INTERVIEW

CHERRY氏!其の一

11/02/28

ZERO MAGAZINEインタビュー!

今回のお相手は?

遂に! 登場です!

関西...

いや、世界のハードコアにおけるレジェンド・ オブ・レジェンド!!

ZOUO、そしてDANSE MACABREと言えば!!!

CHERRYさんのインタビューです!!!

そして!

今回のインタビュアーは、R.F.D.のNAOTO君!!!

空前絶後!

衝撃の絶頂を極める貴重なインタビューをお送りします!

誰もが開くことのできなかった...

コアエピソードの重い扉を!ZEROMAGAZINEが今!

ゆっくりと開け放つ....

必読必至です!

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NAOTO : 以下(N)
最初はどういった音楽から聴き始めたのですか?

CHERRY:以下(C)
王道な音楽を聴いてたんですけど、あんまりハマらなかったんですよね。

BEATLESからいきなりSEX PISTOLSに飛んだ感じやったね。

PUNKのレコードで、ちゃんと予約して買ったのは、『LONDON CALLING』ぐらいかな。

後は...

まあ...

買うたって言っときます(笑)。

N:
はい、分かりました(笑)

C:
アレはポスター付きやから買ったわけで、それまでもいろいろ聴 いてたけど、ね(笑)。

ポスター付きやから買ったわけで(笑)。

3500円ぐらいしてて高かったからね。

N:
50〜60分ぐらい入ってますもんね。

C:
SEX PISTOLSやTHE CLASHは、買ったっていうか...

聴いてましたよ(笑)。

N:
ハードコアで一番初めに聴いたのは何ですか?

C:
ハードコアって言っていいのか分からないけど、CRASSですね。

N:
CRASS! 僕も大好きです。

C:
あの頃は、周りがNEW WAVEになってきてた頃やったかな。

音的には違うけど、その流れでCRASSをずっと聴いてましたね。

それで、U.K.EDISONの通販でDISCHARGEの『WHY』を買って、聴いた瞬間に頭が飛んでしまいましたね。

回転数、間違ってんちゃうか? って思いましたよ(笑)。

N:
やっぱり、そう思いますよね(笑)。

C:
45回転やったからね、絶対間違ってるわ! ってなりますよ(笑)。

DISCHARGE以前にも、U.K.SUBSとか好きでしたね。

U.K.SUBSはアルバムの『BRAND NEW AGE』がすごく好きで聴いてました。

他にDEVOとか、NEW WAVE辺りもずっと聴いてましたよ。

知ってると思うけど、スケートボードの連中が、みんな聴いてた からね。

テープにして貰ったり、悪いことを教えてもらったのもスケートの連中やったよ(笑)。

12〜13歳の頃にチームに入って、ミナミとかよく遊びに行くようになりましたね。

N:
僕も、CHERRYさんに影響受けました。

"加賀屋ボウル"で滑って。

C:
そうそう、加賀屋ね。

で、最初にやったバンドがZOUOですね。

スケートボードをやってた頃はみんなでプロになれたらな〜、っ て思いながらやってたんですけど、ブームも去って、パークも潰れてやる所がなくなってプロも食えてなかった状態でしたね。

じゃあ、バンドでもやろか...って始めたのがきっかけですね。

N:
それは、何歳ぐらいの頃ですか?

C:
え〜っと、16〜17歳ぐらいかな。

80年ぐらいやったんかな? はっきり憶えてないですけど(笑)。

確か81年にはバンドやってましたね。

N:
例のみなさんのメンバーで。

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C:
メンバーは加賀屋のスケートボードチームの連中で。

N:
チームそのままのメンバーでですか?

C:
そうそう、そのまま一緒にYAMAHAへ楽器を買いに行きましたよ。

N:
心斎橋のYAMAHAですか?

C:
そう心斎橋の。

29800円とかのアンプとセットのヤツで。

N:
それは、良い話ですね(笑)。

C:
OKINOだけは、親戚の兄ちゃんにベースを譲り受けて、教えてもらってましたね。

俺も最初は、ギター買ったし。

N:
そうなんですか!?

C:
ギターやりたかったから、テレキャス買ったんですよ。

N:
それは、すごく意外ですね〜。

C:
それで、初ライブはNASHIの越君のおかげでしたね。

NASHIの追っかけみたいにずっとライブを観に行ってたんですけど、暴れたりいらんことばっかりやってたから、他のバンドにアホって言われとったんですよ。

『あのアホらバンドやってへんのか?』ってなって、いきなり初ライブ決定ですよ。

楽器買って1ヶ月しか経ってないのに(笑)。

N:
じゃあ、最初はツインギターだったのですか?

