相手に顔を真っ赤にしている。

恐らく、作者自身がアンチの存在を想像できない故に、反論する奴は駆逐しろ! とばかりに信者どもはそれに準ずる。これはファシズムであり、言論統制だ。
無能でボンクラ虚淵・鬼頭信者が都条例反対だので、あーだこーだ石原がー石原がーと言っても、お前らこそ石原も真っ青な戦時下の言論統制主義者だ、としか思わない。

自分は好きなものを否定されたりdisられても、正直痛くも痒くもない。「そういう人もいる」くらいにしか思わない。要するに「人それぞれ」で終了する。意見には賛同できなくとも反対の意見を持っている人がいることは事実として受け入れる。
それは、個人の趣味嗜好が「人それぞれ」であるように、自分が好きなものが100%他人と共有できはしないと思っているからだ。

しかし同時に、好きな作品に対する絶対的な信頼と自信を持っているからこそ、アンチを見てもスルーできる。
人は誰しも、己の信念に自信がなくなると疑心暗鬼になり、受け入れない相手を攻撃する性質がある。
つまり、虚淵や鬼頭の信者がアンチを攻撃するのは、自分の信念に自信がないからだ。そして、アンチを攻撃することでしか自己肯定ができない。
これは臆病な犬と同じだ。自信がない故に、常に迷いながら不安定に揺らいでいる。だから、自分と少しでも意見の違う者がいれば、脅かされると思いこみ、ヒステリックに噛み付いてくるのだ。

作品のよさを伝えたいなら、地道に理論展開し証明すればいい。
他を攻撃し、他をdisったところで、作品の評価がよくなることなど一片もない。
「AはいいけどBはだめ」というのを見かけるが、作品や作家を「好き」になることは相対的なものではなく、比較対象など必要としない「絶対的」なものではないのか?
しかし、狂信者たちはこうした自己矛盾にまったく無自覚なのだ。

例えば自分は鬼頭莫宏の『ぼくらの』が大嫌いだけれど、アニメ版はそれなりによかったと思っている。

ジブリ作品としては『猫の恩返し』は驚くほど良作だったし、アニメ放送時に更新されていた森田氏のブログコメント欄を開放していて、勇気のある人だと思っていた。アニメの原作改変は的確だったと思う部分も、原作レイプだとわめくバカがブログに沸いていた。

原作のナカマの母の職業は売春だが、アニメ版では母親はナカマを出産と同時に売春をやめ、現在はバーのママになっている、といった変更も、信者たちは気が狂ったみたいに暴れていた。
しかし、暴れていた連中に聞きたいが、子供がいるのに売春している親を果たして心から尊敬できるか? 確かに職業に貴賎はない。とは言っても、これはそれ以前の問題ではないのか。その上で森田氏の判断は賢明だったと思う。

そして例の、森田氏による「原作が好きじゃない」発言で一気に炎上した。

私が原作を好きか嫌いかを意識するのは、原作を手にした最初だけで、仕事を引き受けた以降はそれはまったく関係ないです。

負けました - 森田宏幸のブログ

ここで暴れた信者どもは万死に値する。
あのな、どこの世界に監督は必ず原作を好きじゃなくちゃいけない、なんて掟があるんだよ。監督だって職業だし、仕事でやってる。
当然、好きじゃない仕事だって受けなければならない。そのことについて、言うか言わないかを取りざたするとしたら、森田氏は一番やっかいな連中を相手にしてしまっただけで、本来だったらこうした発言の自由はもっとあっていいと思っている。そんなことも分からない厨房は原作大好きな二次同人誌で満足して、出てくるな。

猫の恩返し』のような清清しい作品を撮った森田氏が『ぼくらの』みたいな似非鬱話が嫌いなのは当然だろう。
というのは優れたクリエイターたちはみな、鬼頭や虚淵のような似非不幸の幻覚に惑わされた時期を乗り越え、今の境地に達しているのだ。だから、鬼頭や虚淵の言わんとしていることが、いかに悪趣味で幼稚で厨二臭いかちゃんと分かっている。

以前に書いた記事< 貴様こそ、爆発しろ - このページを読む者に永遠の呪いあれ >に補足すると小池一夫夏目房之介と同じで基本、批判をしない人だ。
まどマギ』についても、ああいう言い方を選んだだけで、彼の作るキャラクターや持論と照らしあわせば『まどマギ』を実は暗に否定していると理解するのは容易い。
例えば、小池氏が「『まどか☆マギカ』は何がなんだか分からない。謎が謎を呼び、ラストまでいってしまう。」と言う発言も、イミフのまま進行し、視聴者置いてけぼりで終了した『エヴァンゲリオン』の方が遥かに『まどマギ』の謎を上回るわけで、実のところ『まどマギ』に謎な部分など全くなかった。
恐らく小池氏が言いたかったのは「物語が進行しても着地点が見えてこない」ことを指摘したかったのだ。そしてラストのむちゃぶりな世界改変(笑)で「今までのことは全否定ですかww」と驚いただけで、こんな支離滅裂なストーリー作りは確かに「見たことがない」という意味では斬新(笑)だっただけだ。

原作disをあげれば、押井守はその筆頭で、「『うる星やつら』を頼まれ原作を読んだが好きになれなかった」と言っていた。「これって単に諸星がラムちゃんのことを『好き』と認めないゲームを楽しんでいるだけでしょ」。と、実に押井らしい発言をしていた。

スカイ・クロラ』にしても、押井は原作を読んだ上で「この原作のままなら映画にできません」と3回断ったと言っていた。もともとあれは日テレのゴリ押しで押井に持ち込まれた企画だった。故に押井の水素は僕女ではないし、水素函南に殺してと頼み函南は殺してしまうところも、映画では大幅に改変された。
森博嗣自身は「押井さんにアニメ化してもらえるだけで感激です><」と言っていたので、騒がれなかっただけだ。

ぼくらの~alternative 1 (1) (ガガガ文庫)

ぼくらの~alternative 1 (1) (ガガガ文庫)

しかし、『ぼくらの』では、ノベライズを担当した大樹連司と言う大バカ野郎が、あろうことか小説の中でレイプ犯の名前を森田氏の名前にしたらしい。もはや、重罪人は大樹とそれを許した編集者だ。
これを知ったとき、心の底から思いました。「頼むから死んでください」。

大樹は『ぼくらの』に感銘を受け(笑)作家になったらしいが、その捻じ曲がった思考回路を正すためにも、1回死んで生まれ変わって人生やり直してください。しかし、これをそのまま出版した小学館うんこぶりはひどい。自らうんこ出版社だと暴露しているじゃないか。

で、笑うのが『まどマギ』の元ネタではないかと評判のニトプラが数年前に出したエロゲースマガ』のノベライズを大樹がやっていることだ。おいおい。どういう繋がりだよ(笑)。

スマガ 1 (ガガガ文庫)

スマガ 1 (ガガガ文庫)

