病院薬剤師ナツのブログ

隠れオタクな病院薬剤師の日常奮闘記。
地味で認知度低くて何やってるかわからないけど、病院薬剤師ってこんなことしてるのか、と思ってちょっと笑ってもらえればそれで幸せ。
どうぞ肩の力を抜いてご覧下さい。


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今日は外科病棟の早朝カンファレンス参加。


現在入院中の患者さんのあれこれを話して、うん、順調。

時間通りに終わって安心。と思ったら。


A医師「そういえば、なんか暴力団の条例できたでしょ!」


はい?


ファイルを片付けだした私の手が止まります。


B医師「あーできたできた。あれ俺ら関係あるの?」

A医師「それが悩むんだよー。暴力団きたら全部断らなくちゃいけないの?」

C医師「え、マジで?俺の外来、一ヶ月に一回ご一行様で来るんだけど」


どうやら話題は、東京都で制定された「暴力団排除条例」ですね。

暴力団を恐れず、金出さず、利用せず、交際すんな、というアレです。

え、何、診察拒否ってできるの?


というか、うちの病院にその筋の方々のご一行様なんて来てたの!?


いや確かに、入院患者さんのところにいって、たまーーにそれっぽい方とか会うことありますけど。

前面刺青とか、正直ちょっとびっくりします。

医師は診察拒否ってできないはずなので、実際には診察拒否しなくちゃいけないわけではないようですが。



B医師「診察そのものはしてもいいんだよ。ただ、生保(生活保護)申請の書類とか書いちゃいけないってことじゃないの?」

A医師「あーそういうの書いたら駄目になるのか」


書いてたんですか今まで、と怖くてつっこめない。(((( ;°Д°))))

まぁこれは極端な例だと思いたいのですが、実際、医師の診断の下に、色々お金が動くことというのはあります。

たとえば、交通事故での保険会社への請求額とかそういうのですね。

病気で働けないから傷病手当だの生活保護だのが必要、というのにも、やっぱり必要なのでしょうか。



そういえば、父は生前、その筋の人がついてそうな人の交通事故関連の書類。

「実際の怪我より重く診断書を書け」


と脅されたと言っておりました。

しかし、父、はっきり言って見た目の迫力なら負けておりませんでした。

ただでさえ性格はきつく強い人、更にガタイも良かったので、


「そんなん書くか出てけ!!」


と追い返したという話。

この条例、意外に色々なところに波紋を広げているようですが、その手の話に限らず、そういうのの不正受給はやっぱり減らせるものなら減らすべきだと思うのです。

ただ実際問題として医者だって脅されたら怖いよね、とも。

父……凄かったんだな……。

まぁどちらにせよ、薬剤師には関係のない話だとは思うのですけれど。

医者も色々なことを考えなくちゃいけないのですね。


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既に2月は2回、仕事を少し早めに切り上げて勉強会に行っています。


さすがに一月に三回はなぁ、休みの日にならとにかく仕事時間削って行くのは周りに迷惑だよなぁただでさえ忙しいのに、と思っていたのですが。



件の中途さんが、仕事早めに切り上げるどころかまるまる一日仕事を休んでの勉強会を4日も申告してるのに気付いたらなんかどうでもよくなりました。



というのは半分くらい冗談ですが。


いや、うちの病院、一応、勉強会参加は、申告して認められれば「仕事時間」として認められます。

もちろん残業とかそういうのはつきませんが、たとえば一日学会参加すれば、それは有給扱いではなく仕事で一日勤務していたものと見なされるんですね。


といっても、そうすると当然日常業務は残された人間に全て皺寄せがいくので、よほどの理由がない限りある程度周りとのバランスを取って行くものなんですけどね!