C:
最初はTHE CLASHのカバーを遊びでやってるノリやったからね。

楽器買って1ヶ月ぐらいで呼び出されて、『お前ら、ライブこの日な!分かってるやろな?』って勝手に決まった感じですよ(笑)。

分かりました! ってノリで、カバーやってるのも邪魔くさかったから、全部オリジナルにしたんですよ。

N:
へぇ〜! すごいですね...(笑)。

C:
PUNKらしいっちゃあ、PUNKらしいけどね。

だから楽器買って3ヶ月ぐらいでファーストライブやったと思いますよ。

もう、最初の2〜3回はムチャクチャですよ。

N:
場所はどこだったのですか?

C:
天王寺のマントヒヒです。

だから、PUNK系では自分らが最後のデビューバンドやと思うんですけどね。

確かOUTOは、あひるでやったと思うんでね。

N:
寺田町のですか?

C:
そう、あとはスタワンとか。

N:
スタジオワン、ありましたね。

よく観に行きました〜。

懐かしいです。

初ライブの思い出はありますか?

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C:
初ライブの思い出は...

OFF MASK 00のアキイ君居るでしょ?

N:
はい、分かります。

C:
俺らは楽屋で飲んだくれとったから、態度デカく見えたのか分からんけど、『今日、僕ら4回目なんです。よろしくお願いします』って挨拶に来たんですよね。

そうか!

俺らファーストライブや! って言ってたんですけどね(笑)!

N:
(爆笑)!!

C:
もう、緊張して飲まないと、できなかったですからね。

1回目は40〜50人入ってたけど、暴れてたから2 回目以降、回数を追うごとに減って8人とかになってたからね。

お客さんは居るんやけど、俺らが始まると出て行くんですよ。

当時は殴り倒しとったから(笑)。

N:
なるほどですね...(笑)。

C:
当時のハードコアシーンっていうか、バンドやり始めた時は、そういうのもまだ無くて、PUNKが衰退してきてた頃やったかな。

PUNKだけでは成り立たなくなってしまってましたね。

N:
本当におっしゃる通りですよね。

観に行ってた僕らの世代は、ZOUOがハードコアだと思ってますから。

C:
ハードコアシーンは、後半も面白かったと思いますね。

日本独特のものやったと思うし。

N:
今のハードコアシーンについては、どう思いますか?

C:
今のハードコアシーン...

う〜ん、はっきり見たわけじゃないけど、何かもっと一緒にやったらええのにな、って思うとこありますけどね。

ジャンル分けみたいになってきてるから。

N:
何か固まり過ぎてるなって気がしますよね。

C:
細分化してしまって、自分達だけでやってるっていうか。

昔は違ったでしょ?

ハードコアって言っても、あぶらだこみたいなのがやったりとか、違う音も一緒にやってるから面白かったと思うんですよ。

N:
本当にその通りですよね。

C:
だから、何でこんな風になってるのかな? って思う部分はありますね。

N:
何か個々に別れてしまってますよね。

C:
一個一個は、ちゃんとカラーがバシッ! っとしてるけど、何でそれを一緒にやらないのかな? って思っちゃいますね。

N:
僕も同感です。

C:
何か大きいイベントをできたらと思いますけどね。

東京の方は大きい所借りてやってたりするでしょ?

N:
はい、やってますね。

C:
あんな感じでできたらええと思うんですけどね。

まだ自分自身のバンド本体が動いてないから、なんともいえないですけど(笑)。

N:
最初の録音はどういう感じだったのですか?

C:
シングルの録音は、かなり安く上がってましたよ。

例の246で6時間ぐらいで録ってますから。

あそこは、4トラックやったかな? 6トラック?

N:
え〜っと、8トラックもなかったと思いますね。

オープンリールの使い回しのヤツで(笑)。

C:
6時間で録って、MIXは4時間かかってないからね。

ものすごい安上がりですよ(笑)。

ほとんど一発録りに近い感じで、ボーカルは入れずに録って、ボーカル録音の時にギターを一本重ねたぐらいやったと思いますよ。

N:
あのシングルは、独特のリバーブ感がありますよね。

C:
246やから、安いリバーブしかなかったからじゃないかな(笑)。

あの頃は、エコーマシーンみたいな物やったと思うねんけど。

N:
Rolandのテープエコーみたいなヤツですよね。

あれは、今でも使われてる名器ですよね。

僕も録音の時は、TAGRAGの前川君に録音をやって頂いてたんですけど、その時よくみんなでZOUOを聴いてました。

C:
風呂場でやってるような残響音だったでしょ(笑)。

N:
あのリバーブ感はすごいな! と思って、参考にさせて頂いてました。

それで、ベースのOKINOさんからメンバーチェンジされてますよね。

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C:
ベースが一身上の都合でヤメちゃって、その頃MEMAIも解散したんですよね。

それで、MEMAIのギターの辻君がよく遊びに来てたから、よかったらベースせえへん? って訊いたら『するする〜!』っていきなりフライングVのベース担いでやって来たんですよ(笑)。

みんなで、狂ってんちゃうか!? って言ってたんですけど(笑)。

気合い入過ぎ〜!! みたいな(笑)。

N:
すごいですね〜(笑)!