< スマガ -公式サイト >

  • 魔法少女というか魔女っ娘ものでバトルもの
  • 誰かが誰かの死を回避する為に繰り返すループもの。
  • 繰り返しにも制限(ルールがある)
    • ほむらのはちょい分かりにくかったかもしれないが、約1ヶ月しか後戻りできない。盾の砂が約1ヶ月分で、これの分だけ過去に戻れる。(砂が落ちきるまで間だと時をとめられるという付加効果あり)一方、うんこマンの方はもうちょいシビアだが、寝る、気絶する等する前、意識がある間しか遡れない。(ひとまずの結末を迎えられたら最初からやり直せるが)
  • 戦う者たちが、戦うべき敵へと変化する。
  • 主人公が神になる
    • どっちかというと、デモンベインの九朗&アルの旧神verのほうが近いものがあるが、スマガの主人公、うんこマンも高次元にシフトされて神になるのね。QBと同じような台詞を神(幼女)か神(眉毛犬)が言ってたと思う。
  • 少女の願い、祈り、そして絶望がキーワード
    • 原器に選ばれた1人の少女の価値観が世界を構築し、彼女の絶望の為に悪魔(ゾディアック)に勝てないという設定は、結構毛色は違うがメッセージとしては同種だと思う。
  • ワルプルギスの夜と鉄槌の日(マレウス)
    • うん、これはもうまんまと言うか。無理ー絶対無理ーな絶望の日が来ますよと。

ありがとう、まどか☆マギカ: みぎ@致命的欠陥記録

まあ、とにかく鬼頭と虚淵が出会ったら気があうことは間違いない。信者の質もそっくりだし。
思えばQBはコエムシに似てるしな。

LEDLED 2012/01/28 13:06 はじめまして。
異様な絶賛しか為されていない「まどマギ評」なるものにウンザリし、
まともに批評している所は無いのかと探していたら、ここのブログに辿り着きました。

虚淵玄を筆頭とする絶望趣味者達の作品の欺瞞性を快刀乱麻に説明しておられ、実に胸のすく思いです!
もう本当に……彼らの作品には「人間愛」が決定的に欠けていると思うのですよ。
善良な、あるいは正義感のあるキャラクターをひたすらにいたぶって笑い者にする。
それに突っ込みどころ満載でイライラするストーリー。「そうじゃないだろ、もっと上手くやれよ!」
と何度思った事か。
実際に現実生活を送っていると分かるのですが、思いやりがある人間というのは慎重で思慮深く
まどマギに出てくるキャラクターのような馬鹿な行動を取ったりしませんよね。例え中学生でも。
結局あの人達は「正義も愛もこの世には無いんだ!これに気づいている俺ってチョー賢いジャン♡」
って言いたいだけなのでは?だとしたら、とんでもない社会不適合者です。作家以前の問題です。

それにしても……まどマギが当たってしまったおかげで、これからは爽やかな王道作品も減ってゆき
ドロドロしたグリム&グリッティ作品が大量生産でポンポンと出てくるのでしょうか?
まさか業界もそこまで単純ではないと思いますが、少し不安ではあります。

しかし、ここのブログを読んで創作界隈の将来もまだ捨てたものではなさそうだと思いました。
sutarinさんのように真剣に作品を読む読者がいる限り、王道作品はこれからも
愛され、作り続けられていくでしょうね。
(私は論理的な批評とかができないので、ここのブログはとても参考になりました)

はせはせ 2012/01/28 15:02 こんにちは。はせです。
>そもそもアンチの存在を許せない人間がもの創りに携わるべきではない。
と虚淵についてありますけど、鬼頭も「ぼくらの」の作中でキャラに監督を
ディスること言わせていますから同類ですよ。
まったく、自己愛むき出しで自分を否定するどんな意見も許さない。虚淵も
鬼頭も同類ですよ。「カラマーゾフの兄弟」を読んでいたら「プロとコントラ」
という章があって、ラテン語で「肯定と否定」だそうですが、現実は肯定と否定
の連続ですよね。様々な意見があるからポリフォニーとなって現実が成り立つのに、
彼らの世界は全肯定しか許さないモノフォニーな自己愛に満ちた甘ったれた世界です。
 森田監督はあんな原作に対して真摯にやったと思っています。誠実な制作姿勢だった
と思っています。あの例の原作が好きではない発言も製作者としてのスタンスを表した
に過ぎないと思っていますし。森田氏は自分の改変理由を細かく伝えていましたが、
信者どもには言い訳にしか聞こえなかったようです。私としては森田氏のスタンスが
わかるのでよかったのですが。「やくざの」とか「もりたの」とか揶揄されてリアリティが
ないとさんざん言われているけど、レイプ犯が親から免罪される作品のどこにリアリティが
あるんだと言いたい。何も内容もない空虚な価値のない作品ですよ。ウシロの扱いにしても
アニメ版は最後にウシロにドラマを集約させてウシロの自己愛からの脱却をやらせたところ
が森田氏のアンサーを感じましたが、原作はウシロは何も成長も学習もしていない身勝手な
自己愛のままのキャラでしたよ。
 とにかく、例のブログの炎上以来、鬼頭信者が恐ろしくてたまらない。YouTubeで森田氏を
中傷する動画を見て以来、Amazonやネットで鬼頭に対して好意的なこと書いている連中は森田
氏を中傷することを平然とやっていると思うようになりました。なぜ鬼頭信者はあんなに全体
主義的なのでしょうか?あなたの文面から読み取れる以上に彼らはファナティックです。
あのファナティックさはどこから来るのかわかりませんよ。いつからオタクは閉鎖的になった
のか?鍵オタが出崎氏を中傷するのを見た時、隔世の感がありました。押井氏とうる星やつらの
ファンの間だってもっと意見が戦わされたはずです。それすらなく、ひたすら排除あるのみ。
どこからイントレランスになったのか?
 まどマギといい、ますます閉鎖的になっていくのでは、オタクは窒息死しますよ。オタクは
もっとカウンターカルチャーで、それぞれ意見を交わし合って自由じゃなかったのですか?
それがいつしか原理主義者のように不寛容になってしまったのでしょうかね?
 大樹連司という大馬鹿野郎は小学館追い出されてほそぼそとやっているところを見ると、大した
やつじゃないですね。オリジナルが売れないところをみるとざまあみろと思いますよ。人に対して
こんな悪意を抱くのはこいつがこんな馬鹿な中傷をやったからですよ。決して許されざることではない。
 さて、12月はお忙しいとブログの文面で伺ったので控えていましたが、神山版009の予告動画が限定
配信された時に保存して変換した動画を差し上げたいと思うのですよ。ご都合のよろしい時は
いつでしょうか?その時にオンラインストレージサービスにアップロードしてメールで伝えます。
それでは。

あ 2012/02/13 15:29 何か前も小池一夫氏をダシに使って批判してましたよね。で、全然思惑外れて二人は対談とかしちゃってるし。ほんとこういうところで鬱憤晴らしてる最底辺の人間って感じで、哀れですwww

