官邸前の再稼働反対デモ。「再稼働反対」の一語だけをずっと反復している。IWJで映像を見ながら、最初のうちは、もう少しフレーズを加えてバリエーションを工夫した方がいいのではないかと感じていた。メッセージとしてあまりに単調で、歩道で声を上げる者も、それをネットで聞く者も、高度情報社会に生きる現代人においては退屈を感じる素朴主義ではないかと怪しんだのである。変化や演出があってよく、こういうときの即興の言葉の才能の発揮があってもいいのではないかと。が、礑と気づいた。別の感じ方を持った。これは半世紀前の「安保反対」と同じではないかと。日本人は歴史を忘れず。DNAが言語を生成させているのではないかと。日頃、私は運動は歴史と伝統を大事にしろと言い、OWSにおけるシュプレヒコールの歴史性やそこに看取されるウッドストックの文化様式の要素を言い、フランス左派のバスティーユ広場の集会に恍惚となっている。こうじゃなきゃいけないんだと。歴史を継承し再現することに意味があるのだと。先人の志と成果を引き継ぎ、過去を呼び覚まして政治の力にするのだと。そこに"STOP THE KOIZUMI"の語の作為もあったのだと。不覚にも、迂闊にも、その私自身が「再稼働反対」のワンフレーズの歴史に思いが至らなかった。日本人のDNAがそれをさせている。一人一人の内側にある記憶の遺伝子が、無意識的にこの言霊の発声と連呼を促している。日本人も歴史を忘れず。