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非モテの文化誌
words by demi/illustration by ささこ バックナンバー
非モテ人間は現代の被差別階級なのか? 異性を発情させるのがそんなに偉いの か? 文学を手がかりに、いっそ、非モテライフをエンジョイする方法を探っていこう! 今回のテキストは、非モテ自虐芸で文壇に踊り出た田山花袋の青春時代です。

第25回 非モテでサクセス!――国木田独歩×田山花袋の巻

『東京の三十年』(田山花袋/講談社学芸文庫)

女弟子に片思いして彼女の蒲団をクンクンする「蒲団」(『蒲団・重右衛門の最後』所収)、電車内の美少女に近づいてクンクンする「少女病」(『定本 花袋全集〈第1巻〉』所収)。田山花袋はいまや日本自然主義文学というよりも、非モテ文学の人として知られているのかもしれません。とはいえ上記2作は既婚者が浮気心をたくましくする話なので、非モテとは呼びたくないのです(奥さんカワイソス!)。そこで、20代中盤を過ぎても恋愛未経験だったという花袋の童貞時代にスポットをあてたいと思います。

「暗く、陰気で、外に表せない憂愁や苦悶で胸が一杯になっていて、黙ってむっつりしている」Tこと田山花袋と、頭の回転が速く社交的で細面の美青年Kこと国木田独歩。この対照的な二人は独歩の失恋を機に親しくなり、明治30年2月から4月にかけて日光の山寺で二人きりで暮らすほどに仲を深めていました。その男同士の同棲生活を記したのが「KとT」(『東京の三十年』所収)です。
独歩は当時、駆け落ち同然に結婚したお嬢様と海岸で新婚生活を半年ほど送ったあと、彼女に逃げられてしまったという苦い過去を引きずっていました。たびたび失恋を語っては涙する独歩に、恋愛未経験の花袋はいつもキョトンとしてしまいます。「何故、そんなことになったんだねえ?」とぼんやり聞くのですが、失恋者に答えられようはずもありません。

Tに取っては、娘は、処女は触るることの出来ないほど神聖なものにして置きたかった。処女の純潔ほど美しく理想的なものは世の中にないとTは思った。一度深く思い合って結婚したものが、一年も経たない中に、そうした結果になるなどとは、Tには思えなかった。又思いたくなかった。

彼らはともに26歳。文学の道を志しながら、いまだ日の目をみない二人は、なんとか文壇で成功しようともがいている夢見る若者同士でした。

Tは長い三四百枚の小説を書き始めていたが、それに倦むと、昼間でもその寝台の中にもぐり込んで寝た。そしてまだ触れない禁断の果実に憧憬れた。口では神聖の恋とか、聖教徒とかと言っているけれども、その時は白い肌だの美しい襟元だの甘い歓楽だのを不健全に頭に浮べていた。

日中からエロ妄想でモヤモヤする花袋に、元奥さんとの甘い生活を毎夜思い返してグジグジする独歩。立場は違えど寂しい文学青年同士である二人は散歩しながら、長火鉢に向かい合いながら、山登りしながら、いつでもどこでも語り合います。人生のこと、文学のこと、宗教のこと、恋愛のこと、死のこと……二人の話題はつきません。

Kの熱のある言葉はいつもTの心を引寄せた。時にはTは彼奴の能弁に欺かれていると思いながらも、その真面目な感激に動かされずには居られなかった。Kは聖書の山上の祈祷などを持ち出した。
  Kの感激、それにはいつも捨て去られた妻の悲哀が背景を成しているのであるが、Tにはそれがまだ分明と解ってはいなかった。Tの男女観はまだ些しも肉体に触れていなかった。肉体の話になると、Tはいつも顔を背けた。自分の持った神聖の童貞をけが(水偏に宛)されたような気がした。

ときには派手なケンカもします。

「そんなに意気地がなけりゃ、死んで了え! 自殺して了え! すぐ僕の眼の前で自殺し給え! 幸い短刀がそこにあるから!」
  こう激してKは怒鳴った。
「死ぬ時は……死ぬ時は……」Tはどもって、「死ぬ時は、僕は勝手に死ぬ。お世話にはならない。それよりも、君は君のことを考えろ。僕はまだこれでも童貞を失なっていないんだ。童貞を蹂躙られた君とは違うんだ」
  Tも負けずに言った。

彼等のケンカの火種は、やはりというか、Kが女性経験者でTが童貞であることでした。KにとってはTのドリーマーぶりがもどかしく、TはKが女性経験を折に触れ振りかざすことが疎ましい。Kは「思想は実行に由って、始めて真理となって現れる」と諭すも、Tは(ラブの)実行にあたっては真面目でありたいと頑として譲りません。「じゃ、僕の恋愛事件は不真面目だというのかえ?」と憮然とするK。