と嫌味はこれくらいにしておいて。



さて、そんなわけで、本当はとある勉強会をもう一個狙っていた私。


とあるメーカーさんがその勉強会の資料を持ってきてくれたのですが、普通は、勉強会の案内は薬剤科全体に持ってきて「どなたかご興味ある方がいらしていただければ」となるのです。


が、このメーカーさんの新薬についての研究を私が薬剤師会でしていた絡みがあり、

その新薬の関係の勉強会なのでぜひご参加を!と御指名。


更に、全くの偶然ですが、その勉強会の座長(講演者を紹介したりとか質問とかまとめの挨拶とかするえらい人)、どこかで見覚えがあると思えば。


なんと私の結婚式の時の主賓の先生じゃないですか。


もちろん、関係のない人を主賓でお招きしたわけではありません。

今は亡き父の上司にあたる、某大病院の院長先生。

父は勿論、私たち家族も、非常に良くして下さいました。


いや、結婚式の主賓は、一応直属上司であるサチさんを考えはしたんですが、


サチさん「嫌だ!絶対嫌だ!主賓になんてされたら行かないからね!私単なる先輩なんだからね!」


とゴネられたので、スピーチだけのお願いにしたのです。

散々話して、席次に「新婦上司」と書く許可だけもらったものです。


そして、この院長先生。先日の父の命日には、今年も豪華な花束を贈って下さった方だったりします。



実家に帰り、母相手に、花束を見ながら呟きます。


ナツ「忙しくて無理とは思ってるんだけど先生が座長をなさる勉強会の参加の話があってね」


母一言。


「絶対行ってご挨拶してきてよ!」


とのご命令。



そんなわけで、義理人情と大人の事情半分、勉強会への純粋な知的好奇心半分で、おそるおそるサチさんに申告。


ナツ「あのー、参加費も交通費もいらないんで、この日仕事落ちついてたら、定時で仕事あがって

   この勉強会に行きたいんですが…残業さえしなければ間に合うので…」

サチさん「いいよー勉強しといで!」


二つ返事でした。


さすがサチさん懐が広い。


そんなわけでその日の出勤メンバーに頭を下げつつ、急遽定時で仕事を終わらせて勉強会へ。



勉強会の内容そのものは普通に面白い勉強会だったんですが、

ブログネタとしては一流ホテルの仕出し弁当はおいしいなぁくらいしかないので飛ばします。


夜遅かったのでお弁当付きだったんですよね。

しかも、薬剤師向けじゃなくて医師も参加のだったので、お弁当豪華。


薬剤師向けのよりお弁当のランクが明らかに上です。


世の中ってそんなもの。



母のご命令もあるので

勉強会の後院長先生にご挨拶。


ナツ「先生、御無沙汰しております。先日は、父にお花をありがとうございました。

   母からもありがとうございましたとお伝え下さいと」

院長先生「おお、来てたのか。久しぶりだねぇ」


あ、良かった、覚えられてた。


結婚式の主賓頼んだのに忘れられてたらどうしようかと思った。



そんなこんなで話しつつロビーへ。

院長先生なので、他の病院スタッフがわらわらとわいて出ます。


院長先生、その中のお一人を手招き。

その先生も講演をされていたのでどなたかすぐわかります。

父の勤務先だった病院の薬剤部長です。

同じ薬剤部長といっても、うちの病院の規模の薬局長は私が軽口叩けるレベルですが、

薬学生向け向けの教科書とかに載るレベルの病院の薬剤部長はやっぱり雲の上です私から見たら。


院長先生「ちょうどよかった。これ、○○(父の名前)の娘さん」

ナツ「あ、その節はお世話になりました」


実は、父の生前、一日病院薬剤科見学をさせていただいていたことがあります。

ついでに言うなら、勉強会の最後の質疑応答で挙手して質問もしてるので、あちらもすぐ私のことがわかった様子。


薬剤部長「ああ、さっき質問してくれたよね、ありがとう」

ナツ「さきほどはありがとうございました。とても貴重なご講演でした」


思わず米つきバッタになる私。


いやだって雲の上の人だし。



院長先生「あれ、知り合い?」

薬剤部長「いや、○○先生がいらした頃、一度一日体験見学に」

ナツ「はい、学生時代に、病院薬剤師の仕事を見学させていただきたくて、

   ご無理を言ってお願いしてしまいました。その節はお世話になりました」


うわぁなんか無理を通して見学させてもらった手前いたたまれない!

いくら10年近く前の学生時代といっても!


