履歴書

2009-07-10印刷                     20090512日更新NO.347 久保田昭夫

『可宝得』環保技術〔深セン〕有限公司 経営顧問

主題 KBT 67歳 久保田履歴書

 

姓名 久保田昭夫   性別 男   民族 日本人 

学歴 県立都城工業高校 電気科卒  身分証号碼 TZ6130591

戸籍 198-0023 東京都青梅市今井3-25-1 日本自宅

現住所 深セン市宝安区沙井鎮新橋村麗沙花都E11単元1302号(中国自宅

    電話 TEL/FAX 0755-8177-7176 M-13602612426

出生日期 19420210 現在67周歳  血液 O

婚否 有  身高 164Cm

家庭状況 

和本人関係 :  姓名 :  年齢 :  

久保田昭夫  本人    67歳  

久保田幸子  妻    65歳 

湯浅麻里奈  長女   41歳 

久保田善王  長男   38歳 

久保田剛貴  次男   35歳 

 

私の職歴  はじめに

 私久保田は、1942年(昭和17年)宮崎県都城の霧島山の麓で生まれ、当時は戦後間もない事から食べる事もままならず、大変厳しい生活環境の中で育った。特に私の家は、父が大工職人であったことから私が小学生の時、関西方面に出稼ぎに出掛けた。当時の大工は、雨が降ると仕事も休みで送金もままならず、貧乏から抜け出す生活は程遠かった。そんな背景もあり、私は、小さい頃から『大人びたませた子』であった。だから私の生き様は、何でも『人の三倍』努力する事を信条とし、今でもその信念は変わらない。運よく入社出来た川崎にある東芝では、発足間もない通信機事業部電子計算機部門の製造部に配属された。私は、入社してまもなく、張り切りすぎで一年ほど入院する羽目になった。運よく職場復帰が出来、日本の経済成長に合わせ、伸びた電算機部門は1968年年初に東芝の通信機事業部電算機部門から『電子計算機事業部』として青梅新工場で発足した。当時は、日本の高度経済成長期で企業も労働組合も切磋琢磨の時代であったが、正常な労使関係を目指し、一役買う予定が人生の働き盛りの大半を組合専従で過ごす事になった。この間海外出張で世界観を、そして毎日の労使関係で時代観、経営観を学び、目上の人に会うことにより未来観を学ぶ事ができた。人生、何が役に立つか分からない。52歳で東芝を退職するまで貪欲に学んだ事もあり、海外で経営の仕事をする上で何もかもが役に立ち、お世話になった同僚や先輩諸氏には今でも感謝している。

今、私は、中国の宋の時代に新朱仲が唱えた『人生の五計 ①生計、②身計、③家計、④老計、⑤死計』である④老計、⑤死計の端境期にある。残された人生、今後は自分が今まで経験してきた体験や『知識』を『見識』に変え、更に『胆識』を持って皆さんのお役に少しでも立つよう、仕事を通じて自分も更に成長したいと自覚している。

 

【久保田の職歴】

196203月 東芝小向工場 入社 電子計算機製造部 技術試験課

196808月 東芝青梅工場 労働組合代議員

196908月 東芝青梅工場 青梅支部執行委員 厚生部長

 197008月 東芝青梅工場 青梅支部執行委員 厚生部長・専従

 197208月 東芝青梅工場 青梅支部執行委員 書記長・専従

197808月 東芝青梅工場 青梅支部執行委員 副委員長・専従

198008月 東芝労組本部 中央執行委員会 教育情宣部長・専従

198408月 東芝労組本部 中央執行委員会 労働対策部長・専従

199009月 東芝青梅工場 職場復帰 パソコン製造部 品質保証部

199210月 東芝青梅工場 パソコン海外戦略担当

199409月 東芝青梅工場 勤続32年、52歳停年取扱で退職

199410月 中国・富山王氏有限公司 董事・総経理就任

▲日本の富山と香港の王氏から海外でのプレス会社経営を一任され、プレス機械15台、当面の運用金80万香港ドルでスタート。予定していた仕事も延期され、二年間は大幅赤字。この間、赤字ながら経営の基礎である人材育成設備の整備資金の活用技術の整備情報の収集現地によるスピード経営判断が出来る組織体制を確立。特に力を入れた点は、中国文化に合わせた人材の育成には、時間内、時間外を問わず感化される教育を実践。経営方針の明確化として経営理念、経営行動指針をスローガンに終わらせず実践、特に経営方針の売上、利益予算、実績を明確に公表し、予算を従業員全員が意識した行動を取るようにした。そうした事により、三年半で日本からの累積借入金を完済。辞任するまでに仕事もプレス、金型、組立、ハーネス製造まで広げ、各部長を経営責任者に任命し、徹底した事業部制をとり無駄の排除に目が届く決算体制を敷いた。

200209月 中国・富山王氏有限公司 董事・総経理就任辞任

何事も引き際は、大切である。人材も育ち、日常の問題はあるものの安定した業績、60歳の節目を境に退職を決意。久保田の退職と同時に自主的に退職した38人の従業員の将来を考え、中国で問題でもあり、人間にも大事な『飲み水』と『環境汚染や工場排水設備』を製造販売する新会社を設立。

200210月 中国・『可宝得』環保技術(深圳)有限公司(KBT)創立

董事長就任 200304月 KBT営業開始後 現役実務から離職

200304月 深セン日本商工会宝安分科会の副会長(二期)、同会長一期、

200304月 東莞頭部日本人会の事務局長一年任期就任

200308月 東莞長安 金鑫金属制品廠を皮切りに経営顧問活動開始

200401 日本人・中国人向け『久保田式経営塾』無料で開始

200504月 深セン 東莞地区 反日労働争議  五件解決

200607月 東莞長安金鑫金属制品廠など10余件の経営顧問活動停止

200608月 美上日東発條 常勤董事長一年契約で就任 0707月辞職

200708月 経営顧問 活動開始

200712月 東莞四方技研五金製品廠有限公司 経営顧問 083月迄

200806月 東寶精密電子製造廠 経営顧問 089月迄

200810月 日本電産三協(東莞)有限公司 経営顧問 093月迄

200906月 宝安区企業発展環境特別観察員に就任

★その他 マスコミ報道関係

◆富山王氏現役時代に二回南日本新聞でプロフィル紹介される

2005年春、中国の反日運動の時、NHK報道番組に出演

2005年秋、『久保田式経営塾』の報道 NHK

20066/26 日経新聞夕刊報道 アジアの中の日本 第三部 サムライ、異郷に 

◆現在五年目『久保田式経営塾』に加え日本厚生・労働省外郭団体の財団法人『海外職業訓練協会』北京支部国際アドバイザー会員(登録番号1010

◆日本の『日系ビジネス』中国華南地区の『中国華南マンスリー』中国特集に数回解説で登場。

2008年2月、10月日本で二回『中国現地からの現場報告』を講演

以上