開幕式に先立つ2日午前11時、同市河回村では壬辰倭乱の記録を残した宰相・柳成竜(リュ・ソンリョン)=1542-1607年=の賜祭祀(国から下賜された祭祀〈さいし〉)が行われた。文化体育観光部(省に相当)の崔光植(チェ・グァンシク)長官、シム・ウヨン元国学振興院長、キム・ビョンイル現国学振興院長が献官(国が任命した祭官)を務めた。柳成竜の出身一族である豊山柳氏をはじめ、105人の功臣一族の跡取りら約800人が出席したほか、海軍3隻目のイージス駆逐艦「西厓柳成竜」(7600トン級)の乗組員も参加。報道陣も約100人集まった。崔文化体育観光部長官は「今後も壬辰倭乱の国難克服精神と歴史的教訓を継承・発展させていかなければならない」とあいさつした。
さらに、行事に出席した金寛容(キム・グァンヨン)慶尚北道知事は「壬辰倭乱は安易な安保体制が招いた国家存続の危機だった。命懸けで戦った功臣たち、全国各地から集まった義兵たちの精神を再び胸に刻み、こうした危機を二度と招かないようにしなければ」と述べた。
会場には、家系図を手に幼いわが子に説明する父親や、久しぶりに親族に再会した人もいた。義兵長を務めた金士元(キム・サウォン)の子孫、キム・ハンフェさん(64)は「本家の跡取りをはじめ、一族をできるだけ多く連れて行事に出席した。今日の行事を見守った子孫たちは、60年後も忘れずに伝統を継承するだろう」と語った。
だが、今年のこの行事は開催が危ぶまれた。2008年に李舜臣、柳成竜らの功臣の子孫たちが薄れた記憶をたどって行事をよみがえらそうとしたが、60年前の前回は韓国戦争中だったため、その後に成立した韓国政府が主催する法的根拠もなく、担当官庁も決まっていなかった。子孫たちは2010年に社団法人「壬辰倭乱精神文化宣揚会」を結成、政府を説得した末、予算14億ウォン(約9200万円)を獲得した。そして李舜臣、柳成竜、宋象賢(ソン・サンヒョン)、趙憲(チョ・ホン)、高敬命(コ・ギョンミョン)、尹斗寿(ユン・ドゥス)、李恒福(イ・ハンボク)、鄭崑寿(チョン・ゴンス)、権慄(クォン・ユル)らを含む105人の文臣・武臣、義兵長の子孫を探し、行事開催にこぎ着けた。