【寄稿】オリンピックに見るカネと愛国の分かちがたい関係

  • 小田嶋隆


    おだじま・たかし コラムニスト。1956年東京都生まれ。早稲田大学教育学部卒。食品メーカーに就職するも8カ月で退社。小学校事務員見習い、ラジオ局AD、ロックバンド座付き作詞家などを経て、テクニカルライターに。現在は隠者系コラムニストとして活躍中。ユニークな視点で世相を切るエッセイには定評がある。著書に『人はなぜ学歴にこだわるのか。』『テレビ救急箱』『サッカーの上の雲』などがある。近著は『地雷を踏む勇気』『その「正義」があぶない』。

五輪壁画アート

ストリート・アート集団The Toasters による”五輪”の壁画アートの前を通り過ぎる人々。(撮影:April 18, 2012, 英国イースト・ロンドン)© REUTERS/Kevin Coombs


 東京オリンピック前後の沸騰した空気を、小学生の時代に経験した世代である私は、毎度毎度、どうしてもあのお祭りを無視することができない。血が騒ぐというヤツだ。

 にもかかわらず、昨今は五輪のテレビ中継を見るたびに不快になる。好きなのに気持ちが荒れる。あるいは好きだからこそ腹が立つということなのかもしれない。理由は、大好きなオリンピック競技の扱われ方が、回を追って粗雑になってきているからだ。

 流れが変わったのは、1980年代の終り頃からだ。大会で言えばソウル五輪あたりになる。

 それまで、五輪報道は、東京大会の気分を残していた。つまり、「世界の最高峰の競技に拍手をおくる」というホスト国の態度を持ちこたえていたということだ。それゆえ、テレビカメラは、虚心にアスリートの卓越性だけを映していた。国籍を問わずに、だ。

 ところが、ソウルの頃から、うちの国のメディアは、自国選手の出場種目にばかりフォーカスを当てるようになった。のみならず、獲得したメダルの数にやたらと拘泥するようになった。新聞の紙面には「ガンバレ・ニッポン」の文字が踊り、テレビは「ニッポン・チャチャチャ」という単調なリズムを繰り返す。背景には、メダル候補の日本人選手に複数のスポンサーが相乗りしている事情がある。同じ船には、放送局とJOCと広告代理店も乗っている。つまり、五輪は、ある時期から、もう一つの輪(←人差し指と親指で作るマル。すなわちカネ)が加わって六輪になったということだ。ムリンピック。私にはもう無理だ。

【寄稿】オリンピックに見るカネと愛国の分かちがたい関係


 元来、五輪競技の魅力は「異形」にある。開会式を見るだけでもそのことはわかる。あらゆる体型の人間が揃っている。ひどく背の高い選手や筋骨隆々の選手に混じって、サバンナの動物みたいに細長い手足の選手が歩いている。小柄なアスリートもいる。パワーリフティグの選手のような見事な肥大漢もいる。五輪は、単純な「優劣」や「強弱」でなく、人間という生き物の驚くべき多様性を確認するためのステージであったはずなのだ。

 ところが、愛国オリンピックになってから、オリンピック報道は、多様性とは逆の「一致団結」「一丸応援」にシフトした。

 こんなことを言っている私自身、スタジオに呼ばれてコメントを振られたら、
「がんばってほしいですね」
 と言わざるを得ない。五輪は、そういう同調圧力の源泉になってしまったのだ。

 いつだったか、小倉智昭に五輪についてコメントを求められたピーコが
「ごめんなさい。アタシ興味ないのよ」
 と言い放った場面を見かけたことがある。

 感動した。これこそ本当の人間の言葉だと思った。と、同時に私は、テレビの画面の中で自由な発言ができるのはオネエの皆さんだけなのだということを思い知った。

 五輪期間中は、正直な人間であるために、女装して観戦すべきなのかもしれない。

 とにかく、東京招致なんてことになったら、私は、女装する。約束しておく。


五輪ビジネスについての基礎知識


【基礎知識1】オリンピックで儲かるのは誰か

■Part1: 1984年ロス五輪が転機

 オリンピックが巨大なビジネス・イベントといわれるようになったのは、1984年のロサンゼルス五輪がきっかけだった。それまでのオリンピックは、1964年の東京五輪がそうだったように、開催国にとって晴れがましい国威発揚の場であって、儲かるイベントではなかったのである。