小池草小池草 2012/02/13 21:51 まどか批判はして全然いいと思うんですが、
小池せンせいがニコ生対談やtwitterなどであそこまで何度もまどかを褒めてるのを
いくら何でも都合よく解釈しすぎじゃないですかね。
いくら批判をしない人でも、本音で認めてないものをあそこまで積極的に褒めないでしょう。
「本音では褒めてないが売れてるので積極的に媚びてる」とでも思ってるんでしょうか。
何にしても、いくら何でも小池せンせいに失礼なンじゃないでしょうか。

「小池せンせいは虚淵を認めている」という現実からは
目を背けないほうがいいンじゃないですか。そりゃ認知的不協和でしかないですよ。
「虚淵を褒める小池一夫は見る目がない」とか言えばいいンじゃないンですか。

sutarinsutarin 2012/02/17 04:12 >LEDさん

「まどマギ」や一連の虚淵持ち上げは企業が金を使ってやっていることが明らかになった今となっては、惑わされるだけバカというものです。

彼の作風は氷山の一角に過ぎません。
虚淵が大手を振って歩いているのを気持ちよく思っていない同業者はいっぱいいるはずです。虚淵を支持しているのは、極めて悪趣味で幼稚な人たちだけです。

ですから、LEDさんが嘆くことはないと思います。王道はこれからも生まれ続けるだろうし、愛されることでしょう。
こういう作風が駆逐され、評価も得られず消えていくことは、時が実証してくれると思います。

>はせさん

森田氏の苦労は本当に筆舌しがたいものがあったと思います。むしろ、よくあそこまでがんばって最終回まで持っていってくれたと思います。
才能ある監督なのに森田氏がただ一つ不幸だったのは、鬼頭の作品に携わってしまったことです。
森田氏は正義感の強い人でしょうから、己に嘘をついてまで作品を作ることはできなかった。その正直さを評価こそすれ、叩いた鬼頭信者は害悪以外の何者でもないと思います。鬼頭を持ち上げる信者は、鬼頭と同じメンタリティだと思います。故に彼の自己愛むき出しな作品にシンパシーを感じる。
しかし、鬼頭信者以外で彼の作品に共感できる人はいないわけですから、ネット上では声が大きいだけで、ごく一部の連中に過ぎないと思っています。
それにしても、文化庁は『ぼくらの』『まどマギ』を受賞させたりと、とち狂ってますね。ろくでもない作品に賞をあげているだけのまさに税金の無駄遣いでしかなく、とっとと廃庁にしてしまえばいいと思います。

大樹は小学館を追い出されたのですか。まさにざまあwwwです。
あと神山氏の件ですが、恐れ入りますが、またメールからご連絡いただければと思います。重ね重ねありがとうございます。

>小池草さん
>あさん

似たような意見ですので、お二人はまとめてレスさせていただきます。

劇画村塾の出身者の方が一様に「小池氏に失望した」と落胆していました。少なからず彼の教え子たちは、「こんなことを言う人ではなかった」と一致しているようです。

自分から見て今の小池一夫は「まどマギ」を持ち出したことで、正直なところ一体いくらで買われたのか、と思って見ています。堂々とステマを行う会社が関係しているのですから裏でそのようなことが起きていても何ら不思議はありません。

小池氏が大衆迎合に傾倒しはじめたのは今に始まったことではなく、ずいぶん前からボーカロイドを認める発言をしているし、少なからずニコニコ動画関連で金をもらっていることは事実でしょう。それら含めての虚淵への賞賛と考えれば筋が通ります。

氏がツイッター上で「今は『煽り屋』しかいない」と呟いていましたが、視聴者への「煽り」だけで成り立っていた「まどマギ」について、この意見がブーメランになっていることに気がついていないのであれば、自分が好きだった頃の『クライング・フリーマン』や『オファード』を書いた小池一夫はもういないのだと諦めるべきかもしれません。
こういうことはよくあることです。例えば、今の蓮實重彦もいい例でしょう。

しかし、こう書くと、信者の皆さんは「陰謀論」と言いだすので、この議論はどこまでいっても平行線かと思われます。
ただ気になるのは、金で買われた賞賛しかない虚淵は、それで満足なのか。自分だったら死んでも嫌です。

信者の方は相変わらず「○○が褒めてるからすごい」「売り上げがすごい」といった外部比較でしか作品を評価できないようですが、ブログにもありますように、こちらは「まどマギ」がいかに素晴らしい作品であるかを作品単位で評価してほしいのです。
そういうところが「自分の信念に自信がない」ための虚勢ではと思ってしまうのです。

すなぎもすなぎも 2012/03/10 07:55 まあ、概ね同意できるけどアンチにたいする見解が私とは少々違う気がするので。

別に嫌いなら嫌いで良いんですけどね。
ただ、自分の時間を捨ててまで嫌いなものに粘着する人間もどうかと。
私の考えでは、どんな印象を受けて、どうして嫌いなのかを自分の言葉で語るのはアンチではありません。ただ嫌いなだけで、それは嫌いな人の感想に過ぎません。
しかし、ネットを徘徊して嫌いな作品の醜聞を何の検証もなく収集し、嫌いな作品を貶め、そのファンに嫌がらせをすることに腐心するのがアンチだと思うんですよ。

たぶんアンチの定義がずれてるだけでしょうけどね。

sutarinsutarin 2012/04/01 03:27 >すなぎもさん
レスがずいぶん遅くなってすみません。

自分は文学肌なので、アンチ=批判というのは当然作品にあってなさるべきだと思っています。気に入らない小説でも丁寧に読み込んで批判する、それこそが文芸批評の根幹であり、批評することで自分の思想を主張するのではなく、何が真実かを解明していく。

それを「自分の時間を捨ててまで嫌いなものに粘着する人間」になるのであれば、一度そうした評論をお読みすることをお勧めします。批評されている小説を読んでいなくてもわかる場合が大半ですので。

『まどマギ』や鬼頭莫宏に関して言えば、このブログのコメントを見ていただければ「嫌がらせをすることに腐心するのがアンチ」というにふさわしく、いたずらに中傷し、嫌がらせの書き込みをするだけで、理論的なことを一つとも言ってもらえたことがありません。
屈強な論客であれば、言い返しようもあり、こちらも白熱するのですが匿名性を利用しただけの、まともな議論のできない相手には、レスする時間がもったいなくて正直うんざりしています。

どうもどうも 2012/04/15 18:41 そういえば本谷有希子がショーペンハウエルの「幸福について」をテレビで褒め、現在馬鹿売れしているようです。本を読まないとsutarinさんに評価された本谷がこういう本を薦める、というのも気になったものです。sutarinさんの見方からするとこの現象に違った観点からコメントいただけるのではないかと思っていますが、どうでしょうか。

