ザ・ワンダース

団塊世代の想い出・グループサウンズ !! 青春時代の1960年代にタイムスリップ!


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ザ・ワンダース

ザ・ワンダースは、コーラスグループ "ザ・タドポールズ" にいた朝紘一と栗敏夫の二人に、"ジミー時田とマウンテン・プレイボーイ" でヴォーカルをしていた尾崎紀世彦が加わり、1967年1月に結成された。ザ・ワンダースというグループ名は、師事している "和田昭治"(デューク・エイセス創設者)の和田をもじって付けられた。同年4月にはTBS朝の人気番組「ヤング720」に初登場し、準レギュラーとして活躍。同年8月1日、シングル「明日への道」アルバム「ニュー・カマー・ワンダース」のWリリースで華々しくレコードデビューしたものの、ヒットには結びつかなかった。10月にリリースした2枚目シングル「霧と恋」が小ヒットしたが、その後にリリースした5枚のシングルは話題にもあがらなかった。彼等はドラマの挿入歌や主題歌、CMソングなどで重宝がられたグループだった。1969年、尾崎紀世彦が脱退しグループは崩壊、事実上の解散に追い込まれていった。
肝臓がんで、東京・港区の病院に入院されていた尾崎紀世彦さんが、2012年5月31日(午前0時5分)死去された。(69歳)
ご冥福をお祈りします。合掌

結  成:1967年1月(結成時グループ名:同じ)
デビュー:1967年8月(デビュー曲:明日への道)
解  散:1969年 冬 (最終公演:不明/自然消滅)

ザ・ワンダース:メンバー

尾崎紀世彦:ヴォーカル、リードギター
朝 紘一 :ヴォーカル、ベースギター
栗 敏夫 :ヴォーカル、ドラムス

シングルリリース

明日への道('67年8月1日)
霧と恋('67年10月1日)
赤い花びら('68年3月10日)
マサチューセッツ('68年4月)
キャプテン・スカーレット('68年5月)
僕のマリア('68年7月)
グリーンベレー('68年8月)

アルバムリリース

ニュー・カマー・ザ・ワンダース('67年8月1日)

17cm LP
太陽の若者たち('68年4月)


主な出演

テレビ
1967年4月17日~ TBSテレビ「ヤング720」※準レギュラー出演

プロフィール・そしてその後は?

尾崎紀世彦(本名:同じ)1943年1月1日/神奈川・茅ヶ崎生まれ
尾崎紀世彦ザ・ワンダース脱退後はソロ歌手に転向、1970年8月「別れの夜明け」でソロ・デビューを果たす。1971年3月リリースした2枚目のシングル「また逢う日まで」がミリオンセラーとなり、第13回日本レコード大賞と第2回日本歌謡大賞をダブル受賞。同年、第22回NHK紅白歌合戦に初出場を果たした。現在も歌手として活躍している。
肝臓がんで、東京・港区の病院に入院されていたが、2012年5月31日(午前0時5分)死去された。(69歳)
ご冥福をお祈りします。合掌

朝 紘一 1942年3月15日生まれ
朝 紘一ザ・ワンダース解散後は、"朝コータロー" と改名する。1973年、ヒデ夕樹(ひで ゆうき)と "ヒデとコータロー" を結成。アニメ・ソングを中心に活躍。(1975年に解散)。「スーパーロボット レッドバロン」の主題歌や「日立の樹」などのCMソングを歌う。

栗 敏夫
栗 敏夫ザ・ワンダース解散後は、芸能界から引退。レコーディング・ディレクターとして活躍。

グループサウンズ

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