院長先生「ちょうどいいや。ナツさん、○○病院の薬剤師やってるみたいなんだけど、

      いっそうちに引きぬいちゃう?」

ナツ「はい!?」


一瞬目が点になりますが、すぐに、ああ、その場の冗談よね、と。

和やかに笑います。


ナツ「またまた。そちらの病院の薬剤部入るの、凄く大変だって父に聞いてますよ。

   私は大学院も出てませんし」

薬剤部長「いや、そんなのいいんだよ。六年制の学生が入る前に、体制を変えるつもりだし」

院長先生「そうそう、いつでも連絡くれれば引きぬきたいよ」


はははもう冗談好きだなぁと思いつつ、ありがとうございますと笑顔で頭を下げます。

大人だもの。



院長先生、他の人にも呼ばれご挨拶に。

お忙しいですね、と思っていたら、なぜか薬剤部長はまだ行きません。

あれ?だって、院長先生に呼ばれたからいらして下さったんですよね?

真面目な顔で仰います。


薬剤部長「その気になったらいつでもご連絡下さい。病院に連絡くれれば大丈夫ですから」


え。もしかして、本気だったんですか?


しかし、およそ冗談いいそうなタイプに見えません。極めて真面目に仰ってます。


父に非常に良くして下さっていて縁の深い院長先生はとにかく、


薬剤部長、父と全く別に仲良しじゃなかったですよね?なのになぜ!?


さっきの勉強会で質問したせい!?



今の規模とは全くかけ離れた大きな病院のお誘いに一瞬アホみたいに浮かび上がる私。


落ちつけ私、こんなにコネコネしい転職のお誘いないぞ…!!


どうせ転職するなら自分の実力で心から欲しいと言ってもらえるようになれ!!と自分で自分を律します。

すぐに調子にのるタイプなので危ないったらもう。




というやり取りがあったことを、後日サチさんに言ってみます。


サチさん「とりあえず××病院(父の元勤務先)に鼻つまんで電話かけて、

      『ナツさんは働かせないほうがいいですよ』っていってやるー」


怖いよ。


ナツ「どうせなら、ナツさんを使いこなせるのは私くらいよくらい言ってみて下さいよ」


と言ってみたらゲラゲラ笑ってましたが。




まだまだ当分、私には身の丈に合ったこの職場が良さそうです。

何より、この職場は、私自身を必要としてくれてるようなので。


…されてなかったらどうしようね!


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私の専門、というほどではありませんが、メインでやっているのは「緩和ケア」です。


緩和ケアってなんぞや?というと、早い話が、

がんの患者さんの体の痛みは勿論心の痛みなども含めて総合的にケアしようね、という分野です。


よく勘違いされがちなのが、緩和ケアって、もう助からない(末期の)患者さんにするものでしょ?というもの。



なので、たまに緩和ケア委員とか名乗ると死神でも見るかのような目で見られることもあるのですが、

実際はそんなわけではありません。



がんと告知された時点から、患者さんの辛さは始まっていて、なので診断時点から

緩和ケア的な関わりをしましょうね、という流れに世界的になっています。



まだまだ認知度低いんですけどね。



最近どんどん注目されるようになってきた分野ではありますが、実際薬学外の友人に


「私緩和ケア専門でやってるんだ」


などと言うと、


「俺はがんになったら病気を治したいからそっちの世話になりたくない」

「結局治してくれるわけじゃないんでしょ?」


などと言われてしまうこともあります。



がんの疼痛コントロールは治療の邪魔になることはありませんし、むしろ、

痛みがなくなることで食欲が増進したりよく眠れるようになったりして、総合的に生活の質が

あがって治療的にもいいんですけどね…。


なかなか、治療と両立しないと思われがちな分野みたいで。




じゃあなんでそんなマイナー分野を選んだか。


たとえば、感染症とか、同じがん関連でも抗がん剤分野とかは、すごーく花型。

実は、私も、入職当初。

興味があったのは抗がん剤でした。



実は、本日、父の命日なのですが。

父はがんで亡くなりました。

再発を繰り返し、もう手術では助からない、となり、抗がん剤治療となった時。


最初、とある大病院で抗がん剤治療を受けている時は毎週吐いて辛そうだった父。


それが、とあるブラックジャック的な(医師免許はありますが)メジャー病院に所属していない抗がん剤専門の医師にお世話になってびっくり。



抗がん剤って、吐かないですむの?



