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2012年06月08日

危険な罠

市 (2012年06月08日 22:56) │Comments(6)語りのプラザ
んー・・・これは、どうにも。 身近で発達障害のお子さんをお持ちでしんどい思いをしている人やら、 ご自身に発達障害があって社会に適応しようとしている人を 存じ上げているもので。 ちょっと、読んで辛い内容ですねぇ・・・。 ちなみにいわゆる「精神病」とは別物です。 症例も少なかったわけではなく、 「変わり者」とか「単なる躾不足」で済まされていただけではないかと。 研究が進んで、そういう障害があるのだと認識されるようなったわけで・・・。 珍しく怒りながら書いてみました。
ルシファ

実はワシの子供のうちの一人も
発達障害の部類に入ると想うのですが、
たしかに精神病とはいえない気が
しますね。
心が優しく、口論は嫌いでピアノが
好きです。
もう長く逢っていませんが、
バッハを弾くときはウットリと自分の世界
に入り、まるで春の陽が暖かく花を照らし
ているように素直な演奏をしていましたよ。

複雑な仕事は出来ず
好きでないことは長続きできず
ものごとを紐解いて熟考し自分の方向性
を決定するといった思考作業は
できないようなので社会の輪に入って
苦しみに耐え、そこから喜びを感じとる
ということはないようです。

精神病というと聞こえは悪いですが、
ひょっとしたことにより体内で癌細胞が
増えて癌に罹るように、
人も強いストレスを受けたりすることで
鬱病になってしまうもので、精神病とは
いったいどういうものなのかワシには
さっぱり解らないのです。

ワシの兄は精神病院で医師をしていたこと
がありましたが、そんな兄も人の心なんて
解るものではないと言ってましたしね。

で、若い頃にレコード屋の店員をやって
人々の種類の多さに驚きましたが、
タクシー運転手を2年間やったときは
さらに世の中の多様な人物たちを観る
ことができ、そこから感じたことは
「100億人の人がいれば100億通りの性格
がある」
ということでしたよ。

精神病、変わり者、普通人、才能人
こういった間に線引きをすることは
できないのではないですかね。

じつは、発達障害とは何かもワシにはよく
解りませんが、、
自分を観察すると多分その分野に入るか
少なくともその要素を充分に内包して
いると想うのですよ。

「善と悪は、誰の心にも共存する」
そんな気がしますしね。

かと言って善は良くて悪はワルイ、
なんてワシには想えないのですが。

だいたい、知能が高ければどう良いのか
それもワシには解らないのです。

ただ、自分は正しいと確信することは
とても危険な罠ではないかと想って
いますが・・・

このことについてはもっと話し合いたい
ところですね〜

エアステイションを引っこ抜いて
パソ子をサテライトの器具に直結したら
こうしてネットにつなげるように
なりました、、でも部屋が違うので不便
なのですよね〜(>_<)



Posted by 市 at 22:56Comments(6)語りのプラザ
この記事へのコメント
 専門ではないのですが、自分も精神科領域の本を改めて読んでみましたがなかなかクリアーな線引きは難しいと思います。

 好きなオナゴに振られたら気分は滅入るし。

 好きなオナゴに受け入れて貰えたら嬉しくなるし。

 そんな「世間様に理解できる」理由で「世間様が納得できる反応」をしている分には問題になりません。
 そこから大きく外れ、しかも周囲との関係に問題が生じる時に治療が始まるようです。

 それが、未だ解明されていない神経領域ならば対症療法ですしある程度解明されているモノであれば他の治療を行えるしと言った具合です。

 具体的に言えば、鬱病だと思われた方が実は甲状腺機能低下症だったなんて笑えない話も枚挙にいとまがありません。

 しかし、属する社会や集団が変われば常識も変わりますからボーダーラインというのはなかなか難しいと思います。ナイフを持つことすら許さない集団と道具として学ぼうとする集団の例は今まで随分と討論(?)されているようですし(笑)。

 ただ、医療従事者として言うならば「病名」に意味はないということです。イメージが悪いから、精神分裂症を統合失調症と言ったり、障害者を障がい者と表記を変えたり。全く意味を感じません。
 問題を先送りしているだけだと思うのですが・・・

 障害があって努力する。素晴らしいことです。
 件の方が障害があるのかどうかは直接お会いしたこともないので判断しかねますし、医療法にも明記されていることですので診断はできません。

 どうしても文字の上での表現になるので、思いがけない誤解が多いのも意思疎通の難しさを感じます。
 
 何はともあれ、自分も激務で「ダメになった」ことがありますので決して希な事ではないということは自信を持って言えます。
Posted by 麻酔三十郎 at 2012年06月08日 23:10
正直なところ、発達障害については私もまだ勉強中です。間違いを書いちゃうかもしれません(笑)。

イチローさんの言われている
「精神病、変わり者、普通人、才能人
こういった間に線引きをすることは
できないのではないですかね。」
には賛成です。

そもそも、完全にニュートラルな人間なんてモノはあり得ないわけで、
「傾向」として「自閉傾向」だとか「注意欠陥多動性傾向」だとかを、多少なりとも持っているわけです。
私自身は、多分に「自閉傾向」寄りではないかと。

