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Re: ロム男君、ありがとう!

 投稿者:黒川和雄  投稿日:2012年 6月11日(月)21時21分42秒 p7141-ipbfp4501osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  ロム男さんへのお返事です。

> 黒川和雄さんへのお返事です。
>
>
> 君には、とことん恥を掻いていただこう。(笑)

> 住本寺の返還が、平成22年。
>
> なぜ、正信会が復帰する前に、要法寺の歴代から住本寺の歴代を削除したのだ?(笑)


2年前というと既に結果がわかっていたからではないの??

要するに年表を従来の、元に戻したということと推察する。

これは私見だよ。

たこ焼きをご馳走するから連絡してね(^_-)-☆
 

Re: ロム男君、ありがとう!

 投稿者:ロム男  投稿日:2012年 6月11日(月)21時17分3秒 p7231-ipngn100108osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  黒川和雄さんへのお返事です。


君には、とことん恥を掻いていただこう。(笑)


> 君の富士年表は改訂版なんだね、私見ですが、おそらく住本寺が数年前に日蓮正宗に正信会ら復帰したために要法寺の歴代から住本寺の歴代を削除したことによるものと思われます。


君は、本当に法華講員か?

『冨士年表』の増訂版出版が、平成20年。

住本寺の返還が、平成22年。

なぜ、正信会が復帰する前に、要法寺の歴代から住本寺の歴代を削除したのだ?(笑)

順序が、逆になってるよ!

君は、正信会に強い男なんだろ!?(苦笑)

要法寺の歴代譜を『冨士年表』が、採用したと云うことだよ!
 

検証③ 上代に大石寺(末寺を含む)に造立は存在したのか?

 投稿者:黒川和雄  投稿日:2012年 6月11日(月)21時16分17秒 p7141-ipbfp4501osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  > No.68042[元記事へ]

ロム男さんへのお返事です。


> しかし、時が進み、石山日主が要山日周に頭を下げ、通用を申し入れた。
>
> 日周は、先師日辰の思いも鑑み、石山からの申し入れを受け入れたのだ。
>
> 何らかの申し入れがある場合、申し出た側が、贈物をするのが通例なのだ!
>
> 故に、石山日主が先に要山日周に御本尊を贈り、翌年通用成立の返礼として要山日周から
> 石山日主に御本尊を贈っているのだ。

■■■■■■■■■■

検証

【石山日主が要山日周に頭を下げ、通用を申し入れた。】

これは明らかに、捏造である!
要集第9巻にはこうある。
http://blog.livedoor.jp/sokadakkai/archives/53957376.html

日賙師は日興上人のご本尊を「納めた」とあり、日主上人は「授与した」とある。ここに本末の証明があるではないか!!

我々の形木本尊の一番左には、「授与」とある。大聖人が信徒にご本尊を納めるのか!

以上、

尚、要集の画像ですが「NGワードの設定」により、画像をアップすることができません。上のURLを参考にしてください。
 

ロム男君

 投稿者:ダディ  投稿日:2012年 6月11日(月)21時02分13秒 wb004proxy04.ezweb.ne.jp
返信・引用
  これを読みたまえ→http://toyoda.tv/keitai/keitai1.htm  

黒川君、NGワードが分かったのでこちらにもアップするね。

 投稿者:ロム男  投稿日:2012年 6月11日(月)20時34分8秒 p7231-ipngn100108osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  元禄2年(1689年)に、北山本門寺15世日要が、日俊から批判を受けたとし、
寺社奉行へ訴えでた。

その日要の訴状に、↓

「造仏堕獄の儀、本門寺三宝の立て様並に日蓮大士と書き塔婆に釈迦多宝を書き候事は
誤りの至極に候由、日俊並に衆檀共に専らに申し候、斯様の儀は此度の出入にては御座
無く候へども、無実の説に御座候間当山の証文をも賢覧に備へ奉り大石寺の証文をも御
尋ね下し置せらるべき為に加様に申し上げ候事。」(要集9巻p30)

と、ある。これに対して石山日俊は、↓

「一、造仏堕獄と申す事は無実の申し懸け終に此方より堕獄と申さず候、仍て京都要法
寺造仏読誦仕り候へども大石寺より堕獄と申さず候証拠に当住まで九代の住持要法寺よ
り罷り越し候、今に通用絶え申さず候事。」(要集9巻p33)

と、答えている。

つまり、大石寺は造像に対して堕地獄と云うような批判はしたことがないと言っている。
その具体的な証拠として、石要通用が行われているのに、要法寺が造像していると、
さらにその時代に、9代に亘り要法寺より法主が来てると言っているのだ。

要するに、石要通用下時代に、要法寺は漫荼羅正意論ではなく、造仏も行っていたとい
うことなのだよ。

しかも、法主も迎えていたのだ。
 

Re: 再アップ 検証② 上代の大石寺(末寺を含む)に造立は存在したのか?