同じ薬を使っているのに、やり方を変えるだけで副作用がこんなに押さえられるのかとカルチャーショックを受けました。

しかも効果抜群だし。


なるべく生活の質を落とさないでということで、医師であった父はそのまま大好きな仕事を続け、

その合間に休みを取って海外に趣味のセスナの運転に行ったりして。


急な症状の変化で意識を失うわずか2日前まで、父は当たり前に仕事を続けていました。



それを見ていた当時ぺーぺーだった私。


「抗がん剤って凄い。私も、抗がん剤専門に勉強して、お父さんみたいに

 がんになっても仕事を続けて当たり前の生活を送れる人を増やしたい!」


とまぁ極めて短絡的に思ったわけです。



が、抗がん剤の勉強会に行けば行くほど、抗がん剤を行っている患者さんのところに行けば行くほど。


あれ?なんか、私のやりたかったの、ちょっと違わね?


と思いだしたわけです。




抗がん剤の目標は、よくあるのは、


「今あるがんの増殖を抑え、出来れば小さくして生存期間を伸ばすこと」

「これから出てくるかもしれないがんの再発を抑えて再発リスクを減らすこと」


などです。


もちろん、がんの種類によっては、抗がん剤だけで完治が望めるものや、がんを小さくすることで手術で取りきれるようになって完治が見込めるものなどもあります。

しかし、ものによっては、数ヶ月~1年程寿命を延ばすために物凄いお金をかけて副作用とも戦って、となることもあるわけです。



そんな中、父がなくなりしばらくたって、立て続けに、

抗がん剤の副作用に悩む複数の患者さんに集中的に介入させていただく機会がありました。



そして気付きました。



私がやりたいのは「抗がん剤の副作用を取って当たり前の生活を当たり前におくってもらう手助けをすること」であり、「少しでも生存期間を伸ばすこと」ではないのだと。


いやもちろん、生存期間が伸びるならそれに越したことはないのです。

ただ、それに一生懸命になってくれる医療従事者は他にもたくさんいる。


抗がん剤の副作用一つとっても


「副作用が出るのは仕方がないこと。

 薬を効果的に使いたいなら我慢しなくちゃしょうがない」


と言われてしまったら、患者さんはぐぅの音も出ないわけです。


腫瘍を小さくしたことを喜ぶ医療従事者の数は、患者さんの副作用が軽減したことを喜ぶ医療従事者の数より、多分多い。そのためならば、多少の生活の質の低下はしょうがないと思っている医療者も、決して少なくない。



けれど、私は、父を見ていて、しみじみと思ったのです。


「がんになっても当たり前の生活を当たり前に送ること」


それがどれだけ本人や周りを助けるか。



吐いたり、伏せったり、食欲が落ちたり。

それは確実に生活の質を低下させます。


ならば、私は私にできるやり方で、それを防ぎたい。



そう思って抗がん剤の副作用対策を勉強しているうちに、それだけでは患者さんが当たり前の生活を送ることはできないと気付きました。


医療用麻薬を使わなければ対処できないような激しい痛み。

医療用麻薬を使っても対処できない色々な種類の痛み。

病や死への恐怖から不安定になる心の痛み。

周りに迷惑をかけていると思いこんでしまったり世間から取り残されたような孤独感。


そういうのが様々に相まって、がん患者さんを苦しめます。


振り返ってみると、父も、抗がん剤による副作用はかなり軽減しましたが、

精神的な苦痛はやはり大きかった。当たり前なんですけどね。

疼痛のコントロールも決してずっと良好だったわけではない。



今。様々な経験を積んだ私が、父の傍にいたならば。

少しは役に立てたのではないかと、ほんの少し、後悔があります。



けれどその分を他の患者さんにやっていけばいい。



そう思って、緩和ケアに日々取り組んでいます。

担当している患者さんが亡くなることは正直日常茶飯事ですが、

その患者さんに、私の提案したことで少しでも「楽になった」と言ってもらえた時。


とても、やりがいを感じるのです。


特に看護師さんなどは、緩和を専門でやっていると、担当患者さんがどんどん亡くなっていき

精神的に疲れてしまう人が多い、と聞いたことがありますが。

今のところ、私にはその心配はなさそうです。




と、つらつら書いてみたのですが。


なんだか普段のこのブログらしくなく最後までオチませんでしたすみません。


たまに真面目に語ると照れますね!!