 しかし、オリンピックは年々巨大化し、開催国に多額の財政負担がのしかかるようになった。そのうえ、国家間の政治的なトラブルが持ち込まれ、1972年のミュンヘン五輪ではパレスチナ・ゲリラによるテロ事件、また1980年のモスクワ五輪はソ連のアフガン侵攻に抗議して日米など60カ国余りがボイコットする騒ぎになった。

 リスクばかり大きくてメリットの少ないスポーツ・イベントの開催には、どの国も二の足を踏む。モスクワの次の1984年のオリンピックに名乗り出たのは、アメリカのロサンゼルスのみだった。ところが、1976年のモントリオール五輪が、オイルショックの影響などもあって10億ドルの赤字を残したのを見たアメリカ国民は、ロス五輪の開催費を税金でまかなうことを拒否したのだった。

 事態を打開したのは、ロサンゼルス大会組織委員会の委員長に就任したピーター・ユベロスである。アメリカ第2位の旅行会社を経営するユベロスは、税金を一セントも使わずに、民間だけで開催費を捻出する方法を編み出した。それが、「テレビ放映権」と「スポンサーシップとマーチャンダイジング・ライセンシー」という打ち出の小槌である。

 アメリカの三大ネットワークのうち、ABCと2億2500万ドルで契約、日本のNHK+民放連合とは1850万ドル、ヨーロッパ放送連合とは1980万ドルで契約した。

 また、スポンサーシップは1業種1社、あわせて30社と契約を結び、大会ロゴを使用するマーチャンダイジング・ライセンシーは43社と契約、あわせて1億ドル以上を稼いだ。

 日本の富士フイルムがロス五輪の公式スポンサーになったことを覚えている方もいるだろう。世界最大のフィルム会社コダックをさしおいて、富士フイルムがスポンサーの座を射止めたのは、組織委員会の提示した金額をコダックがはねのけたからだった。いっぽう、富士フイルムは700万ドルの協賛金を払ったうえ、オリンピックのニュース写真をすべて無料で現像すると申し出た。80年代前半といえば日米貿易摩擦が激化した時代だが、ロス五輪では、アメリカ企業の面子よりカネのほうが優先されたことになる。


五輪ビジネスについての基礎知識


【基礎知識1】オリンピックで儲かるのは誰か

ロンドン五輪男子マラソン代表の藤原新

個人ニコニコ動画を運営するドワンゴ社からサポートを受けると発表する、ロンドン五輪男子マラソン代表の藤原新=16日午後、東京都千代田区 © The Sankei Shimbun& Sankei Digital

■Part2:うなぎのぼりの放送権料

 ともあれ、この大会が1億5000万ドルの利益を出したことから、オリンピックは一転して「儲かるビジネス」に姿を変えた。IOCは、みずから放送権事業、スポンサー事業に乗り出した。各国の招致活動は熾烈をきわめ、IOC委員には便宜供与のスキャンダルがまとわりつくようになった。

 もう一つの問題は、放送権料が高くなりすぎたことである。放送権料は、IOCの収入の約半分を占める。これが年々高騰し、ジャパン・コンソーシアム(NHK+民放連)が2008年の北京五輪で支払ったのは1億8000万ドル(約198億円)。今年のロンドン五輪は、さらに3割増しの金額になると見られている。

 放送権は全競技一括購入だから、じっさいには視聴率の見込めないマイナー競技も多い。NHKはともかく、広告収入でまかなう民放にとって、放送権料の高騰は死活問題なのだ。

 今年、民放各社は、はじめて五輪放送のネット中継をおこなう。テレビ放送の予定のないマイナー競技の生放送や、ハイライト番組、インタビュー映像などを、民放共同の特設サイトで配信する試みだ。NHKは前回の冬季五輪ですでに先鞭をつけているが、民放連が踏み切ったのは、少しでも広告収入を上げるためである。

