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yamatonadeshiko☆人生日記☆

きっかけはパリから☆不思議なんですけど、このブログ通して、いろんな発見があります。いろんな出逢いがあります。日記だから楽しいことばかりじゃないけれど、みなさんのご訪問によって充実していくこのブログを見守ってください☆

yamatonadeshiko☆-20090713225456.gif いつもの方も、初めての方も、ようこそ Welcome to my small wonder world yamatonadeshiko☆-20090713225456.gif  


私が好きな物、美しいと感じるもの、突然やってくる不思議な体験など

徒然なるまま気の向くままにその日のひらめきで書き綴っています。

最近では、予知的な夢見も多く、自然現象に身体が反応したり・・・


私の履歴書  2011年【前半】振り返りたくなった日記  2011年【後半】ダイジェスト

最近、気の合う方々が毎日訪問くださるようになりましたyamatonadeshiko☆人生日記☆-image068.gif
私が出会ったブロ友さんたち

いつも心にビタミンを音譜 どうぞよろしくyamatonadeshiko☆人生日記☆-image01.gif  

$yamatonadeshiko☆人生日記☆

アメンバーは、これまで交流のある方に限定させていただいておりますことをご理解ください。

アメンバーの条件

※セールスやアクセス数増加を目的としたブログ等へのペタ返しは基本的には行いません。

NEW !
テーマ:

立て続けに、同じ人から以下のような内容のコメントがきています。


--------------------------------------------------------------------------------

人のメッセージやら手紙やら
晒して、常識ないのですか?
スピリチュアルごっこしかできないゴミクズ。


そんなに自分は特別な人だと思われたいのですか??特殊能力の欠片もない、ダメ人間ですよ。何がyamatonadesikodeですか。人の手紙やメールを勝手に公開する礼儀知らず。

スピリチュアルごっこは見てる分には面白いのでこのまま続けてね。ここはバカ観察用ブログ(苦笑)

---------------------------------------------------------------------------------


私の日記なので、他人に礼儀知らずと言われる理由もありませんが

そうですね~

私は宇宙から見たら、ゴミクズレベルかもしれませんし、バカなのかもしれませんね~


それがどうした?

NEW !
テーマ:
今月に入ってから、束の間の沈黙を破って(笑)お話させていただく機会が多くなっていますが

私はこのブログにおけるコミュニケーションにいくつかの信念を持っています。

その人によって交わす言葉の内容は違ったとしても
その根底にあるものは誰に対しても変わりはないという感覚でいます。
時には、ちょっと手厳しいかな?と思うことも言っているのでしょうが
同じように厳しいスタンスで接した場合でも、
その人の受け止め方によって、明暗くっきりだったなという出来事がありました。

先日いただいたメッセージの中にこんな言葉がありました。

私は、本来の目的と逸脱したブログになっていたので、
実はアメブロに迷いを持っていたんです。
影響は、自分次第なんでしょうね。
目が覚めた思い。


私が書いていることを読み込めていないという自責の念にかられてしまったようなのですが
その方に私は、以下の返信をしています。

別にいいんですよ、
どの部分に触れたからという違いがあるのは人それぞれ当たり前ですから。
それを対話の中で自分にどう吸収していくかが重要なポイントです。
毎回、文章も長いし、深くなっていますから、触れるポイントも違ってくるでしょう。
それでも、みなさん、お忙しい中、
自分のところに時間を割いてきてくださっているという自覚があります。
それなりのアクションがあった方に
都度それなりの結果を出そうと意識していくことが私流です^ ^

たとえ、その人の弱点をつくことを言ってしまったとしても
本当にその人のためになると思うことを言ってあげるのが
本当の優しさだと私は思っています。
同じようなことをブログでも何度か書いていると思いますが
そういうふうにストレートに言われて逃げていく人は、それまでです(苦笑)

本当の意味で覚醒する人を増やしていかないといけない時がきているような気がします。

こういった瞬間に、「色彩心理」性格分析に書かれたいた
的を着いた的確なアドバイスをすることが得意ですが、
表現がストレートすぎてしまうこともあります。

ということを思い出し、自覚させられます(苦笑)
オブラートに包んで最後まで味が何だかよくわからないような
指圧や台湾式よりも、英国式のアロママッサージのようなコミュニケーションを
お好みの方のお口には合わないという自覚があります。

こんなことでさえも、こうしてあらためて書かないと
普段書いていることからは伝わっていないのかもしれませんね。

そんな心地よいコミュニケーションの場をいただいた方に感謝いたします^ ^

私は、P.ドラッカーの「7つの習慣」を読んでいませんが、その中に

主体性を発揮している人とは
どのような状況にあっても自らが出来ることに集中して結果を出している人のことである。

とあるそうですが、せっかくご縁があった方とは、
お互いにとっての“結果”を無意識に?求めようとしていたのかもしれません。

せっかく時間割いて読んだのに、
「結局、何だったの?」みたいなのは最悪だとどこかで思っている自分がいます。

私がいただいたコメントからどのようなことを受け止め、どのように返事するのかは
私が自分に課しているタスクであり、私にとっての学びの場なのだと思います。

ですから、私の返信が長いことに恐縮する必要はありません!(苦笑)

私にとってこのブログは、もはや娯楽の域を脱してしまっているのかもしれませんね。

今は私には時間があるので、シェアできるだけのことはしようという思いがあります。
そして、対話の中からも気づきは生まれていきます。

これがいつまで続くのか?分からないけれども・・。

「馴れ合い」
「手を携えて前進していく」ということを履き違えている人が多い気がします。
そんな違いがあることさえ認識がない人が多いのかも・・。

「馴れ合い」のままでは、本当に目を覚まして進んでいくことはできないのだということを
もっと多くの人が気づくといいですね☆

This is one of my special favorites.♪^ ^


テーマ:
昨日から既に明日の分くらいの量のことを書いたような気がしますが(苦笑)
コメントのお返事は少々お待ちを~^ ^;

私は時間があると、結構な時間をさいて音楽を聴いています。
昨日は久々にクラッシックを1時間以上続けて聴きましたが
特にヒーリング系のものばかり聴くということでもなく、
心の深い所に触れてカタルシスを起こすようなテンションの上がる曲や洋楽もよく聴いています。

その日にどんな曲を繰り返し聴きたいかによって、その日の精神状態の指標にもなったりします。

学生の頃など、洋楽を聴く趣味がなく、お金や時間をかけて洋楽を聴くことはなかったのに
あまりにも聴いて知っている曲の多さに今になって人の聴力による記憶の凄さに驚くわけですが
私がよく歌詞のついている動画をつけているのには、それなりに意味があります。

まず、ちゃんと歌いたいということ^ ^

スローテンポだと、なんということもないのですが
ちょっとアップテンポな曲になってくると、口がついていかなくなることも多いです。
スピーキングの練習でシャドウィングというのがありますが
歌う場合は、シャドウじゃなくて、オンタイムで付いていく感じですね。

この曲はそれほど速くもないかもしれませんが
日本人の話し方では、意外と難しいのでは?と思いますがどうでしょうか?