父の命日ということで許して下さい。


明日からは多分また平常運転のアホな病院日常ブログに戻ります。



とりあえず母とお墓参り行ってきます。

無宗教のお墓なのでお坊さんとか関係ないですので気楽に。


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今日は弟が食事がいらないとのことで、近くのチェーンのファミレスに母と出かけました。


そこで、レシートをいらないと受け取らず、店を後にする母。



ナツ「お母さんってさー。家計簿とかつけない人だよねーそういえば。今まで一度もつけたことないんでしょ」

ナツ母「つけたことあるわよ!しかもしばらく」

ナツ「いつよぉ?私、見たことないわよ」

ナツ母「ナツが生まれたくらいの頃」



それは昔すぎる。

しかも私が覚えてなくて当たり前だ。



ナツ「何もそんな七面倒くさいこと、子育てで一番消耗しそうな時にトライしなくてもいいのに……

ナツ母「ほら、よく言うじゃない、節約するには家計簿をつけるのが第一って。

でも全然節約にならないからやめちゃった



……あー……



ナツ「それはね、お母さん……。つけた家計簿を見て、ここを引き締めようとか考えられる人は節約になるんだよ……!」



これを切り詰めよう、とか考えない人がつけたって意味なかろう。



ナツ母「あら、ちゃんと節約考えてたわよ。結婚した時、お父さん、お給料安かったし」



父の研修医時代に結婚した母。

医者は高給取りという誤ったイメージが世間様には溢れていますが、勤務医の手取りなんぞたかが知れています。

高給取りは一部の開業医、それから、積極的に人が行きたがらない地方の私立病院。

名医ランキング上位にいる医者は、案外、そこらの銀行の部長クラスよりお給料は下だったりするのです。

ましてや研修医などといったらもう、結構、いやかーなーり、安い。

しかも休みもなく働くことを考えたら、時給換算したら、下手したらアルバイトかこれはっていう程に、給料は安い。



しかし、はっきり言って、いわゆる「節約」を母がしているのを、見たことはありません。

ずば抜けた贅沢など全然していないけれど、たとえばおいしいランチを食べに行ったり好きな洋服を買ったりたまには旅行にいったりと、到底、節約を意識しているようには見えませんでした。



ナツ母「そうねぇ……そうだわ、家を買うまでは、ちゃんと貯金もしてたんだわ、考えてみれば」

ナツ「えええ?本当ー?」

ナツ母「お給料の浮き沈みが激しかったからねぇ……。家を買ってからは無茶な住宅ローン返済平気で返してたし、ちょうどナツたちの教育費もかかるようになってきたし」



そこで。私は初めて、父の今までの月給などというものを聞きました。

私もいい歳ですし、何よりもうすぐ結婚。自分で家計を守らなくてはいけません。

だから参考までに、とねだってみたのです。



勤務医というのは、結構、コロコロ職場を変えます。

しかしそれにしても、父はよく変わるほうだったでしょうが。



ナツ「ぶっ……!?」



上は、父の月給を聞いた時の私の反応です。

職場によって、お給料、変わり過ぎ。



地方勤務だったり、私立病院だった時は高く、逆に某大学病院の時などは、悲しくなるほどに安く。



父は給料だけでなく、その場で学べることや地位、名誉なども踏まえて職場を変えていましたし、私はそれで不自由ない生活をさせてもらっていたので、別に不満はありません。

それに何より、贔屓目もあるかもしれませんが、父の手術の腕は本当に素晴らしく、何百人もの命を救ってきました。父は私の誇りです。



それにしたって、50万以上月給違うというのは変わり過ぎだ。



母も止めなかったのか。その移動。



しかし。しかしです。父が一番稼いでいた時期のお給料には、多分、私とトリー二人がかりでもかなわないでしょう。

それでも、そこそこ好きに生活をしていたら、今現在、決して貧乏ではないけれど、それほど裕福でもない。



私とトリー。

私もトリーも、安定職だから、どちらかの稼ぎだけでも食うに困ることはないでしょう。

けれど劇的にお給料が増える見込みは、どちらも、まず、ない。



結婚して、将来家を買って、たとえば子供が大学院にまで行きたいとか医学部に行きたい薬学部に行きたい、そんな希望言ってきたら。

私、叶えられるんだろうか……



子供が生まれたら、もう待ったはありません。

今この時、そして新婚時代こそ、きちんと貯金をするのが、正しい姿なのかもしれません。



家計簿など今まで同じくつけたこともない私。

この際、結婚と同時に、DSの家計簿ダイアリーでも買ったほうがいいのかもしれません。



母と同じで、私も、それだけでは節約に結びつかない気はするけれど。


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遠距離恋愛が3年以上あったこともあり、トリーのことはずっと家族に秘密にしていました。