 30年ほど前は30%前後だった五輪放送の視聴率は、近年は10~20%台と低迷している。それはオリンピックというイベントの経済価値の低下でもある。放送権料の高騰が続けば、早晩、放送権ビジネス、ひいてはオリンピックビジネスそのものが限界を迎えざるを得ない。

 まだオリンピックがビジネスでなかった1964年の東京五輪の際、265億円にのぼった開催費(これには新幹線や道路の建設費は含まれていない)をまかなうために、日本政府はありとあらゆる寄付を募った。郵政省は寄付金付き記念切手を発行し、電電公社ははじめて電話帳に広告スペースを設けて協賛広告を募集、公営ギャンブルは率先して寄付を求められ、はては全国民に対して戦時国債まがいの「十円寄付」が奨励された。それが可能だったのは、オリンピックの開催に国の威信がかかっていたからである。

 2020年、もしオリンピックの東京招致が実現したとしても、もうあの時代には戻れない。この先もオリンピックを継続するには、新たなビジネスモデルを模索する以外ないようである。


五輪ビジネスについての基礎知識


【基礎知識1】オリンピックで儲かるのは誰か

■Part3:2020年東京五輪は実現するか

 ロス五輪以来、ささやかれてきた五輪招致をめぐる便宜供与の噂は、1998年12月に決定的になった。IOC終身理事のマーク・ホドラーが記者会見で、「オリンピックの開催地を決定する投票権を持つ委員会のメンバーの票の一部が、これまで常に金銭の授受によって操作されたものであることが判明した」と暴露したのである。ホドラーは「仲介人」の存在を明らかにし、その活動の実態を具体的に言及した。

「少なくとも4人の仲介人が票の取りまとめをおこなっている。そのうちの1人はIOCのメンバーである。彼らはアドバンス(前渡金)として50万~100万ドルを受け取り、IOCメンバー118人のうち、各地域の主要な理事7、8人に票の取りまとめを依頼していた。さらに彼らは成功報酬として350万~500万ドルを受け取っていたようだ」

 その年、長野で開かれた冬季五輪も、当然疑惑のなかにあった。だが、JOCは二度にわたる調査の結果、「長野の招致活動には過度な贈り物や、票集めを目的とした代理人の仲介などの不正行為は確認するには至らなかった」という調査結果を発表した。

 不正な便宜供与(これは各国の自治体が民間人であるIOC委員に対しておこなうものであるから、いわゆる「贈収賄」とは逆である)があろうとなかろうと、五輪招致には巨額の費用がかかるのは避けられない。開催地になることで、その費用を上回る経済的メリットがあると見込めるからこそ招致するわけだが、招致が実現できなければ意味がない。

 2008年夏季五輪に大阪市が立候補したときも、市民団体「大阪オリンピックいらない連」は、勝ち目のない招致に大金をつぎこむなと反対した。東京都が2016年夏季五輪に立候補した際も、同様の反対があり、開催地住民の支持が足りないと判断されて落選した。

 今回、東京は2020年夏季五輪の候補地としてIOC理事会の一次選考を通過したが、やはりネックは都民の支持率の低さである。

 招致委員会が今年1月におこなった電話とインターネットによる世論調査では、支持率65%だったが、IOCの調査では47%。他の2候補地、イスタンブール73%、マドリード78%とくらべれば、「東京ではオリンピックは歓迎されていない」と見られても無理はない。

 ただ、大都市だけにインフラや安全面では高得点を獲得している。2016年五輪招致用に準備した基金約4000億円があるのも心強い。逆にいえば、立候補した以上、いつかは招致できなければ、招致費用がムダになるのである。都民がそのことをどう考えるかが、今後の支持率アップのカギといえそうだ。