サビのところに“W”と“R”と“Z”が連発されていて、
私は“R”の発音にはそれほど抵抗はないのですが、
これだけ連発されると、口をこまめに動かす必要があると思われ、
うまく歌えない(発音できない)曲です。
これほど“Z”が出てくる歌詞もあまりないのだと思うのですよね~

英語で歌詞がついているものを見ている理由がもう1つあります。
その1画面で表示される単語ってせいぜい10~20語くらいで
しかも歌の歌詞なので、至ってシンプルな単語がほとんどです。
日本語の歌でカラオケのように日本語の字幕なら、
読みながら歌えば、歌いながらでも歌詞の意味も分かりますが
これが英語になった瞬間に、そこに表示された単語を全て知っていたとしても
どういう意味なのか?が瞬時に理解できない場合が多々出てきます。
これは、単に文章として英語を読んでいるという状況とは違って、
歌いながら同時に、そこに歌われた英語の歌詞の意味まで理解することを
日本語の場合と同じようにやろうという意識が私の中で働いています。
次の歌詞へ切り替わるタイミングまでに、
英語の歌詞の意味を理解しならが歌うような感じになっています。
「こんなにシンプルな単語ばかりなのに、どうして意味がわからないの?」という危機感があり
TOIECで点数を取るために勉強するよりも、よっぽどやりがいがあって面白いし
何より、問題集や参考書で勉強したことはすぐに忘れるけれども
歌を歌って覚えたことは忘れないとも思えます。

さらに、難易度が高いのは日本語字幕付きの映画やドラマです。

日本語の映画の場合だと
①映像を追う(精観)
日本語のセリフを聴く(精聴)


この2つが同時に簡単に理解できるわけですが、

これが英語で日本語の字幕付きになった場合
①映像を追う(精観)
英語のセリフを聴く(精聴)
③日本語字幕を読む(精読)


英語ができる方は①と②を、
日本語しか分からない方は①と③に集中すると思うのですが

英語が中途半端で、ヒアリングもして英語のセリフの意味も理解したいと思う私は
①~③を全て同じタイミングで理解しようとしています。
限られたそのシーンの時間の中で、
①~③を全て同じウェイトで集中するということがとても難しくて
ヒアリングしながら字幕に気をとられていると、肝心なシーンをボーっと見逃していたり
映像と英語のセリフで何て言ってるか分かったけど、どれがどういう意味なのか?
分かっていないまま、あっという間に次のシーンに行ってしまったりするのです。

これ、中途半端な英語力の意識がなせる技のような気がします(苦笑)

作品の長さは誰が観ても同じはずなのに(笑)
どうも最近、何故か観るスピードが遅いなぁ・・と思っていたのは
DVDや録画の場合には、無意識に一時停止したり、巻き戻したりして確認する頻度が多いので
なかなか先に進まないのです(笑) 

意外と、英語のヒアリングにだけ集中する方が理解は楽な気がしました。

この習慣というのは、これまでにはなかったものなので
別に英語に限った話でもないと思うのですが、
五感を活性化させる使い方と脳への刺激がこれまでとは違うのかもしれない?と思った次第です。

一般的に多くの人は、本を読むとか音楽を聴くといった感じで
1つのことに集中してその時間を過ごすことが多いのではないかと思うのですが

実は、私の場合、他のことも同じようなことが当てはまっていると思います。

1つのことを片付けて次にうつるよりも、同時進行で進めることが得意な感じです。
仕事もそうでした。
2つか3つの案件のドキュメントは常に同時に開いていて
何かに取りかかっている時に、別の案件のことを突然思いついたりするので
その都度、そっちへうつって書きとめるようにしていました。
はたまた、1つのことに集中する力に欠けるのか・・?

そんなことも影響しているのか?
文章が頭に振ってくるようになったり(笑)
これほどまでに毎日長文が書けるのかも?しれません^ ^;



この曲を通しで聴いたのは、初めて?かもしれないのですが
音楽なのに、3D!という印象を受けました。
クラッシックでは、かなり抑揚がある曲も多いのですが3Dって思ったことはなかった。

この私の感覚がわかりますか?

テーマ:
私がちょっと数字にこだわりを持っていることはもうお気づきかと思いますが
随分前に、カバラ運命数というものをご紹介したことがありました。

生年月日の数字を全て足して、その数字が1ケタになるまで足し算を行って出た数字です。

1+9+○+○年+○+○月+○+○日生まれ=AB
 ↓
A+B=CD
 ↓
C+D=E・・・カバラ運命数

その頃から、お付き合いいただいていらっしゃるみなさま、思い出しました?

私の運命数は7で、完全星
クールで思慮深く分析力もあり行動する前に考える慎重な人。
自分の感情をあらわに出すことはありません。
人間関係では多くの人を付き合うより
完全に信用できる少数人間だけをそばに置こうとするところがあります。
占いや宗教など神秘的なものに興味を示す人。

長所・・・独創的、高尚、意志が強い
短所・・・神経過敏、強情、変わり者、皮肉屋

こうして振り返ってみると、長所のところがユニコーンの性質と似ているような気がします。

そして、そんなことを意識していた昨年の夏くらいの時に
実は自分と同じ運命数の芸能人を確認していたことをすっかり忘れていたのですが
私と同じ運命数が7の人の中に、なんと、キムタク松嶋奈々子さんがいらっしゃいました。

このお2人に関しては、そう、芸能人が登場する夢ということで取り上げていましたが
その時はまだなお、運命数のことは忘れ去ってしまっていました。
その後にも、松嶋奈々子さんが自分とオーバーラップする感覚があることも書きましたが、
その時もまださっぱり・・^ ^;

気づきを逃さないとは、こういうことかと痛感させられた感じでしたが(苦笑)

やっぱり、同じ運命数だから、引き寄せ合うものがあったりするのでしょうかね?

しかも、松嶋さん、“なな”こ ですからね~(^o^;)

これに気付いた時、
人は生まれる時(タイミング)を選んで生まれてくるということの意味が深いと感じ
数字には、やはりそれなりの意味があるのだということを思い知らされたような気がしました。

最近、ちょっとこのカバラ数被術をベースにした数字に関するちょっとおもしろい本を見つけました。
それを見ていると、
「あぁー、やっぱり私って7だわ・・」って思ってしまったのですが
その本をご紹介するにあたって、
事前にご自身の運命数を確認しておいてもらった方がいいかなと思ったのと・・

既にブロ友さんでも何人か運命数がわかっていたりするので
自分との関係性やそれぞれの性質・役割みたいなものが見えてきて、なんともおもしろい!
それで、その本を読んだら、6と8の人を探したくなったんですよね~。

それ以来、意識していたら、母親が6だったことに気が付いたのですが
ブログの中でも、既に6の人を見つけました!

けれども、8の人がなかなか見つかりません。

というか、そもそも生年月日の生まれ年まで公開されている方も少なく
誕生日だけでは分からないのです。
実際の知り合いであっても、生まれ年まで分かる人ってそんなに数が多くないので
8の人がいまだに一人も思い当たりません。
私にとっては、6、7、8、9がkeyになると思っているので、8が見つかれば鉄板だと思うのです。

どなたか、8の方~ いらっしゃったらこっそりでもよいので教えてください^ ^

8は形的にも末広がりで、富士山のようにイメージ的にも縁起がよさそう☆

野球では、8番のポジションはセンターで、足が早くて守備範囲が広い人のポジションですね。

私の父はラグビーをやっていたので、私も小さい頃からラグビー中継を見ていて
サッカーよりも先にラグビーのルールを覚えましたが
ラグビーのナンバーエイトは中心的存在のキーマンです。

実は・・・うちの父親の運命数も私と同じ7だったことを思い出したら・・

父はそういえば、フランカーだった!
ラグビーでフランカーは7番のポジションなんのです!!

