複数の操練出身(ということは古手の)搭乗員によると、坂井三郎、樫村寛一、岩本徹三の3氏を称して、「海軍戦闘機隊の三大“い”人」というそうだ。
“い”人というのが「異人」なのか「偉人」なのかはわからない。共通していえるのは有言実行というか、口八丁手八丁の人たちで、腕も立つが口も立つ、ということのようだ。
そして、そのルーツは、「源田サーカス」の、間瀬平一郎氏にあるそうだ。
また、もう少し古い世代で、黒岩利雄、赤松貞明、虎熊正の3氏を「海軍戦闘機隊の三大奇人」と呼ぶ。
この人たちはいずれも、腕がいい上に、軍隊社会でも独自のポジションを築き上げて下士官兵搭乗員のボスとして君臨し、上官を上官とも思わぬ振舞いながら上からも認められていたという点、そしてその奇行ぶりで、後の世代にはあまりないような存在感を示している。
黒岩氏は、日本初の敵機撃墜を果たした生田乃木次大尉の二番機として知られるが、上官暴行等色々あって善行章を剥奪されたり、金鵄勲章を返上したり、結局は「不良満期」で海軍を去り、民間航空のパイロットとして殉職されたわけだが、戦後も懐かしむ人が多くおられた。
赤松氏については、言わずもがなだが、岩井勉さんの結婚式に裸で乱入して踊り狂ったとか、まあ、書ききれないほどのエピソードがある。
虎熊氏は、「虎熊豹象」と自称し、生きた蛇を生のまま、頭からバリバリ食うような人で、若い搭乗員はよく、炎天下の飛行場の草っ原で、蛇を捕まえさせられたそうだ。
赤松氏は戦後病没、虎熊氏はテスト飛行中の殉職だから、そういえば、三大「奇人」のほうはどなたも敵機には墜とされていない。
あと、准士官進級を拒んで下士官のまま戦死した菊池哲生氏、梅毒を自分でリンパ腺を切って海水で洗い、治してしまったS氏(割合早く戦死したので、本当に治ったかどうかはわからない)などなど、硬軟とりまぜて色んな「名士」がいる。
福岡の知人Tさんのご親戚、岡部健二さんもそんな名士の一人である。
二〇一、二〇五空搭乗員の方が集まった折、必ず岡部氏の思い出話に花が咲いていた。
特攻反対を公言し、特攻隊員にも「特攻なんてやめてしまえ、ぶつかったら死ぬんだぞ、死んだら終わりだぞ」と説いていたという話。
昭和20年初頭、フィリピンで飛行機を失い、転進するため搭乗員たちが山中を半月以上も行軍したとき、みんな疲れ果てて呆然としている中、岡部さんは大きな荷物をかつぎ、小休止のたびにその荷物を広げ、みんなに見せびらかしていた。
荷物の中身は、シンガポールで買った婦人もののハイヒールやハンドバッグ、化粧品など。
「俺は死なない、かあちゃんにこれを持って帰るんだから」
と、奥さんののろけ話がはじまる……といった具合に。
でも、いまや古い搭乗員のそんなエピソードを聞かせてくれる人も、ほんとうに少なくなってしまった。
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