どうもどうも 2012/04/15 18:45 以下のような評価のようです。ほんとにショーペンハウエルはそんなことを言っているのでしょうか。私も読んで確かめてみようとは思いました。

http://ameblo.jp/e-fh/entry-11179584515.html
「最初のページの最初から、幸福がそもそも人間にとっての一大迷妄であるというように ”幸福自体は無い”と言いきっている…そこがしびれました。…幸福は無いけど、あえて幸福になろうとするならば ”まあ書いてやるか” と書かれている本です」

「他人からの称賛、評価を気にしてそれを追いかける事で殆どの人が人生を費やしてしまう…それはどうでもいいと書いてあったときに、凄くうれしいなと思いました…私も人の評価を以前は気にしていました…視界を開く幸せ本です。」

「社交的な人をショーペンハウアーは、ボロクソに言ってます。…バカは集まりたがるみたいな…(笑い)…精神的に豊かで自分で豊かさを作って行ける人は、社交とかはゴミだみたいな…そういう事を言いきってます」

「人と出会うことが大事とかもっと人と出会わないととか焦燥感に駆られたりしますけど、彼に言わせると『低能な人間のやることだ!』と一言で言いきってる…この潔さが心地いい」

あ 2012/04/30 01:07 あなたはこういう記事を誰に読んで欲しいんだい?

sutarinsutarin 2012/05/05 15:56 >どうもさん

自分はショウペンハウアーには暗いので、本書も当然読んでいないのですが、この本は以前からベストセラーになっているようですね。調べてみたら08年に2chで話題になった時にも売れたようです。
もしかしたら、ネットでこうした記事を拾って読んだのかもしれません。まとめサイトとそっくり同じことを言っているので、その可能性は高いでしょう。

ショウペンハウアーの言っていることを自分の見解で要約するに「孤独を愛せ」「他者の評価を気にしないで己の信じた道を貫け」と言っているように感じます。

本谷が本当にそうであれば、他人の評価など気にしないでしょうし、大衆に迎合するような作風の作品を書くこともないでしょう。
自分にはとてもそうとは思えませんが。

sutarinsutarin 2012/05/05 15:57 >あ さん

誰のためでもありません。吐き出しのため、自分のために書いているだけです。
誰かのために書いたことなど一度もありませんし、また読者を想定したこともありません。
以上です。

しまむしまむ 2012/05/06 03:07 始めまして、しまむと申します。

まず自分はまどマギ、好きです。
ですが好き、嫌いの言い合いをしようと思って書き込みに来たわけではありません。
まずは自分に敵意というか、害意は無いことをわかって頂ければと思います

sutarinさんは文学にとどまらない多くの作品を研究されている方なのですね
自分のカバー?している範囲はとても狭く、また作家の経験もない只の一読者なので、
とても文学的な考察によるお話をすることはできませんが
というか完全にただの趣味なので、その時点で考え方に大きなズレがあるのだとは思うのですが、
それでもsutarinさんのように真剣に、
文学的にオタク文化と向き合っている方と意見交換できるのは貴重な体験だと思ったので、書き込みをさせていただきました。

まず記事を読んでいて最初に自分と解釈が違うな、と思ったのは
『今でも所謂「アンチ」という生き様の虚しさ悲しさについては──』
という虚淵氏のツイッターでのの書き込みについてのものです
上のコメントでもすなぎもさんがコメントされていたように
自分は彼が、嫌いな作品がある人のことを非難しているわけではなく、
『ただ嫌いな作品を嫌いだ、嫌いだ、と言い続ける、イライラが溜まるだけの行為
そんなのは自分にとってただ損なだけではないだろうか』
ということを言っていたのだと思います
作品を良い、悪い、好き、嫌い、とその内容について批評することは当の虚淵氏も具体的にではありませんが
二次展開(小説のアニメ化、劇場化等。あれ、間違ってますか?)の批判というか考察をこれもまたFate/Zeroのあとがきで書いていました。
(説明をしておく必要があるのでさらに書くと、原作の二次展開の数多くの失敗と一握りの成功を目にしてきた虚淵氏が、
同じく二次作品である本作Fate/Zeroの執筆にあたって書いたもの)
恐らくアニメ化にしても、相当慎重に話し合いが行われたのだと思います
小説の最終巻が出たのが2007年なので、それからアニメ化まで4年位経っています。
もちろん四年間みっちりアニメ化の打ち合わせというわけではなかったとは思いますが。
また、小説版まどかマギカの担当作家が原作の虚淵氏でないのもそれが理由な気がします。
もちろんこちらも推察です。

作品を否定する人=アンチ
言葉としては正しいのでしょうが、これはアンチ否定派の認識とはやや違うように思います。
アンチ否定派にとってのアンチというのは
大抵作品の内容だけでなく
その批判が外にも波及する人なんじゃないかと考えています

?
「○○をあそこで死なせるなんて作者は人間の屑だ、この作品好きな奴も皆屑」
「お前が屑」

?
「○○をあそこで死なせることに意味あった?作者の考えが理解できん」
「あそこで死んだから、後で××の登場と、△△の復活が盛り上がるんじゃないか」

あまり上手な例を書くことができませんでしたが、多分こういうことだと思います
下の例であれば普通はアンチのレッテルを貼られることは無いはずです
中には大げさに発言を取り上げて煽る人もいるみたいですが…

話し合いがしたい作品否定派と
ただ文句を言ってうさを晴らしたい(喧嘩したい?)作品否定派
この二つの違いが問題なのだと思います
書きながら考えているのでまとまりが無くてすみません

そして、作品の批判にとどまらず、作家の人格までも否定してしまうこの記事を書くsutarinさんは
自分にはアンチに映ります
でも最初に言ったとおり、悪意を持って書き込んでいるわけではありません

自分は、その人の作品を読んだだけで人格や思想までわからないと思います
何故そこまで人格否定ができるのですか?
作家が皆、自分のものの考え方をそのまま作品にするとも限らないと思います
売り物として世に出る以上、その作品を書くことは仕事なのだから
作品と自分とは切り離して書くことも珍しくは無いのでしょうか

しまむしまむ 2012/05/06 03:20 連投失礼します、入らなかったもので


次に記事内の細かい部分の補足になるのですが
もしご存知であればすみません

Fate/Zeroについてですが、
あの作品は外伝です、タイトル通りエピソード『ゼロ』になります。
作品の原作であるFate/Stay Nightの作者は虚淵玄ではありません、那須きのこです
Zeroのあとがきでも那須きのこが書いていますが、「Zeroの文の書き方は原作に合わせて那須きのこの書き方になるべく近づける」
という条件の元書かれたものですので、Zeroは虚淵玄の代表作のひとつだとは思いますが
この作品から虚淵玄の作家性について述べるのは早計な気がします

最後に
上のコメントで書かれていたように、誰に向けるでもなく吐き出しのためというのであれば
確かに何も言うことはできないのですが
人の目の届くところで吐き出しているのですから、「嫌なら見るな」は微妙な言い分です
作品からの人格否定はやめたほうが良いと思います
できればもっと作品の内容に沿った感想を読みたいです
読者は想定していないんでしたっけ、でも、お願いします