「この女たらしが……」こうTはKを思い、Kは「この野暮天が、旋毛(つむじ)曲りが……」とTを思った。

思うさま罵り合っても唯一無二の親友同士である二人はすぐに仲直り。雨に濡れた石地蔵を眺めながら、KはTに向かって諸行無常の人間観を語ります。「僕にはこうした深い熱情があるのだ。それをお信さんなんか、言って聞かせたって、ちっともわからないんだから。それが残念だ。僕に、それだけの徳がなかったのであろうけれど、それを考えると、僕は痛恨胸に徹する」。TはそんなKに深々と共感します。ここでTが「女なんかに君の徳がわかるものか!」と言ってKを抱きすくめればボーイズラブの古典になりえたのかもしれませんが、もちろんそんなことはなく、とぼとぼと雨道を歩く二人なのでした。

残念ながら(?)男よりももっぱら女の子を愛するKはカワイイ子が近くにいると聞けば、さっそく口説きに出かけます。

「君のように、一度失恋した青年が、そういう娘を見に散歩に出かけて行くのはちょっと面白いね。短篇になるね」こう軽くTは言っているけれど、Kのことであるから、何時の間にか巧く女の歓心を得て、もう何うにかしているのではないかと邪推された。Tは醜い悪魔の影の自分の心を掠めて行くのを見た。

女の尻ばかり追いかけているから処女作も満足に書けないんだ、フン、と嫉妬心をやり過ごそうとするTも、Kのモテモテぶりを思うとどうしても寂しい気持ちになってしまいます。Kの家庭環境のよさ、すくすく育った明るさも劣等感をくすぐります。加えて批評家たちによる批判、成功した同年代の作家の評判……鬱になる要素はてんこもりです。「童貞と芸術! 唯それのみかれはすがりついた」。童貞をアイデンティティにしすぎて顔色まで悪くなったTを心配する健康的なKは、ナンパに連れてゆくのですが……

「見て給え、此方(こっち)を向かせて見せるから」
  Kは口笛を吹いた。
「よせ、よせ! よせったら」つづいて吹こうとする第二の口笛をTは怖い眼色(めつき)をしてとめた。
「好いじゃないか」
「よせ! 吹くなら、僕はかえる」すたすた行きかけるので、Kは笑って止して、
「頑固な奴だなア」という顔をした。

そんなある日、Tは洋書屋で見かけた外国作家にとりつかれました。その作家の名はモーパッサン。以来寝ても覚めても名前が頭を離れません。「もうーぱっさん、もう――ぱっ――さん」とうわごとにように口走るTを「もうーぱっーさん……何だ、もうばアさんだ。もう婆さんはいやだね」とからかうK。名前だけでこれだけ萌えられるのは豊かに培った妄想力のおかげでしょうか。ようやく原稿料でモーパッサンを買えたTはもう大はしゃぎです。

「買った! 買った!」
  かれはKの室までわざわざ入って行って、それをKの鼻先で振廻した。
「とうとう買ったか」
  Kも莞爾(にこにこ)していた。Kはそれを手に取って見たりした。男と女の接吻している挿絵があったが、Kはじっとそれに見入って、「好いなア。思い出すなア」

思い出すなア?運命の恋人に出会えたかのようにモーパッサンを崇拝するTは、Kの遠まわしのノロケにも、もはやひがむことはないのでした。

花袋の無邪気なダメっぷり、独歩のさわやかぶりがこれでもかと書かれる「KとT」ですが、思えば21世紀のいま、注目を集めているのはどう考えても独歩より花袋。「蒲団」「女教師」「少女病」に登場する、若い女の子に片思いして「妻が死んでくれないかなー」と臆面も無く夢想する中年男の姿は、現代においてもダメ人間の共感を呼ばずにはおれません。もちろん当時もその身も蓋もなさで文壇の寵児となったわけですが、実際の花袋はそこまでダメではなかったと研究者は伝えています。

それは、後の飯田代子との交渉から生まれた「百夜」に至る多くの作品に、妻の死の願いなど全く見出されないこととも照応する。世間一般の男の心理だとは思っても、他の女性と現実のかかわり合いを持つ中で妻の死を想定して描くことは、花袋にはさすがにできなかったのだろう。
『田山花袋というカオス』尾形明子

竹中の恋は、<作者その人と思われる地位ある男の、醜い片恋>を描いたがために、センセーションを巻き起こしたのである。先の拙著で述べたとおり、これは「罪」の告白ではなく、「恥」の告白だったのだ。けれど、だからこそこの作品は、話題になったのである。全ては、田山花袋の、巧みな計算の上に成り立っていたのである。
(中略)
私の邪推するところでは、花袋は独歩を反面教師として、実はさして執着していない女弟子相手の痴情を描いてみせたのではあるまいか。
「感傷的な作家の賭け」小谷野敦(『明治の文学第23巻 田山花袋』)

花袋の自虐芸は、「男なら当然そういうことあるよな!」という男性一般の心理を計算した上で練られた、文壇で成功するための作戦だったのでしょうか。そういえば『東京の三十年』には、文壇の有名人たちをひがみ混じりで誉めそやしながら、己のダメさを赤裸々に告白する描写が満載です。花袋を面白がってしまう現代の私たちは、まんまと彼の術中にかかってしまったのかもしれません。非モテを名乗って美男美女や有名人をひがみつつ、自虐日記で着実にネットの人気者になるテキストサイト管理人を連想してしまいます。非モテなら見習いたいテクニックかもしれません。

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(文・demi/Beltorchicca  絵・ささこ/おもパン

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