五輪ビジネスについての基礎知識


【基礎知識2】商品価値の高い選手をどう育てるか

■Part1:過去最高のスポーツ予算

 オリンピックをビジネスと考えれば、メダルのとれる選手、視聴率の見込める選手は貴重な商品ということになる。優秀な選手が育成されるシステムがあり、国民がつねにそれに関心を寄せる状況がなければ、このビジネスは成立しない。

 昨年施行されたスポーツ基本法にもとづいて、中央教育審議会がまとめたスポーツ基本計画は、オリンピックで日本が獲得すべき金メダルの数の目標を「(全出場国・地域のうち)夏季5位以内、冬季10位以内」と記している。北京五輪では、金9、銀6、銅10の計25個で、獲得数ランキングでは8位だった。1位の中国は金51、銀21、銅28の計100個というレベルだから、いまのところ5位以内は「無理」というのが衆目の一致するところだが、文科省は2012年度予算で過去最高の238億円のスポーツ予算を計上し、2016年リオデジャネイロ五輪を視野に入れて各種プログラムを実施中だ。

 とくに力を入れている「マルチサポート」事業は、体操、レスリング、サッカー、フィギュアスケートなどメダル獲得が有望な種目をターゲットとし、医学・栄養学の側面から支援したり、効果的なトレーニング法や競技用具を開発したりするもの。

 東京・北区にナショナルトレーニングセンターができたのは2006年(国立の施設としては初めてネーミングライツを導入したため、正式名称は「味の素ナショナルトレーニングセンター」)。1988年のソウル五輪で、日本がメダルを14個しかとれなかった反省から、JOCが国に建設を働きかけたものだ。バブル崩壊で一度は白紙に戻ったが、1996年のアトランタ五輪で再びメダル14個に沈み、計画が再浮上した。

 ここにはJOCの「エリートアカデミー」があり、全国から選抜された卓球、フェンシング、レスリングのジュニア選手たちが、住み込みで専門のコーチから指導を受けている。前述のスポーツ予算には、このアカデミーへの支援を含めて、JOCへの補助金26億円が含まれているが、この補助金の額は、2010年の事業仕分けで4%削減されたままだ。そこには、メダルをとれる選手の養成をJOC任せにせず、国が主導するという文科省の姿勢が見てとれる。

 文科省予算といっても、もとをただせば国民の財布から出ているわけだが、過去最高のスポーツ予算が国会を通ったのは、それが国会の総意だということだろう。2020年の東京五輪を前提として、国立競技場の改築のための調査費や、スポーツ庁設置のための調査費も、この予算には盛り込まれている。たしかに、事業仕分けで槍玉に上がったスパコン事業費267億円にくらべれば、238億円で「世界一」に手が届く選手を複数育て、オリンピックで日本の国力をアピールするほうが安上がりなのかもしれない。

五輪ビジネスについての基礎知識


【基礎知識2】商品価値の高い選手をどう育てるか

■Part2:ウインタースポーツと北海道経済の関係

 選手の養成には金がかかる。これについて、スポーツライターの生島淳氏が興味深い分析をしている。高校野球で駒大苫小牧が甲子園の常連になったのは、北海道拓殖銀行の破綻が象徴する北海道経済の不振が原因だというのだ(『アマチュアスポーツも金次第』朝日新書)。

 冬季五輪のメダリストは、圧倒的に北海道出身者で占められてきた。1972年の札幌五輪のスキージャンプでメダルを独占し、「日の丸飛行隊」と呼ばれた笠谷幸生、金野昭次、青地清二、1998年の長野五輪の「日の丸飛行隊」原田雅彦、船木和喜、スピードスケートの清水宏保、岡崎朋美、モーグルの里谷多英などなど。カーリングの「チーム青森」の中核になった選手たちも、北海道からの転出組である。

 北海道には子どもが小さな頃からウインタースポーツに慣れ親しむ環境が整っているだけでなく、企業もまた熱心にウインタースポーツを支援する伝統があった。しかし、野球やサッカーにくらべて競技人口の少ないウインタースポーツは、装備ひとつとっても金がかかる。1997年のたくぎんの破綻は、北海道経済を危機に陥らせ、家庭も学校も企業も、将来の選手を育てる力を失ったのだ。