長くて拙い文で失礼しました

sutarinsutarin 2012/05/06 23:24 >しまむさん

最初に言っておきますが、好きなものを他人に強要し、どうして好きになってくれないの? わかってくれないの? と押し付けてくる人々を自分は狂信者と呼んでいます。その有様は、宗教の勧誘に近いと思います。失礼にあたりますが、しまむさんの文章を読んで真っ先にそれを感じました。

自分が虚淵を嫌いな点は、評価や話題性をステマでギガ盛りし、厚顔無恥でいること、その評価がまったく作品とつりあっていないことに限ります。
件のツイッターの発言は、優しい眼差しで見ればそう解釈もできるでしょう。他の著名人だったら、自分も叩かないと思います。しかし、彼にはステマ疑惑というのがある。それを考えた場合、どうしてもそのように優しい解釈をすることは難しいのです。

それと、『Fate/zero』が『Fate/stay night』の二次創作であることくらいは当然知っております。その上で『SN』が好きだからこそ、『zero』を批判しているのです。
虚淵があとがきで何を書いていたかも少なからず知っていますが、あそこで書かれた文章はまったくもって子供じみた『SN』の解釈でしかない。悲劇しか書けない、というのであれば、何も『Fate』の褌を借りる必要はないのではないでしょうか。

しかも『zero』で行われている『SN』メインキャラの劣化やセイバー叩き、イスカンダルを初めとするオリキャラマンセーは、しまむさまのおっしゃるようにはとても思えない。
『zero』は自分からすれば、原作キャラ叩きをするための悪質なヘイト創作でしかない。
アニメについては、意味不明なぐるぐる歩き、説明だけで終了するパート構成、戦闘シーンの緊張感のなさ、陳腐な言い回しばかりが鼻に付く脚本、といいところなど微塵もありません。よくて突っ込みどころ満載のネタアニメとして、爆笑しながら見ているに過ぎません。

ストーリーに関しても、『Fate』の世界観は魔術・戦闘世界を軸に構成されているはずなのに、『zero』にはまるっきりそれらの世界観が生かされていない。キャラクターの退場も戦闘抜きで殺されたりするだけで、昼メロを見ている気分です。
『Fate』の外伝を期待して見た者にとってはまったくの肩透かしもいいところです。

それと、しまむさんのおっしゃるアンチの定義ですが、虚淵がアンチに人格攻撃までされるのは、作風に作者がでずっぱりなところがあげられます。
本当に優れた作品では作者は影を潜め、作者の思想・信条すらわからないことが多い。例えば、ドストエフスキーなどありとあらゆる思想のキャラクターが登場しますが、作者は誰にも肩入れせず平等に扱うため、キャラクターがたっている。故に面白く、読んでいるこちらに全ての正義と審判がゆだねられるのです。

しかし、虚淵は作者のどや顔と贔屓キャラと嫌いなキャラsageが目立つだけで、まさにその逆をいっています。だからこそ、彼の作品はイコール彼自身の自己顕示であり、故に人格攻撃までされるのが主たる理由でしょう。先ほどいったように、作者が姿を潜めている作品は、作者の人格攻撃などされようもないし、またされない。
古谷実の『ヒミズ』は虚淵の作品以上に暗いですが、作者の顔が見えない。だから、古谷の精神状態を案じても、彼の人格を攻撃するような批判は出てこないし、またあったとしても、それは見当外れでしかないと思います。

それと、しまむさんのように嫌いな人間に「どうして」と押し付けてくるファンが多いせいで、ファンを含めて批判されるのです。
逆に信者の方にお尋ねしたいのは、どうして「人それぞれ」という解釈ができないのか。どうして、嫌いだと主張している人間にわざわざ特攻して、「お前はおかしい」と主張してくるのか。それが自分にはまったく理解できません。

大げさな言い回しや陳腐な描写についてですが、これはどのラノベにも共通して言えますので、自分には本来ラノベ調の文体はあわないのでしょう。
しかし、それをハードボイルドと評されれば、ヘミングウェイが泣くと思います。元来の「ハードボイルド」の意味とはまったく別の文脈で使用されていると言うことをお忘れなく。

最後に、「嫌なら見るな」とはどこにも書いていないはずです。反論するのであれば、こちらを論破するくらいの証拠をもってきて、書き込んでくれと言っているに過ぎません。

しまむしまむ 2012/05/07 02:55 最初にお詫びを
虚淵作品の例として最初にzeroが用いられていたので勘違いをしていました
勝手に勘ぐって余計な注をつけてしまいすみませんでした

自分は、どうして嫌いなの?と聞くことが押し付けだとは思いません
書かれているとおり、これは質問だからです
何故嫌いなのか、どこが嫌いなのかを問われているのならそれを答えればよいだけです
論理展開したら必ず好きになってもらえるものなどありませんから
その説明をされた、質問した側は大抵、結局「人それぞれ」だと感じることになるのでしょうが
質問する側は批判者の批判するという行為そのもの批判しているわけではありません
なのに、質問を強要と感じてしまうのは何故なのでしょうか
嫌いだ、と嫌悪にも取れる言葉をぶつけられたまま
好きな側には黙っていろということですか?

作品の批判をする人間の批判という行為そのものを批判する作品肯定派と
作品の批判だけ言い残して話し合いをする気の無い作品否定派
肯定派も否定派も互いに上一定の割合の特別な否定派、肯定派に悩まされているのだと思います
そこを踏まえたうえで、否定派、肯定派をそれぞれ人くくりにしないで考えていただけたら、と思います

お前はおかしい、を地で行っているのがまさにこの記事ではないですか?
そうでないならもう少し書き方に注意するべきだと思います
万死に値する、など読んでいて何様だというような書き方もありました
森田宏幸氏のことについては好きである以外の姿勢を認めなかったファンの批判に対し憤りを感じますし
本人は本当に気の毒だと思う他ありませんが…

作品の本スレッドに直接書くことはないにしてもネット上での根拠による人格批判は
自宅のドアや外側の壁(人目に触れるところ)に他人の悪口を書くようなもので
たとえ話題に上がっている作品を知らない人間がちらと見てもあまり良い気持ちはしないでしょう

ネット上や本屋に並んでいるどんな情報をどれだけ集めたところで、その人の人格を批判してよいわけは無いのです
その評価にいたる情報が圧倒的に、全く足りません
その程度で人格の理解にたどり着くと思っていることこそおこがましいと思います
「この情報源を見た限りでは」と最低限付けるべきです
あくまで批判できるのは作品やその人の選択、行為であってそれ以上ではありません
正直、この記事は作品の批判でなく、人物の批判の色が濃いです
作者が作品に自分の思想を投入することは手段の一つですが、読者が作品と作者を結び付けて縛るのは間違いだと思います

