禅暁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
禅暁(ぜんぎょう、生年未詳 - 承久2年4月14日(1220年5月17日))は鎌倉時代前期の僧。鎌倉幕府二代将軍源頼家の四男。母は一品房昌寛の娘。同母兄に栄実。
元久元年(1204年)に父頼家が暗殺された後、出家して仁和寺に入室する。母は三浦胤義と再婚し、胤義が禅暁の後見人となる。
建保7年(1219年)正月、異母兄の公暁が叔父の源実朝を暗殺した事で、公暁に荷担したとの嫌疑を受ける。翌承久2年(1220年)2月26日、次期将軍東下を要請するために入洛した鎌倉の使者・二階堂行光が禅暁の身柄引き渡しの交渉に入り、閏2月5日に禅暁を伴って京を出立した。2ヶ月後の4月14日、禅暁は京都の東山で誅殺された。
2ヶ月の空白期間にどのような交渉が行われたか不明だが、後見人である胤義が禅暁の助命に動いていたと考えられる。事件後、胤義は兄で公暁の乳母父であった三浦義村を「尾籠の者」と呼び、承久の乱で京方となって幕府軍と戦っており、禅暁の処遇は三浦一族分裂の原因となったと見られる。