 投稿者:ロム男  投稿日:2012年 6月11日(月)19時47分49秒 p7231-ipngn100108osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  > No.68103[元記事へ]

黒川和雄さんへのお返事です。


爆笑!

もういいよ!君には無理だ!!

検証②も、まったく分かっていない。

寛師が日周を破折されたのは、法華経一部読誦の邪義を破折されたのだよ!

まさに、君自身が日周は、通用後も邪義を捨てていなかったことを証明してるではないか。(苦笑)

大石寺側の日主から、御本尊を先に要法寺へ差し出したのは、通用を石山から要法寺へ願い出た
証拠なのだ。

これは、昨日も書き込んだはずだぞ!

それが、あの時代の常識なのだ!分かるか!?(苦笑)
 

再アップ 検証② 上代の大石寺(末寺を含む)に造立は存在したのか?

 投稿者:黒川和雄  投稿日:2012年 6月11日(月)19時40分55秒 p7141-ipbfp4501osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  > 『問う 日シュウ(貝+周)略要集に玄文第七の文を釈して云く「迹権本実より非権非実に至る是れ一往
> なり、但約此法性の下は是れ再往なり、例せば興師の御草案に但し四悉の廃立・二門の取捨宜しく
> 時機を守り敢て偏執すること勿れと云うが如し』
>
> 黒川君の言うように、日周が反省し冨士の立義に戻ったのなら、
> 何故、寛師が日周を破折されたのだ?(笑)
>
> しっかり、答えてごらん。(~o~)


この文は日興上人の五人所破抄に関する四悉檀の解釈が謝りであると破折されておられる箇所であり、仏像造立とは何の関係もないではないか。

わけの分からん文証を挙げるではない。

日賙師曰く、

「師弟和合して本末相承を継ぐ。冥慮(めいりょ)に相叶う者か」(家中抄)

ちゃんと総本山は大石寺である、要法寺は末寺であると言っておる。

また天正15年に日主上人が日賙師に日目上人の本尊を授与、また翌年には日賙師が日興上人の本尊を日主上人へ贈っておる。

つまり日賙師の時代から大石寺との交流(通用)が始まったということだ。


以上、

http://blog.livedoor.jp/sokadakkai/archives/53947331.html
 

Re: 再アップ 検証① 上代の大石寺(末寺を含む)に造立は存在したのか?

 投稿者:ロム男  投稿日:2012年 6月11日(月)19時16分2秒 p7231-ipngn100108osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  黒川和雄さんへのお返事です。


まったく、的外れな答えの再アップですか。(笑)


君は、まったく要法寺や日精の問題を分かっていないですね。

『観心本尊抄文段』を引っ張り出さずとも、『末法相応抄』で、寛師は日辰を破折しておられます。

『末法相応抄』とは、日辰教学破折の書なのです。(苦笑)

その、日辰の直弟子が、日周でしょう。日周は、石要通用後も造仏したのです。

その日周の直弟子が、日就なのです。

つまり、辰→周→就の血脈は続いて行くのです。

日精は登座前の末寺の住職時代に造仏をしています。

『随宜論』は、その論拠となる文証ですよ。

『随宜論』が一時の方便だというなら、登座後に『随宜論』を何故否定しなかったのですか?

まして、日精は登座後『日蓮聖人年譜』において、釈迦本仏論を展開してるではないですか!

松本佐一郎氏も通用後の要山造仏は、認められている。

あまり、幼稚な回答はしないようにして下さいね。(苦笑)
 

Re: 日蓮正宗 富士年表改良版

 投稿者:ロム男  投稿日:2012年 6月11日(月)18時58分44秒 wb89proxy14.ezweb.ne.jp
返信・引用
  > No.68098[元記事へ]

黒川和雄さんへのお返事です。


> ロム男が送付してくれた新年表はこちらにアップしました。


黒川君!君の要求に応えて、ファイルを送ったのだよ。

それを呼び捨てにするとは、どういう了見だ!(苦笑)

それとね。

私は、御用達板を見てくれと頼んでいるのだよ。

見るのも拒むと云うのは、実質上のギブアップじゃないか!