さらに、父は14人兄弟の末っ子ですが、14って7の倍数だったりしますよね~^ ^;

そうやって考えていくと、
やっぱり数字って、意味があって奥が深いんじゃないの~?と思うわけでございます。



そんなわけで、私はサッカーよりもラグビーの方が好きだったりするのですが
フランスって意外とラグビーは強いんですよね。地味ですけど。

そんなふうに考えてみても、
私はやっぱりイタリアとかスペインとかじゃなくて、フランスなんだなぁ~と思ってみたり^ ^

ちなみに、
ラグビーをご存知な方で“オールブラックス”を知らない人はいないと思うのですが
ニュージーランドのラグビー代表チームの相称で、ユニフォームカラーもブラックベース。

実は、結成当初は、“ALL BACKS”(オールバックス)だったんだそうです。
ユニフォームカラーのイメージではなく、
全員がバックスポジションのように軽快に進んでいくというイメージだったのでしょうか。

かつて、日本のマスコミが報道する時に
誤って“ALL BLACKS”(オールブラックス)と言ってしまった。

それ以来、そのまま“オールブラックス”になったのだそうです。

私はこれをテレビでさんまさんが言っているのを聞いた時、ちょっと感動しました^ ^

日本は弱いけれども、なんとなく親近感の湧くエピソード☆

やっぱりいいんですよね~ラグビー。

一年以上前に書いたことを振り返ることは少なくなっていますが
ラグビーと言って思い出すのは、やっぱり「前へ」というシンプルで深い言葉です。

WANTED!ナンバー8☆^ ^☆

テーマ:
ダヴィンチの伝記がとまっておりますが
私は今のところ、どうもイタリアとあまり相性がよくないのかも・・と最近思っています。
何が?という理由は1つではないと思うのですが、魂レベルでそう感じるような。
それを自覚させられた最近の出来事として、
バチカンのマネーロンダリング疑惑とあそこのトップの方のとてつもない形相の顔写真でした。
こんな形相の写真が全世界に出回ってよいものだろうか・・と思うほど
サルコジさんを上回る怖さを感じおぞましくて直視できませんでした(苦笑)
そんなことを思っていた矢先に、地震があったりもしましたね(・・;)
滅多に発生しないエリアですが、今でもまだ余震が続いているようですね、。

昨日、「ブッダの言葉」をご紹介しましたが

1.怒らない
2.比べない
3.求めない
4.業を変える
5.友を選ぶ
6.幸せを知る
7.自分を知る
8.身体を見つめる
9.自由になる
10.慈悲を習う
11.悟る
12.死と向き合う


この‘友を選ぶ’ということに関連して
ブログの中で、どんな関係性が見られるか、コメントやメッセージでお話するということだけではなく
お互いのその距離感について、私の感覚的なイメージで分類してみたいと思います。

1.触れる(触れられる)
・・・ペタやコメントがあっても気づかず、または黙認し、すれ違う
2.ハイタッチ
・・・足跡を残し合う
3.握手する
 ・・・コメントなどで挨拶を交わし合う・考え方や思いを共有する
4.手をつなぐ
・・・お互いにある程度の心理的・環境的側面までシェアしている
5.腕をつかむ(つかまれる)
・・・一方的に熱意・好意を寄せる(寄せられる)
6.抱きつく(抱きつかれる)
・・・熱狂的な好意を抱く(抱かれる)
7.ぶら下がる(ぶら下がられる)・・・とにかくつながっていようと必死(必死になられる)
8.足を引っ掛ける<番外編> 
・・・敵対するあるいは否定的な言葉を投げかける

私が自分の中で理解して整理できたことをイメージ化するとはこういう感じなんだと思います。
言葉を使って動きや映像を伴う形でイメージ化しておきたくなるような・・

これを、自分が関わっているブロガーさんに当てはめてみると、どうでしょうか?

どういう状況が自分にとっても意味のある行動であり、
意義のあるコミュニケーションかも見えてくるのでは?

また、自分の独りよがりで、その相手から見た時に、実は‘友’に該当しない状況もありえますね?

自分はそのつもりの意識がなくても、受け取る相手によっては微妙な場合もありますね(苦笑)

まぁ、魂のレベルでつながった人とは、こんな分類も一切関係ないという感じですが

5.腕をつかむ(つかまれる)
6.抱きつく(抱きつかれる)
7.ぶら下がる(ぶら下がられる)
8.足を引っ掛ける<番外編>は、本当あるべき大人のマナーではありません。

その相手が自分にないものを持っていたり、長けているといったようなことは関係ありません。
それは、相手に敬意を払うというのとは別の次元の自分の意識の持ち方の問題です。
つながっていたくてとり、あえずコメントしたところで
人気がある人ほど、自分に独自性がなければなかなか覚えてはもらえないでしょう。
全うな人であれば、その相手に合わせたコミュニケーションができますが
テニスの乱打と一緒で、上手い人が練習相手だと、
自分がどんなところに返球してしまったとしても、それを拾っていい場所に打ち返してくれます。
相手の方が何倍も動きながら、拾ってくれて正確な返球をしていることに気づかずに
自分もうまくなったような錯覚を起こしているだけだということに気づきにくくなっていきます。

‘自分を知る’とは、そういうことでもあったりするのではないでしょうか?

自分がどう接しているか?相手との立ち位置を共有できているか?がポイントなのです。

SNSでは、惰性でなんとなく繋がっている人が多いのだろうと思います。
特にこのペタの機能の使い方は、人によって善し悪しですね。

日常生活ではありえない注目度になっていたり、構われようだったりすると
自分の妄想だけが先走って、多くの生産性のない軌跡だけが残っていくような。

自分のところにもまぁー毎日新しい人が次から次へとやってくる(笑)
さすがにもう私も、新しくペタが来たからといって、
その都度最初からお返しすることもあまりなくなりました。
そうやって初回をやり過ごすと、結局は一過性なんですよね、新規の方はほとんどが。
(あるいは、お返しがない人には自分もやめるといった子供じみた考え方なのかも)

私は、自分が読んでいるブログには足跡を残してはいますが
自分に足跡を付けていただく方の半数くらいですかね、お返ししているのは。
(ご自身がその器を閉じている方もいらっしゃる場合は致し方ないのですが)

自分は、無駄なことをしていないか? 考えるきっかけになればと思います。

どうしてこんなことを書いたかと言いますと、
簡単に繋がることができてしまう状況なだけに、
つながる人の取捨選択を意識しておく必要があると思っているからです。
まぁ、‘友を選ぶ’前段階の話という感じでしょうか。

私は、氣やエネルギーの流れをこれからますます意識して重要視していきます。

ある方が、
「そこに書かれている言葉ではなく、波動を読んで判断する」
と言っていたのですが、まさにその通りだと思います。

そして、一度つながったとしても、人の波動は常に変化するものです。
ですから、特別な場合を除いては、常にその波動を読み続ける必要があると思っています。

その波動とは、
「これから先に向けて上がっていく」
かどうか もしくは、
「安定して良好である」 という観点で判断します。
(自分が引き上げたいと思って繋がる人は別扱いとして)

