2012年 04月 15日
家族の肖像3 |
日本映画界華やかなりし頃
さて今夜は、家族の肖像の3をやります。どうも祖母、祖父、母ときて、父親を載せないと、おやじが、「何故、俺だけ載せないんだ?」と文句が出そうなので、今日は、私の父親の”山梨 稔”のことを皆様にご紹介したいと思います。
私事ですみませんが、しばらくご辛抱下さい。もしかすると皆様にも、興味のある歴史的事実が出てくるかもしれません。一番上の写真の右から2人目が父の山梨 稔です。映画ファンならおなじみの顔も多いと思います。
左から2番目は海外の映画の紹介などで日本映画界に多大に貢献した東和の川喜多 長政社長、1人おいて、日活の黄金時代を代表する女優 芦川 いづみ等、1959年、フランス大使館でのカクテルパーティでのショット。
山梨 稔は明治38年に伊豆の下田近辺で生まれました。伝説によれば山梨家の祖先は、甲州の豪族で武田信玄が盛んな頃の菩提寺の檀家で、山梨部落の所有者だったので、武田が上杉に敗れた時、一族郎党が伊豆に落ちのびた、と稔本人は書いています。確かなところは不明ですが、今でも伊豆の父親の生まれた辺りは、山梨という名字ばかりの、いかにも落人部落といった風情の所です。
苦学して中央大学の法科を卒業。今は根津美術館で知られていますが、東部鉄道の経営者の根津 嘉一朗の事務所に就職。映画会社の東宝の前身だったPCLに就職、派遣の形で、当時の満州映画の代表者に就任。
この時に、李 香蘭こと山口 淑子(前国会議員、彫刻家のイサム・ノグチと結婚していた時期もある)をデビューさせる、日本が戦争に負けて、中国本土で山口 淑子が微妙な立場(スパイ容疑)になり、銃殺になりそうな時もあったようで、そのへんを助けたのか帰国に助力した様で、いままでTVで、沢口靖子や上戸 彩が山口 淑子物語をやると必ず山梨 稔役が出てきました。一度は佐藤B作がオヤジ役を、やっていて、”いくらなんでももう少しいい男だけどな”なんて思いながら見ていました。
戦後は労働争議で出来た新東宝の専務に就任し、いまでも映画史に残る徒花的ヒットを記録した、嵐 寛寿朗(アラシ カンジュウロウ=往年の映画ファンでもなければ、今はほとんど、知る人はいないでしょうが、私の小学校時代はアラカンと言えば鞍馬天狗で、杉作役がなんと天才子役で出ていた ”美空ひばり”でした)主演の「明治天皇と日露大戦争」をプロデュース。また「大東亜戦争と国際裁判」等、敗戦国でややもすると卑屈になりがちな当時の日本の風潮のなかで、アメリカ大使館と堂々と渡り合いながら上映許可を取る等、日本人の尊厳の擁護につとめましたが、社長の大蔵貢は、極貧の中から這い上がり成功した立志伝中の人で、経営方針は次第に大衆に迎合した、怪談物、エログロ物に傾き、社長と従業員の間で奮闘した父親も、ついに会社を離れる事に。しばらく浪人していた時代もありましたが、東映の大川社長の肝いりで、東映CMや東映の関連子会社の社長を歴任。東映動画の社長を勤める事になる。
今のアニメブームの草分けです。古くは白蛇伝から狼少年ケンとかトムとジェリーや漫画キングコングはオヤジが米のハンナバーバラ社との契約をとり、日米合作になった作品。長くなったので続きは次のUPでということで、御期待ください。
右の写真は1950年代アジア映画祭に参加するため出発の記念ショット、新東宝の女優を引率する父、大空真弓、 宇治 みさ子、小畑 絹子等の顔が見えます。

左の少々ピンが甘い写真はたぶん「明治天皇と日露大戦争」の試写会に当時の岸総理を招いて、父が案内しているところだと思います。