そういう流れがあったんですね。

C:
辻君とは、もともと仲が良かったっていうのもあったし、その頃 辻君は何もしてなかったので。

N:
そうだったんですね。

それで、『不法集会』の話をお聞きしたいのですが?

C:
『不法集会』はゴリラで録ったと思います。

N:
村川さんの所で。

C:
そうそう。

12トラックぐらいあったかな?

N:
確か、それぐらいあったと思います。

C:
あの頃から、SEを入れたかったから、いらんことばっかりしてましたけど(笑)、録り方は変わらなかったですね。

N:
最初にオケを録ってギターを被せたり、といった感じですか?

C:
オケを録ってから、ギターを2本ぐらい入れたと思いますね。

それで、ボーカル入れてって感じで、空いた所にSE入れてましたね。

N:
曲作りは、どういう感じだったのですか?

C:
最初、誰かがフレーズ持って来て、グチャグチャいじくり倒してって感じかな。

N:
それは、みなさんでやるっていう?

C:
そうやね。

ZOUOの時は、歌詞自体は完全に後でしたね。

他に、今でいうビートダウンみたいなこともしてみたかったので、恥ずかしいけど、やり方も分からんのにやってましたね(笑)。

確かシングルの1曲は、MANGOがフレーズを持ってきたのかな。

N:
ちなみにMANGOさん、僕が今住んでるマンション、入れ替わりなんですよ(笑)。

C:
MANGOとJOTAROとは、よく遊んでましたよ。

飲んでたら、MANGOがギター好きやから自然と弾くじゃないですか。

その時に、フレーズ考えてや! とかいうノリで。

N:
なるほど、そういう感じで曲が生まれて、という感じで?

C:
そういうのが多かったですね。

N:
そうなんですね〜。

僕はやっぱり"NO POWER"が好きです。

本当によくライブを観させて頂いてました。

C:
TOTTSUANとかも、ファーストの時から観に来てくれてましたね。

もともとTOTTSUANとは、住吉大社の祭りで会ったのが最初 なんですけど、その時の俺の彼女が『あんた、PUNKちゃうん!?』って言って、TOTTSUANの頭をバコーンッ! っていきなり叩いたんですよ(笑)。

当然、『何すんねん!』ってなったから、俺が出て行って、お前どこから来てん? みたいな(笑)。

住吉大社は、俺の地元やったからね。

N:
ええ!?

そこが初めてだったのですか?

C:
そうそう。

TOTTSUANらは、PUNKの格好して5人ぐらいで来てて、 その頃の俺は金髪の坊主やったんですよ。

その時、彼女は酔ってて、PUNK見つけて『PUNKや PUNKや!』って言いながら頭バッカーンッ!って(笑)。

N:
すごい...

そんな出会いだったんですね(笑)。

C:
どこから来てん? って感じで、自分らのファーストライブが決まってたから、ライブ観に来いや、って誘ったんですよね。

そっから付き合いが始まったんですよ。

俺は若い子の面倒見るのアレやから、そういうのをTOTTSUANにやってもらってって感じで。

"お母さん"って呼ばれてた女の子と2人で、男の子女の子面倒みてたから。

N:
なるほど、そういう流れで(笑)。

C:
だからTOTTSUANの地元の子が多かったんですよ。

N:
イッチュー君とか。

C:
そうそう。

当時、PUNKの子らは、遊ぶ所が無かったですからね。

やっぱり、ヤンキーとかにイジメられるでしょ。

あの時代にPUNKなんかやってたらキチガイやからね(笑)。

N:
溜まり場っていうのが、梅田やったらどこ、ミナミやったらどこ、っていう感じで決まってましたもんね。

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楽器を買って初めて触れ、わずか3ヶ月でファーストライブ決行!

矢継ぎ早にシーンの核へと放り込まれたZOUOは、円の中心に立ち、80年代の大阪を高速回転で掻き回し始めます!!!

次回更新日は3月7日月曜日です!
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