過去の実績やキャリアは過去でしかありません。

今とこれから先がどうなのか?を読んでいくことが重要なのです。

結局は、触れたその波動に自分も知らぬ間に影響されていくことになるからです。

ですから、
過去にどんな栄光やキャリアがあってこれまで良好と思っていた人であっても
途中であやしいと思ったら、見極めて、引き際を判断し
状況に応じて時には一度‘手放す’ことも大事だと思います。
仕事でブログを利用していない方は、ここを意識しないで過ごしていくと
自分の歩んできた軌跡を振り返った時に何が残っているか?想像してみてください。
(既にある程度の実績があるならば、想像ではなく確認ができますね?)
そこにかけた時間で何がもたらされたのか?
読者登録数ですか?(笑)

エネルギーや氣に敏感なヒーラーや霊視を職とされている方などとの接触は
特に注意が必要です。
実世界よりもブログ上の出現率は明らかに高いですし
そういった方の元へは、いい状態でない波動もたくさん集まってきますので
その方に、それを受けても跳ね返せるよっぽどの自力がないと
結局は、自分もそこへ巻き込まれることになっていくリスクをはらんでいます。
霊感などの感度が高い人に接触する際のリスクを見極める1つのポイントになります。

霊媒師の方で、憑依があったことをブログで提示されていた方がいらっしゃったり
一般の方でも、「くらう」とか言っている人がいますが
そういう人の体験談に触れるのは物珍しいかもしれませんが
跳ね返せる自力がないから、悪いものの影響を受けてしまってくらうのです。
そういった方から、自分がいいものを受けられると思いますか?

そういった情報を好まれる方は特に、
その情報を得ること と、繋がることによってそのエネルギーから自分が受けるもの
この2つをよく考えて天秤にかけてくださいね。

整体スクールの先生
が言ってましたが、
ヒーラーや整体師は意外と早死にする人が多いのだそうです。
弱っている人にたくさん触れて、自分がそれを受けてしまって
結局、自分のメンテナンスやコントロールがおろそかになっている人が多いのだとか。

ですから、私は
ヒーラーさんや霊感の強そうな方には初回で足跡をお返しすることも滅多にありません。

まぁ、本当に高次のレベルにいらっしゃって感度の高い方は
私みたいな人にそもそも足跡とか残さないのだと思うのですが・・(苦笑)

私が要注意と思う精神世界の内容を扱うブログをたまにのぞきにいくのは
そこの読者やコメントをしている人の中に自分のブログにも来ている人がいるからです。
自分との関係性だけではなく、どういった人とつながっているのか?を見れば
その人も意識レベルや波動が見えてくるからです。
ですから、人によってはどんなところに読者登録しているのかも見ています。
それが、自分を守ることでもあると思っています。

あともう1つ。
怒りや何かに反抗的な気性を単に露わにして終わっている方も要注意です。
「そうだ、そうだ、それはよくない!なってない!」
単にそういったトーンで終わっていて解決策を導こうとする意図が見られず
自分がその中で何ができるかを考えられない人からいい波動が出ているはずがありません。
仮に、自分も同じ考えだったとしても、
ぐっとこらえて、1歩引いてその周りや先のことを考える習慣をつけましょう。

東京電力や政府の件もそうなのですが・・・
自分がその家族だったり、近しい人がいたりしても、堂々と同じことが言えますか?

署名活動なども、私から見ると微妙なのですよね・・

急所を抑えて、根治させる、改革するにはどうすればいいのか?

それが物事の本質を捉えるということであって
私はそんなふうに考えることが多いでしょうか。
西洋医学的な対症療法にはあまり興味がない(笑)

ということで、
私は常に目に見えないレベルでも健全なコミュニケーションを意識しています。

私は、悪いものに身体が反応するということがあまりなくなってきた気がします。
(それには、別の感覚で気づくという感じのような・・)

体調が悪くなるのは、自然界の異変を察知した時で(笑)

‘眠くなる’のは、どうも‘いいほうの氣’を感じた時だと思う」

とSさんにもお話したのですが

「私もそうなんですよ~
 高野山の上の方とか行くと、もうダメですね。
 一人の時は寝てしまえばいいのですが、人をお連れしている時などは大変です。
 白眼むいたりしているんですよ^ ^」


って、一緒でよかった*^.^*

新宿御苑自分の部屋は、やっぱり相当なパワースポットだということですね^ ^;
今年のパリ訪問では、そういう場所が、結構ありましたねー。(観光ルート外がほとんど)

いいものにだけ反応し続けられるようにしてゆきたいものです^ ^

自分自身の持つ氣やエネルギーを守りながら、高めてゆけるように
つながる‘友’は常に選んでゆきましょう。
それができるし、コントロールしやすいのもまた、バーチャルならではですので~
リアルだと、なかなかそうもいかない事情があったりしますよね?

私はアプローチしてきた人に一瞬抵抗があっても、
できる限り、お互いのための猶予やチャンスを与えるように意識しています。
人はきっかけやタイミングがあれば、変われるはずだから。
すなわちそれは、私自身のその人への意識を変えるチャンスでもあるからです。

可能性を秘めていると思う人には、
引き上げるためのヒントを与えようと意識しています。

それを活かすも、黙認するも、蹴飛ばすも、結局はその人次第ですが^ ^;



これを書きながら、この曲を聴いていたら、なんだかおかしくなって笑ってしまいました^ ^;

諦める時は~ 足跡消してゆく~

私を忘れて~ かけらさえ何も残らないように~


wander

歩き回る、ふらつく、徘徊する、さまよう、横道にそれる、正道を外れる
(思考など)とりとめがなくなる、はっきりしない

テーマ:
私は、今世で自分にどれだけ欲張りな経験をさせようと計画してきたのでしょうか・・

ちょっと最近、書きっぷりがシャープになってきているかもしれません。
でも、誰にでもいい顔するつもりもないので、私の経験に基づいて思いのたけを書いてゆきます。

ブログ上で少しお話するようになった方から、ある時

「どうします?会ってみますか?」 

いきなりそんなメッセージが送られてきたことがあります(笑)



私がそのようなことを意図したこともなく
そのようなお話の流れになったことは一度もない状況で、いきなりです(笑)
これまでにまともなコミュニケーションをとれた人がいなかったのか?
悲しいかな、お気の毒にも勝手な勘違い(刹那)

自分の心が本当に意図するところを隠しながら
相手も同じ気持ちであろうかのように誘導するずるいコミュニケーションだと
私はその時感じました。
プライドが高い方なのでしょうね。

それでも、その後のコミュニケーション次第では検討しなくもない
という猶予を自分の心の中に持ちながら、コミュニケーションを続けていたのですが
その人は、何かの占いに凝っていらしたようで、私のとある個人情報をとても聞きたがりました。
私もいくつか質問をさせていただいたのですが
それには、ちゃんと答えていなかったにも関わらず、
どうしても私のその個人情報に固執してそれだけ教えてと打診が続く中

「自分のアドレスに(顔)写真を送ってください」

今度はそんな衝撃発言もいきなり飛び出してきました(苦笑)

こんなこと言われたって、私の知り合いが聞いても
鼻から牛乳が飛び出す勢いのぶっ飛び発言かも(今年の一番になるかも)。

どこまで強気?

