
熊本県警から指導を受ける「立ち入り調査」の訓練。保護者役の威圧的な対応に、児相職員たちの間に緊張感が漂った
児童相談所(児相)の職員が家に踏み込むと、母親役の女性警察官が女児の人形を抱いて、部屋の隅からにらんでいた。人形の腕には、けがを示す赤い布が巻かれていた-。昨年10月、児相職員を対象にして、熊本県警の警察学校で行われた訓練の一こまだ。
2007年の児童虐待防止法改正で、裁判所の許可を得れば、虐待が疑われる家庭に鍵を壊して立ち入り、子どもを保護する「臨検・捜索」ができるようになった。訓練は「強制手続きが、現場でスムーズにできるように」と開かれた。
「相手が許可状を奪ってのみ込むことがある。絶対に渡さないように」
訓練の舞台となった模擬家屋では、県警の捜査員の声が飛んだ。場数を踏んだからこそできる指導だった。
鍵の破壊を伴わない立ち入り調査でも、警察官が児相の職員に同行することがある。不測の事態に備えるためだ。
「警察官がそばにいるだけで、普段は暴力的な親がおとなしくなる」
児相の職員は警察を頼りにする。
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警察も虐待問題を重視し、立件に向けて積極的に対応しているが、子どもを保護する現場で待ったなしの判断を迫られているのは児相の職員だ。
昨年、九州のある地域のアパートで、母親が部屋の鍵を掛けたまま2歳の幼児と閉じこもった。料金の滞納で電気やガスは数週間止まったまま。児相職員の呼び掛けにも母親は応じなかった。
職員は幼児の祖父に協力を依頼。駆けつけた祖父の要請でアパートの管理会社が部屋の鍵を開け、幼児を無事保護した。
このとき、現場の児相職員には強制手続きの選択肢はなかった。裁判所の許可を得るには、踏み込もうとする部屋で子どもが生活している写真や、事前の立ち入り調査を拒否された報告書などをそろえなければならない。そんな悠長な時間はなかった。
子どもを親から引き離す職権保護や立ち入り調査、保護した子どもに会わせない接近禁止の措置…。
この10年で児相の介入制度は急整備され、厚生労働省も「臨検・捜索」の積極活用を求めるが、実施は09年度までの2年間で3例にとどまる。
「緊急な場合は使いづらい。ノウハウを生かして柔軟に対応するしかない」。ベテラン職員はそう話す。
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「警察の領域に足を踏み入れているのではないか」
熊本県警の研修を受けたある職員は、そんな戸惑いを覚えた。
虐待が疑われる通報を受けると、対象となる親子を探す。家を割り出し、訪ねてみても応答がなければ、部屋の明かりを確認する夜の張り込みが待っている。近所への聞き込みは慎重にするなど細かな注意も払う…。
虐待問題が深刻化する中、児相に求められる役割を“福祉警察”と呼び、その重圧に苦しむ職員も少なくない。児相には家庭に強制的に介入した後、子どもを再び家庭に戻す支援も待ち受ける。
「かつては、親子に寄り添い、共感することが問われた。いま、権限という武器を持たされ、家庭に切り込むことが求められている」
子どもたちのSOSを逃すまいと、職員たちの手探りの日々が続く。
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◆児童虐待防止法◆ 2000年に制定された児童虐待防止法は、虐待を「身体」「心理的」「性的」「養育放棄」の四つに定義付け、04年の改正で「同居人の虐待の放置」にも拡大した。また「虐待の疑い」も通報の対象とし、児相に加え市町村にも、子どもの安全確認を求めた。07年の改正では裁判所の許可を得て、鍵を壊して家に入る「臨検・捜索」ができるようになった。
=2011/01/13付 西日本新聞朝刊=