……何せ遠距離。12か月に1度のデートでは、23泊することが当たり前だったので。

親バレしたら日帰りしろと言われるに決まってます。

下手したら旅費の工面もできなくされてしまうかもしれませんし。



何せ誕生日もクリスマスも会えず家にいることが多かったため、家族も全く気付いていなかったようです。

それ以前に、私みたいな女に恋人ができるということを想像できなかったようですが。

なんでそんなに自信満々に彼氏いないって決めつけていたんだ、母よ。



しかし就職した年、トリーが東京に引っ越してきてくれて、状況は少し変わりました。

お互い仕事も忙しくなり、泊りがけのデートもなく。また、お互いちゃんと安定した職について、収入面の問題もなくなった。

単なる学生というよりは、国家公務員の彼氏、のほうが親の心証もよかろうと。

ただし、問題は、4年も付き合っててなんで今まで黙っていたんだ」と言われるだろうこと。

過去のデートのアレコレが芋づる式にバレるのは火を見るより明らか。

絶対怒られる……



というわけで、その後もしばらく親に内緒にしていました。



しかし、さらに状況は変わり、父の病気が悪化し、余命宣告もされ、家中がくらーい雰囲気に。

少しでも母の気分を上昇させたくて、「詳しくはナイショだけど、実は彼氏いるんだよー」と明るく告白。

驚いたようですが、遠距離だったことを省いて説明したので母親は喜んだ様子。


その2ヶ月ほど後。200612日。事態は急変します。

父が病気の悪化により突然意識不明の重体になり、父の勤務先だった病院のICUに運ばれました。

母は半狂乱、弟は学生、私がしっかりしなくちゃ、と思いつつもファザコンなくらい父が大好きだった私。

ダメージは大きく、唯一すがれる相手として、トリーを呼びました。



トリーはできる限り早くかけつけてくれました。

そして私を支え、母と弟、そして意識不明の父にも、きちんと挨拶をしてくれました。



さて、こんな事態ですから、当然、家族は揃っています。それ以外に親戚。母の友人など、次々に訪れます。

しかも父の職場の病院です。看護師さんたちの目線も「あら、ナツ父先生の娘さんの彼氏さん?」となる。

トリー、晒し者。



初めての家族への紹介が病院のICUだったというのは、ほかに聞いたことがありません。

今思わずとも、ものすごーく可哀想だった。

超ごめんトリー。



友人達がきてくれて、母もだいぶ落ち着いて。

しばらく意識不明が続くかもと言われ、ずっと気を張っているわけにもいかなくなった母の興味はトリーへ。

母の友人達の前に半強制的に立たされます。



ナツ母「トリー君って、お仕事○○なのよね?」

トリー「あ、はい、そうです」

ナツ母「敬礼の訓練とかってやったんでしょ?」

トリー「はい」

ナツ母「やってみて!」



母の友人達もキラキラした目で見ています。ものすごく困った顔のトリー。



トリー「い、いえ、ただ、正式な敬礼は、帽子がないとできなくて……

ナツ母「いいわよっ、正式じゃなくて!こういうものだってのがわかればっ」



トリー困った顔をしつつも、ぴっと背筋を伸ばし敬礼。

指の角度だのなんだのまで細かく決められ、何日もかけて訓練させられた敬礼。

しかし。



ナツ母・友人ズ「意外に……普通ねぇ」



何を期待していたんだ何を。



この時のことはさすがに酷かったと自分でも思ったのか、母は今だに「ごめんねトリー君」と謝っています。

父親重体のICUに呼ばれて家族どころか親戚一同母友人一同の前に曝し者にされ敬礼までさせられた挙句「普通」とか言われてしまったトリー。



付き合い続けてくれてありがとう(^_^;)



結局父は一か月半ほどそのままで、意識が戻らないまま静かに永い眠りについたのですが、

その間トリーは懲りずに休みのたびに通ってくれました。



考えてみればあの時。トリーとの結婚を最初に考えたのかもしれないなぁ。

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