読者登録をいただいてから、私の方からも相手を知ろうという意識が働き
私はその方の自信を持っている部分がだいたい分かってはいましたが
そういった部分が私自身に特別響くものではありませんでした。

それ以前の、ブログ上での会話の中で
「聞きたいことがあったら、聞いてください」 と言われたので
お言葉に甘えて(もちろんプライベートではない)質問をさせていただいたことがあったのですが
そのうちの1つが、言葉(メッセージ)で説明するのがちょっと難しいので
「後日ブログに記事としてアップします」ということがありました。

私が最終的な会話の中で、聞きたがっていた個人情報を最後まで教えなかったら

「めんどくさい人なので、もういいです。
 せっかく時間をかけて記事も書いたのに、お礼の一言もないし。」

出ちゃった、本音の一言(苦笑)
自分で会いたいという意思表示の打診をしておきながら、結局そんなオチでした(爆)

私、めんどくさい人って言われたの初めてだったんですけど(笑)

精神年齢という表現があったかと思いますが・・おいくつ?

ブログ上で何かしらの見返りを求めながら生きている悲しい人もいるのですね、。

そんなんじゃ、武さんの言葉にあった本当ようなの‘友情’さえ築くこともできない。

‘自分が与えるものが 自分が受け取るもの’


バシャールさんのこの言葉が私の脳裏にはいつもあります。

あなたが欲しかったものは、よーくわかりましたが
それを手に入れようとするために、あなたは私に何を与えましたか?
ブログで質問への回答記事を書いたこと?

その人の価値観の中に、‘無償の愛’という言葉はないのかもしれません。

実はその方、別の日記でも既に登場していまして、
もういたたまれなくなったのか、いつの間にか読者登録を外しフェイドアウトされたようですので
もうこれを読むこともないのでしょうか・・。

その人が潜在的に新たな異性との出会いを求めていたことを
こういったコミュニケーションになる前から垣間見えてはいたのですが

こうして無責任に簡単に逃げることができてしまうことが許されるんですよね
実際に相手を知らないSNSの世界って。

「ブッダの言葉」
という本の目次をご紹介されていた方を見かけたのですが
その見出しだけで、中を読まなくても十分伝わってくるものがあるなと思いました。

1.怒らない
2.比べない
3.求めない
4.業を変える
5.友を選ぶ
6.幸せを知る
7.自分を知る
8.身体を見つめる
9.自由になる
10.慈悲を習う
11.悟る
12.死と向き合う


この中に、‘友を選ぶ’とあったのがちょっと意外だったのですが
やっぱり、選んでもいいんですね?
ブログの中でも、こうしていつの間にか、選び、選ばれているのですよね。

どの項目も、考えるほどに深いなと思うものばかりですね。
しかも、番号順にステップアップして難易度が高いというか、タフな経験という感じ?
私はどの項目からどれだけのことを学んでこれたかな?



オーラの泉も、
ゲストにお迎えする方によって、こんなにレベルが違ってくるものなんですね~

戦前の日本は、
神様に見られている
何か(誰か)に見られている
良心に見られている
 ということに恥じないか?

自分に恥じないか?
 そういうことが行動の基準だった。

けれども、そういった倫理観が戦後の日本にはなくなってしまった。
その代わりに、法律で規制され、その目をかいくぐればいいという感覚になっている。

“神に対する畏敬の念”
を知らなくなった者が、野坊主でずうずうしい人間になっている。

40代~60代の女性を対象にしたとある講演会で
「自分の子供の為に死ねる」という人に挙手を求めたら、1割も手が上がらなかった。

最近、“愛の蓄え量”が少なくなっている。

子供は、自分の命を分けた分身だから命を引き換えにできるはずが
今の親の感覚というのは、自分の命は子供から分離・独立し、自分が横着をしていても、
子供はそれなりに育っていくから、命を引き換えにしようとは思えない。

‘便利’
という言葉が諸悪の根源になっている。
世の中が便利になると、‘怠け者’になる。
そして、‘怠け者’ほど「大変だ」と言っている。

「豊かさ」とは、リッチ(富裕)にして幸せなことであると定義されるが
今の日本は、‘リッチ’を追い求めることで満足し、‘幸せ’が欠落してしまっている。
‘幸せ’でなくても、‘リッチ’であれば、「豊か」だと勘違いしている。

友情のことだけじゃなくて、
本当に武さんが本の中で言っていることにも通じるところが多々あるなとあらためて感じます。

わかっている人はわかっているのですよね~

そして、今、また、あの言葉を思い出す。

受けた痛みを優しい力に変えられる

経験を自信と力に

天運を味方につけ 見えないものを大切に


私の欲張りな人生は、まだまだ続く~^ ^;
  

テーマ:
今朝の夢で、かなりシビアなものを見せられました。
読んだ人がちょっと怖くなってしまうと思われるので、あまり具体的には書きませんが・・
私が誰かに陰謀があることに気づいてしまう。
そこから離れて誰かに伝えに行こうとするけれども
私しか聞いていないその人達の会話からどうやってそういう結論に達したのか?
普通に話しても、理解はしてもらえない感じで・・
それでも、わかってくれそうな人を求めてどこかへ向かおうとしているのだけれども
道中に見られた光景も、外国?なのか、日本の遺跡的な場所なのか?
厳重に警備がされているような場所で、何故か銃も転がっていたりして
出口がなかなか見つからずに、なかなか抜け出せずに悪戦苦闘していました。
その場所を抜けてからも、人の命が狙われるシーンまでをも見せられました。

今人々が正しいと思っている既成概念で守られているものを覆すのはそう簡単ではない

そんなメッセージを示唆していたのでしょうか。

こんな夢を見てしまったのって、昨日書いたことが影響してるかな?とも思うのですが(苦笑)

今日はまずは、私の大好きなこの動画をご覧ください。
(携帯からご覧の方、スミマセン・・)

もし、自分がその場を通りかかったら、どうするか?も想像しながらね^ ^



何度見ても楽しい気分になれる*^.^*♪

それで、こんなところにいきなり日本人が通りかかったら、
大概の人の行動は、写メを撮ってツイートするんだろうなーと思いました(苦笑)
日本人ってツイート頻度が世界一なんだそうです(笑)

なんだか、楽しそうなことやってる!
って写真とか動画どか撮りながら、最後までただ見ている感じの日本人。

もちろん、この状況が自然発生的ではないことは明らかではあるけれども
本当に知らずに通りかかった他の国の人達なら
映像にもあったように、一緒にリズムをとるとか、歌うとか
人によっては、中に入っていってとりあえず参加してしまう人がいてもおかしくない。
でも、当初から参加する予定もなく、いきなりそんな場所に遭遇しても
日本人ってお酒に酔ってでもいない限り、傍観者であり続ける国民性のような気がしました。

私の憧れの日本人パリジェンヌ中村江里子さんのブログをよく拝見しているのですが
彼女はご主人がフランス人なので、向こうのスタイルのパーティやセレモニーに
もうすっかりなじんでいらっしゃるのですが
フランスでの生活環境になって、そういった場に身を置くようになって

「音楽がかかると、むずむずして踊りたくなってくるようになった!
 私、踊ることが楽しくて、こんなに好きだったなんて!」

という自分に気が付いていったことがブログからよくわかります。

今の私でも、あんな状況に出くわしたら、
少なくとも、リズムを取りながら、歌っているだろうな~^ ^


以前にも一度どこかで触れたかと思いますが
ブロ友さんから聞いたインドのお話にこんなものがあるそうです。

ヒマラヤから聖者が降り来たら、
お祈りするのがチベット人、
お祈りして自宅に招くのがインド人、
見物人からお金を取るのが中国人、
聖者に国旗を持たせるのが韓国人、
一緒に記念撮影するのが日本人


アジア人の中でも、完全にオチになっている日本人(爆)
傍から見られている客観的な日本人の姿だと思い、失笑するしかありません。
そして、思いました。
日本人って、仕事以外だと、自分にとって生産性のない行動をしていることが意外と多い?

