次に喰うきの放火を指示したとされる2つめの理由助成金(kuruki・HANARE)返還。
私の反論は3つ。
1つめに助成金の返還が放火の動機であることについて片岡は「喰うきの経営がうまくいっていないということや助成金の返還をしなければならない状況だということは、溝渕や私だけでなく、内田や宮本も知っていました」というように述べています。(片岡第5回公判10頁)
ということは内田、宮本ももちろん「助成金の返還の為にも放火した」と述べるはずですが、実際は内田、宮本は「助成金の返還の為に放火した」と言うどころか「助成金を返還すること自体すら知らなかった」というように述べてました。(内田第2回公判調書29頁)(宮本第3回公判調書64頁)
金庫番の片岡が放火の理由を助成金返還と後付けしたのは明らかです。
2つめに助成金返還の資金確保のために火災前の11月中に銀行融資の内諾をもらっていた事実に対して片岡は
「助成金の返還をもしかしたらせないかんと思ったのは平成22年10月末ないし11月頭頃」(片岡第7回公判調書79)
「助成金返還の為に2000万円近くキャッシュが必要なんだという話を認識したのは12月頃」(片岡第6回公判調書41頁)
「銀行融資を受けることを知ったのは溝渕から銀行融資の手続きを頼まれた為でその時期は12月末頃」(片岡第6回公判調書41頁)
要するに片岡(検察側)のストーリーとして助成金返還のために放火をしたわけで、保険的な意味あいで助成金返還資金確保のために銀行融資を受けることにしたのは放火後しばらくしての話しだったということにしたいのだと思いますが、実際は火災前の平成22年11月17日に銀行提出用資料を片岡が作成しており(片岡第5回公判調書32~33頁)、銀行担当者の供述から11月26日に片岡は私と共に銀行に出向き、片岡の作成した資料を提出したり交渉をしたりしていることが明らかになっており(甲85号証)、火災前には銀行融資の手立てはついていたことになります。
ここでも片岡の上記の発言は嘘であったことがここでもこちらが法廷で見せた物的な証拠によって明らかになりました。
3つめは片岡の発言と私の記憶とあう所なのですが、片岡は「融資時期について銀行側に平成23年2月末にはとお願いしていた」(片岡第6回公判調書42頁)と述べており、それならば12月2日に急いで保険金を目的として放火をする理由は成り立ちません。
実際ハローワークへの助成金返還をせかされていたわけでも銀行から融資を放火前に断られていたわけでもないのは全て甲2号証、甲85号証より明らかです。
(以下甲2号証添付資料)
支給した助成金を取り消しますと労働局から通知が来たのが火災から約1週間後の平成23年12月7日。
労働局の通知に対して不正を認める書類に私がサインをした日が12月16日。
助成金返還をしますと返還誓約書類に私がサインした日が2月6日で、返還の期日を3月10日と私が記載。
と検察側証拠から明らかとなっておりこれをとって見ても助成金返還のための放火というのは虚偽であることが明らかです。
次回は喰うきの放火を指示したとされる3つめの理由グループホームについてを明日か明後日に記載する予定です。
これら一連の件でご迷惑をおかけした方に心よりお詫び申し上げます。
また、ブログコメントくださった方々ありがとうございました。
溝渕大志
Amebaおすすめキーワード