June 12, 2012
車社会の末路
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バス停がかなり遠い
仕方ないのでタクシーを時々利用するのだがこれまた高い
母が通っている病院は主なものが4箇所
それ以外に不定期な通院が3箇所
どこに行くにも往復5千円以上かかってしまう
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この方の場合には、ご自身が自動車を所有して運転できる立場の人です。よって、この後には、自動車運転にまつわるお母さまとの軋轢の話が続きます。
しかし、こういう現実が存在するということは、自動車を持つ経済力がない、あるいは高齢や障害や病気の為に自動車免許の適性試験に合格できない、といった人たちは、タクシーを利用するしかなくなります。精神科の一部の薬剤を除けば、最近は長期間の処方も可能なようですが、いくら長期の処方が可能と言っても、60日分や90日分での処方で通院をしている方は稀でしょう。逆に精神科の一部の病気の場合には、半年に一回(半年分の処方があり)という人もいますが。
仮に30日に一回の割合での通院と仮定すると、主なものだけで30日に20000円以上のタクシー代が必要になります。個人的には、自家用車は特権階級以外の所有も運転も禁止して、タクシー利用に切り替えれば、タクシー運賃そのものがだいぶ安くなりそうに思います(車両代が高騰したりするかもしれませんが)し、運転手さんの雇用も確保されて良いこと尽くめではないかと暴論を有しておりますが、私以外には受け入れられそうもないですね。
しかし、このまま自家用車がなければ生活できない社会が当然になっていけばいくほど、若い間や、病気でも障害でもなく健康な間や、失業して慢性的貧困に陥らない間は、「便利な車に文句を付ける奴は僻んでいるだけだ。僻んでいる暇があれば、努力しろ」とでも言っていられますが、その条件が失われた時には(誰でも確実な高齢になります。そして大家族には戻らないでしょうから、代わりに運転してくれる人もいなくなるのも高い確率)もう生きること自体を否定されることになるのに気が付かないのでしょうか。
アメリカの富裕層の条件として、車がなくても生きていける地域に住んでいるというのがあります。かつて古い時代に3C=Color TV, Cooler, Carという「アメリカンドリーム」がまき散らされていましたが、そりゃ、違うって。
○お金がないからテレビしか娯楽がなくカラーテレビしかない
○クーラーがないと困るような風通しが悪い家に住むしかない
○自動車がなければ生きてもいけない土地に住むしかない
という貧困三要素です。
まあ、日本人の選択ですから、私があれこれは言いませんが、テレビの代わりにいまはネットになっただけで、貧困三要素は変わっていないのではないですか?? アメリカの富裕な人がカラーテレビもエアコンも自動車も持っていないわけではありません。しかし、それらが「不可欠」とは言えないことが富裕の条件です。
テレビ(ネット)やエアコンはなくても済むかもしれませんが、自動車がない生活というものを考えた場合に、いまの日本のようにスーパーマーケットも家電量販店もなにもかも自動車客を仮定してしまうような状況下で、自分が運転できなくなり代わりに運転してくれる人もいないという状況に陥ったと仮定すると、もう自殺しかないのでは・・・??
原発よりも大きな問題だと思いますよ(問題発言でしょうが、すみません)。
母の幼きみぎりの写真です。

バス停がかなり遠い
仕方ないのでタクシーを時々利用するのだがこれまた高い
母が通っている病院は主なものが4箇所
それ以外に不定期な通院が3箇所
どこに行くにも往復5千円以上かかってしまう
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この方の場合には、ご自身が自動車を所有して運転できる立場の人です。よって、この後には、自動車運転にまつわるお母さまとの軋轢の話が続きます。
しかし、こういう現実が存在するということは、自動車を持つ経済力がない、あるいは高齢や障害や病気の為に自動車免許の適性試験に合格できない、といった人たちは、タクシーを利用するしかなくなります。精神科の一部の薬剤を除けば、最近は長期間の処方も可能なようですが、いくら長期の処方が可能と言っても、60日分や90日分での処方で通院をしている方は稀でしょう。逆に精神科の一部の病気の場合には、半年に一回(半年分の処方があり)という人もいますが。
仮に30日に一回の割合での通院と仮定すると、主なものだけで30日に20000円以上のタクシー代が必要になります。個人的には、自家用車は特権階級以外の所有も運転も禁止して、タクシー利用に切り替えれば、タクシー運賃そのものがだいぶ安くなりそうに思います(車両代が高騰したりするかもしれませんが)し、運転手さんの雇用も確保されて良いこと尽くめではないかと暴論を有しておりますが、私以外には受け入れられそうもないですね。
しかし、このまま自家用車がなければ生活できない社会が当然になっていけばいくほど、若い間や、病気でも障害でもなく健康な間や、失業して慢性的貧困に陥らない間は、「便利な車に文句を付ける奴は僻んでいるだけだ。僻んでいる暇があれば、努力しろ」とでも言っていられますが、その条件が失われた時には(誰でも確実な高齢になります。そして大家族には戻らないでしょうから、代わりに運転してくれる人もいなくなるのも高い確率)もう生きること自体を否定されることになるのに気が付かないのでしょうか。
アメリカの富裕層の条件として、車がなくても生きていける地域に住んでいるというのがあります。かつて古い時代に3C=Color TV, Cooler, Carという「アメリカンドリーム」がまき散らされていましたが、そりゃ、違うって。
○お金がないからテレビしか娯楽がなくカラーテレビしかない
○クーラーがないと困るような風通しが悪い家に住むしかない
○自動車がなければ生きてもいけない土地に住むしかない
という貧困三要素です。
まあ、日本人の選択ですから、私があれこれは言いませんが、テレビの代わりにいまはネットになっただけで、貧困三要素は変わっていないのではないですか?? アメリカの富裕な人がカラーテレビもエアコンも自動車も持っていないわけではありません。しかし、それらが「不可欠」とは言えないことが富裕の条件です。
テレビ(ネット)やエアコンはなくても済むかもしれませんが、自動車がない生活というものを考えた場合に、いまの日本のようにスーパーマーケットも家電量販店もなにもかも自動車客を仮定してしまうような状況下で、自分が運転できなくなり代わりに運転してくれる人もいないという状況に陥ったと仮定すると、もう自殺しかないのでは・・・??
原発よりも大きな問題だと思いますよ(問題発言でしょうが、すみません)。
母の幼きみぎりの写真です。