日本人って、よく言えば、
周りに悪影響を及ぼさずに、お行儀がよいのでしょうが
ステージや舞台でもない場所で、いきなり出くわすあり得ない状況においては
既成概念に固められていて、臨機応変に対応できず、
自分から楽もうとする力に欠けるような気がします。

こんな一期一会のチャンスに、傍観者としてただ見ているだけで、
写メを送るという生産性のないことに労力を注ぎがちだったりする人が多いのかも?
そんな場面に遭遇した自分を他人にアピールしたいの?
人がどうか?ではなくて、まずは自分が参加して楽しむという
最も単純かつ自分にとって生産性のある行動が初動でできない人が多いという現実が
あったりするのでしょうか。

一番思い出に残るのは、写真におさめたり、その事実を伝えることでもなく
その場で自分がめいっぱい楽しむ経験にこそ価値があるのだということに気づかない。
楽しむ方法がわからなくなってしまっている人も多いでしょうか。

自分の人生をどうしたら楽しめるか?がわからないまま、
ひたすら何かしらの義務感に追われながら、
いつの間にか自分自身の人生をも傍観者になってしまって
ただなんとんなく生きていくことのないようにしてゆきたいものですね^ ^;

私には海外移住の経験はありませんが
こうして世界から日本を、世界における日本人のポジショニングを見る意識ができ始めました。
これからの時代は、
日本に住んでいる日本人という狭い世界だけで完結できることはなくなっていくはずです。
日本人が本来持っているものって、
世界的に見て、絶対に引けを取るものではないと確信はしているけれども

「みんなそれぞれ違っていても、協力して仲良くやって行きましょう」

と、島国の域を出ずして、日本人の足元だけを見て言っているということは

‘木を見て、森を見ず’になってしまって
森を見るという本来的な東洋思想と矛盾することに気づいていないことを意味するのです。

そもそも、自然界に国境はないですしね?

自分達日本人の持っているものの良さをアピールしたいと思う人ほど
他(森)を見る必要性を感じてほしいと思います。

‘短所を自覚し、弱点から学ぶ’ということにもつながるでしょうか?
その中でご紹介した、仏陀やキリストのエピソードを読み返していたら
今朝見た夢と何故かオーバーラップするものがあるような気がしたyamatonadeshiko☆でした。
  

テーマ:
毎日この日記を読まれている方はおそらく抵抗ないと思うのですが
数日とか1週間とか纏めて読まれる方は、
最新のものからではなくて、日付が古い順に読まれることをおすすめします。
その時の直感で書いて、先の未来に何が起こるかわからない状態なのですが
過去となっていく出来事が、
時間を追うごとに、未来から現在になった時に、点と点が線になって繋がってきています。
これは、小説か物語ではないか・・と思うほどに。
読まれている人の中にも、それを感じている人がきっといらっしゃることでしょう^ ^

昨日、関東地方で地震がありましたね・・。

実は、その前の晩に、突然腹部に激痛が襲ってきてました(><;)
Sさんにお逢いした日であったにもかかわらず、
一体どうしてだろう・・とちょっと切ない気持になっていたのですが・・

腎臓結石などで、石が尿道を通って出てくる時に、激痛だと聞いたことがあるのですが
私の場合の腹部とは、腸なのですが、腸に石があるはずもないですが(笑)
腸がまさにそんな感覚で突然痛み出したんですよね。

まさか・・・とは思ったんですけどねー。
翌朝になってもすぐれない感じは続いていました。

地震が来る前になると、腸内の浄化作用が急激に高まるのだと思います。
変な話ですが、痛みと共にデトックス状態に入ります。

おそらく、
動物などはもっと頻繁にこの感覚を体感しているのではないか・・と思うんですよね~
人間の方が心地よく過ごせる日々が多いのかもしれませんね~

そして、今なお、本調子ではないかも・・(ノ_-。)

昨日の地震の時、部屋の中で床に座っていたのですが
いつもと違って、地響きのような縦揺れの時間が長かったきがしました。
そのわりに横揺れの時間が短かったような・・。
直下型の直下の感覚とは、あんな感じなんでしょうかね?

そして、まぁ、何の根拠もありませんが・・
ボクシングで言うところのジャブ?って気がしてなりませんでした。

私のセンサーが反応するのは、やっぱり震度4以上の時らしく、
だいたいその半日~1日後に起こってますね、地震。

気象庁の予知よりも、私に腸内センサーの方が
発生するタイミングの予測としては確実に正確だと確信しました(苦笑)

思えば、
3.11の前夜以降で、この症状が出始めたのは、今年1月パリにいる時からでした。
やっぱり、パリは私にとって何かのきっかけを与えてくれる場所なのでしょうかね。
あの時は、翌日、山梨で震度5だったと思いますが
私が国内にいなくても(笑)
私の体内センサーが感知するのは、日本国内の地震ということも実証されました(笑)
はたまた、そればパリだから感知できたのか・・?!

私に腹痛があったことを、その時に知りたいですか?

「どこでだか分からないけれども、これから、地震がきますよ」 

ってことを事前に知りたいですか?(苦笑)

気象庁にこの話をしたら、信じてもらえるのでしょうか~(^o^;)

でも、もし仮に信じてもらえてしまった場合でも、
映画「リング」の静子みたいに都合のいいように振り回されるのは勘弁ですね~(爆)



今朝の夢に、この時に登場した人がまた登場しました。
で、その時に
「地震と関係ないことを願うばかりです」って地震のことを書いちゃったんですが
本当に地震が来てまったので、
地震も呼んでしまった・・?!とタイミング的にも思わざるをえなかった・・。

不用意なことを書くと、とんでもないことが起こりそうで(苦笑)
あらためて自戒いたします。

そして、こんなに近いタイミングで、その人がまた夢に出てくるなんて
何を示唆しているのでしょうか・・。

さらに、今朝はもう1人別の人(女性)も登場しました。
歳はそれぞれ違うのですが、2人には共通点があるんですよね。
それぞれの実家が同じ県で、出身高校もその同じ県内で一緒。
近いうち、その集まりに私、呼ばれる?

夢を頻繁に見て、大体2日に1度は鮮明に覚えいているのだとSさんに話したのですが

「そんなにですか?!」と驚かれたので、
やはり自分が普通ではないのだと自覚しました(苦笑)

「チャネリングで視るものと、夢で見るものって、
 どう違うのか?同じじゃないかって思っているんですけど・・」 とも言ってみたのですが

Sさんからは、受け流された感じでしたね(^_^;)

そんな時、いつもMark Twainの言葉を思い出す。

‘真実に値しない者に、真実を語ってはならない’


テーマ:
昨日、サイキックのSさんにお逢いした時のことを少しお話しますと・・

最初に視えると言われたものが、なんと!‘白い馬’だそうで

「それってユニコーンじゃないですか?」 と思わず聞き返してしまいましたよー^ ^;
いやぁーこんなことってあるんですね?