で、その「傾向」の強さが通常の社会生活を送ることの妨げになるレベルに達したとき、「障害」と認識されると捉えています。
逆に言えば、社会の側の理解や受容、支援等が進めば、
「障害」が「障害」でなくなる可能性もあるのではないかと。
それが、いわゆる「バリヤフリー」とか「ユニヴァーサルディザイン」という考え方にも繋がっているわけです。

話を発達障害に戻すと、確かに幼少期に適切な支援を受けられないと、二次障害に陥ったり、人間関係の不調から鬱病を患うことにもつながる可能性があるようです。

結局は大人がどれだけ早く気付いてあげられるか、という話になると思いますが・・・。
そういえば、エジソンやアインシュタインも良き理解者に支えられて才能を発揮したんでしたね。黒柳徹子さんも。

今更ながら、ちゃんと「大人の役割を果たす」というのは大変なことのようです。
Posted by ルシファ at 2012年06月08日 23:31
ん… あくまでも私的見解と言えばよいのか… 想った事と経験談をコメントさせていただきます
発達障害に対して
私が想うに大多数の人々と比較して遅いから発達障害と分類されてる訳で 大多数と違うから って言うのには違和感を凄く感じます 自分が想うに今生きている人々が人間の種としとの完成型とは言えない訳でたまたま今発達障害等と言われる人々は人間の進化過程の多様性のひとつの型にすぎないのではないかと 以前ご縁あって知り合った方のご子息がアスペルガー症候群のお子さんで根気よく何かを集中してやるのは苦手でしたが大好きな鳥の事をとても楽しそうに教えてくれて名前や生息地などの知識は舌をまくほど豊かでした なんか取り留めなく散らかったコメントになりましたが 件の粘着君はさておき進化途中の人としての可能性、多様性のひとつの型として見る事も必要なのではと考えております
Posted by 圭太 at 2012年06月09日 01:21
おはようござすー
俺の友人にも発達障害と言われた奴がいますが、付き合っててそうは感じませんね。ただの個性だと感じてます。
最近はナントカ症候群とか、一昔前は親の躾がと言われた言動が今じゃ病気(病気という表現は良くないです)だと言われ「俺は病気だからしょうがないんだよ」や「あいつは病気だから」と、お互いに何か改善に向けて努力しようとする気持ちや想いをなくしてしまったんじゃないでしょうか。
1/100億の性格は何かの型にはめても1/100億から変わることがなく本人が努力して周囲の一般論に合わせたところで1/100億なわけです。義務教育=同じ教育 として考えで、ちょっと個性のある人は発達障害なんて名前をつけて避けようとする一般論者が本当の発達障害でしょう。発達障害やアスペルの症状の中に、一つの事には凄い能力 みたいなのがあります。こんな有能な存在を組織として上司として使わない手はないといつも考えてます。あーもったいない。

ちなみに友人はなんやかんやで退職しました。
Posted by TKS at 2012年06月09日 05:57
良いとか悪いとか、正しいとか間違っているとかで物事を判断しようとすると、けっこうハズしますよね。

もう5、6年経つでしょうか、このことに気がついてからは、楽しいかどうかで決めています。

コレ、イケます(皆さんにもオススメしますので、良かったらお試しください)。

「正しいか? 正しくないか?」と迷った時には、それを「楽しいか? 楽しくないか?」に置き換えて自分の心に問うてみると、分かりやすいです。

生まれ育った環境によって、人々の価値観はそれぞれです。とはいえ、その環境によって、偏りというか傾向があるのもまた事実ですよね。地域性とか国民性とか、伝統とか文化とか、しきたりとか風習とか。身近なところでは、親、兄弟、親戚、学校の先生、職場の上司、付き合っている人や配偶者など、、、

今まで当たり前のように「正しい」と思っていたことや、「間違っている」と決めつけていた様々なことに対して、ここ数年は、それらが本当に楽しいかどうかをあらためて感じてみながら、自分の価値観に上書きしたりリライトしたりしています。

もう何千年も続いている宗教戦争とかも、「オレのが正しい!」、「イヤ、オレの方が正しい!」と争わずに、「オレのが楽しい!」、「イヤ、オレの方が楽しい!」とやっていれば、お互い争わずに済みそうな気がするんですケドねぇ、、、(笑)
Posted by 武蔵 at 2012年06月09日 11:16
麻酔三十郎さん

>イメージが悪いから、精神分裂症を統合失調症と言ったり、
>障害者を障がい者と表記を変えたり。全く意味を感じません。
>  問題を先送りしているだけだと思うのですが・・・


同感です。「認知症」なんていうのも似たような感じですね。
こと人権問題に関することについては「言葉狩り」に近い感覚で取り組んでいる人が多いのも事実でしょう。
もちろん、「言葉」を大切にすることは重要なのですが、「別の言葉に言い換えたから万事OK」というのでは困ります。
本質的な問題が解決しなければ、平安貴族が『言霊』を信仰していたのと変わりありませんからね。

Step1:解決・解消すべき課題や問題を認識する
Step2:課題解決・問題解消のための『手段』の1つとして、「言葉」の問題を取り扱う
Step3:最終的な課題解決・問題解消を達成する


Step2で思考が停止している人を見ると、「何とまぁ脳天気な・・・」と呆れるやら腹が立つやら。
「手段」と「目的」を取り違えてはいけません!てことですね。
Posted by ルシファ at 2012年06月09日 14:33
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