いやなら見るな、についてですが、確かにこれはこちらの勝手な解釈です
やや誇張した書き方になってしまったことも申し訳なく思っておりますが
プロフィールの欄に
「口が悪く、批判と名のつく「悪口」を書くことが多いです。そういうのに耐性ない人は寄り付かないように。」
と書かれていたので嫌なら見るな、と語調を大げさにしてしまいました
ただ文の解釈としてはそれほど間違っていないと思います

また、冗談で書いているのだと思いますが、批判と悪口をごっちゃにしてしまうと話し合いになりません
まず、できるだけ客観的に見た、公正に少しでも近づけようと様々な側面から見た批評、であるのか
間違いを承知で書いている悪口、愚痴であるのかをはっきりさせたほうが良いと思います
書く側が悪口を自称しているのに「悪口を言うのは良くない」というのは滑稽です、自分が(笑)
「悪」口が「良」いわけないですから
悪口の中で悪態をつくのは言う側の勝手です
悪口なのだから正否は問われません、というか最初から悪です
でもそれに論破や証拠を求める、自らを肯定しながらの発言なのであれば
この記事(というかサイト)は悪口、という言い訳をなくし、作品の批評としてもう一度形を改めるべきだと思います


それと念のため
自分は嫌いなものの話より好きなものの話をするほうが楽しいとは思っていますが
好きな作品の欠点について話し合うこともします
作品が嫌いではなくとも欠点は探せば見つかるものですから
良い点、悪い点を見つめて作品がよりよく理解できることも良いことだと思っています
理解できている気がするだけ、なのですが
解釈の正解なんて原作者でさえ把握しているかどうかわかりませんし

文学派の方にお聞きしたいのですが
ご自身は読んだ作品をよく理解できると思っているのですか?
sutarinさんのような「文学肌」の方々は、自分は「読み込んでいる」「深いところまで理解している」
ということを当たり前のように話をしていますが
正直自分、というか大抵の人にとって本から作者のなにかしらを感じ取ることは難しいと思います
作者と直接会って話したわけでもないのに、と思ってしまい
作品からの作者の特徴を確信をもって言われてもピンと来ないことがあります

zeroに関しては自分は作者の嫌いなキャラ下げには全く気づきませんでした
誰が嫌われているのでしょうか、ランサー、セイバーあたりですか?
今でこそラノベを卒業しましたが、sutarinさんの言う「陳腐」な文章を自分は嬉々として読んでいました
そしてそんな陳腐で大げさな文章で書かれた本を今でも大切に持っています
たまに読みます、でもまだそういったことがわかりません
自分を含めて文学派でないファンには理解の難しい嫌う理由が、sutarinさんにはあるのですね
でもそれは自明のこととして他の人に示し説明するのいがとても難しいことだと思います

虚淵氏が悲劇しか書けないというのは、zeroを書かない理由にはなりません
あとがきやインタビューによれば執筆を依頼したのはtypemoon側からだそうですから
そしてSNでもわかっていた通り
第四次は失敗が約束されていて、キリツグのキャラクターについても最初に少し書かれていましたが
それとzeroの展開に矛盾を感じるということも自分はありませんでした
でも流石に初めて読んだときは落ち込みました…


いきなりですが自分はグレンラガンが一番好きです
「こんなアニメ見てる奴はにわか、厨二」
等のようなファンの人格批判をするアンチの人と話し合いの余地があるとは思えませんが
作品の展開の是非を問う話し合いはよくしています
カミナやニアは死ぬべきではなかった、という意見を声高に主張する人をたまに見かけますが
それに対して自分は「そういうのもありかも」位にしか思いません
いや、「そういうのも見てみたいなー」位はあったかもしれません
つまり作品的にこの展開は間違いだった、なんて言い切れるものは無く
また確実な数式や法則などもなく、文学はとらえかたを学ぶ学問でもあると思います


ステマで最近有名なのは韓国料理や韓流○○などでしょうか
確かにまどマギ推しもあったように思います
ただ自分はzeroもまどマギは放送前から期待していたので
後でステマによって流されてきたわけではないつもりです
今回の話を聞いても、虚淵氏についてはともかく、まどかマギカやzeroを好きな理由(気持ち?)の方が勝ったので
これからもこれらの作品は好きなままだと思います

しまむしまむ 2012/05/07 03:19 誤字脱字多くてすみません

sutarinsutarin 2012/05/09 21:00 >しまむさん

■最初に書きますが、頭に血が上った状態でコメントを書き込むのはやめてください。ここは他人のブログです。いわば、他人の家に押しかけているのと同じです。
コメントに再レスをするのであれば、ちゃんとこちらのレスを読んでからレスしてください。同じことを何度も書くのは面倒です。

■どうして嫌いかという質問には、前のコメントで答えています。ここでは割愛させていただきます。理由も論理的に書いたつもりです。

■しまむさんの最初のコメントを読めば、虚淵を好きで、嫌いなおいらが理解できない、と取れます。そんなつもりで書いていない、と応じられても、こちらがそう感じてしまえばこれは平行線です。受け取る側にそう思われないように言い回しを工夫するようにしてください、としか言えません。

■例えば、自分は自分の好きなものを否定するようなブログやサイトに出くわしてもそこに書き込んだりしません。スルーします。そういう人もいるんだな、くらいに思うだけです。その辛抱の足りなさが、虚淵や鬼頭の信者には多すぎるため上記の記事を書いたのです。
逆に問いたいのは、何故スルーできないのか。やはりブログに書いた通り「余裕がない」からですか? 俺がスルーできるのは、作品に対する絶対的な自信と信頼を寄せているからです。間違っても、庇うのをやめているわけではありません。庇う方法はいくらでもあるからです。その一つがスルーすることだと思っています。

■人様にブログの文章や姿勢をとやかく口出しされる覚えはありません。「もう少し書き方に注意するべき」「読んでいて何様だ」「おこがましい」とかあり方批判は余計なお節介もいいところです。ここは俺のブログです。何を書いても自由です。
しかし、記事を投稿する際には、文章のすべての責任を負って投稿してもいます。問題が生じれば全力で対応するつもりです。

■それとしまむさんの書き込みで一番腹が立ったのは「作品の本スレッドに直接書くことはない」という一文です。批判なら痰壷でやれ、ということでしょうが、アンチスレに書くのが嫌だからこそ、こうしてわざわざブログを使って書いているのです。
2chはとても無責任な場所です。だからこそ、無根拠に誹謗中傷を書き込める。故にそれが嘘か本当か、本気か冗談かも分からない。
だけど自分はそうしたくない。そういう形で作品や作家を攻撃しても何の意味もない。それこそ、あなたのような人は2chにこもって、このブログの悪口でも書きたてていたほうが賢明だったのではないですか。
あと、この記事は主に虚淵と鬼頭の人格攻撃というより、狂信者批判として書いています。もう一度初めから読み直してみてください。

■プロフィール欄に「批判と名のつく『悪口』を書く」と書いているのはわざとです。こちらは批判として書いても「悪口」と取る頭の沸いた人がいるだろうと、その意味で、わざと「悪口」という言葉を選んでいます。
このブログ上にある全ての文章は「批判」だと思っています。