「ユニコーンなのかな?とにかく白い馬。」 とのこと。

Sさんは、ユニコーンの存在が全くよく分かっていなそうな感じでした(苦笑)

「馬は誰にでも簡単に乗れるわけではないからね。」 さらっとそんなことも言ってたような。

まぁ、いつもそうなんですが、
ストレートに言われたり、読み解いた解釈を伝えてはくれないのです。

植物は、今回は造花でしたー(笑)

これまでとはちょっと違う感じの展開になっていたのは
今回は、このブログに書いてきたようなことを掻い摘んでダイジェストで私が弾丸トーク(笑)
Sさん、今回はあまりチャネリングをしている様子もなく、ずっと私の話を聞きながら

「それにしても、凄いパワーですよね~。こんな人なかなかいないですよ。」

と何度も言われたのですが・・

「そうですか?むしろ、今日は寝不足なんですけれども・・」 とは言ってみたのですが。

最初にお逢いした時から、外見がそれほど変わっているはずもなく
どこにそんなパワーが視えるのか?私には言っている意味がよくわかりませんでした。

$yamatonadeshiko☆人生日記☆

これ、私が昨日、身につけていたセラフィナイトという石なのですが
Sさんのところにうかがう時は、季節的なこともあるかもしれませんが、
緑色のものを身につけて行くことが多いかも。

こういう感じの深いグリーンがとても好みで落ち着きます。
白っぽくマーブルがかった感じの風合いの石も好きですね。
コンビに入っている白い石は、ハウライトという別の石なのですが
ハウライトは、逆に白ベースにグレーのマーブルが入っている配色で
とても浄化作用の高い石と言われていますので、どんな石にも合わせられますね。
浄化作用の高さでは、水晶(クリスタル)が一番なのかもしれませんが
私はこうしてわりとマットなタイプの色の石が好みなので、
コンビに入れる石は、クリスタルよりもハウライトを合わせる方が多くなりますね。
この中にクリスタルを入れると、なんだか間が抜けた感じに見えるでしょう?
私が白を好むのは、こういった所にも現れているでしょうか。

石はいつも、意味は確認せずに、見た目で気に入ったものを手にして
後からその意味を確認する感じなのですが
このセラフィナイトの意味をよくよく確認してみると・・
結構、希少な石だったかもしれません。

天使セラフィム
の名を起源とするセラフィナイトは、
シベリアのバイカル湖地方でのみ見つかるのだそうです。
身に着ければ、
その人のオーラをホールネス(完全)と幸せのヴァイブレーションで満たします。
これは身につけた人だけでなく、それを目にした人にも当てはまります
最上界を含む全ての天使界と共振する石
です。
そのエネルギーは女性的で、この石と瞑想する人の中には、
植物や花に包まれた女性の姿(知恵と、明るい未来の女神ソフィア)
目にする人もいるとのことです。

ということで、
これを読んだ方にもダイレクトな肉眼ではないけれども(笑)何か効果があるかも?
と思ったので、ご紹介しましたが
昨日Sさんにお逢いした時って、もしかしてこの石の効果がパワーとなって現れていたのかも?

国内のストーンショップでも稀に見かける
紫色でやっぱり白くマーブルがかったチャロアイトという石も
私は大好きなのですが、同じようにロシア方面でしか採れない石ですね~
あの辺りには、マーブルの石が多いのかもしれません。

石もかつてハマったから、ついつい話が長くなってしまいますねσ(^_^;)

でも、今となっては、
高価なジュエリーよりも私にとっては心地よくて飽きずに落ち着く感じです*^.^*



実は、先月は全体的に随分アクセスも増えていたようなので
その前の月と同じように集計すると、
20位くらいまでのものが、その前の月の10位までに相当する感じになっていたので
どこまでご紹介するか迷ったのですが・・

電通本の前までということで(苦笑)
あれと、今回9位に入っているトカゲの夢ですが、
3月の日記にも関わらず、まだまだ検索でのアクセスがあるのですよね~。

今回、私のおすすめに★印をつけました。

1位 無職になっちゃいました・・

2位★子宮頸がんワクチンをはじめとする公的予防接種への警鐘

3位 ソウルメイトとツインソウル

4位 今回は龍! トーテムアニマル・スピリットガイド

5位★短所を自覚し、弱点から学ぶ

6位 もう時効!デートのお誘い^ ^懐かしい昔話

7位★バシャールが心の眼で視て語る日本と世界

8位★知る前と知った後で態度を変えないこと

9位 白い蛇やトカゲの夢

10位★チャクラの状態を知るための自己診断テスト

11位 パリでお気に入りのカフェ

12位 行ったつもり(笑)お家で世界遺産BEST30 

13位★Best Friends

14位★「全思考」北野武

15位★希望の蕾を摘み取ろうとする行為


それで、私はしばらくどうすべきなのか・・ということについては
自分を緩める時期なのだそうでして、
周りが動き始め巻き込まれると自分ではコントロールできずに動かなければならなくなっていくので
今は、このペースで気の向くままに色んなことを感じて理解して自分の中に吸収して
内なる自分を見つめて整理していくことが大事な時期なのだそうです。

「ブログのオフ会もやったらいいんじゃないですか?」 って言われました^ ^;

素敵な週末をお迎えください^ ^
 

テーマ:
昨日は私にとって、ある意味特別な日だったのですが・・
5月も最終日の今日を迎えたこのタイミングで、これが出ちゃう?

‘ユニコーン’ スピリットの世界、芸術的才能

アートや音楽、芸術など創造性を発揮することへの情熱が高まっている時期です。
何者も、あなたのアートや芸術への情熱を阻むことは不可能です。
特別な芸術的才能や、創造性をもった子どもたちと出会うことになります

あなたは彼らから多くを学ぶでしょう。
美しいものを身近において、あなたの創造性を開かせて下さい。
あなたは自然とのつながりが深く、妖精やエレメンタルなど、
自然界の精霊達の王国
からやってくるサインに気づく
でしょう。
どんな時にもユーモアと遊び心を持って下さい。
責任感、疑惑、心配を持ち続けるのをやめて、

気楽にし、子どものような無邪気な気持ちで遊んだり楽しんだりしましょう。
目に見えない世界のスピリットたちがあなたを助けようとしています。

彼らの助けやサポートに心をオープンにして下さい。
精神的なダメージからしなやかに回復する力をサポートしています。
あなたの内なるパワーがふつふつと高まってきています。
そのパワーを賢く使って下さい。




ユニコーンは、ドラゴンと並ぶ、スピリット界からの代表的な使者です。
気高さ、純潔のシンボル
であり、毒や病に打ち勝つ力を秘めた神秘的な存在として、
いにしえの時代から人々の心を魅了してきました。
ドリーン・バーチューのマジカルユニコーン・オラクルカードが、子どもたちと、
すべての年代の子どもたちのために作られたものであることからもわかるように、
ユニコーンは子どもの純粋な心無邪気さ遊び心などのメッセージを携えています
あなたの子どもか、あなたが世話をしている子どもが芸術的な才能を持っている時、
または、あなた自身が芸術的な活動を始めたいけれどもどうすればよいのかわからない時には、
ユニコーンのサポートを得ることがベストでしょう。
ユニコーンをトーテムアニマルに持つ人は、
例外なく芸術の才能、創造的な能力を持ち、その才能を表現することは生きることと同義です。
彼らにとって、
アートやクリエイティブなことをせずに生きるのは、呼吸を止めているようなものなのです。
無垢で純粋な心の持ち主であり、年齢に関係なくいくつになっても子どもの感覚を忘れません
才能豊かな子どもたちや、インディゴチルドレン、クリスタルチルドレンと呼ばれる
繊細な感受性を持って生まれてきた子どもたちとともに多くの時間を過ごす大人にも、
ユニコーンがいてサポートしています。
そしてこのトーテムアニマルを持つ人は特に、母なる自然と切り離されては生きていけません。
意識している、いないにかかわらず、
仕事においてもその他の時でも、精霊の世界からの情報を絶えず受け取りながら生きています。
言い換えれば、自然界の王国からのメッセージを3次元の世界に伝えるメッセンジャー
それが、ユニコーンのトーテムアニマルを持つ人なのです。