こんなことを言うつもりはなかったが、もう、君は終わってる。(笑)

悪口ばかりを浴びせかけているのは、誰の掲示板だ?
 

再アップ 検証① 上代の大石寺(末寺を含む)に造立は存在したのか?

 投稿者:黒川和雄  投稿日:2012年 6月11日(月)18時57分28秒 p7141-ipbfp4501osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  ■■■■■■■■■■創価員の疑難■■■■■■■■■■

では、お尋ねいたします。

大石寺は15世日昌から、23世日啓に至るまで、9代も京都要法寺より貫首を迎えて
いますね。

当時の要法寺は、日辰の造読の邪義で、本尊を総体の本尊と別体の本尊とに分け、
漫荼羅と釈迦仏を本尊としていたことは御存知だと思います。


■■■■■日寛上人「観心本尊抄文段下」■■■■■


問う、辰抄に云く「本尊に総体・別体あり。総体の本尊とは一幅の大曼荼羅なり。即ち当文是れなり。別体の本尊に亦二義あり。一には人本尊。謂く、報恩抄、三大秘法抄、佐渡抄、当抄の下の文の『事行の南無妙法蓮華経の五字七字並びに本門の本尊』等の文是なり。二には法の本尊。即ち本尊問答抄の『末代悪世の凡夫は法華経の題目を本尊とすべし』等の文是なり」と云云。この義如何。

答う、これはこれ文底の大事を知らず、人法体一の深旨に迷い、但在世脱益・教相の本尊に執して以て末法下種の観心の本尊と為す。故に諸抄の意に通ずる能わず。恣に総体、別体の名目を立て、曲げて諸文を会し、宗祖の意を失うなり。

当に知るべし、日辰所引の諸抄の意は、並びにこれ人法体一の本尊なり。人法体一なりと雖も、而も人法宛然なり。故に或は人即法の本尊に約し、或は法即人の本尊に約するなり。人即法の本尊とは即ちこれ自受用身即一念三千の大曼荼羅なり。

※要するに、日辰が言うがごとき、「バラバラ本尊論」は邪義であるということであります。

全ては本門戒壇の大御本尊に帰するということです。

■■■■■■創価員の疑難■■■■■■

当時の要法寺は、大石寺の血脈が通っていたのですか?

【破折】

回答:血脈は通っていません。

京都の要法寺は日興上人により破門された日尊師が開いた寺院ですが、多くの折伏を成し遂げ、破門が解かれたのですが、一方、元々天台宗の出身であり、その匂いは生涯消すことが出来なかったようです。従って富士門流とは言え、神社詣を信徒に勧めたり、釈迦仏像を建立したりという謗法行為をしていたのです。

創価員のいう要法寺第十九代目「日辰師」ですが、「造読の邪義で、本尊を総体の本尊と別体の本尊とに分け、漫荼羅と釈迦仏を本尊としていた」ことは事実であります。これは前述したように日寛上人により完璧に破折されている通りです。

しかしながらもともと大石寺と交流のある要法寺からは、正法を学ぶ優秀な僧侶がいたことも事実であり、「15世日昌上人から、23世日啓上人に至るまで」の百年間、要法寺から猊下が出ておられることも事実であります。

ようするにこの学会員は「異流義である要法寺から大石寺の猊下が出ているということは、大石寺も偽物じゃないか・・」と言いたいわけです。

しかしながら、大聖人様の仏法は「唯受一人」であり、『唯受一「寺」』ではないのです。このような疑難を正当化するのであれば、そもそも日蓮大聖人は、邪宗の清澄寺で出家し、邪宗天台宗本山の比叡山で勉学に励み、邪宗の四天王寺を始め、邪宗の高野山に行っておられるではありませんか!

また国家諫暁の書である立正安国論執筆のため、一切経を閲覧された寺院は邪宗の「岩本の実相寺」であります。

クルクルパ~~( ゚,_ゝ゚)バカジャネーノと言ってあげましょう。

※法華講諸君!歴代猊下の中で「本門戒壇の大御本尊」を否定した猊下はいたのか?? 返事せい!と問い詰めてあげましょう。

http://blog.livedoor.jp/sokadakkai/archives/53957232.html

 

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