■「悪口を言うのは良くない」などとは一言も書いていません。どこに書いていますか?
自分は殴ったら殴り返す、とどこかで書きました。虚淵や鬼頭がフルボッコにした作家さんのために、こちらから殴り返しているのだと思って欲しいです。

■「好きな作品の欠点について話し合うこともします」というのであれば、好きな人同士、お仲間同士で仲良くやっててください。俺を巻き込まないでください。そこに加えられるのはお断りです。

■文学肌を気取っているつもりはありません。上から目線でものを言っているように思われたとしたら、それは大きな勘違いです。
もし俺が文学はアニメ・漫画・ラノベより格上だと思っていたら、同列に並べて持ち出したりしません。「すべての文化は平等に芸術である」がモットーで運営しているからこそ、同じ地平で評しているのです。
自分もかつては虚淵や鬼頭のような似非欝作品が好きだった時期があったように思います。しかし、紆余曲折を経て、それらが間違っていて絶対に正しいものがある、という結論に至りました。
ここで「絶対」という言葉を出すと、ファシストだの教条主義だの叩く連中がいることも承知です。しかし、言わせてもらいますが、そういう作品や思想は必ずあるのです。この境地に至るには何年もかかりました。わからないのであれば、何年もかかるとは思いますが自分の足で探してみてください。

■最後になりますが、自分も『グレンラガン』が好きです。あのアニメのよさがわかるのなら、虚淵や鬼頭がおかしいこと、好きであることに自己矛盾を孕んでしまうことに気がつきそうなものですが、それは置いておきましょう。
自分が『グレンラガン』を好きな理由は、設定に矛盾がない、わかりやすい王道である、キャラクターたちが魅力的でひねくれていない、アクションシーンがかっこいいことなどがあげられます。

■ステマで有名なのは「韓流」ではなく虚淵玄とニトロプラスとアニプレックスですよ。
ハイクにも書きましたが、面白い作品だったらいくらでもステマをやっていいと思っています。問題なのはステマをされている作品がちっとも面白くないことです。
その意味で、『Fate/zero』は面白くないのにステマされているから気に入らない、と思っていただければと思います。

しまむしまむ 2012/05/10 01:31 自分は平常心で書いていると書いたところでわかってもらえるとは思えないので、
返信のしかたを変えます、言いたいことが伝わっていないところもあるようですし

>どうして嫌いかという質問には、前のコメントで答えています

二回目の書き込みで自分がしたのは「どうして嫌いなのか」という質問ではありません
「「どうして嫌いなのか」と聞くことが押し付けだとは思わない」と言ったのです

>しまむさんの最初のコメントを読めば、虚淵を好きで、嫌いなおいらが理解できない、と取れます。そんなつもりで書いていない、と応じられても、

虚淵氏の悪い話は、少なくともここで書かれているものは全て読みました
なるほど虚淵氏への印象は変わるかもしれない、けれど自分は変わらず彼の作品が好きだ。
と前回の返信の最後に書きました
自分は、ある商品が自分の嫌いな国で作られているものだからと言って、それを購入、利用しないなどということはしません
そのものが好きであれば使います、読みます、見ます。それだけです。

「私が責められていると感じたのだから、あなたは私を責めているんだ」
こんなのは明らかに誤解、と言うか被害妄想です、もう何でもありです
具体的にどのようなところでそう感じたのか教えてください

>「余裕がない」からですか?

余裕が生まれるほど人生経験を積んでいないので、それが無い(というか知らない、余裕なんて)のは確かですが
ここに書き込んだ理由はそうではありません
最初に書いたように、sutarin さんのような多くの作品の知識を持って作品に対しての考察をしている方の意見を伺いたかったからです


>人様にブログの文章や姿勢をとやかく口出しされる覚えはありません。

「読んでいて何様だ」「おこがましい」等
こちらの言葉遣いが強い口調で、顔も知らない人間に向ける言葉ではありませんでした、御免なさい
(言葉遣いに対してはsutarin さんに特に言われたわけではありませんが、勝手に)
ですが、そもそもネットは公共の場です
このサイトは確かにsutarin さんの作ったスペースです。がsutarin さんのお家(ホームページとは言いますけれど)ではありません

特定の人物に対する誹謗中傷を全く書くな、とまでは言いません
(本当はそう言いたくらいです、最近は何が原因で事件になるかわかりませんから、サイトの管理人さんにとっても非常にリスキーだと思います)
でも情報源(後のコメントで少しステマについて触れられていますが)の紹介(もしくは有無)や
いき過ぎた表現を避ける等の老若男女問わず多く居るネットユーザーに対する最低限の配慮が必要だと思います


>それとしまむさんの書き込みで一番腹が立ったのは「作品の本スレッドに直接書くことはない」という一文です

何に腹を立てられているのかわかりません

2chが無責任な場所と言うのには同感です
だからあそこには同じ方向性の話題を楽しみたい人たちのために「板違い」と言う言葉があるのだと思います。無責任同士が楽しめるように
2chは話し合いの場と言うよりは一体感を楽しむ場所、と友人が言っていました。全体に言えるかわかりませんが大体そうなのだと自分も思います

でも嘘か本当か、本気か冗談かなんて書き込んだのが自身のサイトであったとしてもわかりはしません
ましてや自己紹介欄でわざとであったにしろ自身の批判記事を「悪口」と書き、中途半端な姿勢を感じさせるようでは
このサイト全体が本気で書かれた批判かどうかなど周りからしてみれば全くわかりません
人によっては「釣り」と思われるかもしれません(だとしたら釣られた頭の沸いた人間は自分なんですが)
上で書いたことと矛盾しますが
悪口を自称して書く記事であるなら、外の人から「悪口は良くない」と言われても「ここはそういうサイトだから」と言うこともできると思います
だから先の書き込みではサイトの形をもう一度改めるべき、と書いたのです



>「悪口を言うのは良くない」などとは一言も書いていません。どこに書いていますか?