ユニコーン
は、一角獣とも呼ばれ、美術や文学の中でも生き生きと描かれてきました。
イギリス王家の紋章にもユニコーンは使われています。
ユニコーンは、額の中央から角が一本突き出ている白馬のような動物です。
アジアでは翼を持った姿として描かれることもありますが、「翼を持つ馬」であるペガサスとは異なります。
日本語では、前者を一角獣、後者を天馬と訳しています。
プリウスは、ユニコーンの胴体は馬に、頭は牡鹿に、足は象に、尻尾はイノシシに
それぞれ似ていて、角は黒いと記述しています。
紀元前四百年頃のギリシャの医師クテシアスによると、ユニコーンの大きさは馬ぐらい、
もしくはそれ以上であり、体は白く頭は褐色で目は深い青。額の真ん中に一本の角をもち、
その長さは1キュピド(約45cm)ほど。角の根元は純白で先端は鮮紅色、
真ん中は黒であるとされ、この角で作った器を飲用に使えば病に倒れることはなくなり、
毒物に対してさえも免疫効果があるということです。
このように、ユニコーンの角には霊力があり、
あらゆる病気を治す力と解毒作用があると信じられていました

18世紀に入るまで、修道院、王家、薬屋がこぞって高価なユニコーンの角を探し求め、
それを粉末にして薬として用いていました。
もっとも、3次元の物質世界にユニコーンは「実在」しないため、実際には
イッカク(小型のクジラの一種)の角(正確には牙が変化したもの)などが使われていたようです。
ヘブライ語で書かれた旧約聖書が、紀元前2~3世紀頃ギリシャ語に翻訳されました。
その時ヘブライ語でレ・エムと呼ばれていた動物が一角獣と訳され、
ユニコーンにキリスト教独自の解釈が加わったのです。
聖書に登場したユニコーンは神聖視されるようになり、4世紀にはキリストのシンボルとなりました。
絶大な力を持ち、決して服従せず、一本の角は父なる神と共なる一つの力を表わす

とされたからです。
ユダヤの民話では、
ユニコーンはノアの洪水の時に大きすぎて方舟に入れず、溺れて滅びてしまったとされています。
しかし別の民話では、
神が自分の創り給うた生き物を見殺しにする筈はない、
ユニコーンは方舟の後ろにくっついて泳いでいったはずだ、と論じています。
果たしてユニコーンは実在したのでしょうか? 
17世紀のエドワード・トップセルの言葉を引用してこの神のように美しい生物に捧げたいと思います。
「もしこの世にユニコーンがいないとしたら、神そのものをなじらなくてはなるまい」


ユニコーンにとっては、‘角’が‘第三の眼’なんだろうな・・

前回のと言い、今回のユニコーンも、実在しない生命体が私のサポーター・・?!

ユダヤとか、キリスト教とか、なんだか厳かな感じのものがたくさん登場しましたが(苦笑)

これから例の数霊88の場所にいらっしゃるチベット仏教信仰者であるSさんに
9カ月ぶりに逢いに行ってきます^ ^

昨日こんなメッセージを示されてさらに拍車がかかった感じかもしれませんが
昨日から、いつにないハイテンションな状態が続いてしまっていて(アセンション?)
夜眠れなかったんですよね・・(ノ_-。)
まぁ、随分前には、お逢いする前日に浄化の熱が出てしまったこともあったので
熱が出くなっただけ浄化しなければならないものも少なくなっていると解釈すれば
ましになってきてはいるのでしょうが・・。
神聖なものに触れる時には、自分の側も身体がそれなりの準備に入るようです^ ^;

特に昨日から今日にかけてお話させていただいている方には
この浄化のパワーがシェアされ届いているとよいのですが~☆

88 無限へと導く崇高な数霊
軸を正し 必要を観る 無限叡智 御仏の心


まさに御仏の心を持つSさんには
これまでになく聞きたいことがたくさんある気がしますね~(笑)

私がSさんに定期的に逢いに行くのは
困って行き詰っている時ではなく、定期的なスクリーニングという感じですね。
だから、自分の気が落ちているタイミングでは絶対に予約を入れません。
自分の歩んでいる方向性がこれでいいのか?今後留意すべき点がどこか?
といった感じで、身体(肉体)に人間ドックがあるように
私がSさんにお逢いするのは、メンタル面でのドックのような感じです。
少し前に、食道にあったポリープが自然治癒したことに関して
コメントのお返事でも書かせていただきましたが
人が病気になるは、自己治癒力を超える外的・内的変化が生じた結果です。
‘健全な身体は、健全な精神に宿る’とよく言いますが、まさにその通りなのだと思うのです。
ですから、真に健康な状態であるためには、
常に精神面からのアプローチ・ケアが必要なのだと思っています。

実際の話の内容はさておき、
Sさんにお逢いすると、その後に何とも言えない爽快感があります。
それこそ、その人の持っている‘氣’の力なのだと思います。
場を共有するだけで、確実に浄化されるものがあるのを毎回実感します^ ^

私にとって何が視えるかよりも、最もミステリーなことと言えば
お部屋の中でその場を共有している間に、
その部屋にあった植物がいきなり動き出すことがあるという事実!
これは、既に過去2回目撃しています。

こういう経験をしている人を私は他にまだ知らない(笑)

最初にそれを目撃した時に
「これは、おじぎ草のように動く植物なのですか?」 と質問したことがあるのですが・・

「いや、そうではないと思いますが・・」 と言いながら苦笑いしたSさん。

もし仮に、おじぎ草だったとしても、
触れたわけではないので、勝手に動いたことには違いなかったのですが・・(苦笑)

前回、昨年の夏にお逢いした時だったでしょうか
今度はまた違うタイプの観葉植物がテーブル脇に置いてあるのを確認していました。
でも、枝がしなっているようなタイプのものでもなかったので
今度はそういった動きもないかな・・と始まる前にお待ちしながら思っていたのですが

話に夢中になっていた時に、
1枚の小さな葉っぱが枝から飛び出して私の方向へピュッと飛んできました(・・;)
落ちたというより、飛び出してきたという感じだったんですよねσ(^_^;)

「これは、また今回もどういうことでしょうか・・」 といぶかってはみたものの

その時も、また、ただただ苦笑いのSさん(^_^;)

Sさんと私が共有する空間で、何か植物に共鳴する波動があるのでしょうか・・??

ということで、今日こそはまさに、
“I Don't Wanna Miss a Thing!”という感じでございます。



5月の締めくくりが、みなさんにとっても、よき日となりますように☆
      $yamatonadeshiko☆人生日記☆-yu_m1101.gif

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