2012年6月12日火曜日

教え子も ・・・





一昨日、

たまたま、休日をもらった 「 元 教え子 (高校教諭の頃の) 」 が、

福島市から、わたくしの家 ( 南相馬市 ) に 遊びに来てくれました。


その彼も、

わたくしと同じような 「 巨大な痰 がからむ 咳 」 が、止まらないと、

言っていました。

風邪では、ありません。

しかし、ここまで、咳が酷いと、喉がヒリヒリします。

彼も、 わたくしも、 わたくしの母も、同じ 「 症状 」 です。


彼は、

ただ、「 遊びに来た 」 わけでは ありません。

誰にも言えない 「 胸の内 」 を 明かしに来たのです。



卒業生は、みんな、そうです。


彼は、いま、自動車整備の仕事をしています。


しかし、

昨年の 冬までは、【 原発 】 で、働かせられたのです。


【 東電 】 の下請け会社で働いてい彼は、

3.11 時に、第一原発 1号機で、作業をしていました。


その時に、地震と津波が、彼らを襲ったのです。

外で 作業をしていた彼は、

迫り来る津波を目測しながら、

【 原発 1号機 内 】 にいた人々を 逃がすのに 必死でした。



そして、最後の一人を逃がした後、

津波に追われながら、とにかく走りに走って、

九死に一生を得たのです。


彼は ・・・ いいえ、【 原発 】 にいた教え子たちは、

下請け業社の仕事を、辞めました。

辞めてくれるように、わたくしも お願いしました。


しかし、

その後も、【 原発 マフィア 】 のような連中に、名簿を追われ、

【 東電 】 に呼び出されました。

行ってみると、誓約書が ありました。

【 ここで 見聞きしたことは、決して " 外部 " には漏らさない 】 というものです。


教え子たちは、さまざまな技術を持っていました。

それが、彼らを追いつめたのです。


彼は、拒否しました。

すると、背広を着た 【 東電 】 の 数人に囲まれて、

「 この国難に際して、なんだ !」 と、

まるで、「 非国民 」 扱いでした。



そして、昨年の冬まで、

ずーーっと、働かせられました。

「 被曝限度値 」 って、いったい、何だったのでしょうか ?


あの 吉田所長だって、発癌したというのに ・・・。



彼は、「 もう、辞めたい 」 と、言いました。

すると、また、数人のスーツ姿の連中に囲まれて ・・・



しかし、その時に、

「 辞めたいなら、自由に 辞めたっていいんだぞ 」 と、

口添えしてくれた方が、いらっしゃいました。


そして、彼は、ようやく

【 原発 廃炉作業 】 から解放されたのです。



彼に、口添えしてくれた方は、

その場で クビになったそうです。

それまでの お給料も 支払われずに ・・・。




教え子の 彼は、まだ 20代です。

もともと、車が大好きだったので、

整備工場に勤務できることになって、とても喜んでいます。



昨日も、ピカピカに磨いた、自分の愛車で来ました。



そして、

長ーーーく 話し込んだ後、


「 先生、俺の車、気になる所があるんだけど、駐車場に停めていい ? 」
( 彼の車は、大きすぎたので、路駐していたのです )


というので、外に出てみると、


「 これ、俺の作業道具 ! 」 と言って、

トランクから、三段式のを持ってきて、

フツーの人にはできない作業を、見せてくれました。



わたくしは、その姿が かわいくて、愛おしくて ・・・



「 立派になったなぁ~・・・ 」 と、言いました。

彼は、照れていましたが、うれしそうでした。


いまは、仕事が楽しくて、風邪をひこうが、一日たりとも 休まないそうです。



しかし、

彼の体内に溜まってしまっている 【 放射性物質 】 を 考えると、

わたくしは、心が 掻きむしられる思いです。



たった 1日だけの休日に、

福島市から南相馬市まで、1時間半もかけて、

こんな 「 おばさん 」 の家まで来るなんて ・・・。



それも、一人や二人ではありません。

卒業してからも、「 こどもたち 」との関係は、変わらないのです。


これが、

わたくしが、「 こどもたち 」 から 離れられない 「 理由 」 の一つです。