これも誤解です、ここでは、悪口を自称して書いていたのがsutarin さんで
「悪口は良くない」という旨の書き込みをしていたのが自分です、だから(笑)はsutarin さんに向けた嘲笑ではありません、自分あてです


>「好きな作品の欠点について話し合うこともします」というのであれば、好きな人同士、お仲間同士で仲良くやっててください。

自分も作品の批判をしないわけではない、と言いたかっただけです


>文学肌を気取っているつもりはありません。

気取っているかどうかまでは読み取れませんが
上の返信欄で自分とは別の方に返信されるときにご自身を「文学肌なので」と書かれていました
自分は記事の内容とそこからsutarinさんが文学に造詣が深いのだなあと思ったのですが…


>しかし、言わせてもらいますが、そういう作品や思想は必ずあるのです。

これについては本当に尊敬と言うか、憧れます
記号論とかいったむっつかしい本は半分も読めないのでただ羨ましいです
信じられない気持ちがあるのも確かですが
娯楽だから、頭使わずに読みたい、というのがいけないんでしょうか

>最後になりますが、自分も『グレンラガン』が好きです。

僕の方がもっと好きです

なんて冗談は置いといて
自分は好きな理由、というのは良くわからないです
歌もアイキャッチも声優さんも劇場版も全部好きで
特に螺巖篇は自分も大グレン団の一員になったような気持ちで(本当に馬鹿みたいなんですが)見てました
つまり何も考えていない、ということなのかな
でも5年経っても飽きないので、本当に好きなんだと思います

唯一、グレパラ2のビッグビルディングだけは好きになれませんでしたが…
インタビュー見てて、作り手があまりグレンラガン好きじゃないのかな、と感じたのが原因のような気がします
作り手の気持ちは関係ないはずなんですけどね…

>『Fate/zero』は面白くないのにステマされているから気に入らない、と思っていただければと思います。

ZEROのグルグルなどは自分も妙な心地がしたのを覚えています、あの箇所だけですが
虚淵氏、アニプレ、ステマ
その辺のところを自分でも調べてみようと思います

どうもありがとうございました

sutarinsutarin 2012/05/13 01:48 >しまむさん

レスが長いのは無用に感じたので、肝心なことだけ書きます。

どうして誹謗中傷(と思われるのは実のところ心外ですが)を書き立てるのか、という問いですが「他の人がしないので自分がするしかない」からです。

例えば虚淵をはじめ、ここのブログで取り上げられこき下ろされた作品の多くが、他のブログでは見ることができないくらい酷評されていると思います。
どうしてかといわれれば、自分には守りたいもの・守りたい信念・守りたい芸術が頑として存在しているからです。
それに異を唱えるような作品は断罪しなくてはならない。

何が正しくて、何が間違っているのか、世の中に道徳(という言葉はあまり好きではありませんが)や倫理が存在する以上、それは同時に文化にも存在すると思っています。

「絶対」という言葉を持ち出すと顔を顰める人が多いことも知っています。しかし、あえて言うのは何年も時を経て、愛され続け認められ続け、評価される作品が必ずあるように、人はそれを「普遍」と呼びます。
それら「普遍」を獲得するまでには、作品にはあらゆる試練が待ち構えているわけですが、それらを乗り越え燦然と輝く芸術が確かにこの世にはある。

虚淵をはじめ、あるいはここのブログで批判した一連の作家にはその意味で、そうした「普遍」性の欠如という意味での共通点があるのです。
恐らく評価は一過性のものでしかなく、時が経てば忘れ去られていくであろうメッセージや思想、おいらは受け手としてそれで満足するクリエイターは好きじゃないのです。

己の全てを賭けろ、とまでは言いませんが、少なくとも「普遍」を獲得できない作品はすべて駄作だと思っています。

badbad 2012/05/21 20:09 初めまして、sutarinさん
あなたの虚淵への批評を読ませていただきました。
あなたのこの論文はとても共感します。
私は一時期まどかに(全話見ていませんが)はまっていたものでした。
欝物(極度ではないが)が好きでそこから立ち上がるカタルシスを求めていて、
まどかでそれが出たと勘違いしていました。
長文の愚痴で迷惑かけることをお謝り申し上げます。

良く考えれば、あの世界の人間たちは改変前も改変後も他の人々のことを考えたことがなく、他人にも親切になろうとせず
全員が自分の醜いエゴを押し付けるばかりにしかいなかったことに気づきました。
私が好きな井上敏樹氏の欝物は容赦ないものばかり(まあこれは私の見識の狭さがひどいのもあるのですが)。
でもそこから立ち上がる登場人物たちに対して熱さを感じ、まさしく懸命に戦い、生きていると思わせるところが
私の欝物の好きなところです。(設定の矛盾とか誤解、ひねくれたキャラが毎回出てくるのには冷や汗かきますが(苦笑))
しかしまどかの場合は誰も生きてはいない、まさしくゴーストタウンに住んでいる幽霊ではないかと思わせるところがあって不気味です。
何故、ぼーっと突っ立ているんだベテランだろとか、さやかを追い詰めたり、人を見殺しにしているくせに、反省もせず何いい人ぶってやがるとか、
お前のあほの行動のせいで助けたい娘が苦しんでいるだろうが、何責任転嫁してんだとか、そいつはお前の彼氏じゃないし悲劇のヒロインぶるなとか、
お前の都合で秘密を隠して魔女になってくれるのを望んでいたくせに、騙していないというのはどうなんだよとか、お前の救済は誰も得にならねえよと
全キャラがなにもかも支離滅裂になちゃっててもうどうにもなってないというもの。
おまけに白だぬきは賢いと思わせて実際には計画性のない頭が大馬鹿なんだというのが。

もはや脚本家と呼ぶのに相応しくないと感じました。
彼の作品に触れたのはこれだけです。ええ、自分でもたったひとつだけで彼の作品を批判するのは最低だと思っています。
ですがこの作品の人間を馬鹿をとことん馬鹿にし、蔑ませ、ほくそ笑むのが見え見栄なところをさらけ出しているのだけで
彼の本心がちょっとですが分かります。

人を己のご都合で馬鹿にする脚本家を私は嫌います。
ひどい長文の愚痴になりましたが私はあなたの意見に賛成です。

tairaitairai 2012/06/13 08:16 ちと、おかしく感じるのは、信者を否定し、それを布教しようとしておられることだ。
この文章では、信者がいても、アンチを否定する脚本家がいても、「色々な人がいる」で終わらせていない。
ヒステリックなまでの徹底的な否定の姿は、信者の特攻と鏡対象でなんら変わる事がないように思えるのだけど。

信者マンセーでしか楽しめない作家を何故、そこまで徹底的に(文章の書き方、楽しみ方、思想、人気を含め)否定するのかよくわからない。

オートファジーオートファジー 2012/06/13 10:12 批評ではなく、感情・印象での批判にしか見えません。
自分の感情に正当性を持たせるために理屈を捏ねているようにしか。
他人がしないから、自分がする、ですか…。
自己の正当性を思い込んだ人間は、悲道徳的な事も躊躇せずできます。
自分教に酔った貴方は、その錦の御旗を振って自分の信仰を強化させているんですねw

この記事でやっている事はあなたの嫌いなアンチの行動と同じ事です。
あなたはそれに気付かないフリをして、自己言及から逃げている。
大方、行動原理は「俺が気に食わないから」のみでしょう。

naohaqnaohaq 2012/06/13 12:44 結局、信者もアンチも自己愛の延長なんじゃないかなー。とは思いますね。
作品や作家の評価が自己の人格と直結しちゃってる。
(信者は対象を否定されることを自己の否定と考えてしまうし、
アンチは対象を否定することを自己の肯定と考えてしまう。)

とりあえず本論は面白く読ませていただいたんですが、
> 思えばQBはコエムシに似てるしな。
最後のこの一言だけはちょっとガッカリです……

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