右の写真は新婚まもない両親の、自由が丘の家に李 香蘭(山口 淑子)が訪ねて来た時のショット、左から
山梨 稔、1人おいて、しゃがんでいるのが母- 山梨 ふよう、となりのスレンダーな美人が若かりし頃の李 香蘭。
私事ですみませんが、しばらくご辛抱下さい。もしかすると皆様にも、興味のある歴史的事実が出てくるかもしれません。一番上の写真の右から2人目が父の山梨 稔です。映画ファンならおなじみの顔も多いと思います。
左から2番目は海外の映画の紹介などで日本映画界に多大に貢献した東和の川喜多 長政社長、1人おいて、日活の黄金時代を代表する女優 芦川 いづみ等、1959年、フランス大使館でのカクテルパーティでのショット。
山梨 稔は明治38年に伊豆の下田近辺で生まれました。伝説によれば山梨家の祖先は、甲州の豪族で武田信玄が盛んな頃の菩提寺の檀家で、山梨部落の所有者だったので、武田が上杉に敗れた時、一族郎党が伊豆に落ちのびた、と稔本人は書いています。確かなところは不明ですが、今でも伊豆の父親の生まれた辺りは、山梨という名字ばかりの、いかにも落人部落といった風情の所です。
苦学して中央大学の法科を卒業。今は根津美術館で知られていますが、東部鉄道の経営者の根津 嘉一朗の事務所に就職。映画会社の東宝の前身だったPCLに就職、派遣の形で、当時の満州映画の代表者に就任。
この時に、李 香蘭こと山口 淑子(前国会議員、彫刻家のイサム・ノグチと結婚していた時期もある)をデビューさせる、日本が戦争に負けて、中国本土で山口 淑子が微妙な立場(スパイ容疑)になり、銃殺になりそうな時もあったようで、そのへんを助けたのか帰国に助力した様で、いままでTVで、沢口靖子や上戸 彩が山口 淑子物語をやると必ず山梨 稔役が出てきました。一度は佐藤B作がオヤジ役を、やっていて、”いくらなんでももう少しいい男だけどな”なんて思いながら見ていました。
戦後は労働争議で出来た新東宝の専務に就任し、いまでも映画史に残る徒花的ヒットを記録した、嵐 寛寿朗(アラシ カンジュウロウ=往年の映画ファンでもなければ、今はほとんど、知る人はいないでしょうが、私の小学校時代はアラカンと言えば鞍馬天狗で、杉作役がなんと天才子役で出ていた ”美空ひばり”でした)主演の「明治天皇と日露大戦争」をプロデュース。また「大東亜戦争と国際裁判」等、敗戦国でややもすると卑屈になりがちな当時の日本の風潮のなかで、アメリカ大使館と堂々と渡り合いながら上映許可を取る等、日本人の尊厳の擁護につとめましたが、社長の大蔵貢は、極貧の中から這い上がり成功した立志伝中の人で、経営方針は次第に大衆に迎合した、怪談物、エログロ物に傾き、社長と従業員の間で奮闘した父親も、ついに会社を離れる事に。しばらく浪人していた時代もありましたが、東映の大川社長の肝いりで、東映CMや東映の関連子会社の社長を歴任。東映動画の社長を勤める事になる。
今のアニメブームの草分けです。古くは白蛇伝から狼少年ケンとかトムとジェリーや漫画キングコングはオヤジが米のハンナバーバラ社との契約をとり、日米合作になった作品。長くなったので続きは次のUPでということで、御期待ください。
左の少々ピンが甘い写真はたぶん「明治天皇と日露大戦争」の試写会に当時の岸総理を招いて、父が案内しているところだと思います。
右の写真は新婚まもない両親の、自由が丘の家に李 香蘭(山口 淑子)が訪ねて来た時のショット、左から
山梨 稔、1人おいて、しゃがんでいるのが母- 山梨 ふよう、となりのスレンダーな美人が若かりし頃の李 香蘭。