 駒大苫小牧は、2004年、2005年と夏の甲子園大会を二連覇し、3年目は斎藤佑樹擁する早稲田実業に敗れて準優勝した。エースの田中将大は関西出身だが、レギュラーの多くは地元北海道の出身だった。たくぎんが破綻したのは、彼らが小学生の頃だ。本来ならウインタースポーツを選んだであろう運動能力の高い子どもたちが、金と手間のそれほどかからない野球に流れたのではないか――これが生島氏の推理である。

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【基礎知識2】商品価値の高い選手をどう育てるか

猫ひろし

英国版“猫ひろし論争” 五輪代表1割が海外出身者 © The Sankei Shimbun& Sankei Digital

■Part3:世界中にある猫ひろし問題

 ところで、メダルを狙える選手を手に入れるもっとも安価な方法は、国籍の変更である。さきごろイギリスで、メダルのために英国籍を取得する選手が多すぎると話題になった。ロンドン五輪の出場選手550人のうち、1割に相当する50人が元々外国籍だという。

 日本では、今年3月のフィギュアスケート世界選手権でペアとしてはじめて銅メダルをとったマービン・トラン選手を、2014年のソチ五輪に出場させるため、国籍取得を支援する動きが起きている。同選手はカナダ国籍で、日本での居住年数が少なすぎ、「特別の功労のある外国人には国会の承認を得て帰化を許可する」という国籍法の特例を適用する以外にないが、法務省はいまのところ、この特例に当てはめるのは難しいと判断している。

 2004年アテネ五輪の金メダリスト、体操の塚原直也選手は、ロンドン五輪出場を狙ってオーストラリアの国籍を取得しようとしていたが、間に合わず、代表を逃した。塚原選手は2009年からオーストラリアに練習拠点を設けており、今後も同地で国際大会出場を目指すという。

 タレントの猫ひろしさんがカンボジア国籍を取得して、一度はマラソンのカンボジア代表となったことは、大きな話題を呼んだ。結局、国籍取得から1年たっていないという理由で、国際陸上競技連盟に五輪出場を認められなかったが、国内にほかに代表にふさわしい選手がいたにもかかわらず、国籍を変えた外国人が代表に選ばれたことが賛否両論を巻き起こした理由だった。

 たしかに世界にはもともと二重国籍をもつ人も多く、グローバル化が進むにつれ、国籍は生まれもったものというより「選ぶもの」になりつつある。ただ、オリンピックに出場するためだけに国籍を変え、大会が終われば元の国籍に戻るようなことが許されているわけではない。大会が終わっても、その国で競技をつづける覚悟が求められるのは当然だろう。

 メダルの数にこだわればこだわるほど、選手の国籍が重大な関心事になってくるのはやむをえない。だがその結果、日本選手の動向にしか関心が払われなくなるのは大きな問題だ。

 小田嶋隆氏は、2006年のトリノ五輪で、NHKがダウンヒルの決勝の中継を中断し、今井メロ選手が出場しているスノーボードの予選の中継につないだことに驚いたという。

〈20世紀までは、冬季オリンピック中継のクライマックスは、誰が何と言おうとアルペン競技の決勝だった。日本人選手が出場していようがいまいが、だ。

 それが、放送されない。

 で、代わりに、スノボの予選中継が届いてきている。なんということだろう。今井メロ選手が、ジャンプの着地に失敗して、そのまま斜面をズルズルと滑落して行く様子が、ナマでたっぷり30秒上映されている。私はおぼえている。アナウンサーは「ああ」と言ったきり中継を投げ出し、解説者は、鼻息をひとつ吐いた後、言葉を発しなくなった。で、深夜のテレビ画面には無音の滑落映像が延々と流れていた。

「放送事故か?」

 まあ、事故と言えば事故だ。はっきりしていたのは、NHKが、アルペン競技の決勝よりも、日本人選手の出場するスノーボードの予選を中継することを選んだということで、その結果があの映像だった。〉(「日経ビジネス」2010年2月1日号)