ライフ【転機 話しましょう】(66)経済人類学者の栗本慎一郎さん 何事も楽しさ見いだして 左半身まひ…リハビリ乗り切り活動再開+(1/3ページ)(2012.6.9 07:00

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【転機 話しましょう】
(66)経済人類学者の栗本慎一郎さん 何事も楽しさ見いだして 左半身まひ…リハビリ乗り切り活動再開

2012.6.9 07:00 (1/3ページ)転機 話しましょう
「行動が不自由になった分、書くものがより思索的になった。まあ、そうでも思わないとやってられないね」と語る栗本慎一郎さん(野村成次撮影)

「行動が不自由になった分、書くものがより思索的になった。まあ、そうでも思わないとやってられないね」と語る栗本慎一郎さん(野村成次撮影)

 経済人類学者の栗本慎一郎さん(70)は、13年前の衆院議員時代、脳梗塞で倒れました。左半身がまひする重い後遺症が出ましたが、現在は執筆をはじめ社会活動を再開しています。何にでも楽しさを見いだす前向きな気持ちで、つらいリハビリの期間を乗り切りました。(磨井慎吾)

メディアの寵児

 「人生の転機ってね、僕の場合は思い返すとたくさんあるんだ」

 愛称は“クリシン”。1980年代から90年代にかけては、テレビや雑誌、新聞などに出ずっぱり。メディアの寵児(ちょうじ)だった。

 最初は、気鋭の法社会学者として出発した。広く世に知られるきっかけとなったのは、明治大助教授だった昭和56年に刊行した人間論「パンツをはいたサル」。動物行動学に始まり、経済学、法学、宗教学など多分野の学識を駆使しながら、軽妙洒脱(しゃだつ)な文章で人間だけが持つ要素である法や貨幣、国家の起源を論じる。80年代に流行した思想の潮流「ニュー・アカデミズム」の先駆けとなる内容で、多くのファンを生んだ。

 硬派な著作の一方で、テレビ番組にも出演。「テレビに出始めた当時はまだ、学者がテレビ出演すると(大学内で)大問題にされた」という。ハンチング帽をトレードマークに、「タレント教授」の代表的存在として人気を博した。

 平成3年、勤務先の明治大で起きた替え玉受験事件をきっかけに、同大教授を辞任。5年には衆院議員に初当選し、新生党などを経て自民党に入党。8年には再選を果たし、9年に経済企画政務次官に就任するなど、政治家としてもキャリアを築きつつあった。

突然起きた脳梗塞

 平成11年10月29日朝。異変は突然、起きた。

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産経新聞で吉本隆明さん(右)と対談する栗本さん(平成13年)

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